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私は、2003年10月~2004年12月の1年2ヶ月間、
夫婦で南米大陸を旅して来ました。自転車を持って!
チリのサンチアゴから南米最南端、アルゼンチンのウシュアイア、
アルゼンチンのブエノスアイレスからイグアスの滝、
チリのサンペドロデアタカマからボリビアに渡りペルーのクスコまで、
約8000kmを自転車で旅しました。
それ以外はバスや船です。
はっきり言って自転車の旅は、バスや飛行機の旅の、1000倍楽しいです。
一瞬一瞬、景色や風を感じ、バスや飛行機の旅では会えない人達と出会う事が
できるのです。
旅行中の現地でアップした旅日記と、現地情報満載のホームページはこちら。
『南米自転車散歩。』
こちらでも南米旅情報を発信中!
『e-南米.net』
南米大陸は、本当にとてつもなく大きくて、数え切れないほどの魅力がたくさん
詰まっています!
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パンタナールは、ブラジル内陸部に位置する、世界有数の大湿原だ。
その広さは、日本の本州ほどもあると言う!
ここには森林・原野・河川・沼地の広大な大自然が広がり、
季節によってその形態を変えていく。
そして、何百種類もの野鳥・野生動物・淡水魚たちが住んでいる。
このパンタナールには一年中、世界中から多くの観光客が、
自然観察や釣りなどをする為に訪れる。
アウトドア好きの人にとって、パラダイスのような所なのだ。
上の写真は、南部ボニート近郊の「青の地底湖」(Gruta Lago Azul)。
神秘的な深い青色の水と、無数の不思議な形の鍾乳石が印象的な、
洞窟の中の地底湖。
この水がどこから来ているのかも、まだ分かっていないそうだ。
南部のボニート周辺は、美しい川がたくさんあることで有名。
「ボニート」とはポルトガル語で「美しい」という意味だ。
この透明な川で、魚たちと一緒に泳いだ。
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チリ北部、アタカマ砂漠の中のオアシス、カラマの町から南東に約100km
の小さな村。
この場所は、古代にアタカメーニョと呼ばれる文明が栄えていたそうで、
近郊には住居跡の遺跡が残っている。(プカラ遺跡)
考古学博物館では、アタカメーニョの時代のミイラを見ることができる。
こじんまりとした日干しレンガ造りの平屋が並ぶ村。
こんなに小さな村だが、観光客向けの店や宿で賑わっている。
ここは、アタカマ砂漠の観光拠点なのだ。
この村から「月の谷」「タティオ間欠泉群」等、様々なツアーが出ている。
マウンテンバイクのレンタルもあり、アタカマの美しい景色の中を
自転車で巡ることもできる。
この村にあったATMは、こんな姿だった。観光客が多いこの村では、必需品だ。
しかしこの車、輸送中に襲われたりしないのだろうか?
それだけチリの田舎は平和だということか・・・・。
広場前のサン・ペドロ教会
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チリの北部は、砂漠地帯だ。南北約1,000kmの長いアタカマ砂漠は、
世界で最も乾燥した砂漠だと言われており、雨がほとんど降らない。
水と緑が豊富なチリ南部とは、全く逆の世界だ。
地球上には、多すぎるほど雨が降る地域もあるというのに、
こんなに乾ききった場所もある。不思議だ。
標高約2,500mの高地の為、昼は大変日差しがキツく、夜は冷える。
チュキカマタ銅山で栄える町、カラマから南東へ約100kmの、
サン・ペドロ・デ・アタカマという小さな村が、観光拠点となる。
主な見所としては
・「月の谷」
月面を思わせるような砂漠地帯。
砂丘の上から夕日を眺めるツアーが人気。
・「タティオ間欠泉群」
砂漠の大地から無数の間欠泉が煙を吹き上げる。
・「アタカマ塩湖」
フラミンゴのコロニーがある。
・「プカラ遺跡」
プレ・インカ時代の住宅跡。展望台からの眺めが素晴らしい。
など。
「アタカマ砂漠」。乾いた月面のような世界。
東にはアンデス山脈がそびえる美しい砂漠だが、
「人の住むところではない」。そんな風に感じた場所だった。
のどが渇く。人は水が無いと生きて行けないのだ。
アタカマの夜は月が印象的だ。
うさぎの模様がくっきりと見える。
すごく月に近づいたような気がした。
月夜は、ライト無しでもキャンプができるくらいに明るい。
影がはっきりとできるくらいに強く、
私達を照らす。
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チリ・チロエ島の町、カストロでのことだ。街を歩いていると、ふと視界の隅に、日本語の文字が飛び込んできたような気がした。町のシンボルと言える華やかな教会の前に、どこかで見た事のあるバスが1台止まっている。
「あぁっ!あれはっ!」
まぎれも無く、なつかしの神戸市バスだ。(私は神戸在住)
神戸市章もしっかりと入っている。私達は、そのバスに近づき、前から後ろから、ジロジロと観察した挙句、写真を撮りまくった(多分相当あやしかったと思う)。
運転席は左ハンドルに改造されているものの、バスの行き先表示(「鶴甲団地行」)や、「王子動物園」のパンダのシールなど、そのままにしてある物がいっぱいだ。
実は、チリで神戸市バスを見るのは、初めてではなかった。
最初はプレンという田舎町だった。町外れの荒野を、もうもうと砂煙を上げながら走り去る神戸市バスの姿は、かなり衝撃的だった・・・。
特にチリでは、「TOYOTA」や「NISSAN」の文字を見かけない日はない。
日本の運送会社などの中古トラックもよく見かけた。
日本の車は、本当に世界中で活躍しているのだという事を実感する。
ボリビアでは、市民の足「ミクロ」(マイクロバス)のほとんどが、日本の中古車だった。「○○ホテル」「○○旅館」「○○スイミングスクール」「○○市」などの文字が書かれたままなので、興味深い。たまに、知っている名前だったりもする。
特に多いのが、幼稚園の送迎バス。「○○ようちえん」と書いたかわいらしいバスに、ボリビアのおじちゃん、おばちゃんがギュウギュウ詰めに乗っている。(私達も)
しかしよく見てみると、ちょっとおかしな文字が書かれている車も結構あるのだ。
「取扱説明書」とか「保証書在中」など、「とりあえず漢字を書いておけば日本車に見えるだろう」みたいな。それぐらい日本車は、人気が高いらしい。
ある時、ボリビアの田舎で、小さな学校にテントを張らせてもらった時のこと。
一応近くの人に断っておこうと思い、水をもらいがてら、人影のある家を訪ねた。
すると主人らしき男性は私が日本人だと分かると、自慢の自家用車らしき車を指差して、「これ、何て書いてあるんだ?」と真剣に訊いてきた。そこにはこう書いてあった。
「使用前説明事項」
スペイン語にどう訳せばいいか分からないし、「これは偽物だよ」と言ってしまうのも何だかかわいそうなので、「ああ、これは会社の名前だよ。」と適当に答えておいた。
今日も地球の反対側で、日本の車達が元気に走り回っていることだろう。
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約450年前、スペイン人達はクスコからリマへと都を移した。
そして、スペイン風の大きな街を築き、栄えた。
サン・フランシスコ教会の地下には、
何万人もの、植民地時代の市民の遺骨が葬られている。
