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赤の広場の赤は、共産主義を意味するのではなく「美しい」という意味だそうだ。 赤の広場は、天安門広場ほど広くはないが、 周りを囲む建物がたいそうご立派で、美しさと迫力はある。 クレムリンを正面にして、手前にレーニン廟、左手に聖ワシリー寺院、 右手に国立歴史博物館と錚錚たる建物に取り囲まれている...
クレムリンの前にレーニン廟はある。 レーニンはソビエト連邦を建国した人で、死後、神格化され、ここに祭られた。 レーニン廟は、1993年まで、衛兵が警護をするほどの聖地とも言える場所で あったのたが、1994年以降、衛兵は撤収させられてしまった。 理由は、ソ連が崩壊してレーニンの各付けが下がったこ...
一昔前の日本では「地震、カミナリ、火事、おやじ」が怖い物の代名詞だったが、 この時期のソ連では「地震、カミナリ、火事、KGB」と言うべきだろう。 KGBは権力者にとって都合の悪いものを取り締まる組織として勢力を誇った。 ソ連邦が崩壊するまで、本部はモスクワにあった。 私はそこをどうしても写真に...
ペレストロイカ真只中のモスクワは、異様な雰囲気に雑然としていた。 赤の広場周辺には、外国人観光客から外貨や西側外国製品を得ようとする輩達が、 あちこちで様子を伺っていた。 当時のソ連では、特権階級以外のプロレタリアートは、外貨や西側諸国の製品を 簡単には持つことができなかった。 私はソ連へ行く...
日本を出発する前、ニュースでは連日の様にモスクワのモノ不足を伝えて いたので、万一の食糧難に備えてカップヌードルや缶詰などを持参した。 しかし、実際行ってみると、モスクワにはモノが溢れかえっていた。 ホテルの朝食では、黒パンやスクランブルエッグ、バター、ベーコン、牛乳、 ジュースなどがずらっと...
ホテルの部屋に入ったすぐ後で、ノックする音が聞こえた。 開けてみると、その階を担当する案内スタッフの女性が立っていた。 ホテルには、各階のエレベーター前に案内職員の座るデスクが設置されており、 表向きは観光案内、ホテル案内、両替等が行われていた。 これらの業務は、私が知る限りロビー階にいるコンシ...
空港内は薄暗く、社会主義国家であるがゆえ、宣伝広告など何一つ無かった。 空港にたむろする人々の表情は、寒さのせいか厳しく思えた。 ただでさえ体躯のいい人々は、着膨れしているせいでヒグマのように見えた。 そのヒグマ達は、タクシー、タクシー、と白タクを勧めてくれたが、残念ながら 私にはドライバー兼通...
ロシアが「ソビエト連邦」と呼ばれていた頃、私はモスクワを訪れた。 この時代のソ連は、ペレストロイカが進んではいたものの、まだまだアメリカと 世界を二分するほどの東側社会主義国家であった。 長い入国審査が終わり、ビザに入国スタンプが押されたその瞬間、私はパッと 係員からビザを取り上げ、インクが乾...