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【2006-10-04 ご出発】 【担当コンシェルジュ】安達 智代

島田様/ザルツブルグ・ウィーン 6日間

ウイーン、ザルツブルグ旅行
最近一人でイタリアへ行ってきた母親が、「やっぱり一人の旅行は心細いわね」とぽつりと漏らしたことから、母親と一緒にヨーロッパへ出かけることにした。今年行くならモーツアルト生誕250年で盛り上がるオーストリアだと思い、日程、旅程の自由が利くことから個人旅行で行くことにした。インターネットでWeb Travelという会社をみつけ、アクセスしたところたくさんの方からご返事を頂いたが、自分の希望に一番近い安達様に今回の旅行のパートナーをお願いすることにした。安達様と何回もメールで連絡し、6日間しかとれない日程にもかかわらずザルツブルグとウイーンを満喫するコースを作っていただいた。

10月4日(水曜日)
大きなスーツケースを持ち、成田よりオーストリア航空の直行便でウイーンへ飛び立った。
12時間のフライトは母にはきついと考え贅沢と思ったが、今回はビジネスクラスとしたので、十分に睡眠もとれ元気にウイーンに到着、国内線の小さなプロペラ機に乗り換え夕方秋雨の舞うザルツブルグに到着した。手配していただいたタクシードライバーに迎えてもらい、ホテルザッハーザルツブルグに夕方7時ごろ無事チェックインした。部屋に入るとテーブルの上に安達様よりプレゼントが届いており感激。安達様とはメールだけでお会いしたことはないが、とても素敵な方なんだろうなあと心がときめいた。自宅を出てから約18時間の長旅にさすがに疲れ、夕食はルームサービスのハンバーガー(あまりの大きさにびっくり!二人で1個を食べきれない!)で済ませ、9時に就寝した。しかし時差ぼけのため午前4時に覚醒、しかも昨夜チェックイン時からルームサービスを含め、全くチップを渡していなかったことに思い至り、「ぎゃっ!」となる。「非常識な日本人だ、旅行のエージェントにクレームを」なんてなると安達様に申し訳ないと思い、のこのことフロントに出向き、当直のフロントマネージャーにぼそぼそと拙い英語で事情を話したところ「No problem, Mr Shimada」と笑顔で答えてもらえたが、各担当者へチップを渡してもらうようお願いした。日頃チップの習慣のない日本人にとり、チップの額と渡すタイミングは旅行中ずっと頭痛の種となった。
ザッハーホテルはザルツアッハ川岸に建つ歴史のあるホテルで天皇陛下ご夫妻はじめ、アランドロンなど著名人も滞在したようで、多数の写真(天皇皇后両陛下のパネルが低い位置にあると母親は怒っていた)が掲示してあった。我々の部屋は新市街側であったが、ザルツアッハ川に面した部屋からは川越しにザルツブルグ旧市街を望み素晴らしい眺望だと思われた。

10月5日(木曜日)
朝から雨が降っており、少し残念であったが、朝食後旧市街を散歩。気温は15度前後か、レインコートを着たが寒くはない。雨にけむるザルツブルグを写真におさめながら、「天気の良い風景は絵葉書などで見られるけど、こういう秋雨ににじむ風景はなかなか見られないから、これはこれでいいものだね」とちょっとやけくそ気味に話し合う。
9時から市内観光に出発。迎えに来てくれたガイドは日本人であった。彼はオーストリア滞在10年の音楽家であるが、時間があるときには日本人向けのガイド(ザルツブルグには5名いるらしい)もやっているとのことで、ちゃんとしたドイツ語だけでなく、ザルツブルグなまりのドイツ語、英語、日本語(当たり前だが)を完璧にあやつる。ザルツブルグでは「NOVA」で習うようない、わゆるちゃんとしたドイツ語を話すと「気取ってる」と思われるとのこと。「ザルツブルグなまりのドイツ語を話す日本人は東北弁をしゃべる外人のようなものですよ」と笑っていた。
ザルツブルグは音楽祭と映画「サウンドオブミュージック」で有名であるが、音楽祭は20世紀はじめにザルツブルグの町興しとしてはじめられたとのこと。もともと、ザルツ(岩塩)の街として約2000年前ケルト人が住み着いたらしい。