それらは、とても綺麗に整然と並べられている。
蒸し暑いリマの昼下がり、一気にクールダウン。
美しいタイルが施された回廊など、
豪華な造りが見られる教会だ。
それらの古い建物が残っている都の中心が、今で言う「旧市街」だ。
数々のコロニアルな教会のや宮殿を見ることができる。
「旧市街」は現在も大変賑わっており、人と車であふれかえっている。
リマはペルーの海岸沿い・砂漠地帯に位置している。
私が訪ねたのは12月。気候は日本の初夏ぐらいの感覚だ。
毎日、空は曇っていて、少し蒸し暑かった。
海岸線も白く、霞んでいることが多いそうだ。
新市街は、旧市街とは全く雰囲気が違う。
ここに居ると、ペルーに居るということを忘れてしまいそうだ。
近代的なオフィス街やお洒落なレストラン、そして閑静な高級住宅街。
そしてリマでは、コロニアルな建造物の他、博物館も大きな見所となっている。
たくさんの古代の土器や織物が、信じられないほど良い状態で保存されている。
なかでも天野博物館は、素晴らしいコレクションとともに、
日本語での詳しい解説を受けることができるので、大変おすすめだ。
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クスコは、ペルー南部・山岳地域に位置する標高3,360mの都市。
今から500年ほど前にスペインに侵略されるまで、インカ帝国の首都だった街だ。
インカ時代の建造物で街の中心部に残っているは、「カミソリの刃も通さない」という石組のみ。スペイン人は、インカの神殿を壊し、この石組を基盤にして教会を建てた。頑丈すぎて、壊したくても壊れなかったのだろう。
現に大地震が起きた時、スペイン人の教会は崩壊したが、インカ人が造った石組みは、ビクともしなかったそうだ。すごい技術!その精巧な造りには惚れ惚れとする。
クスコは、かの有名なマチュピチュ遺跡観光の拠点となっている為、中心部の広場近くは、土産物屋・旅行会社・ホテル・お洒落な飲食店等が立ち並び、大変賑わっている。
マチュピチュがまだ発見されていなかったら、街の雰囲気も随分と違っていただろう。今もとても風情があるが、今よりももっと、歴史を感じさせる街だったかもしれない。
それとも逆に、近代的なビルを建てたりしていたかも・・・。
いったい500年前は、どんな「クスコ」だったのだろうか。
そして、もしもスペイン人に滅ぼされていなかったら・・・。
想像が膨らむ。
アルマス広場前
ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会
アルマス広場周辺の夕暮れ時は、
とてもロマンチック。
夜でも観光客や地元の人達で
賑わっている。
クスコの町並みと言えば、坂の多い石畳の道と、赤い屋根瓦の家々。
旅行パンフレット等で見るスペインの町並みと、やはり似ている。
*クスコの街からは「マチュピチュ遺跡」ツアー、「聖なる谷」を巡るツアーの他、
「マヌー国立公園」へのジャングルツアーも出ている。
アンデス山脈の向こうはもう、熱帯雨林・アマゾン地域なのだ。
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今や、南米で最も人気のある観光地と言ってもよいだろう。
世界遺産の人気ランキングではNo.1だとも言われている。
100年前にはまだ発見されていなかったインカ帝国・秘密都市の跡。
マチュピチュは、インカ帝国のかつての首都クスコから約100Km北西の山奥、
険しい山上にある。両側は深い谷だ。
驚かされるのは、その高い技術!
車輪の無い文明だったと言われているのに、どうやってこんなに高い山の上に、
こんなにたくさんの石を運んだのか?
そして、現代でもありえないのではないかと思うほどの、とてつもなく精巧な石組みが施されている部分が、多々ある。
また、遠く山のかなたから巧みに引いてきている冷たく綺麗な水が、今もなお、水路を流れ続けている。
ここでの、1万人の生活を、見れるものなら見てみたいと思った。
もしも、インカ帝国がスペインに滅ぼされていなかったら、今の南米はどんな風になっていたのだろうか。
マチュピチュへはクスコから列車で麓の町アグアスカリエンテスまで行き、バスで九十九折の道を駆け上がる、という行き方が一般的だ。
クスコ近郊の「聖なる谷」と呼ばれるウルバンバ渓谷の村々と遺跡を巡り、途中のオリャンタイタンボから列車に乗って行くのもおすすめだ。
またトレッキングツアーで、「インカ道」と呼ばれる山道を数日かけてマチュピチュへ行けば、感動もひとしおだろう。
背後にそびえるワイナピチュに登ると、マチュピチュはもちろん、周辺の渓谷や、バスで登ってきた九十九折の道などを、見渡すことができる。汗だくになってしまうけれど、時間が許すならばぜひ。
もう1度マチュピチュへ行けたなら、あの壮大な迷路のような空間で、
ぜひ「かくれんぼ」をしてみたい!
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ペルーのクスコ近郊にあるウルバンバ渓谷は「聖なる谷」と呼ばれ、インカ帝国の遺跡が多く残っている。クスコよりも標高が低く、温暖で過ごしやすい地域だ。
ピサックやオリャンタイタンボの遺跡が有名で、ウルバンバは市民の保養地のようなところだ。私は、数ある遺跡の中でも、少し変わったものを訪れてみた。
「マラスの塩田」は現役だ。インカ時代から、今もなお塩を作り続けている。塩水を、段々畑のようになったおびただしい数の塩田に、巧みに引き込んでいる。昔から人間にとって、「塩」は欠かせないものだったという事を実感した。
「モライの遺跡」はインカ時代の農業研究所の跡だと言われている。円形の内側へ行くほど低くなっており、一段ごとに微妙に気温が違う。これを生かして、作物の栽培実験をしたらしい。こんなに精巧な円形を作る土木技術もあったようだ。
クスコから、「聖なる谷」を巡る1日ツアーが出ていて効率的に周れるのでぜひ。ピサックやチンチェーロの市には、毛織物などの民芸品がたくさん出ていて、リマやクスコよりも安くて素朴なものが買える。
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ブラジル南部・アルゼンチン北部・パラグアイにかけて、「ミッション」の遺跡が点在している。「ミッション」とは、今から約300~400年前、スペインから来たキリスト教の宣教師が、原住民とともに集団で生活していた場所だそうだ。
周りの緑に赤いレンガが映える。団地のようなたくさんの住居、教会や畑などの跡があり、ひとつの町のようになっている。
上の写真はパラグアイのエンカルナシオン近郊の「トリニダー遺跡」。教会の綺麗な装飾がたくさん残っている。最盛期には約4000人もの人達が生活していたと言われている。世界遺産にも登録されているのだが、観光客は数人しかおらず、静まり返っていた。辺りには小さな村があるだけだ。のどかで緑が多いパラグアイの風景を、遠くまで見渡せた。
アルゼンチン北部ポサダス近郊の「サン・イグナシオ遺跡」はかなり規模が大きく、良い状態で保存されている。ここの教会も大変立派で、住居跡の数がとても多い。人口密度が高そうだ。こちらは観光バスが頻繁に訪れ、賑わっていた。イグアスの滝まではバスで約6時間。
遺跡のレンガが赤い様に、
この地方の土は赤くとても鮮やかだ。
亜熱帯気候の肥沃な土は、
豊富な作物を実らせる。
この赤い土。見た目は綺麗だが、
いったん服に付くと洗っても洗っても、
ぜんぜん色が落ちてくれない!
