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2011-09-04

初スイスをハイキングで満喫 ^0^

ドイツが だぁい好きで、
毎年ドイツとその周りの国に行くHarukaさんから写真とメールが届いた

Harukaさん 今年はスイスにも行ってきたんだよ

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

初のスイスではアルプスのハイキング
雄大なアルプスの山々を眺めながら
グロース・シャイデック~フィルスト~アルプバッハ湖までのコースを歩きました


null 時々出会うハイカーの人達
ハロー!と挨拶をして
山や高山植物を写真に撮 って
山に響くカウベルの音を聞きながら
のんびりハイキングをしていると

「ほらほら撮って~!」と
青空とアルプスの山々を背景に
ナイスアングルの牛が


  スイスの大自然にたたずむ牛
    Fhoto by Haruka

アイガー、メンヒ、ユングフラウなど
連なる山の名前も最初は区別がつかなかったけれど
ハイキングのイラストマップと見比べて覚え、大自然の雄大さを満喫した旅でした

今度はももたんの行った、マッターホルンの見えるコースに行ってみたいなあ


★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

Harukaさんに「旅の感想文をブログの記事にするね」って言ったら
  「ももたんの解説付きで、
  アルプスの様子を皆さんに知ってもらえると嬉しいです」
って追加のメール
うぁわ 責任重大 ^-^

**************** **************** **************** **************** ****************
ということで、ももたんの解説・・・

スイスの雪山は3500~4000m級の山だけど
ハイキングは
そんな高いトコまで登る本格的な登山だけじゃなくて
2000m位の場所から
景色バツグンの雪山を見ながら歩くルートがいっぱいあるんだ

ハイキングルートは、山の数には負けるけど山ほどある ^-^
 ベビーカーを押してる人にも会うような、ほぼ平坦な道
  心臓バクバク、ハアハアがんばって登るトコ
   次の日に筋肉痛で太腿が笑っちゃう、下りばっかりのルート・・・
とにかく、いろんなルートがある ^0^

Harukaさんが歩いた
グロース・シャイデック(1961m) ⇒ フィルスト(2168m) ⇒
アルプバッハ湖(2265m)は
緩やかな登りで歩きやすくて、「登った、歩いた」って満足感があるコース


nullハイキングルートには
分かれ道がある

  目的地が同じでも
  近道ルートと
  遠回りルートがあったりする




         分かれ道にある案内板
左に行っても手前に戻っても 
同じ場所に着くと書いてある 
左側にチラッと見えるのがアルプバッハ湖 

体力と時間、それからその日の天気に合わせて
  「もう少し歩きたいから、遠回りルートにしよ」とか
  「疲れたから、目的地を変更して電車で帰ろう」とか
分かれ道にきたら、その先のルートを自分で考えて選べば
ハイキングコースのバリエーションはいくらでもできちゃうんだ ^-^

それがスイスハイキングの楽しいトコ

え、他の国だってできるんじゃないかって
  うん、確かにできるけど
  スイスの良いところはね、
  分かれ道には必ずと言っていいほど道案内が出ているんだ
    他の国では、それがトキドキないことがある
  だから次に行くべき道はどっちかを、道案内を見ながら確認できる
  土地勘がない旅行者でも歩きやすい ^0^

でも地図は必ず持って行ってね!!
万が一迷子になっても
地図があれば案内板を見れば方向がつかめるし、他の人に道を聞けるでしょ

ももたんも7月に、Harukaさんと同じコースを歩いた

Harukaさん
バッハアルプ湖からフィルストに戻ってロープウェイで山を降りたらしいけど
  ももたんはもう少し先まで歩いて
  ヴァルトシュピッツから バスで山を降りた

  Harukaさんの時は良い天気だったけど
    ももたんの時はいまいちパッとしなくて、山の景色もイマイチ

悔しいから
雲海たなびく風景写真を、でぇっかく載せちゃお ^0^
null
グロース・シャイデックに行くまでのバスの中から撮った写真   
ユングフラウと、雲海の下に眠るグリンデルワルトの村が良い感じでしょ


Harukaさん
メンリッヘンからクライネ・シャイデックにも歩いたんだって
  「雲ひとつないピーカンの天気でアルプス満喫!!」って
  スイスから写真付きメールも届いた

いいなぁ
ももたんがクライネ・シャイデックに行った時はどしゃぶり
  当然山は見えないし、寒くてハイキングする気にもなれなくて
  さっさとホテルに引き上げ ^-^
  
その代わり、町のお祭りに偶然遭遇して楽しんだんだ~
  ハイキングしてたら見られなかったハズ
  転んでもタダでは起きない ももたんなのだ ^0^

by ももたん
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2010-09-30

KISS & RIDE

スイスでこんな看板を見かけた
キス アンド ライド
思わず「あれってブッチュのキスのことだよね」って確認してしまった ^-^


null駅前のロータリー

車の乗り降りはコチラで
   っていう案内看板だろうけど
乗り降りだけじゃなくて
ソコで、キスもしなさいってことかな






キスする場所を案内する看板?


ミラノの空港でも KISS & FLY キス アンド フライ
キスして飛行機に乗る人はコッチ・・・って看板があったなぁ
  もしかして、これ流行の最先端なのかも ^0^

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

旅はガイドブックで紹介している観光地だけが
面白いんじゃなくて
身近な日常生活の中にはないものをいろいろ発見するのが面白いんだよね~

ステキな景色に感動するのも
  マンホールの写真を撮るのも
お土産だけじゃなくて、
  スーパーで夕飯の買出ししてるみたいな買い物するのも
  あ、これもお土産には変わりないか ^-^
みぃんな、楽しい ^0^

ももたんが一緒に行ったお客さんたちにこの看板のことを教えたら
みんな、こぞって写真を撮っていた ^-^
  ちょっと前までは
  マッターホルンの勇姿に感動していた人たちが ^0^


くだらないけど、それが旅なのだ
みんなも
くだらなくても、楽しい発見をいっぱいできる旅をしてね

by ももたん
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2010-03-01

がんばれ、チリ!Fuerza Chile!

2月27日にチリ中部で発生したM8.8の大地震。
被害は甚大で未だに全容は判明していませんが、
犠牲者は700人に達し、さらに増えることが予想されています。
200万人と言われる被災者は、チリ国民の8人に1人に相当します。

今回、被害が集中しているマウレ州やコンセプシオンは、
2003年に南米を自転車で旅行中に訪れました。
日本から最初に入ったのが首都サンチアゴ。
そこから南へ向け走り始めて間もない頃で、
どこまでも続く畑や青い海、歴史のある街、そして優しい人達など、
数え切れない思い出があるところです。

チリは細長い国土に山と海があり、
南米では比較的堅実な国民性など、日本と似た点も多くあります。
私にとっては最初の南米の国で、しかも1年強の旅のうち、
最も長い期間(4ヶ月)を過ごした国でもあり、思い入れがあります。
それだけに、報道される被害の大きさに胸が痛みます。
亡くなった方のご冥福と、1日も早い復興を祈りたいと思います。
Fuerza Chile !!

● TV de Chile (スペイン語)
 現地テレビをWebでリアルタイムで視聴可。被害の大きさと緊迫した状況が伝わります。
 被災地では現在、水、食料などの物資が不足しているようです。
(現地深夜等は動画が休止していることがあります。時間をおいてお試しください。
 日本との時差は12時間。)

● チリ地震被災者支援の募金受付を行っている団体一覧
 できることから協力したいと思います。

コンセプシオンの隣の港町、タルカウアノで出会った子供達。(2003年)
この街も大きな被害が伝えられています。
皆無事でいて欲しいです。タルカウアノの子供達

2009-06-09

爆裂!ロス・カルカス大阪公演

ボリビアの超人気フォルクローレ・グループ「ロス・カルカス」(Los Kjarkas)が
大阪にやってきた!(6月7日 天満橋 エル・シアター)

「ロス・カルカス」の名前は知らない方でも、
大ヒットした「ランバダ」という曲はご存知のはず。
この元となった曲を作ったのが「ロス・カルカス」なのだ。
(「ランバダ」はロス・カルカスのオリジナル曲。
 フランスのグループに盗用され、それが世界的にヒット。)

18年ぶりの来日とのことで、
会場には往年のファンの方々が大勢詰めかけ、開演前から熱~い雰囲気。
主催者挨拶で、唯一の日本人メンバーでチャランゴ(弦楽器)奏者、
宍戸誠さんのご親戚一同が客席にいらっしゃると紹介され、拍手が起こる。

そしてメンバー登場。
いきなり1曲目から最前列で踊り出す、ラティーノやラティーナ達。
日本人のお客さんは最初は座って聴いていたが、やがてノリのよい曲になると、
我慢できない人達が堰を切ったようにステージ前に躍り出た。
主に40代~60代くらいと思われるお客さん達。
男性も女性も汗をかきながら思い思いのステップを踏む。
ボリビア国旗を掲げながら踊る人も現れて、ホールに熱気がこもる。

ボーカルのエルメールがお客さんに歌詞を合唱させる場面では、
皆、大声でスペイン語の歌詞(それも結構長いフレーズ)をしっかりと合唱。
すごい!

休憩をはさんで第二部、
「ランバダ」の原曲「泣きながら」(Llorando se fue)で盛り上がりはピークに。
「otro!otro!」(もう1回!)というアンコールの掛け声が延々と続いた。
メンバーの顔も皆輝いていたけれど、
同じくらいにお客さんの表情もみんな晴れ晴れとしていたのが印象的だった。

日本では「フォルクローレ=南米先住民族の哀愁の音楽」というイメージが
なぜか定着しているが、 それはほんの一部。
ボリビアやペルーなどには
人気と実力のあるフォルクローレグループがいくつもあり、
ラパスで週末にペーニャ (フォルクローレのライブハウス)に行くと、
老いも若きも一晩中盛り上がり、みんな飲みながら踊っていた。
フォルクローレは決して消え去っていく過去の音楽などではなく、
今を生きる人たちのための元気が出る音楽。
今日のライブはそれを思い出させてくれた。

休日の静かなオフィス街に突如現れたボリビアのペーニャ。
そんな奇跡のような時間。
外に出ると、火照った体にひんやりとした大川の風が気持ちよかった。

来日ツアーは6月半ばまで、神奈川、東京、千葉、愛知と続く。公演日程詳細
ロス・カルカスのふるさとボリビアについてはこちら ボリヴィア共和国大使館

泣きながら Llorando se fue

Wayayay


私達の音楽散歩♪ MUSICA MUSICA MUSICA♪

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2009-06-06

ももたん 別室に連行される事件」の事件簿

2年前にスイスからオーストリアにバスで移動したとき
国境でパスポートのチェックがなく入国しちゃった
  バスに乗ってる人って
  地元の人かEU圏の観光客がほとんど、日本人なんてめったに乗らない
  国が違うって言っても地元の人には隣村に行くような感覚
  普段は出入りする人の
  いちいちパスポートチェックをする必要がない
  だって朝入国したって、どうせ夜には家に帰りに出国しちゃうもん ^-^