ザルツブルグ音楽祭は毎年7~8月に開催される。音楽祭のコンサートは、ほとんどがヨーロッパの大企業の株主に株主招待のような形で配布されるとのこと。このため、一般に出回るチケットは非常に限られているが、コンサートの2~3日前になればキャンセルされたチケットを手に入れることができるらしい。一方、映画「サウンドオブミュージック」はザルツブルグに実在したトラップ一家を題材にしたハリウッド映画であるが、世界中で有名となった割りにはザルツブルグでは殆んどというより、全く話題に上らないらしい。映画ではザルツブルグの険しい山を越えてトラップ一家はスイスへ逃れたことになっているが、実在のトラップ一家は列車でイタリアへ逃げたとのこと。スイスへの逃げ道として映画で撮影されたザルツブルグの山には当時ヒトラーの山荘がありしかもその先はドイツ(ザルツブルグから一駅先はドイツ国境)で、山に登り始めた途端ゲシュタポに逮捕される憂き目となったことであろう。
しかし、映画の舞台となったザルツブルグおよび、ザルツカンマーグート地方の景色の素晴らしさはザルツブルグの人たちが映画を知らないにしてもザルツブルグを訪れてみたいと考えている世界中の人の憧れとなっているのは間違いない。
モーツアルトの生家近くのデリカテッセンで昼食後、ホーエンザルツブルグ城へ向かった。
ケーブルカーで山頂へ向かった。山頂からはザルツブルグ旧市街、新市街、郊外が一望でき、まさに絶景であった。
ケーブルカーは約3分ほどで登れるのに、一人10ユーロ弱と高額である。下りは歩こうということになったが、10ユーロをケチったのは失敗であった。下り道は非常な急坂でしかも砂利が多く滑りやすい。散歩していたイヌ(もちろん飼い主と一緒にであるが)でさえおっかなびっくりという感じで歩いていた。
2時にミラベル宮殿前の待ち合わせ場所へ向かう。ミラベル宮殿からは花が咲き乱れる公園の先にホーエンザルツブルグ城が見え、素晴らしい景観となっている。午後からザルツカンマーグート観光に出かけた。バスで約30分、なだらかな牧草地には多数の牛が草を食んでいたと書きたいが、実はあんまり動物はいなかった。というのも、ザルツブルグでは夏の間は牛達は付近の山へ避暑にでていて、10月過ぎにふもとへ降りてくるとのことであった。牧草地はゆるやかに山へ続き、その後急峻な斜面へと伸びていた。農家は、日本のそれのように村となってかたまっておらず、1軒1軒が牧草地のなかにぽつぽつと建っていて、見ているだけでのんびり感が漂う。
ザルツブルグの牧草地

ザルツカンマーグートは湖水地方で有数の避暑地となっている。ザルツブルグは高地であるが、夏には38℃まで気温が上昇することもある。海のないオーストリアではザルツカンマーグートの湖水地帯は水浴びに絶好のポイントとなるとのこと。裕福な人たちはプライベートビーチ付きの別荘を建てている。
町並みはどの家もカラフルに着色されていた。色の規制はないが、隣と同じ色にしないようにしているとのことであった。各家の窓際には色鮮やかに花が競うように飾られていた。これらのベランダの花壇の手入れはご亭主たちの仕事で、帰宅すると奥方より「あなた、お花に水あげてくださいな、お隣のお花はまだとても素敵なのに、うちの花はちょっと元気ないわよ」とのことで、ご亭主たちははしごをかけて暗くなるまで花の手入れをするとのことであった。これらの素晴らしい花壇は11月になると全て家の中に取り込まれて冬を越し、また春になると外を飾ることになる。
ザルツブルグから20kmほど離れたところで岩塩より塩を精製しており、現在でもオーストリアで消費される塩の90%をまかなっている。現在は観光用に少量を掘り出す以外は塩の含まれる地盤に水を注入し、流れ出てきた塩水を蒸発させて塩を精製しているとのことであった。ここでとれる岩塩(観光用のもの)は舐めてみたが塩気はそれほどきつくなく、ミネラルを豊富に含むためかかすかに甘さも感じられるものであった。

10月6日(金曜日)
