2005-08-30

海外旅行保険はほんとに必要?(part1)

バンコクからカルカッタに入ったボクはインドを1ヶ月かけて旅する予定だった。しかしカルカッタに着くなりインドの暑い、汚い、うざいの三拍子にやられ10日ほどでデリーから逃げるようにイスタンブールへ飛んだ。俗に言う「カルカッタ・ショック」だ。

6月のイスタンブールは快適そのものだった。気候は涼しく食べ物も美味しい、まさにインドから来たボクには天国のように感じられた。
イスタンブールに3泊ほどしたボクは夜行バスでカッパドキアへ行くことにした。 カッパドキアはアナトリア高原に広がる大奇岩地帯。キノコみたいな岩や尖った岩、洞窟に作られた家などその異星のような風景はトルコ観光のハイライトだ。
ボクは翌日出発の夜行バスのチケットを予約して手に入れた。

出発当日、朝から少し熱があった。
「夜行バスの熱は嫌だな。」
軽い気持ちでそう思っていたが、ホテルをチェックアウトするころには見るみるうちに熱が上がり39度を超えてしまった。
「これはまずい。。」
夜行バスが出発する夜7時まではまだかなり時間がある。ボクは宿のおじさんに熱があることを告げてホテルのロビーにあるソファーで寝かせてもらうことにした。
夕方5時過ぎそれでも熱は下がらす、それどころか更に上がったような気がした。それでもすでにチケットを買ってしまっている以上は乗らないわけにはいかない。ボクはバッグを引きずるようにバスターミナルへと向かった。

バスターミナルになんとか着いたボクは必死でバスを探した。
このころ熱は何度あったかわからないが、すでに意識がもうろうとしていた。
「あった、このバス!」
ボクはとにかく早く座りたくて、バスの近くにいた人に乗っていいかときくと「今は掃除中なのでダメだ!」とおじさんは手を払ってボクを追い出した。そこまで憶えているのだが、ボクはその場で気を失って倒れてしまった。

何やらみんなの大きな声と身体を揺り動かされて気がついた。
「救急車!」「ジャパニーズ!」みんな叫んでいる。どうやら倒れたボクが外人だったのでみんな大騒ぎしているしているようだ。それでもおじさんはボクの顔をひっぱたたきながら「Are you OK?」なんて言っている。
「救急車はいい、とにかくバスに乗せてくれ」
ここで病院なんかに連れて行かれたらバスのチケットがパアになってしまう。ボクはそういって抱えられながらバスに乗り込んだ。

カッパドキアまでの一晩は地獄そのもの、今まで生きてきて一番辛い経験だった。それは暑さと寒さが30分ごとに襲ってくる。熱いときはまるで砂漠を放浪しているようで、寒いときはまるで北極に置き去りにされたような感じだった。ほんとバスの中で死ぬんじゃないかと思ったくらいだ。
「これは普通の風邪なんかじゃない。」
ボクは明け方近くに眠ってしまった。

バスは朝8時頃カッパドキアのネヴシェヒルに着いた。熱はかなり下がったみたいで、気分はだいぶ楽になっていた。ボクはとにかくホテルを探して熱が下がるまでおとなしくしていようと、普段は滅多に使わないタクシーをつかまえると安ホテルの名前を運転手に告げた。
レセプションで熱があるというと、若い従業員は心配して部屋までレモンや薬などいろんなものを持ってきてくれた。食欲はなかったがしばらく寝ていれば熱も下がるだろうと思い、ボクはベッドに深く眠り込んだ。

それから3日経った。
しかしボクの熱は38度を下回ることはなかった.........To be continued




authorshusa  linkLink  comment0 
categoryスナフの旅  time21:10

2005-08-26

紅河(中国ーベトナム)

昆明からベトナムとの国境の町「河口」へ向かう寝台列車はかなり旧式だ。朝、目を醒ますともう車窓の景色が変わっている。ヤシの木なのか、熱帯地方特有の格好をした木が覆い茂っている。確かにもう中国とは別の景色が広がっている。