バスのうんちゃんが国境の係員さんに
「かわいい女の子が一人乗っている」と言ったかはわかんないけど ^-^
日本人だよ とは報告していたみたいだった
  だけどフリーバスでオーストリア入国 ^-^

オーストリアから列車でドイツまで来て(ここもフリーパス)
ミュンヘンからいざ日本に向けて出国しようと思ったら
イケメンの係員さんがなかなかパスポートを返してくれない
  聞くと「いつココに来た?」って言っている

ももたんに興味あり?
もう、どこの国でもモテちゃうんだから、ももたんは。ほんと罪なオンナ ^-^ って感じで
「ミュンヘンには昨日着いたよ」って愛想振りまいて話してら
ミスター・イケメンは真剣

どうやらココとはミュンヘンのことじゃなくてEUのことで
いつEUに入国したかと聞いてるみたい
パスポートにEU入国のスタンプがないので ももたんに質問をしていたというわけ
  つまり完全に職務質問、ラブラブの世間話じゃなかったのね ^0^

ももたんも質問の意図を理解して
スイスからバスで来て、どの町から入国して・・・と説明をすると
ミスター・イケメンはとりあえず納得はするものの
ももたんのパスポートを持って「ついて来い」
  それから係員さんの詰所のような
  人気のないところに連れ込まれて、そしてそれから・・・

null 変な想像をしないように ^-^

今まで見たことがないスタンプを
パスポートに押されて
とりあえず無罪放免
もう一度出国審査の列に並んで無事出国 


職務質問の末
EU入国の印として受けたスタンプ(上)と
無事出国できた出国スタンプ(下)

 ↑ 普通はこういう形の入国スタンプが押される

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
このときももたんは3つの国を渡り歩いた
日本からスイスに
 スイスからオーストリアに
  オーストリアからドイツに
それで、どの国に入るときもパスポートにスタンプは押されなかったんだ
  ヨーロッパって結構いい加減 ^-^
  出国のときに職務質問までしてうるさく言う割には
  入国のとき係員さん次第で押したり押さなかったり・・・

係員さん次第とは言っても
もし、どこかでスタンプをもらっていれば
今回の「ももたん 別室に連行される事件」は未然に防げた

ももたんはどこでパスポートにスタンプをもらっとくべきだったのか?
それはスイスからオーストリアに入国するときなんだ
  だってドイツとオーストリアはEUだけどスイスは違うでしょ 
  が、答えの理由ではない ^0^

ホントの理由は・・・
  長くなっちゃったし
  また今度、別の記事で真相を書くね
  真相が究明されるまでは ヒ・ミ・ツ

みんなも事件解明に向けて謎解きに挑戦してみてね~
  2009 6 10 「ももたん別室に連行される事件」 いよいよ真相が明かされる!
by ももたん

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2008-07-28

フィエスタ ペルアナ 2008

7月27日、大阪・梅田スカイビルで「フィエスタ ペルアナ 2008」が開かれた。
ペルー共和国の独立記念日を記念して毎年開かれるこのイベント、
日本在住のペルーの方々、南米に興味がある人など、国籍に関係なくたくさんの人達が集まる。


午後のうだるような暑さの中、会場へ到着すると、
そこにはペルー料理の屋台がずらりと並び、
ビール片手に談笑するラティーノ、ラティーナ達・・・
スペイン語が飛び交い、まさに南米の雰囲気。
おいしそうな料理の数々・・・
さっそく屋台をひやかすが、どれも結構いいお値段。
日本だから仕方ないのだが、現地価格を知っているせいか、
なかなか財布の口が開けられない(悲)

それでもせっかく来た以上、せめてということで
クスコのビール・をいただく。

うまい!
標高が高いクスコでは寒くて、
冷たいビールがおいしいことはほとんどなかったのだが、
夏の日本で飲む、冷えたクスケーニャはまた格別だ。

2つあるステージでは交互にライブが行われ、盛り上がっていた。
ステージ前に陣取って踊るラティーノ、ラティーナ達。
年に一度のお祭り、老若男女みんな自然に体を動かし、大いに楽しんでいる。
日が暮れて、ビルの間を吹き抜ける風が気持ちよくなってきた頃にイベント終了。


夏の遠出は疲れるけれど、ラティーノ達のパワーをもらって、
ちょっと元気になったような気がした。


サブステージで行われていたサルサのデモンストレーション。すごい動きだ。



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2008-07-24

サン・モリッツにて (世界遺産成り立てホヤホヤのベルリナ線に乗った!)

スイスの旅行は視察と観光を兼ねた一人旅。
「一人で大丈夫~ ? ! ?」とよく言われるけど
ももたんのヨーロッパの一人旅は、これで7回目だと思う。
でも今まではツアーに参加していたり
現地で知り合いにあう約束が合ったりしたから
最初から最後まで
ももたんを知っている人に会うことのない旅行は今回が初めて。

ところがサン・モリッツの駅前で知っている人に会ってしまった!
といっても、相手は添乗員仲間。
会っても不思議はない人だけど
  「世の中悪いことは出来ないな~」とつくづく。

それにサン・モリッツのホテルで朝食を一緒に食べた
日本人のご夫婦ともいっぱいお話ができて
とっても楽しかった♪

同じホテルに3泊するとホテルのスタッフも顔を覚えてくれて
朝食のとき「コーヒーでよいよね」って
何も言わなくても持ってきてくれる。
  ももたんの好み、覚えてくれたんだぁ

夕食のときも
昨日注文がとってくれたおにいちゃん(もちろんイケメン)が
わざわざ「こんばんわ」って言いに来てくれる
(オーダーは別の人がとってくれているのに!)

なんだかこのホテル、去りがたいなぁ

★ ☆ ★ ☆ ★
サン・モリッツは
ツェルマットへ向かう氷河急行と
ティラノへ向かうベルリナ急行の始発駅なんだけど
ももたんはベルリナ急行の走る線を
普通列車に乗って旅をした。
  ちなみにリクエスト・ストップ駅もあるから、
  各駅停車ではないんだよ
2008 1 30 リクエスト・ストップの駅

急行だと展望車両があって、車内から景色をパノラマで見られるけど
普通列車は窓が開くのでスイスの空気をいっぱい吸いながら
山や氷河や、
カーブの時は自分が乗っている列車の写真をパチパチ。

窓から顔や手を出してはいけません
なんて看板はどこにもないし、
外人さんのおじさんたちは窓から顔を出して写真を撮っている
  もちろん、ももたんも ^-^

この路線は山や氷河の景色も楽しめるけど
最後には360度のループ橋を通る!
  線路オタクのももたん にはたまらん ^0^



これから走る線路が2本見えて
(ループ橋とループ橋をくぐる線路がある)





null
さっきまで前だった景色が後ろになって









今走ってきた線路が頭上になって!!






ひゃっほぉ
  面白い、何度も通ってみたい♪


********** *********** ********** **********
今回サン・モリッツに3泊したでしょ。
毎日朝8時30分過ぎのバスや列車に乗ったので
毎日、8時ごろから駅前をうろうろしていた

毎朝8時20分ぐらいになると大型観光バスが到着して
日本人がいっぱい降りてくる
  みんな9時4分発の氷河急行に乗るみたいだね。

するとね、ももたんの目には
「8時を過ぎると日本人がドワッとやってくる」という印象があった。

そこにいる人たちは毎日違っても「日本人」という同類項があるでしょ。
今回会った人たちがそうだった ということじゃないんだけど、
普段おしとやかで、つつましい日本人なのに
みんなで渡れば怖くなくなるし、
旅の恥は掻き捨てることってない?
その地を訪れて人にとっては
たった一度の訪問、二度と来ることがないかもしれない場所でも
現地の人にとっては「日本人ってこういう人」という印象を受けると思うんだ。

今回の旅で
・マナーはどこにいっても大切にしなくちゃ
  (どこで知り合いに会うとも限らないし!)
・いろんな人と仲良くできる旅が出来ると楽しい
 と、感じた ももたん でした。
by ももたん
続きがあります

2007-11-14

「毎日がカーニバル!」ブラジルの古都・サルバドール



海沿いの街ヴィトリアから、夜行バスに揺られ20時間弱、
1月23日、ブラジル北東部の港町・サルバドールへ到着。

サルバドールといって思い浮かぶのは、映像ではなくまず「音」だ。
街の中心では、いつもどこかで打楽器のリズムが響いている。
リオデジャネイロのサンバやボサノバとはまた違った独特のグルーヴ。

通りを歩いていると、おもむろにパーカッションが鳴り、人が踊りはじめた。
上半身裸のドレッドヘアーの男の人や、裸足の女の人。
演奏とダンスはどんどん過熱していく。その迫力に、ただただ圧倒された。

ブラジル南部から来て、まず目に入ってくるのは、黒人が多いことだ。
300年前頃のポルトガル支配下で、サトウキビを栽培する為に、
アフリカから奴隷としてたくさんの人達が連れてこられたからだ。
その後、彼らがこの地で音楽をはじめ独自の文化を発展させてきた。
色々なものが融合された奥深い文化が、多くの人々を魅了し続けている。



教会や歴史ある建物が並ぶ旧市街は、世界遺産に登録されており、
国内外から絶えず、たくさんの観光客が訪れている。
そして海岸地区にはリゾートホテルが立ち並び、こちらもまた賑やか。
長い砂浜の向こうはもう、どこまでも続いていそうな大西洋だ。


旧市街からメルカド・モデロ(土産物市場)方面を望む。


滞在した部屋からの眺め。夜は前のレゲエバーがうるさかった・・・。


今度は、地響きのような太鼓の音と共に、パレードがやって来た!
まずは踊る子供達の集団。


次は太鼓を叩く華やかな女の子達。


そして大迫力の男性陣。アグレッシブ!

どうも、世界的に有名なパーカッション・グループ「オロドゥン」
の音楽学校のパレードのようだ。

何パターンものリズムを奏でる太鼓の大音量が、街に響き渡る。
これがサルバドールの日常?! 

わざわざライブ会場に音楽を聴きに行かなくても、
街に居るだけで「音楽」をカラダで感じることができる場所!