午前6時半に手配してもらってあったタクシーがホテルまで迎えに来てくれた。アマデウスモーツアルト空港8時30分発の双発プロペラ機でウイーンへ。日本晴れとでもいいたくなるほどのウイーン晴れの晴天であった。ウイーン空港には日本語の上手なドライバーがベンツ(なんとストレッチリムジン!)で迎えに来てくれていた。車中でドライバーが「ウイーンは治安は良いですが、最近偽警官がパスポートを見せろなどと言ってくることがあるから気をつけてください」とレクチャーしてくれた。11時ごろANAグランドホテルチェックイン。部屋は大きなバスルームのついて素敵な部屋であったが、カーテンを開けたら、「やや!」、窓の外にはホテルの反対側がそびえていて全く景観のない内向きの部屋であった。見上げるとかろうじて青空が覗いていた。お昼ごはんに母は和食を所望。オペラ座の裏手当たりで「天満屋」という格子戸の引き戸があるレストランを発見。恐る恐る中を覗くと、「いらしゃいませ、どうぞ」と板前の声。訛りはないので、ちょっと安心して入る。鮨カウンターとテーブル席。鮭いくら丼とおにぎり定食を注文。待つこと10分ほど、大きなサーモンの刺身と大粒のいくらがてんこ盛りになった鮭いくら丼はご飯はコシヒカリかササニシキかと言う美味。おにぎにりの海苔は最高級品で旨さに絶句した。母はおにぎりが二つしか食べきれず、もったいないから持って帰るとテイクアウト。
二時にオペラ座近くのミューインフォメーションセンターへ集合し、ウイーンの森観光に出発。ガイドは日本語の上手なオーストリア人女性モニカさん。ウイーン市内を抜けて南へ20分ほど走ると軽井沢の別荘地のような雰囲気のある町並みへ入ってきた。といっても、ウイーン市内からは地下鉄で20分の完全な通勤圏である。しかも軽井沢よりもっと贅沢に家が建っている。空気はどこまでも透明でオゾンをたっぷり含んでいる感じ、空は東京では正月くらいにしか見られないほど青い。ウイーンの森というのはスケールが非常に広大でアルプスの一部をなしている。ウイーンの森に入ってしばらくすると鉱山跡があり、ここには地底湖(Seegrotte)がある。この鉱山では石灰を掘り出していたが、1912年に事故で2000万リットルの水が鉱山に流れ込み地底湖となったとのこと。坑内は年間を通して9℃とワインセラーより寒いが、ウイーンの冬は零下となるため、逆に坑内は暖かく感じるとのことであった。坑道を300mほど緩やかに下って地下約60mのところに6200平方メートルの地底の湖が出現する。湖には観光用の電動ゴンドラがあり、これで湖のクルージングができるようになっている。地底の湖はディズニーランドの「カリブの海賊」のような雰囲気であった。事実、この湖でディズニー映画「三銃士」が撮影され、その際使用された映画用のゴンドラが展示してあった。坑内にはミサができるスペースがあり、ウイーン少年合唱団のコンサートも開催される。
地底湖を後にしてハイリゲンクロイツ(聖十時)教会へ向かった。ここはオーストリア最古のシトー派教会で大きな男性修道院(現在約50名の修道僧が生活している)を擁している。この教会には13世紀に作られた素晴らしいステンドグラスがオリジナルのまま現存しており荘厳な雰囲気を漂わせている。
やがてバスは山間のマイヤーリンクの渓谷に到着した。時刻は午後5時前、外はまだ明るいマイヤーリンクには19世紀末のオーストリア皇太子であった、ルドルフ皇太子が愛人と自殺(他殺説もある)した別荘がある。この皇太子の悲恋の物語は映画「うたかたの恋」にもなった。ルドルフ皇太子の肖像画、写真が展示される1室があったが、彼は常になにか憂鬱そうな悲しげな眼差しをしていた。幸少なかった二人が人生を閉じた場所はたとえようもないほど美しい渓谷であった。マイヤーリンクの館からは両側になだらかに続く斜面とそれほど広くはない中央の農地が見える。菩提樹が茂り鳥がさえずる。我々以外の物音は殆んど聴こえない。静寂と安寧が支配する美しい土地であった。彼の館は父ヨーゼフ1世により教会に建て替えられ、現在は女性修道院となっている。この修道院は先のハイリゲンクロイツ修道院と異なりとても貧しい修道院で現在は5名の修道女が生活している。修道女は最近入ったひとりを除き、80才台の高齢で毎日祈りの生活をされていると聞いた。
マイヤーリンクの渓谷