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アルゼンチン・ペリトモレノ氷河近郊の町カラファテから北へ220km、湖を2つ越えたところに、チャルテンの村がある。片道約4時間、バスに揺られる。
夏(12~3月)のチャルテンは、トレッキングの拠点として大人気だ。美しい風景の中で、キャンプやトレッキングを楽しむことができる。また、体力や日程に応じて、コースを選ぶことができるのも魅力だ。
有名なフィッツ・ロイは、遠くからでも拝めるスポットはあるが、最も近づける場所、ロス・トレス湖の畔まで行くコースにチャレンジした。
しかし・・・このコースが非常にハードだった。最初の3時間は周りの様々な景色を堪能しながら、急なアップダウンも少なく山歩きを楽しんだ。その後の2時間が、一気にキツイ登りになる。最後は、山登りというよりも、崖登り。炎天下の中、汗だくになってようやく、青い湖に着いた。(コース案内には村から4時間と書かれていた・・・)
もう一つのスポット、セロ・トーレを眺めるトーレ湖までのコースは、最後まで比較的平坦で、村から片道3時間ほど。今度は「この湖近くのキャンプ場に泊まって、トーレの朝焼けを見よう!」と企んだ。氷河から流れ出る、豊富な水量の川がそばにあり、キャンプには最高の立地だ。昼は暑いが、夜はやはり冷えた。
夜明け前、待ちきれずに外へ出た。朝日に照らされる直前のセロ・トーレが、輝く大きな満月とともにそこに居た(あまりの美しさに、写真を撮り忘れた・・・)。かと思うと、みるみるうちにセロ・トーレが赤く染まっていく。まだ誰もいない寒い湖の畔で、一刻々々と色を変えていく光景を、見つめ続けた。
日本でトレッキングといえば、「ひたすら山の頂上を目指す」イメージがあったが、このチャルテンでは、景色を楽しみながら歩けるなだらかなコースが多く、楽しかった。(フィッツ・ロイやセロ・トーレの頂上には行けるわけないが)
それにしても、南米や欧米の若者たちはすごい体力だ。ジーパンに普通のスニーカー姿で、スタスタと駆け抜けていく。息切れする様子もない。なぜだろう・・・
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「チチャ」は、アンデス地方で飲まれているトウモロコシのお酒。
南米旅行に出る前、自転車世界一周の酒飲み夫婦から、
「ペルーでは自家製の酒を置いている、赤い旗のある酒場を目指して走ったものだ。」と聞いていた。
でも、ペルーに来てもしばらくのうちは、それが何処にあるのか、どれのことなのか分からずにいた。
やっと見つけた!もしかしてこれのこと?
「旗」には見えないが、古ぼけた赤い布切れを付けた棒がにょきっと道に出ている。でも、どう見ても店っぽくなくて、普通の家にしか見えない。
それもそのはず。これは「ウチでチチャ作りました。今なら、チチャあります!」の合図だった。いつでもあるわけではない。なくなったら、旗を仕舞う。
値段は、500mlくらいありそうな大きなコップ1杯で、0.5ソル(約15円)。「クリーミーなビール」といった感じの味だ。自家製の為、やはり家ごとに味が違う。
私達が行ったときはちょうど春で、イチゴ果汁入りのチチャを作っている家が多く、とても飲みやすかった。アルコール分は低いが、さすがにこれだけ飲むと酔っ払い運転になりそう!
ある時、「ペットボトル(2L)で買って帰って宿で飲もう!」という事になった。2ソル分のチチャを並々と注いでもらい、それでも入りきらない分をその場で飲み干し、宿に帰った。少し昼寝をして、「そろそろ飲もうか。」とペットボトルの口を少し緩めた。
すると・・・中で発酵し続けていたチチャが、見る見るうちにそこら中に吹き出し続けた!それはまるで、消防訓練で見た消火器を思い出させた。それにしてもすごいパワーだ。その光景は、30分くらい経ってから、やっと終わった。
「減ってしもうた~!」
宿の部屋でなく、庭で飲もうとしたのが幸いだった。
皆さん、チチャの取り扱いには気を付けましょう・・・。
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アルゼンチン南部・パタゴニア地方の町、カラファテの近郊に、ペリトモレノ氷河はある。
ちょっとスケールが分かりにくい写真だが、実際はメチャクチャ巨大だ。この山の間の奥の方で、どんどん新しい氷河が作られて、こちら側・アルヘンティーノ湖に押し出されてくる。
その不思議な表面は、デコボコした白いじゅうたんのよう。
遊覧船からは、その白い壁の高さを実感できる。晴れの夏の日は半袖になるほど暑いが、氷河に近づく船の上は、やはり風が冷たくて、寒い。船では、「氷河の氷で作ったウイスキー」という粋なものが味わえた。
私達が行った夏(2月)は、崩落シーズンで、頻繁に、「ドドーン!」「ズシーン!」というすごい地響きとともに、氷河の一部が手前の湖へと崩れ落ちていく。「こわっ!」
ペリトモレノ氷河の壮大さには、口をあんぐりするばかりだった。
安全に鑑賞できるようになっているから良いが、そうでなかったら、これは恐ろしい!「もしも、あのデコボコの間にはまったら・・・」「あれが倒れて覆いかぶさってきたら・・・」と想像してしまった。
*遊覧船の他、氷河の上を歩く「氷河トレッキングツアー」、また、ペリトモレノ氷河のさらに北にある「ウプサラ氷河」へ船で行くツアーもあります。
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アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス。
「南米のパリ」と言われているだけあり、ヨーロッパ調のレトロなビルが立ち並ぶ。
道行く人も何だかみ~んなお洒落。南米屈指の文化・芸術の街で、南米に住む誰もが憧れる街。(本物のパリは行ったことありませんが)
ブエノスアイレスといえば有名なのが、タンゴ。路上でタンゴのパフォーマンスをしていたり、もちろん観光客向けのタンゴショーの店もたくさんある。
でもタンゴは、けして観光用だけというわけではなく、市民の体と心に染み付いている。タンゴを踊れる人も多く、ラジオで劇場で路上で、アルゼンチンの若者による現代版の新しいタンゴ音楽を、たくさん聴くことができる。
タンゴ以外の音楽もとっても盛んで、本当にレベルが高い。まず路上で演奏しているミュージシャンのレベルからしてすごい。そこらじゅうのライブハウスや劇場で、素晴らしくカッコ良い音楽を聴くことができて、楽しいの何の!
