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(ナスカの地上絵の待ち時間に行ったワカチナの砂丘)
深山様
遠い遠い南米から無事帰ってきました。
飛行機も列車もすべて時間通りで、心配していた旅程の変更はありませんでした。
お天気にも恵まれて、マチュピチュの1日目の朝は霧がかかり、幻想的な景色が楽しめ、
2日目のワイナピチュ登山の日は、朝から雲ひとつ無い晴天で、登山も楽しめました。
サンクチュアリーロッジでは、昼食を2日目にして大正解でした。
1日目の昼食の人たちは、ハンバーガーやサンドイッチを食べて、
すぐマチュピチュに向かって出かけていきましたが、もう帰るだけのわれわれは、
ビールを飲み、美味しいコース料理をゆっくりと堪能できました。
リマークスコ間の国内線のチェックインでは予約番号の確認に時間がかかりましたが、
早めに空港に付いていたので、大丈夫でした。(すぐ後ろで待っている大勢の視線は気になりましたが・・・)
リマからイカへ行く2日間はガイドの桜井さんといろいろおしゃべりをして、長い移動時間も楽しく過ごせました。
ナスカの飛行機の待ち時間には、砂丘を楽しみ、その後のフライトでは、地上絵がきれいに見ることができました。
ラルコマルはすでに行ったと話したら、予定を変更して、
ピスコの醸造所を見学させてもらい、最後まで個人旅行の醍醐味を堪能させてもらいました。
唯一、クスコの市内、近郊の遺跡観光が見所満載で時間に追われ、
高度順応が出来ていない者にとっては少しきつかったので、
もう少しゆったりとした旅程にすればよかったと思いました。(恐るべし3,400メートル)
いろいろお世話になり、本当にありがとうございました。
(イカからの帰りに立ち寄ったピスコの醸造所)
深山 様
おはようございます。
おかげさまで無事に帰国いたしました。
初日にマイアミを1時間位旋回して、エンジントラブルで
マイアミに戻り3時間の空港ウェイティング。
やっと飛び立ったと思ったら。
サンタクルスでまたまたトラブルでおろされてしまい
ホテルで休養。
おかげで、ほんの少しですがサンタクルスの街
散歩できました。
サンタクルスの旅行社に電話して
夜の迎えに変更していただきました。
結局、ラパスのホテルに着いたのは
夜の9時頃でした。
そこから、楽しいけれど超ハ-ドな旅が始まりました。
ボリビアはエキサイティングな国でした。
厳しい環境を受け入れながら、
日々を不平を言うでもなく普通に暮らして行く人々。
よそ者を受け入れることなく、
かといって拒絶するでもなく
淡々と暮らして行く。
本当に刺激的な街でした。
けれど、乾燥と標高の高さにはさすがに参りました。
山本はウユニで1日高山病でダウンし、
小宮は帰国後、昨晩熱を出しました。
ほっと安心したのだと思います。
また行きたいけれど
もう決していくことはできないだろうと思うボリビアは
生涯忘れられない国となりました。
出発前から何度も何度も色々とお聞きし
ひとつひとつ不安部分を塗りつぶして行くことができたのが
何より助かりました。
ホテルも近代的ではないけれど
素朴で皆さん優しくてとてもよかったです。
旧市街のホテルには変更していただいたのは
大正解でした。
ダラスでは時間のない中、必死の乗り継ぎしました。
どれもこれも
自信につながるいい思 い出です。
本当にありがとうございました。
このような形態で旅行をお願いする会社は初めてでしたので
主人は心配しておりましたが、
その不安も解消することのできる
得るものの多い旅でした。
本当にありがとうございました。
友人も大変喜んでいました。
次回は家族でイスラエルか、
再度キュ-バに行きたいと思っています。
また何かありましたら
よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
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深山 様
おはようございます。
お世話になっております。
忘れていたことがあるので
メ-ルさせていただきました。
「ボリビアでなにがみつかるか?」
別に何かを見つけようとか、何かを得ようと思って旅に出るわけではありませんが、
標高、乾燥、情報なし、貧しさ、多民族国家、
色々な状況を含んだボリビアで何か見つける事のできるものがあるのではないか?
との思いでつけてタイトルでした。
そして、再認識したことは
どんな状況においても人は淡々と生きて行くんだ、
ということ。
日々生活して行くことの楽しさと悲しさを 再確認できました。
それと、
何とか旅をやりきった自信。
その2点が、タイトルの回答となりました。
ありがとうございました。