美しさに後ろ髪を惹かれる思い出マイヤーリングを後にした。ウイーンへ帰るともう6時であった。今夜は8時15分よりアウエルスペルグ宮殿でコンサートを聴くことになっている。アウエルスペルグ宮殿まで地図でみると約1km。母も歩けそうというので歩くことにした。部屋を出てエレベーターホールへ出向いたところ防火扉が閉まっていた。廊下ごとの防火扉も閉じており何事か起きた雰囲気に緊張が走る。アラームも人の声もないのが余計不気味である。ホテルスタッフと思われる人が現れたので「アクシデントか?訓練か?」と質問したが、スタッフも状況を把握していないようで「アラームがなったが、よくわからない」との返答。時間は迫ってくるので、我々は非常階段で下へ降りた。ホテルの厨房付近を通り、ロビーへ出たが、ロビーは何事もない雰囲気で「あれ???」って感じであった。ただ、ホテル正面に消防車が来ていたのでなにかアラームがなったのは間違いないらしい。外国で焼け出されるなどのトラブルに会うのは辛い。幸い何もなくて一安心であった。
アウエルスペルグ宮殿はオーストリア国会議事堂の裏手にある。宮殿内は広いエントランスロビーに続き映画に使われそうな大きな階段で二階へ上る。音楽会はアウエルスペルグレジデンツコンサートと銘うたれ、モーツアルト、ヨハンシュトラウスのワルツなどを室内楽で演奏する。我々が案内された席はなんと最前列であった。3×10m程度のステージがしつらえている。室内楽はフルート、オーボエ、クラリネット各1名、バイオリン2名、チェロ、コントラバス、ピアノにソロバイオリニストが指揮者として演奏する。フルートは第二バイオリンを、クラリネットがビオラパートを演奏している。この団体のメンバーは皆上手であった。とくにソリストは若いバイオリニストであったが非常にしなやかなボウイングをしておりやや音質は固めだが澄んだ音が印象的であった。また、曲によりソプラノ(ナイスバディで素晴らしい声質)とバリトン(声量があり演技も上手な歌手)の歌手、男女のバレーダンサー(二人とも20代はじめと見える、悲しくなるくらい愛しい素敵な二人組み)が壇上で音楽に合わせてバレーを披露するなど盛りだくさんであった。休憩でロビーに出ると皆シャンパンやジュースを持って談笑しており、我々も手渡されたグラスを持ってのんびりしていたところ、昼のツアーで一緒になった日本人男性と再会した。彼はシャンパンを持っていないのでもらって来たらいかがですか?と話したらなんと有料(4ユーロ)だとのこと。「あれえ、僕たち只でもらっちゃった」と小さな声(どうせ日本語だから宮殿のスタッフにはわからないのだけど)でささやきながら、さっさと飲んで知らん顔してまた会場に戻った。後でわかったのだが、日本人のウイーンナイトツアー(翌日我々が参加した)ではシャンパンがついているらしく、我々はその一団と思われたらしい。ラッキーでであった。

10月7日(土曜日)
午前6時半にやっと起床。朝食のレストランへ出向く。全日空系列のホテルらしく、きちんと和食も準備されている。ご飯と味噌汁に納豆、厚焼き玉子、塩鮭と正しい日本の朝ごはんを食べようとしたら、ボーイから「卵料理はなににするか?」と聞かれ、勢いで「フライドエッグのソーセージ添え」を頼んでしまった。テーブルのメニューを見ると卵料理はテーブルでオーダーでき、目玉焼き以外にオムレツ、スクランブルエッグがあり、そのほかステーキもありびっくり。ホテルで使用する卵は全て地卵とのことであったが、流石に美味しかった。
午前9時に昨日のミューインフォメーションセンターへいく。今日は我々以外に二名の日本人女性と4名でウイーン市内観光の予定であったが、9時15分過ぎても他の二人が現れず、出発。時間に遅れた二人をさらに待つことが出来ないのには理由があった。というのは今日の最初の目的地のシェーンブルン宮殿は見学の予約時間が細かく決められており、我々の予約時間は10時~10時3分入場となっていた。10時3分を過ぎるともう入れてもらえないとのことで、この辺はオーストリア人も生真面目なところがあるんだなあと面白く感じた。