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2007-10-09

水と緑の町へ~滋賀県高島市~



私達はこの夏、兵庫県神戸市から滋賀県高島市へと居を移しました。
琵琶湖北部の西岸、山を望む静かな田園地帯の一角です。

田んぼの緑の上を通ってくる、涼しくて美味しい風。
夏が終わると、稲穂は黄金色に輝き、収穫を待ちます。
秋真っ盛りの今は、ススキの風景に可憐なコスモスが彩を添えています。

朝も昼も、バリエーション豊かな鳥達の鳴き声。
そして夜のBGMは、虫達の合唱。

東には穏やかで広い、清らかな琵琶湖。たくさんの魚が住みます。
北には、梨や葡萄、栗の果樹園があるマキノ高原。スキー場もあります。
安曇川を遡って西に行けば、かつて鯖街道の宿場町だったという、
山深い朽木村。山にはブナの原生林が多く残っているそうです。

また、高島市には、家の中に湧き水を取り入れた「カバタ」と呼ばれる
昔ながらのしくみが残っているところがあります。
そして今もなお湧き水が生活に利用されている地区があり、
自然と共に暮らすその様子が、NHKのドキュメンタリー
「映像詩 里山 命めぐる水辺」として、
四季折々の美しい映像とともに放送されて注目も集めました。

地元産のお米はもちろん、新鮮で美味しい野菜の数々に舌鼓を打つ日々。
そして自転車散歩が気軽にできる環境に、大満足しています。

素晴らしい環境が保たれているのは、ここに住む方々の努力の賜物です。
住民と行政が一体になって、山や琵琶湖の美しい自然を守っているのです。

ところが、皆のそのような努力を踏みにじろうとする団体がやって来て、
この静かで平和な高島市で今、大問題になっています。

「憲法は守っている」と言い張って、周辺住民の反対を無視する姿勢。
自分の利益のためなら、地域の人の生活を脅かすことを何とも思っていない、
そんな団体に憤慨し、市民が市長とともに立ち向かっています。

住む土地を愛し、尊い自然や安全な暮らしを守ろうと願う人達の思いが優先される、そんな世の中であると、私達は信じたいと思います。

琵琶湖を守ろう!地域環境を無視した「アークエンジェルズ滋賀シェルター」設置に反対します

滋賀県高島市の観光情報サイト
続きがあります

2007-06-04

森で楽しむ南米音楽~三木山フォルクローレ音楽祭~

6/3日曜日、三木山フォルクローレ音楽祭に行ってきた。
神戸市の隣、三木市にある三木山森林公園で毎年開かれるこの音楽祭は、今年で10周年。当日は小雨のぱらつく天気だったが、およそ50組のフォルクローレのグループと音楽好きの人たちが、緑豊かな初夏の三木山に集まった。前々から行きたかったが、今回はじめての参加。

出演グループは地元関西を始め、中国、四国、東海、関東、北陸など全国各地から。予想していた通り中高年のグループが多かったが、大学のクラブや若い人達のグループも出演していて、ファン層の広がりを感じさせた。出演者やお客は在日の南米の人達も多いのかと思いきや、私が見た範囲では、ほとんどが日本人だった。

森の文化館・音楽ホール

広い公園内に設けられた
ステージは計3箇所。
メインの「森の文化館・
音楽ホール」はガラス張り。
新緑をバックにした
開放的なステージだ。




フォルクローレというと、あの「コンドルは飛んでいく」があまりにも有名だが、決してそれだけではない。明るい喜びの歌から静かにじっくり聴かせる歌まで、アンデスの人達の生活を歌う様々な曲は、現地はもちろん世界中で聞かれている。南米以外の国で海外公演を行う世界的な人気グループもある。

三木山の音楽祭の出演者は、趣味のグループからプロ級の人まで実に様々だったが、一番驚いたのは、日本では決してメジャーではない音楽・フォルクローレをやっている人が、こんなにもいるという事実。
ホールの周りでは出演前の音合せをするグループの楽器の音色が響き渡り、それだけ聴いていれば、まるでボリビアはラパスの街角にでも迷い込んだかのよう。
そしてお客さんも多く、皆熱心だ。さすがに夏の野外ロックフェスほどではないが、南米という一地域の音楽にこれだけの大勢の人が集まるのは驚きだった。素朴な楽器の音色と歌声が、日本人の心をとらえるのだろうか。

野外ステージ

エントランス広場の
野外ステージ。
演奏しているのは
神戸市の"Klee Blatt"。
一見フォルクローレぽくないが、
奥行きのあるカッコイイ!演奏で会場を沸かせていた。




それにしても、日本人ほど海外の文化に強い関心を示し、行動に移す国民は珍しいのでは。例えば南米で、非日系の地元一般の人達が大勢こぞって出演する、10年続いている日本音楽祭というのは多分ないだろう。南米以外でもきっと同じだと思う。

日本に南米好きな人がこんなにたくさんいることを知って嬉しいのと同時に、もっともっと多くの人に南米に目を向けてもらえればと思った。

来年の三木山フォルクローレ音楽祭は2008年5月25日(日)。

三木山森林公園

広い三木山森林公園。
森では狸も見た!
池や遊具のある広場や
森の中の遊歩道もあり、
子供連れにも最適。
レストランもあり。
入場無料。




【行き方】
車の場合はこちら。電車・バスは、神戸電鉄恵比須駅よりみっきぃバス(6分)で「森林公園」下車。またはJR明石駅から神姫バス36番三木・社行(40分)。あるいは神戸地下鉄・西神中央駅から神姫バス82番三木行(25分)で、いずれも「鶯谷」下車。(本数が少ないので要確認)

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2007-04-17

ブラジルから届いた物語~フランシスコの2人の息子~

フランシスコの2人の息子
ブラジルのど真ん中、ゴイアス州の片田舎。
照り付ける太陽。広がる畑の風景。
澄んだ深い瞳をした少年の無垢な歌声に、
涙腺がゆるむ。

ブラジルの国民的人気兄弟デュオ「ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ」の成功までの実話を描いた映画、「フランシスコの2人の息子」が日本で公開されている。

クライマックスでは、ファンで一杯になった大きな会場での、
人達が歌う実際のコンサートのシーンが流れた。

映画の中ではボサノバでもサンバでもない、
ブラジルの素朴で温かな音楽がじっくりと満喫できる。

描かれる普遍的なブラジルの家族の光景。
大切で、あたたかいものを私達に伝えてくれた。
そして子役の子供がまた、素晴らしく魅力的!

この映画、ブラジルでは大ヒットしたそうだが、
日本では上映期間も短く、観に行くと昼の部がなくなっていて夜の部だけ。
劇場は狭かったが、それでもガラすきだった。週末だったというのに。
みんなこんなに良い映画を見ずに、いったいどんな映画を見ているのだろう?

「フランシスコの2人の息子」公式サイト
「ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ」公式サイト
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2007-04-07

ブラジルで教わった「人生成功の秘訣」

轟くリオデジャネイロから、北へ約700km夜行バスに揺られ、
海沿いの街ヴィトリアへと向かう。
前回の旅でお世話になった高崎さんを訪ねるためだ。

高崎さんご夫妻(前回お会いしたときの写真ですが)
福岡ご出身の高崎さんは、10代の頃に農業移民として単身で海を渡り、ブラジルに移住された。
今から約30年前、今ほど情報が無い時代に、10代でそんな大きな決断をしたという事だ。
その後、働きながら大学に通い、歯科医の免許を取得され、現在は診療所を営んでいる。

ブラジルではかなりたくさんの歯医者さんをみかけるが、
高崎さんは多くの患者さんに信頼されているようで、
わざわざ遠くから通って来られる人達も結構いるそうだ。

ブラジルに知り合いなど居なかった、前回の南米旅行中、
高崎さんが私達のホームページを見てくださり、
ヴィトリアに呼んでくれたのだ。
ご自宅に泊めていただき、1才の時に両親と共にブラジルへ来られたという奥様の、手作りの和食の数々(プロフェッショナル!)をご馳走になったり、近郊を案内してもらったり、歯の治療までしてもらったりと本当にお世話になった。

「またブラジルに来るときは必ずここに来ます。」と言って、
ヴィトリアのバスターミナルで見送っていただき早3年。
この街を再び訪れることができて、嬉しい限りだ。

朝ヴィトリアに到着すると、もたもたしてなかなか降りて来ない私達を心配して、前とぜんぜん変わっていない高崎さんがバスに入って来た。
「リオのホテルに何度も電話したけど、つながらなかったよ。
 教えてくれた番号、違ってたんじゃない?」
「え!す、すいません・・・(一応旅行の仕事してるんだけど・・とほほ)」

今回は、高崎さんや奥様と同じ入植地だった方達や、
北中南米を3年半ものあいだ旅行中の永石ご夫妻とともに、
近郊に出かけたりして賑やかに過ごし、あっという間の3日間だった。

永石さんご夫妻と
永石修一さん・千賀さん夫妻は、
高崎さんの歯の治療を受けるため、
ヴィトリアに長期滞在中。
大阪出身の気さくなご夫妻と、
旅や仕事や色々な話をして、
とても楽しい時間を過ごさせてもらった。
世界を深く観察していて、
「人が好きやねん!」と言う永石さん。
これからどんな人生を選択していかれるのでしょう。

永石夫妻のホームページ【南北アメリカふたり旅】
永石さんのブログ【『ラテン』って何やねん?!】
              onドリームゲートBlog「海外ビジネス最前線」


高崎さんには前回お会いしたときに、
「3ボレ」という言葉を教えていただいた。
それは「人生を成功させる秘訣」だ。

「自分の仕事に惚れろ」
「自分の住んでいる土地に惚れろ」
「自分の家族に惚れろ」


高崎さんはブラジルへ渡り、「3ボレ」を実現した。
3人の息子さん達を立派に育てられ、
これからは奥様と旅行に行く機会を増やしたいとのこと。

私達も「3ボレ」ならぬ「5ボレ」くらい目指して、生きて行きたい。
そしてまた、ヴィトリアを訪ねたいと思う。

2006-11-07

ボサノバの神様♪夢の時間~ジョアン・ジルベルト

ジョアン 声とギター
夢心地で宝物のように貴重な時間は、
ただただ夢心地のまま、
あっという間に終わってしまった。

ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)。75歳。
ボサノバを創ったといわれている、
伝説のブラジル人音楽家。

2003年、2004年にも奇跡の来日公演があったが、
運悪く私達の南米旅行と見事にぶつかってしまい、非常に悔しい思いをした。
もう、この耳で生の演奏を聴くことはあきらめていたが、
またまた奇跡の来日公演が決定し、大感激!
彼はかなり日本を気に入ってくれてたようだ。
日本中の熱心なブラジル音楽ファン達にも感謝!