また、買い物好きにとってもブエノスアイレスは魅力だ。お洒落な革製品が豊富な上、1ドル=1ペソが崩壊し1ドル=約3ペソになってからは、物価が日本と比べて約3分の1だ。南米旅行の最後の街をブエノスアイレスにして、帰国前に買い物しまくる日本人が結構いるようだ。(私達、かなり郵便を利用しました)
ブエノスアイレス近郊には、サッカーチームがたくさんあり、サッカー観戦も人気だ。毎週のようにサッカーを見に行く旅行者も見かける。
とにかくアルゼンチンの人のサッカー好きは相当なもので、中継を流している飲食店に行ったら、もう大変な騒ぎだ。アルゼンチンのある小さなレストランで、店の人がサッカー中継に熱中していて、ハーフタイムまで料理が出て来なかったということがあった。
まだまだ他にも、色んな楽しみ方がある街、ブエノスアイレスなので、何度でも行って豪遊したい!
世界3大劇場の1つ「コロン劇場」
3番目に安い席でバレエを見た。
ステージははるか眼下だが、コーヒー一杯より少し高いくらいで鑑賞できる。
若者や家族連れも多かった。
気取らずに普通に見に来れるのがうれしい。
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世界最大級の滝、南米・イグアスの滝。それはもう、巨大だった!
アルゼンチンとブラジルにまたがっているイグアスの滝は、
数え切れないほどたくさんの滝が連なっている。
アルゼンチン側からとブラジル側からは、見え方がぜんぜん違うので、
両側から見たほうが、よりイグアスの滝を堪能することができる。
アルゼンチン側の国立公園では、緑の中に張り巡らされた遊歩道から、
大小様々な滝に近づくことができて、じっくりと楽める。
川の真ん中にあるサン・マルティン島のトレッキングも自然が満喫でき、
時間があればおすすめだ。
そしてアルゼンチン側には、数ある滝のなかでも最大の滝「悪魔の喉笛」に、
しぶきがかかるほど大接近できる場所がある。
膨大な量の水がすさまじい勢いで落下していく様子はまさに圧巻!
ブラジル側の国立公園からは、「悪魔の喉笛」を含む数々の滝の全貌を、
大パノラマで見ることができ、これまた見事だ。
イグアスの国立公園は自然が豊かで、蝶・鳥その他いろんな亜熱帯の動物も見かけたので、
生き物好きの人はより楽しいだろう。
滝に突っ込むボートツアーも爽快なのでぜひ。
*ボートツアーでは、カメラを入れるビニール袋は必ず「2重に」しましょう。(涙・・・)
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2005-09-30
南米自転車散歩
私は、2003年10月~2004年12月の1年2ヶ月間、
夫婦で南米大陸を旅して来ました。自転車を持って!
チリのサンチアゴから南米最南端、アルゼンチンのウシュアイア、
アルゼンチンのブエノスアイレスからイグアスの滝、
チリのサンペドロデアタカマからボリビアに渡りペルーのクスコまで、
約8000kmを自転車で旅しました。
それ以外はバスや船です。
はっきり言って自転車の旅は、バスや飛行機の旅の、1000倍楽しいです。
一瞬一瞬、景色や風を感じ、バスや飛行機の旅では会えない人達と出会う事が
できるのです。
旅行中の現地でアップした旅日記と、現地情報満載のホームページはこちら。
『南米自転車散歩。』
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南米大陸は、本当にとてつもなく大きくて、数え切れないほどの魅力がたくさん
詰まっています!
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2005-09-30
「南米のTOKYO」サンパウロ
どこまでも続く、高層ビル。
整備された地下鉄。
ブエノスアイレスが「南米のパリ」なら、
サンパウロは「南米の東京」だろう。
コロニアルな教会たちは、
このビル群の底に
埋もれてしまっている。
ブラジルのみならず、
南米の経済の中心、
サンパウロ。
サンパウロの街が近づくと、想像以上の「大都会」に驚く。
ここには約1500万人もの人が住んでいるのだ。
地下鉄の構内などに居ると、日本の東京の街にでも来ているような気になる。
現に、日本人ともよくすれ違う。それでも、向こうはこちらに気にも留めない。
東洋人がいるということが、ちっともめずらしくないのだ。
そこが、他の南米の国々と大きく異なることだった。
今までチリ・アルゼンチン・ボリビアなどで、
何度「ち~の!」と叫ばれたか分からない。
そんな事をしない品のある人達からでも必ず、
「あら、東洋人がいるわ」といった感じの視線を感じたものだ。
「色んな人種の人が居て当たり前」
そんな空気が感じられるブラジルは、妙に居心地が良かった。
サンパウロ・リベルダーヂ地区の東洋人街は、日本語の看板だらけで、
歩いている人もみんな東洋系。まるで日本のどこかの商店街のようだった。
到着した日はたまたま、「ブラジル仙台七夕祭り」で、すごい人出。
やきそば、天ぷら、今川焼き等、日本食の屋台が大人気だ。
南米に移住し活躍するたくさんの日本人。
その裏には、大きな大きな苦労と挫折があった。
リベルダーヂにある「ブラジル移民資料館」では、
その歴史をたっぷりと勉強できる。
市民の憩いの場「イビラプエラ公園」
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整備された地下鉄。
ブエノスアイレスが「南米のパリ」なら、
サンパウロは「南米の東京」だろう。
コロニアルな教会たちは、
このビル群の底に
埋もれてしまっている。
ブラジルのみならず、
南米の経済の中心、
サンパウロ。
サンパウロの街が近づくと、想像以上の「大都会」に驚く。
ここには約1500万人もの人が住んでいるのだ。
地下鉄の構内などに居ると、日本の東京の街にでも来ているような気になる。
現に、日本人ともよくすれ違う。それでも、向こうはこちらに気にも留めない。
東洋人がいるということが、ちっともめずらしくないのだ。
そこが、他の南米の国々と大きく異なることだった。
今までチリ・アルゼンチン・ボリビアなどで、
何度「ち~の!」と叫ばれたか分からない。
そんな事をしない品のある人達からでも必ず、
「あら、東洋人がいるわ」といった感じの視線を感じたものだ。
「色んな人種の人が居て当たり前」
そんな空気が感じられるブラジルは、妙に居心地が良かった。
サンパウロ・リベルダーヂ地区の東洋人街は、日本語の看板だらけで、
歩いている人もみんな東洋系。まるで日本のどこかの商店街のようだった。
到着した日はたまたま、「ブラジル仙台七夕祭り」で、すごい人出。
やきそば、天ぷら、今川焼き等、日本食の屋台が大人気だ。
南米に移住し活躍するたくさんの日本人。
その裏には、大きな大きな苦労と挫折があった。
リベルダーヂにある「ブラジル移民資料館」では、
その歴史をたっぷりと勉強できる。
市民の憩いの場「イビラプエラ公園」
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2005-09-29
「自然の楽園」パンタナール
パンタナールは、ブラジル内陸部に位置する、世界有数の大湿原だ。
その広さは、日本の本州ほどもあると言う!