シェーンブルン宮殿はウイーンから車で約15分、18世紀のオーストリアの女帝マリアテレジアの夏の宮殿である。我々は裏門から入ったが、宮殿の正面には非常に広大な敷地に多数の花が咲き乱れ、庭の中央には名前の由来となった美しい池(シェーンブルン)があり、さらにはるかかなた(約1km先!)に正門がある。庭の両側の樹木は通路側がみごとに刈り込まれ、樹木が壁のようになっている。これは冬の間に通路側の枝を刈り取って作るとのことであった。宮殿は4階建てで3.4階は住居となっており、50平米の部屋の家賃は邦貨で月額20万円とのことであった。この公園は宮殿見学以外は常に無料で市民に開放されているが、これはこの宮殿が出来た当初からマリアテレジアの意向で市民に無料開放されてきたとのこと。敷地内にはヨーロッパで最初の動物園やオレンジ栽培の温室も作られている。マリアテレジアは40年にわたる治世を16人の子育てをしながら行った偉大な女帝である。彼女はヨーロッパで最初に市民に義務教育を開始した。彼女のオレンジ栽培温室は冬の間、彼女の子供達がビタミン不足にならぬようにと作られたと言う。
宮殿内にマリアテレジアの息子の結婚式を描いた大きな絵画が飾られている。当時の宮廷画家が書いたもので、多数の招待客の中に当時7歳のモーツアルトが描かれている。モーツアルトの場所がわかるように、ちゃんと絵のカバーにマーキングがしてあった。しかし、モーツアルトが結婚式に招待されたというのはどうも嘘らしい。というのは当時モーツアルトはまだザルツブルグに住んでおり、ウイーンへは来ていなかった。モーツアルトが描かれたのは、後年モーツアルトが王宮で演奏を披露し、人気になった以後に絵の中に追加されたとのことであった。
シェーンブルン宮殿を出て今度はウイーンの方へ少し戻ったところにあるベルベデーレ(美しい眺め:フランス語)宮殿へ向かった。この宮殿はマリアテレジアの父君の治世に仏蘭西よりオーストリアへ来たプリンツオイゲンという将軍の夏の宮殿である。プリンツオイゲンはドナウ河を遡ってきたトルコ軍を見事に蹴散らし、オスマントルコを撃退したのである。皇帝から大量の褒美をいただき、それを元に立派な夏の宮殿を造ったとのことである。宮殿の周りには多数のスフィンクスの石像が配置されている。スフィンクスは上半身が人間、下半身が動物であるが、ベルベデーレのスフィンクスは全て女性、しかも立派な乳房を持った美人ばかりである。プリンツオイゲンは女性が大好きであったとのことで、このような女性のスフィンクスを作ったらしい。まさに英雄色を好むである。英雄だけでなく見物人も立派な乳房に誘惑されて触りたくなるらしく、スフィンクスの乳房はどれも黒く手垢がついている。
皮肉なことにこの宮殿の横にトルコ大使館がある。プリンツオイゲンとトルコ、仇敵同士が現在は肩を並べてウイーン市街を見守っている。
ホテルに戻り、Tシャツにトレーニングズボンに着替え、サングラスをかけ、デジカメを持ちポケットに非常用(疲れて走れなくなるかもしれない)の10ユーロを忍ばせてリンクを左回りにジョギングすることにした。ホテルを出てしばらくすると右手に騎士の銅像、その先はウイーン市立公園であるリンクを走る市内電車の線路に沿って走る。やがて右手に川が見える。ドナウ運河には船が往来していた。気温は20度を超えているが、乾燥しており気分は良い。ただ、日差しは強くじりじりと紫外線が肌に食い込むのがわかる。ドナウ運河側はウイーンリンク内ではやや下町になるのか、観光客よりも普通の人が多いようだ。アラブ系の母子とすれ違う。8歳くらいの女の子はなぜか大きな涙を目に浮かべていた。母の右手には汚れたギプスがまかれていた。やがて左にカーブをきるとボティーフ教会の尖塔が見えてきた。やがてウイーン大学(と思われる)大きな建物が右手に見えた。ウイーン大学の裏手に元ウイーン総合病院があると聞いていたので、少し寄り道をした。19世紀半ばのウイーン総合病院の産婦人科にはIgnaz Semmelweis先生がいた。彼は病院感染対策、サーベイランスの始祖と言っても良い人物である。当時の産科病棟であまりに産褥熱で志望する患者が多かったこと、同僚の医師が病理解剖後に感染症で死亡したことから、1847年、解剖を行った後や分娩前には医師は必ずさらし粉溶液で手を洗うことを指示した。このあと産褥熱での死亡率は1.2%まで低下したという。感染対策委員長としてSemmelweis先生に敬意を表したいと考え寄り道した。しばらくすると右手に教会と見まごうウイーン市役所の大きな建物が見えてきた。市役所前の広場ではサーカス小屋が設置されていた。動物を飼育している匂いが充満している。サーカス小屋の脇をすりぬけるとオーストリア国会議事堂のギリシャ風の建物が見えてきた。