残念ながら関西公演はないので、夜行バスでいざ東京へ。
巨大都市に翻弄されながらも、早めに東京国際フォーラムに到着した。
待ちきれず、開場と同時に入場。
先行予約で取った席も、なかなか良い場所で満足だ。
期待が膨らむ。

彼を愛する人達によって書かれた、来日記念パンフレットを読みながら
公演を待つ時間も、なんとも幸せな気分だ。
これからはじまる夢のような時間を、少し緊張しながら静かに、ゆっくりと待つ。
でも心はウキウキ。会場はそんな雰囲気に包まれている。

開演予定時刻になったころ、アナウンスが流れた。
「開演の時刻ですが、アーティストがまだ到着しておりません。
開演のめどが立ち次第お知らせ致します。」
皆がどっと笑い、会場が和んだ。怒る人などいない。

前回の来日公演では、演奏の途中に20分ほど身動きしなくなり、
瞑想状態になったという。
何があっても、すべてを含めてジョアン・ジルベルトなのだ。

再び40~50分待ち、「アーティストがホテルを出発しました。」
のアナウンスのしばらく後、
「アーティストが到着いたしましたので、お席でお待ち下さい。」
との案内に変わった。
そして、会場の緊張もほぐれ、リラックスしたちょうどよい雰囲気の中、
予定から約1時間遅れて、ようやくギターを持った彼が現れた。

あの声とギターが、本当にすぐそこにある。
年齢による衰えは、みじんも感じない。
ジョアンが歌う。ジョアンが呟く。ジョアンがハミングする。
洗練された、彼に寄り添うギターのリズム。
何もかもが最高!

耳を澄まし、天に昇るように聴き入る、研ぎ澄まされた音楽。
数あるジョアンのどの名盤よりも、間違いなく最高の声。最高の演奏。
究極のボサノバだ。

「声」と「ギター」。それだけ。
彼がギターに触れ、声を発すれば訪れる、至福の世界。
だれもが魔法にかけられたようにうっとりする。
彼以上のギター弾き語りは存在しないのではないかとさえ思った。

もう一人のボサノバの巨匠、アントニオ・カルロス・ジョビン
すでにこの世に居ない為、生演奏を聴くことはできないが、
共に時代を築いたこのジョアン・ジルベルトのそばで、
きっと見守ってくれているはずだ。

神様と過ごす幸せな時間。
「もう一度」というぜいたくなことは言わないが、
やはりできることなら、また味わってみたい。
ありがとう、ジョアン!

Voz E Violao(声とギター)・・・2000年作品。感動の10年ぶりのアルバム。
                 静寂さえも彼の音楽の一部だと感じさせてくれる。
In Tokyo・・・2003年奇跡の来日公演にて収録されたライブ盤。涙・涙・涙・・・。

ジョアン・ジルベルト・フォー・トーキョー



来日公演を記念して発売されたベスト盤

彼のベストを「選ぶ」なんて、難しすぎる!


♪ブラジルのお気に入り音楽♪

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2006-07-07

アルゼンチン音響派♪フェルナンド・カブサッキ

KIRIE Kabusacki Tokyo Session
ついに、近年日本の音楽ファンの間で話題の、
「アルゼンチン音響派」と呼ばれる音楽家、

フェルナンド・カブサッキ(Fernando Kabusacki)
サンチャゴ・ヴァスケス(Santiago Vazques)
アレハンドロ・フラノフ(Alejandro Franov)

の来日公演に遭遇することができた。

場所は大阪ミナミの新世界。
経営難でひっそり静まり返る商業施設フェスティバルゲート8階の、
音楽空間「BRIDGE」だ。

ガラス張りの向こうには、暮れゆく大阪の街を見下ろすことができる。
時折、ガラスの向こうをジェットコースターが走って行くが、
防音ガラスなのか音はあまり聞こえない。
何だかシュールで不思議な空間だ。

予定時刻の夜7時を過ぎても、なかなかライブは始まらない。
ブエノスアイレスから来たミュージシャン達は、ずいぶん前からすぐそこで、
お客さん達と写真を撮ったりしているのに。
「アルゼンチン時間だ・・・。」

7時半を回り街の景色が暗くなりはじめた頃、
ようやくミュージシャン達は定位置に付き、
静かに演奏ははじまっていった。
彼らが音を鳴らすと、もうそこは別世界になった。

何だろう、この世界は!
湧き上がっては、押し寄せる音の波。
浮遊感とグルーヴ感。

「音響派」というジャンルは、どうも小難しい印象を持っていたが、
彼らの演奏はとっても自然で、とっても自由で楽しい。
次に何が起こるかも分からないわくわく感がある。
その「未来」を感じさせる音世界は、夜10時半まで繰り広げられた。

今回のライブは、その道で知られる日本人ミュージシャン、
山本精一・勝井祐二(ROVO)、内橋和久たちとのコラボレーション。
彼らは数年前から親交を深め、東京やブエノスアイレスでのセッションを、
すでに数枚発表している。
東京公演のゲストは、UAだったそうだ。

アルゼンチン人と日本人。
地球の裏側の異なる文化に生きるそれぞれのミュージシャンが、
同じ世界を作り出し、感性を共有する時間!
やはり地球に住む人類、皆つながっているのだと確信する。

このアルゼンチン音響派の濃密なライブは、
ブエノスアイレスでのある夜を思い出させた。
夜な夜な、手当たり次第にライブに通ったブエノスアイレスで。
一度、音響派系のライブを体験したことがある。

始まったのは夜の11時すぎ。
薄暗い小さな会場での、エレキベースとドラムだけのライブ。
演奏したベースの音を録音し、その音の上からまた音をどんどん重ねていく、
ミニマル(反復)音楽?のようなスタイルで、
不思議な「音の宇宙」を紡ぎだす。
淡々と音を鳴らす青年2人。
うんともすんとも言わず、静かに聴き入る人達

夜更かしに慣れていない私達は眠りそうになるが、誰も眠っている様子は無い。
夜中の2時を回って、それは大きな歓声と拍手で終わった。

きっと今夜もブエノスアイレスのあちこちで、
刺激的で実験的なライブをやっているに違いない。
そんなブエノスアイレスの夜を、また過ごしに行きたくなった。

♪アルゼンチンのお気に入り音楽♪

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2006-06-29

ブラジルサッカーの原点

リオ近郊・カボフリオの美しい海岸
南米で最も大きい国・ブラジルは、
地図を見ても分かるように、
長い長い海岸線を持っている。

自慢の美しいビーチはブラジル人に
とって、憩いの場であると同時に、
最もメジャーな遊び場だ。

年中、海水浴・日光浴・サーフィン・
ランニング・ウォーキング・
サッカー・バレーボール・凧揚げ・・・、
思い思いに楽しむ人達の姿がある。

どこまでも続く、柔らかい砂浜は、
とても美しい。


リオデジャネイロのビーチを歩くと、バレーボールのネットがあり、
ビーチバレーの試合をしている人達の姿があるが、
これがまたプロみたいに、ものすごく上手い。
ブラジルのバレーボールチームはかなり強そうだ。

そしてブラジルと言えば、やっぱりサッカー!
ビーチに行けば、必ずサッカーをして遊ぶ少年達がいて、
その光景は「サッカーをしている」というよりも、
「裸足でボールとたわむれている」といった雰囲気。
とっても楽しそうだ。

リオの海岸で遊ぶ少年達

「ブラジルらしい風景だ~」と眺めながらビーチを散歩する。
と、目の前にまたすごい光景が・・・。
足だけを使ってビーチバレーのゲームをする少年達!
ラリーは延々と続く。上手すぎ・・・。

ブラジルサッカーの原点は、どうやらビーチにあるようだ。
サッカーを愛するブラジル人にとって、このビーチの存在はとても大きいだろう。

ブラジルのビーチの光景を見ると、日本や欧米の国々のサッカーが、
なかなかブラジルにはかなわないという事もうなずける。

今サッカー・ワールドカップで、日々熱い試合が繰り広げられている。
サッカーにはあまり詳しくないが、ブラジル選手のプレーは本当に華麗で、
「必死で戦っている」というよりも「サッカーを楽しんでいる」感じがする。

そんなブラジルの選手達をテレビで見ていると、
リオのビーチで見た少年達の光景が思い浮かんだ。

今日もブラジル中のビーチでは、未来のロナウジーニョ達が、
裸足でボールとたわむれている事だろう。

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2006-05-10

LIFE∞いのちのペダル~エミコ・シールのドキュメンタリー

エミコ&スティーブ夫妻
自転車世界一周(中)の、エミコ&スティーブ・シールさんをご存じですか?
すでにテレビや雑誌、新聞等で紹介されている、かなりの有名人です。

東京生まれ大阪育ちのエミコさんは、バイクツーリング先のオーストラリアで、
オーストラリア人サイクリストのスティーブさんと出会います。
これがきっかけでバイクから自転車に乗り換え、
1989年、二人で自転車世界一周の旅に出ます。
北南米、アフリカ、ヨーロッパ、中央アジアと、10万kmを旅するのですが、
2001年、77ヶ国目のパキスタンで、エミコさんが子宮ガンと診断され、
緊急帰国します。

「5年生存率20%」の宣告を受けた彼女。
旅から一転して、厳しい闘病生活がはじまります。
でもエミコさんは、苦しくても決してあきらめませんでした。
笑顔とキラキラした瞳、そして力強いメッセージで、
たくさんの人達に元気を与え続け、
ついに2004年12月、主治医から許可が出て世界一周の続きを
スタートさせたのです。  →エミコ復活! 続MTBペアの地球大冒険

ガンを越え、めざせ地平線!!

エミコさんの著書。
「お涙ちょうだい」の本ではありません。
地球を旅した楽しい日記と、「いのち」のはなしです。
生きるパワーと元気をもらえます!