ここには森林・原野・河川・沼地の広大な大自然が広がり、
季節によってその形態を変えていく。
そして、何百種類もの野鳥・野生動物・淡水魚たちが住んでいる。
このパンタナールには一年中、世界中から多くの観光客が、
自然観察や釣りなどをする為に訪れる。
アウトドア好きの人にとって、パラダイスのような所なのだ。
上の写真は、南部ボニート近郊の「青の地底湖」(Gruta Lago Azul)。
神秘的な深い青色の水と、無数の不思議な形の鍾乳石が印象的な、
洞窟の中の地底湖。
この水がどこから来ているのかも、まだ分かっていないそうだ。
南部のボニート周辺は、美しい川がたくさんあることで有名。
「ボニート」とはポルトガル語で「美しい」という意味だ。
この透明な川で、魚たちと一緒に泳いだ。
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2005-09-28
サン・ペドロ・デ・アタカマ
チリ北部、アタカマ砂漠の中のオアシス、カラマの町から南東に約100km
の小さな村。
この場所は、古代にアタカメーニョと呼ばれる文明が栄えていたそうで、
近郊には住居跡の遺跡が残っている。(プカラ遺跡)
考古学博物館では、アタカメーニョの時代のミイラを見ることができる。
こじんまりとした日干しレンガ造りの平屋が並ぶ村。
こんなに小さな村だが、観光客向けの店や宿で賑わっている。
ここは、アタカマ砂漠の観光拠点なのだ。
この村から「月の谷」「タティオ間欠泉群」等、様々なツアーが出ている。
マウンテンバイクのレンタルもあり、アタカマの美しい景色の中を
自転車で巡ることもできる。
この村にあったATMは、こんな姿だった。観光客が多いこの村では、必需品だ。
しかしこの車、輸送中に襲われたりしないのだろうか?
それだけチリの田舎は平和だということか・・・・。
広場前のサン・ペドロ教会
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2005-09-27
アタカマ砂漠
チリの北部は、砂漠地帯だ。南北約1,000kmの長いアタカマ砂漠は、
世界で最も乾燥した砂漠だと言われており、雨がほとんど降らない。
水と緑が豊富なチリ南部とは、全く逆の世界だ。
地球上には、多すぎるほど雨が降る地域もあるというのに、
こんなに乾ききった場所もある。不思議だ。
標高約2,500mの高地の為、昼は大変日差しがキツく、夜は冷える。
チュキカマタ銅山で栄える町、カラマから南東へ約100kmの、
サン・ペドロ・デ・アタカマという小さな村が、観光拠点となる。
主な見所としては
・「月の谷」
月面を思わせるような砂漠地帯。
砂丘の上から夕日を眺めるツアーが人気。
・「タティオ間欠泉群」
砂漠の大地から無数の間欠泉が煙を吹き上げる。
・「アタカマ塩湖」
フラミンゴのコロニーがある。
・「プカラ遺跡」
プレ・インカ時代の住宅跡。展望台からの眺めが素晴らしい。
など。
「アタカマ砂漠」。乾いた月面のような世界。
東にはアンデス山脈がそびえる美しい砂漠だが、
「人の住むところではない」。そんな風に感じた場所だった。
のどが渇く。人は水が無いと生きて行けないのだ。
アタカマの夜は月が印象的だ。
うさぎの模様がくっきりと見える。
すごく月に近づいたような気がした。
月夜は、ライト無しでもキャンプができるくらいに明るい。
影がはっきりとできるくらいに強く、
私達を照らす。
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2005-09-26
地球の反対側で
チリ・チロエ島の町、カストロでのことだ。街を歩いていると、ふと視界の隅に、日本語の文字が飛び込んできたような気がした。町のシンボルと言える華やかな教会の前に、どこかで見た事のあるバスが1台止まっている。
「あぁっ!あれはっ!」
まぎれも無く、なつかしの神戸市バスだ。(私は神戸在住)
神戸市章もしっかりと入っている。私達は、そのバスに近づき、前から後ろから、ジロジロと観察した挙句、写真を撮りまくった(多分相当あやしかったと思う)。
運転席は左ハンドルに改造されているものの、バスの行き先表示(「鶴甲団地行」)や、「王子動物園」のパンダのシールなど、そのままにしてある物がいっぱいだ。
実は、チリで神戸市バスを見るのは、初めてではなかった。
最初はプレンという田舎町だった。町外れの荒野を、もうもうと砂煙を上げながら走り去る神戸市バスの姿は、かなり衝撃的だった・・・。
特にチリでは、「TOYOTA」や「NISSAN」の文字を見かけない日はない。
日本の運送会社などの中古トラックもよく見かけた。
日本の車は、本当に世界中で活躍しているのだという事を実感する。
ボリビアでは、市民の足「ミクロ」(マイクロバス)のほとんどが、日本の中古車だった。「○○ホテル」「○○旅館」「○○スイミングスクール」「○○市」などの文字が書かれたままなので、興味深い。たまに、知っている名前だったりもする。
特に多いのが、幼稚園の送迎バス。「○○ようちえん」と書いたかわいらしいバスに、ボリビアのおじちゃん、おばちゃんがギュウギュウ詰めに乗っている。(私達も)
しかしよく見てみると、ちょっとおかしな文字が書かれている車も結構あるのだ。
「取扱説明書」とか「保証書在中」など、「とりあえず漢字を書いておけば日本車に見えるだろう」みたいな。それぐらい日本車は、人気が高いらしい。
ある時、ボリビアの田舎で、小さな学校にテントを張らせてもらった時のこと。
一応近くの人に断っておこうと思い、水をもらいがてら、人影のある家を訪ねた。
すると主人らしき男性は私が日本人だと分かると、自慢の自家用車らしき車を指差して、「これ、何て書いてあるんだ?」と真剣に訊いてきた。そこにはこう書いてあった。
「使用前説明事項」
スペイン語にどう訳せばいいか分からないし、「これは偽物だよ」と言ってしまうのも何だかかわいそうなので、「ああ、これは会社の名前だよ。」と適当に答えておいた。
今日も地球の反対側で、日本の車達が元気に走り回っていることだろう。
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2005-09-25
ペルーの首都・リマ
約450年前、スペイン人達はクスコからリマへと都を移した。
そして、スペイン風の大きな街を築き、栄えた。
サン・フランシスコ教会の地下には、
何万人もの、植民地時代の市民の遺骨が葬られている。
それらは、とても綺麗に整然と並べられている。
蒸し暑いリマの昼下がり、一気にクールダウン。
美しいタイルが施された回廊など、
豪華な造りが見られる教会だ。
それらの古い建物が残っている都の中心が、今で言う「旧市街」だ。
数々のコロニアルな教会のや宮殿を見ることができる。
「旧市街」は現在も大変賑わっており、人と車であふれかえっている。
リマはペルーの海岸沿い・砂漠地帯に位置している。
私が訪ねたのは12月。気候は日本の初夏ぐらいの感覚だ。
毎日、空は曇っていて、少し蒸し暑かった。
海岸線も白く、霞んでいることが多いそうだ。