ここまでくれば、もうゴールは近い。ウイーンの歩道には自転車専用レーンがあり、ぼやぼや歩いていると怒られると聞いていたが、今はジョギング中である。自転車レーンも無視して走る。信号を無視すると死ぬかもしれないので、一応信号は守った。左手に新宮殿の公園が見えてきた。写真は昨日たっぷり撮ったので、そのまま通過しホテルへ戻った。約40分のジョギングであった。リンク1周は約4kmである。次から次へと風景が変化するため走っていて本当に楽しかった。
2時半ごろ遅い昼食に出かけた。ホテルザッハーの1階にモーツアルトというカフェがある。このカフェは映画「第3の男」にも出てくる老舗である。いつも混んでいて座れたらラッキーという話もあったが、オープンエアのテーブルに案内された。食べるものはもちろんまず、ビール。それからウインナーシュニッツエルである。母にはサラダを注文した。ウインナーシュニッツエルは厚さ7mm程度の靴底のような形の牛カツである。ソースはかかっていない。食べてみると塩味のきいたとてもやわらかいカツであった。ウイーンの料理は塩辛いと聞いていたが、ジョギングした後の腹ペコ日本人にはとても美味であった。名古屋から来ているというご夫婦と合い席となったが、彼らが言うには昨日ヒルトンホテルで食べたものより旨そうだと言っていた。このご夫婦はブダペスト、ウイーン、プラハを二日ずつのツアーで来ているとのこと。団体ツアーであるが、どうも不満があるらしく、我々が個人旅行であることを話したら、どうやって手配したのか興味をもたれた様子だったので、我が旅行パートナーの安達様の顔を思い浮かべ、と言ってもお会いしたことがないので、勝手に想像しつつ、インターネットでweb travelをみつけ安達様にお願いしたこと、とても良い旅行になったことをお話し、web travel社の俄か宣伝マンとなった。
18時にミューインフォメーションセンター前へ。今夜はウイーン最後の夜。ナイトツアーである。今度のツアーも我々二人であった。ガイドは午前中市内観光のドライバーであったセハティさん。ナイトツアーではまず、ホイリゲというウイーン居酒屋でワインと夕食をとってから、昨夜のコンサート会場アウエルスペルグ宮殿へ行くことになっているのだが、我々が昨夜同じコンサートを聴いたと話したら、それなら、今夜は先にコンサートへ行き、半分だけコンサートを聴いて意からゆっくり食事にしましょうと機転を利かせてくれた。車でアウエルスペルグ宮殿へ。昨夜は最前列であったが、今回は中ほどの席。コンサート前に今日はツアー客として堂々とシャンパンを頂いた。昨夜と全く同じ演目ではつまらないと思ったが、曲目、演奏者が昨夜一部代わっており、昨日と比較できこれはこれでとても楽しめた。前半のモーツアルトが終了後会場を後にして、食事に出た。食事の前にウイーンの北の森からウイーン市街が見渡せるすごくきれいな場所があるからと連れて行ってもらう。ウイーンの北の森への道中に雨が降り出した。雨の中をほとんど街灯のない道路を車はどんどん登っていく。山頂には大きなレストランと駐車場があり、その駐車場からは宝石箱をぶちまけたように光り輝くウイーン市街が一望された。雨が降り、付近の木々を濡らしているためか、レストランの明かりもキラキラ輝き正に100万ユーロの夜景であった。このレストランはウイーン子達が結婚披露宴に使用することも多いという。冬場は雪が積もり、道路が閉鎖されるためレストランも休業するとのことであった。