とにかく、エミコさんとスティーブさん夫妻にお会いすると、
本当に元気をもらえるのです。
そして「人間のエネルギーの大きさ」を感じます。

近々、ドキュメンタリーがテレビ放映されるとのことですので、
ぜひたくさんの人に見ていただけたらと思います。
自転車や闘病中の方だけでなく、すべての人におすすめです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「LIFE∞いのちのペダル~ガンに負けない自転車世界一周」(仮題)
            
●5月14日(日) 深夜24:30~26:25 (正確には15日AM0:30~2:25)  
2時間 特別ドキュメンタリー  
『LIFE∞いのちのペダル』 ~がんに負けない自転車地球一周 
 毎日放送4ch ※関西地区での限定放送 

●5月22日(月)→29日(月)に変更 
『筑紫哲也ニュース23』 
特集「マンデープラス」23:55~0:25にて シリーズ3回目  
毎日放送 ※全国版(関西をのぞく)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
続きがあります

2006-04-12

ゲバラの旅「モーターサイクル・ダイアリーズ」

Amazon.co.jp: DVD: モーターサイクル・ダイアリーズ 通常版映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、
南米を走った日々を思い出させてくれるロードムービーだ。
これは、キューバ革命の中心人物として知られる、
革命家チェ・ゲバラの青年時代の実話。

アルゼンチン・ブエノスアイレスの中流家庭で育った
医学生ゲバラ。
悪友とともに、おんボロオートバイに荷物を満載して
南米大陸探検の旅に出る。
 
アルゼンチン南部の厳しいパタゴニアを抜け、初めての外国チリへ。
ところが厳しい旅でついにバイクが故障。
いろいろな事件が重なり、旅の手段はヒッチハイク、徒歩、船と変わっていく。

南米各地を放浪して理不尽な現実を目の当たりにし、
彼らの中で何かが変わっていく、というストーリー。
旅の手段が変化するにつれ、人との出会いが増え、
旅の中身がどんどん変わっていく。
そして、それが彼らの後の人生にも大きな影響を与えていく。

ゲバラ青年の人間くさいエピソードもたくさん出てきて、
歴史上の人物が等身大の存在になった。
ゲバラを演じるのは「ラテンのブラピ」と言われるメキシコの俳優、
ガエル・ガルシア・ベルナル。
旅の物語であると同時に、旅を通しての人の成長がもう一つのテーマになっている。

南米の先進国であるアルゼンチン人の視点での南米旅行記というのも、
見るチャンスが少ないので興味深い。
旅や生き方、そして社会の格差の問題について考えさせられる。

映画に描かれた、先住民や迫害された人達をめぐる理不尽な状況、
今は改善されているのだろうか。
ゲバラの目指した理想は何だったのか。
そして、彼とともに活動した人達は、
今の南米を、今の世界をどう見ているのだろうか。

時代設定は違えど、愛すべき南米の風景、空気を堪能できる、
お気に入りの映画だ。

(2003年作品 イギリス・アメリカ 合作 ウォルター・サレス監督 )

私の本棚
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2006-02-10

華やかなボリビアの祭り

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ポトシから首都ラパスへと向かう道中、シカシカという小さな集落を通った。
集落を通る道路沿いに宿が1件だけある。
まだ時間は早かったが、雲行きもあやしかったのでここで1泊することにした。

「明日はカーニバルで、二千人の踊り子がやって来る。」と宿の男が言う。
一瞬耳を疑った。「に、にせん?」
こじんまりとした小さな教会を中心に住宅が並ぶ、田舎の静かで小さな集落だ。
どう見ても、そんな気配は無い。
半信半疑だったが、カーニバルがあるのならともう1泊することに。

翌日、どうなることかと窓の外を眺めていると、
次から次へと、たくさんの人達を乗せたバスが到着した。
色とりどりの衣装を身にまとう三つ編みの女の人、ブラスバンドの男の人。

やっぱり話は本当だったのだ。
外に繰り出すと、教会の前の広場の周りに、わんさかビールを準備した屋台が並ぶ。
集落内は一気に人口が倍増していた。

 

そしてカーニバルは始まった。
ボリビア各地から集まった、何チームもの数え切れないほどの人達が、
広場を中心にした何区画かを踊り、演奏しながら行進する。
それは夕方まで延々と続いた。

華やかな衣装で、無心に、ひたすら踊り続ける人達
にぎやかで、でもどこかもの悲しくも聞こえるブラスバンドの演奏。
圧巻だった。

その夜、宿ではベッドが足りなくて、私達の部屋のあまったベッドにも、
ボリビアの若い女の人が寝に来た。
宿代が思ったより少し高かったのは、どうも「祭り価格」だったようだ。

小さな集落でもこんなに賑やかなカーニバルがあるくらいだから、
大きな街のカーニバルはきっとものすごい迫力だろう。

ボリビアのオルーロのカーニバルは、南米3大祭りと言われとても有名。


そういえば、チリからウユニ塩湖へ向かう途中の国境近く、
シカシカよりもさらに小さなボリビアの村、コルチャカでも祭りをしていた。
隣国、チリから駆けつけた人達もいる。

特別な衣装は無いが、人々はまるで盆踊りのように輪になって踊り、
ぐるぐると周り続ける。そしてしばらくすると逆周りになる。
皆、めちゃくちゃ楽しそうだった。もちろん片手には酒が!
ここぞとばかりに酒を飲み、踊り、発散している。
チリ側の村は静まり返っていたので、あまりの違いに驚いた。

ボリビアの生活は厳しい。
祭りで踊っている時は、つらい事をすべて忘れられる、
踊る人達からそんな感じがした。



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2006-02-05

「世界最高所の街」ポトシ

セロ・リコ
上って上って上り詰めて行くと、
ようやく街は現れた。

ボリビアのポトシは、標高4,070m。
鉱山セロ・リコの麓に11万人の人達
暮らしている。

その昔、スペイン人が鉱山目当てに支配した。石造りの立派な教会、石畳の通りやコロニアルな町並みはその名残であり、これらは世界遺産にも登録されている。

現在も鉱山では、過酷な環境・待遇で働き続ける人達がいる。ここを訪れる見学ツアーも、かなりハードだそうだ。


ポトシの教会前
昼ごろ街の中心に行くと、下校時の学生達でごったがえし、子供達が通りを埋め尽くしていた。

ボリビアやペルーは子供が多いのだ。
総人口に対する子供の割合は、日本の倍以上。

ボリビアは「貧しい国」と言われているが、若くエネルギッシュな子供達がたくさんいるし、みな本当によく働く。
自然も豊かで資源も多い。

だからきっと未来は明るいと思う。






ポトシのフェリア
毎週末に催されるフェリア(市)。

1週間分の買出しに出かける人で賑わう。食料品、日用雑貨、衣類など、生活に必要なありとあらゆるものが路上で売られている。

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2005-12-24

「ぐっど・くおりてぃ!」

ボリビア・コパカバーナにて

1年3ヶ月の南米旅行中、幸いなことに盗難にはほとんど遭わなかった。
「盗難未遂」が1度あったぐらいで、なくなったものと言えばパンツ(下着)1枚だけ。

盗難にあいそうになったのは、ボリビアの首都ラパスを出る日のことだ。
すり鉢の底にあるラパスの中心から、「自転車で延々とはい上がるのはイヤだ!」
ということで、エル・アルト(すり鉢の上の地域)までバスを使うことにした。

バスが通る大通りで、自転車から満載の荷物を順番に外し、
荷物をまとめていたそのときだ。
通りがかりの男が置いているフロントバッグをさり気なく持ち上げ、
今までと変わらぬペースで歩いて行く。
フロントバッグには、カメラや手帳、ちょっとした現金も入っている。
男は私が目を離しているとでも思ったのだろうか。
すぐに飛び掛る勢いで追いかけると、男はあきらめたのか、
バッグを置いて立ち去った。

バスを待っている他の人達も見ていたし、人通りも多い。
近くに警官もいたかもしれない。
私が騒げば、男は捕まったかもしれないが、声を出す暇もなかった。
「気付かれなければ、もうけもの」みたいな、単なるこそ泥だ。
強盗をするような勇気は無い、ごくフツーの男。

ペルーやボリビアには、こそ泥が多いらしい。
突然、その辺の普通のボリビア人が皆、こそ泥に見えてきて、
バスをやめて結局タクシーでエルアルトまで移動することにした。
ラパスでの滞在は楽しかっただけに、少し残念な出来事だった。

Victria

そして、パンツをなくしたのは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス
ブエノスアイレスでは、「Victria」という宿に1ヶ月ほど滞在した。
ここは長期旅行者の間では大変メジャーな宿で、タンゴを習うお姉さんやおじさん、スペイン語を習う日本人青年、バックパッカーなどで常に賑わっている。

とても便利な場所にある、レトロでなかなか居心地の良い宿だ。
中庭のバルコニーに洗濯物を干すスペースがたっぷりとあり、
簡単な自炊もできる。

しかしある日の夕方、洗濯物を取り入れようとしたら、
パンツが1枚なくなっていたのだ。
風で落ちたのかと思い、そこらじゅうを探してみたが見当たらない。
宿の人に訊いても「知らない」と言う。
「おかしいなあ~。中庭だから風に飛ばされても、どこにも行くはずないのに・・・。」

その数日後、妙な光景を見た。
それは、昼間からワインを飲み酔っ払って昼寝をしたりしている、
いつから滞在しているのか分からない、謎のヨーロッパ系の白髪のおじさんだった。
いつもどこか遠くを見ている感じの、どう見ても旅行者に見えないような人だった。

中庭のバルコニーに干してある、他の客の洗濯物を触りながら、
「ぐっど・くおりてぃ」と、つぶやいている。
その様子は、ちょっと怖かった。

私のパンツも、「ぐっど・くおりてぃ」だったのだろうか。
確かに、モンベルで千円ほどした、速乾性ものだったが・・・。

南米旅行7ヶ月目で、私の所持パンツは3枚から2枚になり、
残りの8ヶ月は2枚で過ごすこととなったのだった。

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2005-12-17

ラヴェンナの鳥

………………………………………………

      のどかに喉を潤す鳥たち

   素朴な外観からは思いもよらない楽園が
      まばゆいばかりの輝きを放ち
  訪ねた人々をしばし幻想の世界へと誘います

………………………………………………………………………………………

 例えば宇宙観を表わすならラピズラリの青。熟れた果実は赤々と。瑞々しく生い茂る芝は緑のグラデーションでと、一つ一つの小さなテッセラ(ガラス片)を組み合わせることにより瑞々しく表現されたラヴェンナのモザイクは、その大半が5世紀前後に作られました。

 壁に柱にドーム型の天井にと、可能な限り敷き詰められたモザイク画は圧巻としか言葉が見つかりません。差し込む光によってキラキラと輝きを放つその様は、まるで巨大な万華鏡の中に迷い込んだようです。

 ステンドグラスがそうであるように、キリスト教の教えを文字の読めない人々にも内容がわかるようにと製作されているとは言え、一体、どれほどの時間が費やされたことでしょうか。


 このモチーフはラヴェンナを代表する有名なモチーフではありますが、この壮大な「絵解き物語」の中にあってはとてもシンプルに感じるほど。

  

この色彩観や動きのあるモチーフ、そして技術を、イタリアの人々は1500年前にすでに完成させていたんだ…、と思うと、もちろん、私達日本にも素晴らしい色彩感覚と芸術を培ってきた背景があるとは言え、ただただ感服、「敵わ~ん」と思うしかありませんでした。



様々な教会や聖堂を訪ねれば訪ねてゆくほどこのシンプルなモチーフが記憶に鮮明に浮かび上がり、この旅のお土産の大半がこのピルケースに…。私は、ボール状になった仕上げパウダーを入れて使っていましたが、友人達にも中々好評だったアイテムです。

宗教観はさておいて、青々と生い茂る草に豊かに沸き出でる新鮮な水、
熟れた果実がたわわに実り、花々の咲き乱れる世界が楽園の姿だとしたら、
1500年の時を経ても私達はまだ手に出来ていないということでしょうか。

…… 参考までに …………………………………………………………………
【1枚目&4枚目】 サン・ヴィターレ聖堂 Tempio di San Vitale
【2枚目&3枚目】 ガッラ・プラチーディア霊廟 Mausoreo di Galla Placidia 

