2008-08-06

ヒロシマの日 2008 by tetsushi

京都の洛北に徳川家康の墓がある。
ひっそりと立っているので、あまり知られていない。

その同じ墓所に、忘れられかけそうになっている
あるマレーシア人の少年の墓がある。

1943年に、日本の植民地からの留学生という名目で、
“日本人になるため” の教育を受けさせるために招かれた人、
サイド・オマール少年の墓である。

1945年の夏、皮肉なことに、オマール少年は広島大学の寮にいた。
原子爆弾によって、大やけどを負いながら、
いっしょうけんめい、たくさんの日本人の友達を助けたそうだ。

日本が敗戦し、悪の呪縛から解き放たれたオマール少年は、
マレーシアへ帰国するために東京へ向かう途中、
京都で様態が急変し、わずか18歳でこの世を去った。
原爆症だった。

オマール少年の墓には、とある縁で武者小路実篤が碑文を残している。

オマール君
君はマレーからはるばる日本の広島に勉強しに来てくれた。
それなのに君を迎えたのは原爆だった。
嗚呼実に実に残念である。
君は君の事を忘れない日本人のあることを記憶していただきたい。
武者小路実篤

京都 オマール君の墓
categoryヒロシマ  time23:35  authortkawanishi 

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