雨で気温も下がってきていたので数分で退却。ふもとのホイリゲへ向かった。玄関口にイルミネーションが飾られ、場末の温泉街のような雰囲気である。1軒のかなり由緒あるらしい、ホイリゲに案内された。玄関を入ると、ノンベイ達の大騒ぎの喧騒に巻き込まれた。民族衣装のようなものを着たウエイトレス、バイオリンとアコーデオンを持った楽士が座っている。我々は予約席のようで、その楽士の目の前の席へ案内された。隣のテーブルにはもうすでにかなり出来上がった日本人グループがどんちゃん騒ぎをしていた。ちょっと圧倒されながら席に着くと、セハティさんが「ワインは二杯目は有料だから先に赤ワイン(白ワインより20セント高い)を頼んだ方が得ですよ」と教えてくれた。とても良い人なのである。料理は最初に野菜サラダが来た。その後、どかんと置かれた大振りのプレートには塩茹で豚肉、鶏肉のソテイ、20cm以上ある大きなフランクフルトソーセージ、それに大量のポテトである。見ただけで腹いっぱいである。ワインは新酒で飲みやすい。アルコール度数は低目と感じた。楽士の演奏が始まった。最初はウインナワルツ、その次はなんと月の砂漠のメロディ。音楽をあまり好まなかった父親が好きだった曲である。バイオリニストを見て驚いた。亡くなった父の若い頃に似ているのである。眼鏡をかけていたら本当にそっくりと思える顔立ちである。母にそのことを言うと振り返って「あら、本当ねえ。あなたこんなところでバイオリン弾いてたのねえ」と笑っていた。演奏が終わると彼らは満面の笑みを浮かべてテーブルに近づいてきた。ガイドのセハティさんから、演奏が終わると楽士達が各テーブルを回るのでチップを渡してくださいと言われていたことを思い出し、チップを手渡したら「ありがとう」と日本語で答えてくれた。1時間ほど夕食を楽しみ店を後にした。
ホテルに9時過ぎに戻り、いよいよ明日は帰国である。母は早々と荷物をまとめだしたが、自分はまだその気にならず一人でホテルのバーへ出かけた。1階のラウンジでからはピアノのジャズの生演奏が聞こえていた。素敵なウイーン娘でも連れているなら、ラウンジでピアノ演奏ををバックに「Ich libe dich」などとささやくのもいいが、今夜は一人である。静かにウイーンの夜を過ごしたく、二階のバーへ向かった。外の見える場所に腰掛け、バーテンが勧めてくれた夏の名残のカクテル(と言ったようにきこえた。「このカクテルはホテルのお勧めなのか、それともあなたのお勧めなのか」と聞いたら、「私のお勧めです」と答えたのでそれにしたのだが)は真っ赤なイチゴのリキュールの入った甘めのロングドリンクで、ウイーン最後の夜をしみじみとした気分に浸りたい日本のおっちゃんが飲む類のものではなかった。しかし、まあそれ以上新たにアルコールを頼むのも面倒なくらい眠くなってきたためウイーンにお別れを告げ部屋に戻った。

10月8日(日曜日)
午前6時に目が覚めた。スーツケースへ荷物を入れたり出したりしているうちに7時を過ぎたが、外は今日も良い天気となっている。朝食後に外を見ていたらジョギングしている人が見える。食後であったが朝の新鮮なウイーンの空気を吸いたくなり、再びトレーニングズボンに履き替え、ジョギングすることとした。リンク1周は昨日制覇したので、今日は近所の公園めぐりをすることにした。まず、ゲーテに挨拶して公園へ、気温は多分15度くらいか、日曜の朝はウイーン市街は人気は少ないが、ときおり朝のジョギングをしている人に会う。すれちがいざまに「good morning」と挨拶したら「good morning」と帰ってきた。本当はドイツ語で挨拶したかったのだが、なかなか出てこない。モーツアルトに挨拶して今度は新宮殿の庭園へ向かう。ウイーンの朝の空気はひんやりしていてさらに透明感がある。花が咲き乱れる公園をゆっくりしたスピードで走りぬけ、帰りにマリアテレジアに挨拶するためちょうど宮殿を見守るように立っているマリアテレジア像のたつ広場へ入る。両側には自然史博物館と美術館があり、次にウイーンに来たときには是非見学に訪れたいと思う。約30分ジョギングしてホテルに戻った。チェックアウトは11時。スーツケースに荷物をなんとか押し込んで10時半過ぎにロビーへ降りる。チェックアウトのときにひと言だけ「素敵な部屋だったけど、空しか見えなかったよ」。しかし、レセプションの女性からにこやかに「sorry」といなされた。ワゴンタクシーが迎えに来た。ウイーンの街にたっぷりと大分薄くなった後ろ髪をひかれつつ帰路に着いた。



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