2005-11-20

手の洞窟 CUEVA DE LAS MANOS~古代人の手形~

世界遺産「CUEVA DE LAS MANOS」(手の洞窟=クエバ・デ・ラス・マノス)は、約9,370~3,000年前の手形が残る洞窟。

何千年もの間に、数回にわたって描かれており、どのようにして描かれたのかは、はっきりと分かっていないそうだ。

手形のほか、この地域に生息する動物達の姿なども描かれている。

場所はアルゼンチン南部・パタゴニア地方。大荒野の真ん中の町ペリト・モレノから南東に、160kmのあたり。
大荒野を走る国道40号線から40kmほど東へ入ったところにある。
深い峡谷の中の不思議な空間だ。

私達は、ペリト・モレノから南へ約80kmの、Estancia(農場)Casa de Piedraの
キャンプ場を拠点に、自転車+トレッキングで訪ねた。

渓谷までは自転車で、小高い丘を2つ越えて約2時間。
途中アルマジロやグアナコ(パタゴニア地方に住むラマの一種)の姿も見かけた。
その後深い谷底へ下り、宿のおじさんの手作りの標識を頼りに、
川沿いに歩くことさらに約2時間。
途中、小さな農場が1軒あるだけだ。

左右にそびえたつ岩壁、人影ひとつない静けさ。
太陽が照りつけ、喉がからからになる。



たどり着いた洞窟の壁面や天井には、おびただしい数の鮮やかな手形があった。
険しい渓谷の中にある、神秘的な場所だった。

静かなこの渓谷に、かつては大勢の人達が暮らしていたのだろうか。
何千年も昔から、こんな風景だったのだろうか。
そして、人々はどんな思いで、ここに手形を残したのだろうか。


川沿いで出会った牛達は、人の姿には慣れていないようだ。
私達に気付くとギョッとして、ものすごく警戒した目つきで睨み付けてきた。
もしも攻めてこられたら怖いだろうな・・・。

*ペリト・モレノの町から、「CUEVAS DE LAS MANOS」へ行く
 日帰りツアーが出ています。(もちろん往復とも車)

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2005-10-27

ウシュアイアの故郷「上野亭」

上野亭

世界最南端の日本人宿「上野亭」は、アルゼンチン・ウシュアイアの山の麓にある。
正式名称は「上野山荘」。またの名を「上野大学」。

ここは長期旅行者、特に自転車やバイクでの旅行者には有名だ。
自転車やバイクで南米を旅する人は皆、ウシュアイア「上野亭」を目指す、
と言っても過言ではない。

上野夫妻は、もともと宿をやっていたわけではなかったが、ある日、
寝場所に困った日本人旅行者が、警察に紹介されてやって来たのだ。
これがきっかけで旅行者を受け入れるようになり、
おじさんが亡くなった今でも、多くの旅人達が集まってくる。
私達も、もう80を過ぎた上野のおばさんに、元気をもらった。

上野夫妻は、日本人がまだ自由に海外旅行ができなかった時代に、
移民としてアルゼンチンにやってきたそうだ。
その後アルゼンチン各地を転々とし、最後に落ち着いたのがこの町、
南米最南端のウシュアイアだったのだ。
海と山に囲まれた港町、ウシュアイアの風景を見ていると、
神戸出身のおじさんが、ここを選んだのも分かるような気がする。

いつか、南極行きを兼ねて、ウシュアイアの故郷「上野亭」をまた訪ねたいと思う。
その時までは、おばさん、元気で居て下さい!

カニ!in ウシュアイア
「上野亭」では、こんな美味しい思いもできるのだ。
長く滞在していると、カニの他、ウニ、マスなどに巡り合う事もできる。
「ウシュアイアのウニ」は、今まで味わったことがないような、
ふわふわで甘~くて、とろけそうな味わい!


いい湯っだっな~♪
上野亭の名物「五右衛門風呂」は、100年前のドラム缶でできているそうだ。
あったか~いお湯につかると、長旅の疲れも吹っ飛んだ。

上野亭・・・AYELEN 126, BARRIO LOS MORROS, USHUAIA
        1泊12ペソ(2004年現在)。自炊可。ドミトリー。 

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2005-10-24

「世界最南端の町」ウシュアイア



アルゼンチンのウシュアイアは、南米最南端の町。
「世界最南端の町」でもある。

チリのサンチアゴから約5ヶ月、寄り道に寄り道を重ねて、ようやくたどり着いた。
「ついに来た・・・」ウシュアイアの海が見えてきた時、目頭が熱くなった。
そして、ウシュアイア唯一の日本人宿「上野亭」でホッと安らぎ、
まるで自分の家に帰ったかのように寛いだ。

長い間、アルゼンチンの荒野ばかり見てきたせいか、山と海に囲まれた港町
ウシュアイアの風景は、地元神戸を思い起こさせ、とても懐かしく感じる。

町の雰囲気は、「最果て」のイメージとは程遠い。
冬は雪に覆われるが、夏のウシュアイアは思った以上に賑わっている。
南極クルーズの船が、この町から出ているからである。
ウシュアイアから船に乗れば、1週間から2週間のクルーズで、
あの「白い世界・南極大陸」へ行けてしまうのだ。

宿では、南極帰りの人達の話をたくさん聞くことが出来た。
「南極クルーズ」、それはもう「感動の日々」だったそうだ。
ペンギン達が寄って来て、かわいくてしょうがないとか、
南極を見てしまうと、他のどんな大自然を見ても物足りないとか・・・。

旗の木
通称「旗の木」。風が強すぎて、こんな姿になってしまった。
ウシュアイアの外れで。

ウシュアイアの監獄

昔、監獄だった建物が、
博物館として公開されている。

実はこの監獄、普通の監獄のような
厳重な柵が無かったらしい。

フェゴ島の果てにあるウシュアイア
では、逃げたとしても行く所が
なかったからだとか。







*近郊の「ティエラ・デル・フエゴ国立公園」では、美しい山・湖・湾の風景を
 眺めながら、ハイキングを楽しむことができる。
*また、日帰りの「ビーグル水道クルーズ」では、ペンギン・アザラシ・海鳥が
 生息する島を見て周ることが出来る。

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2005-10-22

ティグレ~ブエノスアイレスからの遠足~



ブエノスアイレスの近郊ティグレは、パラナ河下流のデルタ地帯。
入り組む川々の周りには、豊かな緑が広がっている。
川の水が濁っているのは、上流の肥沃な赤土が流れ込んでいるからだ。
パラナ河の向こうは、隣国ウルグアイである。

ティグレは、ブエノスアイレスからの行楽地として人気が高い。
街を離れて優雅な時間を過ごしに来る人達で、週末は大変な賑いだ。
近くにはアミューズメント施設や、様々な雑貨を売る市があり、家族連れも多い。

「水郷」をクルーズ船、モーターボート、手漕ぎボートが頻繁に行き交い、
ちょっとした渋滞になっていたりする。



川沿いには、緑に囲まれた優雅な別荘が建ち並び、その脇には必ず船着場がある。
街に住むお金持ち達は週末の別荘で、船遊びをした後、ワインとアサード(焼肉)で乾杯するのだろう。

ティグレは、都会で疲れたアルゼンチン人達の、貴重な癒しの場所なのだ。



*ティグレへは、ブエノスアイレスから列車またはバスで約1時間。
 クルーズが付いた日帰りツアーも出ている。

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2005-10-20

ルハン~ブエノスアイレスからの遠足~

ホンモノです

ブエノスアイレス近郊の町ルハンには、「アルゼンチン中から年間何百万人もの
人達が訪れる」といわれる大聖堂がある。

その大聖堂の近くに、面白い動物園があった。
そこに居るほとんどの動物達とふれあえるようになっている。
ライオン・虎・象・馬・猿・うさぎ・・・・。

なぜ、ライオンや虎たちとふれあえて一緒に写真が撮れたりするのかというと・・・。
犬に育てられた為、自分のことをライオンや虎と思っていないからである。
ライオンや虎の檻に、小さな柴犬のような犬が当たり前のように出入りしていた。

万が一の為に牙は研いであるそうで、頭には触ってはいけないとのこと。
私達は、少しビクビクしながらライオンや虎の檻に入り、背中をなでて、
写真を撮らせてもらった。
逃げ腰で写真を撮り終わったら、そそくさと檻を後にしたのだった。



そして、まさかアルゼンチンで象に乗れるとは思っていなかった。
もちろん象に乗るのは初めてだ。歩くと意外と揺れて、結構恐い。
「とことん体験型」の動物園は、地元の家族連れでとても賑わっていた。

 

ルハンの大聖堂

改修中ではあったが、
週末だったこともあり、
たくさんの人が訪れていた。

まわりには、聖母マリアの像など、
教会グッズを売る露店がいっぱい。



*ルハンへは、ブエノスアイレスから
 列車またはバスで約1時間半。

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2005-10-10

ブラジルで栄養満点!

ブラジルの定食(約150円)

南米旅行中、食生活が最も健康的だと思った国は、断然「ブラジル」!
朝は、パパイヤやマンゴーなど、よりどりみどりの果物をたっぷりと。
昼には、たくさんの野菜や肉をモリモリ食べて、夜は軽め。
体にとって、理想的な食生活だ。

お隣りのアルゼンチンとは、全く食生活のリズムが違う事に驚く。
アルゼンチンでは夕食が主体な上、始まる時間がとても遅かった。
夜の8時半にお腹をすかせてレストランへ入ると、
「セナ(夕食)はまだだ。9時からなら食べられる。」
と断わられ、ひもじい思いをした事がある。
店内の客は、まだお茶とケーキを食べていた・・・。
そして10時頃からやっと、ワインで乾杯し、ゆっくりと夕食を楽しむのだ。
それも、肉とジャガイモが主体。太って当たり前だ。

よくある「ポルキロ」(量り売り)
 主食はご飯とフェイジョアーダ(豆を煮込んだもの)

ブラジルの町で主流なのは、「ポルキロ」と呼ばれる量り売りのお店。
たくさんの種類の料理が並んでいて、自分の食べたいものを、
食べたいだけ取る形式だ。
言葉の不自由な私達にとっては、大変ありがたいシステムだ。
自分の体調に合わせ、バランス良く食べられるので、健康的かつ合理的。
しかも大抵の食堂では、無料のコーヒーを「きゅっ」と飲んで帰れるように
なっている。

ムケッカ
 海岸沿いではシーフード料理もお楽しみ

街角にはジュース屋があり、何十種類もの果物をその場で絞ってくれる。
聞いた事がない名前の果物がたくさんあり、どのジュースを試してみても、
とっても美味しかった。

ブラジルに暮らす人達って、幸せだなー!