中国側のイミグレーションで出国手続きを済ますと、目の前に流れる紅河に立派な橋がかかってる。最近架け替えたらしく、手前「河口」と書かれたゲートをくぐるとそこはもうベトナムだ。



橋は立て替えただけあって広くて綺麗だ。昆明から直接列車で近くの鉄橋を渡ってハノイまで行く国際列車もあるが、ボクはあえて国境の町で乗り換えて歩いて渡ることにした。歩いて国境を渡るのははボクの旅のこだわりでもある。



ベトナム側の国境の町はラオカイだ。こちらのゲートはベトナム語で書かれていて、中国の雰囲気とは明らかに違う。ゲートをくぐるとそこはまた新しい国。これからどんなことが起こるのか、期待と少しの緊張が心地よい。



ラオカイからハノイへは列車で8時間。ハノイに着く頃にはすっかり陽は暮れている。  
authorshusa  linkLink  comment0 
category国境の旅  time22:02

2005-08-25

ブハラ旧市街(ウズベキスタン)

首都タシケントから450Km、街全体がシルクロードの面影を色濃く残している。   まさに日本人のイメージしている「シルクロードの街」そのものだ。



カラーン・ミナレット(砂漠の灯台)      高さ46mの塔はブハラで一番高くどこからでも見える。1127年に作られたこの塔はチンギス・ハーンにも破壊されなかった。中は螺旋階段になっているがツーリストは登れない。


ミル・アラブ・メドレセ      1536年に建てられた神学校。ソ連時代にも開校を認められていた。ボクは中に入ろうとしたのだが怒られてしまった。




ブハラの街を歩いていると、青いタイルの街並みのサマルカンドと対照的に日干しレンガ色。当時そのままのバザールや路地に迷い込むと、これまた当時から生きてるんじゃないかと思わせるような人懐っこい顔の人々が迎えてくれる。
authorshusa  linkLink  comment0 

2005-08-20

クンジュラブ峠(中国ーパキスタン)


パキスタンと中国の国境は夏の間だけ開かれる。パキスタン側の出入国は峠の手前80kmほどの街ススト。スストからクンジュラブ峠までは約3時間、バスは4700mの峠を登りきったところで休憩する。


峠には記念の碑が建てられている。「WELL COME」の看板もあるが、これはパキスタン側を向いて立っていたので「歓迎パキスタン}の意味。中国はこんなことはしない。




遠くに見えるのはパスー氷河。あまりはしゃいで走りまわっていると、すぐ息が切れしてしまう。なんせ酸素は平地の2分の1くらいしかない。


バスは峠で休憩したあと中国側のチェックポイントを通る。中国側のイミグレーションはここからまだ130km行ったところにある国境の街タシュクルガン。お酒のないパキスタンから中国へはいると、旅人はみな久しぶりのビールで乾杯しながら旅の疲れを癒すのだ。
authorshusa  linkLink  comment0 
category国境の旅  time12:21

2005-08-17

万里の長城(中国)

東は河北省の山海関から西は甘粛省の嘉峪関まで全長6350km。北京郊外ではいくつかの場所で長城を歩くことができるが、一番有名なのがこの八達嶺。チケット売り場から右へ登るルートと左に登るルートがあるが、緩やかで距離の長い右ルートが人気だ。左側は距離は短いが急なスロープが続き登るにはかなりキツい。



登り切ったところでは「登頂証明書」なるものを有料で作ってくれるが、実は入り口のチケット売り場でも売っている。名前をいれてくれるので記念にはいい。
「不到長城非好漢」という言葉が中国にはある。長城に至らない者は立派な男ではないという意味だ。


山海関から永遠と続く長城の西の終着点がここ嘉峪関。北方のモンゴルの南下を防ぐために作られ、東西に二つの門とその上に高さ17mの楼閣が建つ。ここからの眺めは雄大な中国の歴史を感じさせる。



北京から3泊3日かけてウルムチへ向かう列車はこの嘉峪関の横をすり抜けるように走っていく。15両を超える長い列車から眺める嘉峪関もまたなんともいえない趣がある。
authorshusa  linkLink  comment0