新市街は、旧市街とは全く雰囲気が違う。
ここに居ると、ペルーに居るということを忘れてしまいそうだ。
近代的なオフィス街やお洒落なレストラン、そして閑静な高級住宅街。
そしてリマでは、コロニアルな建造物の他、博物館も大きな見所となっている。
たくさんの古代の土器や織物が、信じられないほど良い状態で保存されている。
なかでも天野博物館は、素晴らしいコレクションとともに、
日本語での詳しい解説を受けることができるので、大変おすすめだ。
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2005-09-22
古都「クスコ」
クスコは、ペルー南部・山岳地域に位置する標高3,360mの都市。
今から500年ほど前にスペインに侵略されるまで、インカ帝国の首都だった街だ。
インカ時代の建造物で街の中心部に残っているは、「カミソリの刃も通さない」という石組のみ。スペイン人は、インカの神殿を壊し、この石組を基盤にして教会を建てた。頑丈すぎて、壊したくても壊れなかったのだろう。
現に大地震が起きた時、スペイン人の教会は崩壊したが、インカ人が造った石組みは、ビクともしなかったそうだ。すごい技術!その精巧な造りには惚れ惚れとする。
クスコは、かの有名なマチュピチュ遺跡観光の拠点となっている為、中心部の広場近くは、土産物屋・旅行会社・ホテル・お洒落な飲食店等が立ち並び、大変賑わっている。
マチュピチュがまだ発見されていなかったら、街の雰囲気も随分と違っていただろう。今もとても風情があるが、今よりももっと、歴史を感じさせる街だったかもしれない。
それとも逆に、近代的なビルを建てたりしていたかも・・・。
いったい500年前は、どんな「クスコ」だったのだろうか。
そして、もしもスペイン人に滅ぼされていなかったら・・・。
想像が膨らむ。
アルマス広場前
ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会
アルマス広場周辺の夕暮れ時は、
とてもロマンチック。
夜でも観光客や地元の人達で
賑わっている。
クスコの町並みと言えば、坂の多い石畳の道と、赤い屋根瓦の家々。
旅行パンフレット等で見るスペインの町並みと、やはり似ている。
*クスコの街からは「マチュピチュ遺跡」ツアー、「聖なる谷」を巡るツアーの他、
「マヌー国立公園」へのジャングルツアーも出ている。
アンデス山脈の向こうはもう、熱帯雨林・アマゾン地域なのだ。
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2005-09-21
空中都市「マチュピチュ」
今や、南米で最も人気のある観光地と言ってもよいだろう。
世界遺産の人気ランキングではNo.1だとも言われている。
100年前にはまだ発見されていなかったインカ帝国・秘密都市の跡。
マチュピチュは、インカ帝国のかつての首都クスコから約100Km北西の山奥、
険しい山上にある。両側は深い谷だ。
驚かされるのは、その高い技術!
車輪の無い文明だったと言われているのに、どうやってこんなに高い山の上に、
こんなにたくさんの石を運んだのか?
そして、現代でもありえないのではないかと思うほどの、とてつもなく精巧な石組みが施されている部分が、多々ある。
また、遠く山のかなたから巧みに引いてきている冷たく綺麗な水が、今もなお、水路を流れ続けている。
ここでの、1万人の生活を、見れるものなら見てみたいと思った。
もしも、インカ帝国がスペインに滅ぼされていなかったら、今の南米はどんな風になっていたのだろうか。
マチュピチュへはクスコから列車で麓の町アグアスカリエンテスまで行き、バスで九十九折の道を駆け上がる、という行き方が一般的だ。
クスコ近郊の「聖なる谷」と呼ばれるウルバンバ渓谷の村々と遺跡を巡り、途中のオリャンタイタンボから列車に乗って行くのもおすすめだ。
またトレッキングツアーで、「インカ道」と呼ばれる山道を数日かけてマチュピチュへ行けば、感動もひとしおだろう。
背後にそびえるワイナピチュに登ると、マチュピチュはもちろん、周辺の渓谷や、バスで登ってきた九十九折の道などを、見渡すことができる。汗だくになってしまうけれど、時間が許すならばぜひ。
もう1度マチュピチュへ行けたなら、あの壮大な迷路のような空間で、
ぜひ「かくれんぼ」をしてみたい!
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2005-09-20
聖なる谷
ペルーのクスコ近郊にあるウルバンバ渓谷は「聖なる谷」と呼ばれ、インカ帝国の遺跡が多く残っている。クスコよりも標高が低く、温暖で過ごしやすい地域だ。
ピサックやオリャンタイタンボの遺跡が有名で、ウルバンバは市民の保養地のようなところだ。私は、数ある遺跡の中でも、少し変わったものを訪れてみた。
「マラスの塩田」は現役だ。インカ時代から、今もなお塩を作り続けている。塩水を、段々畑のようになったおびただしい数の塩田に、巧みに引き込んでいる。昔から人間にとって、「塩」は欠かせないものだったという事を実感した。
「モライの遺跡」はインカ時代の農業研究所の跡だと言われている。円形の内側へ行くほど低くなっており、一段ごとに微妙に気温が違う。これを生かして、作物の栽培実験をしたらしい。こんなに精巧な円形を作る土木技術もあったようだ。
クスコから、「聖なる谷」を巡る1日ツアーが出ていて効率的に周れるのでぜひ。ピサックやチンチェーロの市には、毛織物などの民芸品がたくさん出ていて、リマやクスコよりも安くて素朴なものが買える。
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2005-09-18
「ミッション」の遺跡
ブラジル南部・アルゼンチン北部・パラグアイにかけて、「ミッション」の遺跡が点在している。「ミッション」とは、今から約300~400年前、スペインから来たキリスト教の宣教師が、原住民とともに集団で生活していた場所だそうだ。
周りの緑に赤いレンガが映える。団地のようなたくさんの住居、教会や畑などの跡があり、ひとつの町のようになっている。
上の写真はパラグアイのエンカルナシオン近郊の「トリニダー遺跡」。教会の綺麗な装飾がたくさん残っている。最盛期には約4000人もの人達が生活していたと言われている。世界遺産にも登録されているのだが、観光客は数人しかおらず、静まり返っていた。辺りには小さな村があるだけだ。のどかで緑が多いパラグアイの風景を、遠くまで見渡せた。
アルゼンチン北部ポサダス近郊の「サン・イグナシオ遺跡」はかなり規模が大きく、良い状態で保存されている。ここの教会も大変立派で、住居跡の数がとても多い。人口密度が高そうだ。こちらは観光バスが頻繁に訪れ、賑わっていた。イグアスの滝まではバスで約6時間。
遺跡のレンガが赤い様に、
この地方の土は赤くとても鮮やかだ。
亜熱帯気候の肥沃な土は、
豊富な作物を実らせる。
この赤い土。見た目は綺麗だが、
いったん服に付くと洗っても洗っても、
ぜんぜん色が落ちてくれない!