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2005-10-08

「マテ茶」でひと息

マテ茶 in アルゼンチン

口の狭い専用の器に「マテ」の葉をドバッと入れ、お湯を注ぐ。
そして少し蒸らした後、先が網のようになったストローで飲む。
好みに応じて、砂糖を入れたりしても美味しい。
カフェインがとても強いので、眠気覚ましに最適だ。

「マテ茶」はアルゼンチンを中心に、よく飲まれている。
味は、日本の緑茶を濃いーくした感じだ。
その香りは、甘く香ばしくて、癒される。

チリやブラジル南部でも見かけるが、アルゼンチンが最も盛ん。
アルゼンチン人と言えば、「マテ茶」か「ワイン」どちらかを飲んでいる
イメージがあるぐらい。
パラグアイでは、「テレレ」と呼ばれる冷たいマテ茶が主流だ。

アルゼンチンでは、行楽やドライブには必ず、マテ茶セットを持って行くようだ。
ガソリンスタンドにはマテ用お湯スタンドが絶対にあって、
マイポットにお湯を補給できるようになっている。

「スーパーで買い物しながらマテ茶を飲むおばさん」
「朝の通勤のときに歩きながらマテ茶を飲むOL」
そんな「マテ中毒」な人達もちょくちょく見かける。
アルゼンチンはイタリアからの移民が多いせいか、
エスプレッソ風の美味しいコーヒーもある。
でも断然、「マテ茶」の方が「なくてはならないもの」のようだ。

そう言えば、チリ南部の民宿で、
「資源が豊かだからって、アルゼンチン人はマテ茶ばかり飲んで、
ぜんぜん働かない!」
と、悪口を言っていたおじさんがいたっけ・・・。

それでも、マテ茶を飲んでいる時のアルゼンチン人達は、とても幸せそうだった。

「一緒にマテ飲もうよ」と誘われたら、友達だと認めてもらった証拠。
一つの器で、マテ茶を皆で回し飲みながらおしゃべりする。
一人が飲んだら、お湯を注いで次の人に。

お茶の時間は、ホッと安らぎ、家族や友人と過ごす楽しいひと時。
万国共通だ。

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2005-10-06

チチカカ湖・島巡り

ペルー・プーノ近く

標高3890mのチチカカ湖は、ペルーとボリビアにまたがっており、
広さは琵琶湖の10倍以上もあると言う。

その風景は、「静かで穏やかな、青い海」。
美味しい「鱒(マス)=トルーチャ」達がたくさん住んでいる。
「世界で一番高いヨットクラブ」があったりもする。

この周辺は古代から文明が栄え、
「インカ帝国発祥の地」とも呼ばれているそうだ。
インカ時代以前の「シユスタニ遺跡」「ティワナク遺跡」などが残っている。

チチカカ湖には、いくつかの島がある。
そこには何千人もの人達が、昔ながらの生活を営んでいるのだ。

ウロス島

ペルーのプーノ近くのウロス島は、トトラと呼ばれる葦で作られた小さな島の
集まりで、家も学校もみな、トトラで出来ている。
ウロス島に上陸して歩いたら、ふわふわした不思議な感触だった。

アマンタニ島

ペルーのプーノから、ボートで片道3時間。
アマンタニ島へ行く1泊2日のツアーに参加した。
ウロス島を過ぎてしばらくして、外海?に出ると、風の強い日はかなり船酔いする。

島では、民家に泊まらせてもらう事になる。
私達のために、おばさんが素朴で温かい食事を準備してくれた。

煮炊きはかまどで

チチカカ湖の島々には、数年前まで電気が無かったそうだ。
あのフジモリ大統領が、電気やトイレ等を整備してくれたらしい。

ペルーの田舎に行くと、皆が口々に言っていた。
「フヒモリは、とても良い大統領だった!」と。
(スペイン語では「JI」を「ヒ」と発音する)

おばさんとダンス




夜には、民族衣装を着せてもらい、
ダンスパーティに参加。


島のおばさんが手ほどきを
してくれる。







*写真はすべて、ペルー側の島々。
 ボリビア側からは、コパカパーナの町から「太陽の島」「月の島」を
 訪ねることができ、首都ラパスからも、島を巡る日帰りツアーが出ている。

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2005-10-03

フォルクローレ・ディスコ!

ボリビアの街、ラパスは「フォルクローレの都」。

ボリビア中の有名なミュージシャン達が集まって来る。

そして週末になると、街のあちこちにあるフォルクローレの
ライブハウス、「ペーニャ」で演奏が繰り広げられる。

これまでのフォルクローレのイメージといえば、「コンドルは飛んでいく」のような
「素朴な楽器で哀愁のメロディーをしっとり奏でる音楽」だった。
だが、そのイメージは見事に崩れ去った。
 
「ペーニャ」はディスコだったのだ。フォルクローレとはボリビアの人達にとって、
どうやら「聴くもの」というよりも、「踊るもの」のようだ。
観光客向けの店以外では、「コンドルは飛んでいく」はまずやらない。

ライブが始まるのは、夜10時から11時。まず、前座のグループの演奏が始まる。
聴かせる曲は、最初の1曲か2曲。あとはひたすらアップテンポな定番の曲ばかりが続き、酒が入って気分が良くなってきた客が、踊り始める。そしてその数はしだいに増え、気が付けば、踊っている人だらけになる。前座のグループはどうやら、「踊らしてなんぼ」みたいだ。

テーブル席の間に踊るためのスペースが設けられていて、ほとんどの観客、スーツ姿のおじさんも、若いOLもおばちゃん達も、楽しそうに踊りまくっている。

皆の踊り狂う姿に最初は、「みんなそんなにストレス溜まっとんかー?!」と驚いたが、アルゼンチンタンゴのような難しいステップがあるわけでもなく、皆テキトーに足踏みして自由に思い思いに踊っているので、私達も一緒に楽しむことができた。

でも1曲踊ったら、もうバテバテ。それに眠い・・・。この標高3,650mの高地・ラパスで、息切れする様子もなく平気で長い時間踊り続ける、ボリビアの人達。なんてタフなんだろう!

メインのグループが出てくるのは夜中0時を回った頃で、これに合わせて来る人達もいる。私達は幸運なことに、30年のベテラン大物グループ「サビア・アンディーナ」のライブを観ることができた。

彼らが登場した途端、会場はものすごい歓声。牧師のような白い衣装を身にまとった彼らは、他のグループとは格が違うオーラを漂わせ、味わい深ーいスーパーフォルクローレを、じっくりと聴かせてくれた。

フォルクローレの代表的な楽器、サンポーニャの超絶プレイには皆くぎづけ。そして、座ってギターを弾きながらのボーカルが、甘く渋~い声。そのロマンスグレーな彼、ヘラルドはやはり一番人気なようで、私達の後ろにいた中年男性達から、「ヘラルドー!」と熱い声援が贈られる。

その後、また前座のグループが出て来て、ディスコ状態が夜通し続き、帰りは朝の4時。でも帰り道、街はちっとも真夜中の雰囲気ではない。いたる所からガンガンとフォルクローレの演奏が鳴り、ペーニャ帰りの人達をたくさん見かける。道から見える無料のライブ会場では、三つ編みのおばちゃんや子供達も楽しそうに踊っていた。眠らない週末のラパスの夜、おそるべし!

フォルクローレは、ボリビアの人達の心と体にしみ込んでいて、歌って踊ってイヤな事を忘れて、皆が楽しめるものだという事が、とてもよく分かった。そしてそんな音楽の存在をうらやましく思った。

でも、毎週末に「ペーニャ」は、体が持たん!


*数ある「ペーニャ」の中で最も有名なのが、「マルカ・タンボ(MARCA TAMBO)」。 
 場所は、博物館が点在する、石畳で有名なハエン通り。
 ここの客層は観光客中心ではあるが、一流アーティストの質の高い演奏をたっぷり
 と聴かせてくれる。「踊りよりも音楽」という人には間違いない。 

*街の中心、サンフランシスコ寺院前の広場あたりに行けば、人気アーティストの
 ペーニャ・スケジュールが書いた横断幕が張られている。

私達の音楽散歩♪ MUSICA MUSICA MUSICA♪
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2005-10-02

リオデジャネイロ

コルコバードの丘から

ブラジルの国際的観光都市、リオデジャネイロ。
「リオのカーニバル」で有名な街だ。

「海と山が近い街」という事で、我々日本人としては親しみを持ちやすい。
海岸沿いには高級マンションや高級ホテルが立ち並び、山の方には「ファベーラ」
と呼ばれる貧しい住宅街がある。

それにしても、海と山が入り組んだリオの地形はとても不思議で、美しい。
リオのシンボルとも言えるキリスト像がそびえる、コルコバードの丘から、
その景色を堪能できる。

コパカバーナ海岸

またリオデジャネイロは、海岸が美しい事でも有名だ。
ブラジルの海岸は、市民の憩いの場。
冬は泳ぐ人は少ないが、日光浴・サーフィン・ランニング・ウォーキング・
サッカー・バレーボール等、皆思い思いに楽しんでいた。
夏には、さぞかしすごい賑わいになるのだろう!

コパカバーナ海岸・イパネマ海岸が最も有名だが、
どちらも砂浜の砂がとっても綺麗だ。
これらの2つの海岸は距離的にも近いのに、良く見ると砂浜の砂が違っているのが不思議だった。
コパカバーナ海岸の砂は、白くてとてもキメが細かく、しっとりしている。
お隣のイパネマ海岸の砂は、黄色っぽくて粒が大きく透き通っている。
夕日に照らされると、金色に輝いていっそう美しかった。

砂浜を素足で歩くと、とても気持ちが良い。
「世界のコパカバーナ海岸・イパネマ海岸で砂遊び」するのも贅沢な気分!

リオの街角
 
泊まった宿は、少し治安の悪そうな
安ホテル街にあった。

週末、表で一晩中大音量の音楽が
流れ、路上で飲んで騒ぐ人達で、
うるさくて眠れなかった。

これが木、金、土と3日間続いた。
皆、いったいいつ寝るんだ?

リオは毎週カーニバルなのか!?


いつか、本物の「リオのカーニバル」も
観てみたい。

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2005-09-30

南米自転車散歩

ボリビア・チチカカ湖畔にて

私は、2003年10月~2004年12月の1年2ヶ月間、
夫婦で南米大陸を旅して来ました。自転車を持って!

チリのサンチアゴから南米最南端、アルゼンチンのウシュアイア、
アルゼンチンのブエノスアイレスからイグアスの滝、
チリのサンペドロデアタカマからボリビアに渡りペルーのクスコまで、
約8000kmを自転車で旅しました。
それ以外はバスや船です。

はっきり言って自転車の旅は、バスや飛行機の旅の、1000倍楽しいです。
一瞬一瞬、景色や風を感じ、バスや飛行機の旅では会えない人達と出会う事が
できるのです。

旅行中の現地でアップした旅日記と、現地情報満載のホームページはこちら。
『南米自転車散歩。』

こちらでも南米旅情報を発信中!
『e-南米.net』

南米大陸は、本当にとてつもなく大きくて、数え切れないほどの魅力がたくさん
詰まっています!