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2005-09-07
「SHIMA-UTA(島唄)」
いきなり日本の音楽だが、南米がらみなので。
ブラジル滞在中、お世話になっていた日本人のお宅で「日系新聞」を読んでいると、「宮沢和史サンパウロ公演」の予告記事が。元々はコンサートへ行くほどのファンではなかったが、日も近かったし、海外公演が観られるのは貴重なので行くことにした。日系新聞の宮沢和史の紹介文で、「来伯○○回のブラ吉ぶり!」と書かれているのが可笑しかった。
サンパウロでの公演は、スタンディングのライブハウス。
前の方に行けたので、すごい至近距離(2mくらい)。
間違いなく彼だった。
日本ではまずこんな会場では観れないだろう。
チケット代もわずか500円ほど。
客層はブラジル人ももちろん居るが、ブラジルに住む日本人、日系3世が大半だ。
ブラジルの人気ミュージシャンがゲストで共演という場面もあった。
久々のサンパウロ公演とだけあって、彼もかなり気合が入っているようだ。
観客のみんなも、ものすごい喜んでいる。
熱ーーーーいライブだった!
沖縄の楽器「三線」も、とっても人気が高い。
「みやざわ~!」という声援に混じって、「さんし~ん!」という黄色い声。
それには彼も苦笑していた。
いまや世界中で歌われている「島唄」。
ブラジル・サンパウロで聴く「島唄」もまた格別だった。
住む国は違っていても、「島唄」で心はつながっていると感じた。
アップル社の音楽配信「iTunes Music Store」が、
この「島唄」を世界20カ国に同時配信する。
まだまだ「島唄」は世界に広がりそうだ。
♪ブラジルのお気に入り音楽♪
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ブラジル滞在中、お世話になっていた日本人のお宅で「日系新聞」を読んでいると、「宮沢和史サンパウロ公演」の予告記事が。元々はコンサートへ行くほどのファンではなかったが、日も近かったし、海外公演が観られるのは貴重なので行くことにした。日系新聞の宮沢和史の紹介文で、「来伯○○回のブラ吉ぶり!」と書かれているのが可笑しかった。
サンパウロでの公演は、スタンディングのライブハウス。
前の方に行けたので、すごい至近距離(2mくらい)。
間違いなく彼だった。
日本ではまずこんな会場では観れないだろう。
チケット代もわずか500円ほど。
客層はブラジル人ももちろん居るが、ブラジルに住む日本人、日系3世が大半だ。
ブラジルの人気ミュージシャンがゲストで共演という場面もあった。
久々のサンパウロ公演とだけあって、彼もかなり気合が入っているようだ。
観客のみんなも、ものすごい喜んでいる。
熱ーーーーいライブだった!
沖縄の楽器「三線」も、とっても人気が高い。
「みやざわ~!」という声援に混じって、「さんし~ん!」という黄色い声。
それには彼も苦笑していた。
いまや世界中で歌われている「島唄」。
ブラジル・サンパウロで聴く「島唄」もまた格別だった。
住む国は違っていても、「島唄」で心はつながっていると感じた。
アップル社の音楽配信「iTunes Music Store」が、
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まだまだ「島唄」は世界に広がりそうだ。
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2005-09-06
チャルテンTrecking
アルゼンチン・ペリトモレノ氷河近郊の町カラファテから北へ220km、湖を2つ越えたところに、チャルテンの村がある。片道約4時間、バスに揺られる。
夏(12~3月)のチャルテンは、トレッキングの拠点として大人気だ。美しい風景の中で、キャンプやトレッキングを楽しむことができる。また、体力や日程に応じて、コースを選ぶことができるのも魅力だ。
有名なフィッツ・ロイは、遠くからでも拝めるスポットはあるが、最も近づける場所、ロス・トレス湖の畔まで行くコースにチャレンジした。
しかし・・・このコースが非常にハードだった。最初の3時間は周りの様々な景色を堪能しながら、急なアップダウンも少なく山歩きを楽しんだ。その後の2時間が、一気にキツイ登りになる。最後は、山登りというよりも、崖登り。炎天下の中、汗だくになってようやく、青い湖に着いた。(コース案内には村から4時間と書かれていた・・・)
もう一つのスポット、セロ・トーレを眺めるトーレ湖までのコースは、最後まで比較的平坦で、村から片道3時間ほど。今度は「この湖近くのキャンプ場に泊まって、トーレの朝焼けを見よう!」と企んだ。氷河から流れ出る、豊富な水量の川がそばにあり、キャンプには最高の立地だ。昼は暑いが、夜はやはり冷えた。
夜明け前、待ちきれずに外へ出た。朝日に照らされる直前のセロ・トーレが、輝く大きな満月とともにそこに居た(あまりの美しさに、写真を撮り忘れた・・・)。かと思うと、みるみるうちにセロ・トーレが赤く染まっていく。まだ誰もいない寒い湖の畔で、一刻々々と色を変えていく光景を、見つめ続けた。
日本でトレッキングといえば、「ひたすら山の頂上を目指す」イメージがあったが、このチャルテンでは、景色を楽しみながら歩けるなだらかなコースが多く、楽しかった。(フィッツ・ロイやセロ・トーレの頂上には行けるわけないが)
それにしても、南米や欧米の若者たちはすごい体力だ。ジーパンに普通のスニーカー姿で、スタスタと駆け抜けていく。息切れする様子もない。なぜだろう・・・
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2005-09-04
ペルーでチチャ爆発!