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2005-09-30

「南米のTOKYO」サンパウロ

どこまでも続く、高層ビル。
整備された地下鉄。

ブエノスアイレスが「南米のパリ」なら、
サンパウロは「南米の東京」だろう。

コロニアルな教会たちは、
このビル群の底に
埋もれてしまっている。

ブラジルのみならず、
南米の経済の中心、
サンパウロ。




サンパウロの街が近づくと、想像以上の「大都会」に驚く。
ここには約1500万人もの人が住んでいるのだ。



地下鉄の構内などに居ると、日本の東京の街にでも来ているような気になる。
現に、日本人ともよくすれ違う。それでも、向こうはこちらに気にも留めない。
東洋人がいるということが、ちっともめずらしくないのだ。

そこが、他の南米の国々と大きく異なることだった。
今までチリ・アルゼンチン・ボリビアなどで、
何度「ち~の!」と叫ばれたか分からない。
そんな事をしない品のある人達からでも必ず、
「あら、東洋人がいるわ」といった感じの視線を感じたものだ。

「色んな人種の人が居て当たり前」
そんな空気が感じられるブラジルは、妙に居心地が良かった。

リベルダーヂ地区

サンパウロ・リベルダーヂ地区の東洋人街は、日本語の看板だらけで、
歩いている人もみんな東洋系。まるで日本のどこかの商店街のようだった。
到着した日はたまたま、「ブラジル仙台七夕祭り」で、すごい人出。
やきそば、天ぷら、今川焼き等、日本食の屋台が大人気だ。

南米に移住し活躍するたくさんの日本人。
その裏には、大きな大きな苦労と挫折があった。
リベルダーヂにある「ブラジル移民資料館」では、
その歴史をたっぷりと勉強できる。

イビラプエラ公園
市民の憩いの場「イビラプエラ公園」

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続きがあります

2005-09-25

ペルーの首都・リマ

サン・フランシスコ教会の美しい回廊

約450年前、スペイン人達クスコからリマへと都を移した。
そして、スペイン風の大きな街を築き、栄えた。

サン・フランシスコ教会の地下には、
何万人もの、植民地時代の市民の遺骨が葬られている。

それらは、とても綺麗に整然と並べられている。

蒸し暑いリマの昼下がり、一気にクールダウン。

美しいタイルが施された回廊など、
豪華な造りが見られる教会だ。





それらの古い建物が残っている都の中心が、今で言う「旧市街」だ。
数々のコロニアルな教会のや宮殿を見ることができる。

「旧市街」は現在も大変賑わっており、人と車であふれかえっている。

リマの海岸

リマはペルーの海岸沿い・砂漠地帯に位置している。
私が訪ねたのは12月。気候は日本の初夏ぐらいの感覚だ。
毎日、空は曇っていて、少し蒸し暑かった。
海岸線も白く、霞んでいることが多いそうだ。

ミラフローレス地区の通り

新市街は、旧市街とは全く雰囲気が違う。
ここに居ると、ペルーに居るということを忘れてしまいそうだ。
近代的なオフィス街やお洒落なレストラン、そして閑静な高級住宅街。

そしてリマでは、コロニアルな建造物の他、博物館も大きな見所となっている。
たくさんの古代の土器や織物が、信じられないほど良い状態で保存されている。

なかでも天野博物館は、素晴らしいコレクションとともに、
日本語での詳しい解説を受けることができるので、大変おすすめだ。

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2005-09-22

古都「クスコ」

クスコ中心部

クスコは、ペルー南部・山岳地域に位置する標高3,360mの都市。
今から500年ほど前にスペインに侵略されるまで、インカ帝国の首都だった街だ。

インカ時代の建造物で街の中心部に残っているは、「カミソリの刃も通さない」という石組のみ。スペイン人は、インカの神殿を壊し、この石組を基盤にして教会を建てた。頑丈すぎて、壊したくても壊れなかったのだろう。

現に大地震が起きた時、スペイン人の教会は崩壊したが、インカ人が造った石組みは、ビクともしなかったそうだ。すごい技術!その精巧な造りには惚れ惚れとする。

クスコは、かの有名なマチュピチュ遺跡観光の拠点となっている為、中心部の広場近くは、土産物屋・旅行会社・ホテル・お洒落な飲食店等が立ち並び、大変賑わっている。

マチュピチュがまだ発見されていなかったら、街の雰囲気も随分と違っていただろう。今もとても風情があるが、今よりももっと、歴史を感じさせる街だったかもしれない。
それとも逆に、近代的なビルを建てたりしていたかも・・・。

いったい500年前は、どんな「クスコ」だったのだろうか。
そして、もしもスペイン人に滅ぼされていなかったら・・・。
想像が膨らむ。

アルマス広場前の教会



アルマス広場前
ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会


アルマス広場周辺の夕暮れ時は、
とてもロマンチック。

夜でも観光客や地元の人達
賑わっている。





クスコの街角




クスコの町並みと言えば、坂の多い石畳の道と、赤い屋根瓦の家々。


旅行パンフレット等で見るスペインの町並みと、やはり似ている。







*クスコの街からは「マチュピチュ遺跡」ツアー、「聖なる谷」を巡るツアーの他、
 「マヌー国立公園」へのジャングルツアーも出ている。
 アンデス山脈の向こうはもう、熱帯雨林・アマゾン地域なのだ。

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2005-09-18

「ミッション」の遺跡

トリニダー遺跡の教会跡

ブラジル南部・アルゼンチン北部・パラグアイにかけて、「ミッション」の遺跡が点在している。「ミッション」とは、今から約300~400年前、スペインから来たキリスト教の宣教師が、原住民とともに集団で生活していた場所だそうだ。

周りの緑に赤いレンガが映える。団地のようなたくさんの住居、教会や畑などの跡があり、ひとつの町のようになっている。

上の写真はパラグアイのエンカルナシオン近郊の「トリニダー遺跡」。教会の綺麗な装飾がたくさん残っている。最盛期には約4000人もの人達が生活していたと言われている。世界遺産にも登録されているのだが、観光客は数人しかおらず、静まり返っていた。辺りには小さな村があるだけだ。のどかで緑が多いパラグアイの風景を、遠くまで見渡せた。

サン・イグナシオ遺跡

アルゼンチン北部ポサダス近郊の「サン・イグナシオ遺跡」はかなり規模が大きく、良い状態で保存されている。ここの教会も大変立派で、住居跡の数がとても多い。人口密度が高そうだ。こちらは観光バスが頻繁に訪れ、賑わっていた。イグアスの滝まではバスで約6時間。

サン・イグナシオ遺跡


遺跡のレンガが赤い様に、
この地方の土は赤くとても鮮やかだ。


亜熱帯気候の肥沃な土は、
豊富な作物を実らせる。


この赤い土。見た目は綺麗だが、
いったん服に付くと洗っても洗っても、
ぜんぜん色が落ちてくれない!

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2005-09-02

「南米のパリ」ブエノスアイレス



アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス。

「南米のパリ」と言われているだけあり、ヨーロッパ調のレトロなビルが立ち並ぶ。
道行く人も何だかみ~んなお洒落。南米屈指の文化・芸術の街で、南米に住む誰もが憧れる街。(本物のパリは行ったことありませんが)



ブエノスアイレスといえば有名なのが、タンゴ。路上でタンゴのパフォーマンスをしていたり、もちろん観光客向けのタンゴショーの店もたくさんある。

でもタンゴは、けして観光用だけというわけではなく、市民の体と心に染み付いている。タンゴを踊れる人も多く、ラジオで劇場で路上で、アルゼンチンの若者による現代版の新しいタンゴ音楽を、たくさん聴くことができる。



タンゴ以外の音楽もとっても盛んで、本当にレベルが高い。まず路上で演奏しているミュージシャンのレベルからしてすごい。そこらじゅうのライブハウスや劇場で、素晴らしくカッコ良い音楽を聴くことができて、楽しいの何の!

また、買い物好きにとってもブエノスアイレスは魅力だ。お洒落な革製品が豊富な上、1ドル=1ペソが崩壊し1ドル=約3ペソになってからは、物価が日本と比べて約3分の1だ。南米旅行の最後の街をブエノスアイレスにして、帰国前に買い物しまくる日本人が結構いるようだ。(私達、かなり郵便を利用しました)

タンゴ発祥のボカ地区の1角・カミニート

ブエノスアイレス近郊には、サッカーチームがたくさんあり、サッカー観戦も人気だ。毎週のようにサッカーを見に行く旅行者も見かける。

とにかくアルゼンチンの人のサッカー好きは相当なもので、中継を流している飲食店に行ったら、もう大変な騒ぎだ。アルゼンチンのある小さなレストランで、店の人がサッカー中継に熱中していて、ハーフタイムまで料理が出て来なかったということがあった。

まだまだ他にも、色んな楽しみ方がある街、ブエノスアイレスなので、何度でも行って豪遊したい!




世界3大劇場の1つ「コロン劇場」


3番目に安い席でバレエを見た。
ステージははるか眼下だが、コーヒー一杯より少し高いくらいで鑑賞できる。

若者や家族連れも多かった。
気取らずに普通に見に来れるのがうれしい。

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2005-08-30

チリの首都・サンティアゴ

アルマス広場近くの高層マンションからカテドラルを望む

サンティアゴは人口約600万、チリ最大の都市。街から4~50キロ東には、アンデス山脈の6000m級の山々が迫り、ビル群の向こうに雪山を望める。
山の向こうは隣国アルゼンチンである。

私が訪れたのは10月、季節は南米の春。朝晩は冷えるが、昼間は半袖になるくらいの陽気。晴れの日が多く、とても過ごしやすい気候だった。

サンタ・ルシアの丘より

ヨーロッパ調の古い建造物と、近代的なビルが共存する。
街のあちこちに広場があり、多くの人がベンチに座ってくつろいだり、大道芸を楽しんだりしている姿が見える。

そうした広場のカフェでコーヒーなど飲んでいると、南米と言うよりも、TVや写真でしか知らないヨーロッパにでもいるような気分になる。

はじめは、大都会にもかかわらず、犬(飼い犬ではなさそう)がそこらじゅうを自由に歩き回ったり、寝そべってくつろいだりしているのには驚いた。

彼らは私達には目もくれず、思い思いに街暮らしを楽しんでいるようで、道行く人達も、彼らが歩道の真ん中に寝そべっていても、誰も何も干渉しない。人と犬が楽しく共存している微笑ましい風景だった。

初めて南米の地に降り立った街が、このサンティアゴ。
いつかまた、この街に帰ってみたい。

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