「チチャ」は、アンデス地方で飲まれているトウモロコシのお酒。
南米旅行に出る前、自転車世界一周の酒飲み夫婦から、
「ペルーでは自家製の酒を置いている、赤い旗のある酒場を目指して走ったものだ。」と聞いていた。
でも、ペルーに来てもしばらくのうちは、それが何処にあるのか、どれのことなのか分からずにいた。
やっと見つけた!もしかしてこれのこと?
「旗」には見えないが、古ぼけた赤い布切れを付けた棒がにょきっと道に出ている。でも、どう見ても店っぽくなくて、普通の家にしか見えない。
それもそのはず。これは「ウチでチチャ作りました。今なら、チチャあります!」の合図だった。いつでもあるわけではない。なくなったら、旗を仕舞う。
値段は、500mlくらいありそうな大きなコップ1杯で、0.5ソル(約15円)。「クリーミーなビール」といった感じの味だ。自家製の為、やはり家ごとに味が違う。
私達が行ったときはちょうど春で、イチゴ果汁入りのチチャを作っている家が多く、とても飲みやすかった。アルコール分は低いが、さすがにこれだけ飲むと酔っ払い運転になりそう!
ある時、「ペットボトル(2L)で買って帰って宿で飲もう!」という事になった。2ソル分のチチャを並々と注いでもらい、それでも入りきらない分をその場で飲み干し、宿に帰った。少し昼寝をして、「そろそろ飲もうか。」とペットボトルの口を少し緩めた。
すると・・・中で発酵し続けていたチチャが、見る見るうちにそこら中に吹き出し続けた!それはまるで、消防訓練で見た消火器を思い出させた。それにしてもすごいパワーだ。その光景は、30分くらい経ってから、やっと終わった。
「減ってしもうた~!」
宿の部屋でなく、庭で飲もうとしたのが幸いだった。
皆さん、チチャの取り扱いには気を付けましょう・・・。
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2005-09-03
ペリトモレノ氷河
アルゼンチン南部・パタゴニア地方の町、カラファテの近郊に、ペリトモレノ氷河はある。
ちょっとスケールが分かりにくい写真だが、実際はメチャクチャ巨大だ。この山の間の奥の方で、どんどん新しい氷河が作られて、こちら側・アルヘンティーノ湖に押し出されてくる。
その不思議な表面は、デコボコした白いじゅうたんのよう。
遊覧船からは、その白い壁の高さを実感できる。晴れの夏の日は半袖になるほど暑いが、氷河に近づく船の上は、やはり風が冷たくて、寒い。船では、「氷河の氷で作ったウイスキー」という粋なものが味わえた。
私達が行った夏(2月)は、崩落シーズンで、頻繁に、「ドドーン!」「ズシーン!」というすごい地響きとともに、氷河の一部が手前の湖へと崩れ落ちていく。「こわっ!」
ペリトモレノ氷河の壮大さには、口をあんぐりするばかりだった。
安全に鑑賞できるようになっているから良いが、そうでなかったら、これは恐ろしい!「もしも、あのデコボコの間にはまったら・・・」「あれが倒れて覆いかぶさってきたら・・・」と想像してしまった。
*遊覧船の他、氷河の上を歩く「氷河トレッキングツアー」、また、ペリトモレノ氷河のさらに北にある「ウプサラ氷河」へ船で行くツアーもあります。
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2005-09-02
「南米のパリ」ブエノスアイレス
アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス。
「南米のパリ」と言われているだけあり、ヨーロッパ調のレトロなビルが立ち並ぶ。
道行く人も何だかみ~んなお洒落。南米屈指の文化・芸術の街で、南米に住む誰もが憧れる街。(本物のパリは行ったことありませんが)
ブエノスアイレスといえば有名なのが、タンゴ。路上でタンゴのパフォーマンスをしていたり、もちろん観光客向けのタンゴショーの店もたくさんある。
でもタンゴは、けして観光用だけというわけではなく、市民の体と心に染み付いている。タンゴを踊れる人も多く、ラジオで劇場で路上で、アルゼンチンの若者による現代版の新しいタンゴ音楽を、たくさん聴くことができる。
タンゴ以外の音楽もとっても盛んで、本当にレベルが高い。まず路上で演奏しているミュージシャンのレベルからしてすごい。そこらじゅうのライブハウスや劇場で、素晴らしくカッコ良い音楽を聴くことができて、楽しいの何の!
また、買い物好きにとってもブエノスアイレスは魅力だ。お洒落な革製品が豊富な上、1ドル=1ペソが崩壊し1ドル=約3ペソになってからは、物価が日本と比べて約3分の1だ。南米旅行の最後の街をブエノスアイレスにして、帰国前に買い物しまくる日本人が結構いるようだ。(私達、かなり郵便を利用しました)
ブエノスアイレス近郊には、サッカーチームがたくさんあり、サッカー観戦も人気だ。毎週のようにサッカーを見に行く旅行者も見かける。
とにかくアルゼンチンの人のサッカー好きは相当なもので、中継を流している飲食店に行ったら、もう大変な騒ぎだ。アルゼンチンのある小さなレストランで、店の人がサッカー中継に熱中していて、ハーフタイムまで料理が出て来なかったということがあった。
まだまだ他にも、色んな楽しみ方がある街、ブエノスアイレスなので、何度でも行って豪遊したい!
世界3大劇場の1つ「コロン劇場」
3番目に安い席でバレエを見た。
ステージははるか眼下だが、コーヒー一杯より少し高いくらいで鑑賞できる。
若者や家族連れも多かった。
気取らずに普通に見に来れるのがうれしい。
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2005-09-01
イグアスの滝!
世界最大級の滝、南米・イグアスの滝。それはもう、巨大だった!
アルゼンチンとブラジルにまたがっているイグアスの滝は、
数え切れないほどたくさんの滝が連なっている。
アルゼンチン側からとブラジル側からは、見え方がぜんぜん違うので、
両側から見たほうが、よりイグアスの滝を堪能することができる。
アルゼンチン側の国立公園では、緑の中に張り巡らされた遊歩道から、
大小様々な滝に近づくことができて、じっくりと楽める。
川の真ん中にあるサン・マルティン島のトレッキングも自然が満喫でき、
時間があればおすすめだ。
そしてアルゼンチン側には、数ある滝のなかでも最大の滝「悪魔の喉笛」に、
しぶきがかかるほど大接近できる場所がある。
膨大な量の水がすさまじい勢いで落下していく様子はまさに圧巻!
ブラジル側の国立公園からは、「悪魔の喉笛」を含む数々の滝の全貌を、
大パノラマで見ることができ、これまた見事だ。
イグアスの国立公園は自然が豊かで、蝶・鳥その他いろんな亜熱帯の動物も見かけたので、
生き物好きの人はより楽しいだろう。
滝に突っ込むボートツアーも爽快なのでぜひ。
*ボートツアーでは、カメラを入れるビニール袋は必ず「2重に」しましょう。(涙・・・)
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