2006-05-04

アフリカ大陸 マリ共和国

マリ共和国って知ってますか?西アフリカの内陸国で首都はバマコ。モーリタニア、アルジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、コートジボワール、ギニア、セネガルに囲まれ、国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、乾燥地帯の場所。

ここに世界遺産があるんです!

ドゴンカントリー

●ドゴンカントリー
バンディアガラという村に約200kmくらい続く断崖絶壁にそってドゴン族が住んでいた場所。その昔、異教徒や他民族から逃れるために、人々は段々と山の斜面に逃げていったところです。

飛行魔術の小人の家 飛行魔術の小人の家

飛行魔術を使う小人が住んでたと言われています。断崖に小屋みたいなのがたくさん建っています。そのちょっと上に小さな小屋というか、四角いものがたくさんあります。
そこが飛行魔術を使う小人が住んでいたといわれる小屋です。
下の家と比べるとわかると思いますが、まず人間が住むには小さすぎます。
それにはしごもなにもない絶壁なので登ってはいけません。

バンディアガラのモスク バオバブの木
   バンディアガラ モスク                バオバブの木

<行き方>

首都バマコからドゴンカントリーの起点となる街モプティへ。
バンディアガラまでは、いつ出るかわからない乗り合いトラックを待つのが通常ルートですが、私の場合はブルキナファソのワガドゥクから国境を越えて乗り合いトラック乗り継いでバンディアガラへ入りました。

●ジェンネ
ジェンネにあるモスク

ジェンネ 入口

●マリのジェンネにあるモスク

このあたりのモスクはこんな変わったかたちをしています。
夕日に染まるモスクはとても美しいものでした。



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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「周佐 英徳」
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2006-05-02

私がみた絶景世界遺産

●ネパール ロイヤル・チトワン国立公園

もう30年ほど前、小学校6年生か中学1年の頃、まだ世界遺産になる前に、親に連れられて行きました。
当時はバンコクに住んでいて、それまでの旅行といえば、
パタヤなどのビーチか、せいぜい香港までのアジアシティばかりだったので、経験すべてが新鮮だったから、今でも記憶に残っているだけかもしれません。

カトマンズからRAの小型機で降りた空港は、地平線まで続く一面の草原。
掘っ建て小屋で機内に預けていたスーツケースをピックアップし、出迎えに来ていたロッジのスタッフに連れられたのは、象の前。
ロッジまでの送迎が象でした。
象乗りはタイですでに何度も体験し、そうでなくても見慣れていたのに私と弟は親から知らされていなかったので、とても驚きました。
象が出迎えに来ているなんて!と。

家族4人で2頭に分乗し、象の背丈以上の草むらを進んで、数時間後ロッジに到着。
ロッジは今も健在のタイガートップス。
鳥の巣のように木の上にある小屋が部屋でした。

サファリも象に乗って出掛けたり、あるいはジープだったと思います。

ロッジのメインビルのテラスからライオンを遠目で見たくらいで、
大きな動物に遭遇した記憶はないのですが、
「動物が見られるかも」という期待値が大きかったからか、弟と一緒に日々興奮していたことはよく覚えています。

記憶はそこで途切れています。
どうやってカトマンズに戻ったのか覚えていません。
10年ほど前に、この旅をプランニングした父親に聞いたところ、
帰りは象でなく、車で空港まで戻ったそうです。

旅行業界に携わるようになって知ったのですが、ロッジ代に含まれる送迎はジープか4WDで、象はオプションとのこと。
それを知ったあと、父親に、
「あの時、追加料金を払って、象にしてくれたんだね」
と聞いたら、
「君たちが小さかったからね」

今から思うと、当時の父親は週休1日で、海外出張が多く、そうでない時も夕食はほとんど接待、土日は接待ゴルフと、身体を休める日がなかったはずですが、家族と過ごす年2回の長期休暇には、いろいろな経験をさせてくれました。
どこかに、我々子供が喜ぶサプライズがありました。
いまだに忘れられない体験をさせてくれた父親には、とても感謝しています。

●ボリビア ウユニ塩湖

これはウェブトラベルの自己紹介ページにも簡単に記載しているので省略します。

カッパドキア
●トルコ カッパドキア

カッパドキアは3泊で予定を組み、3つのツアーに参加後、予定どおりアンタルヤに行ったものの、忘れがたく、また戻ってきて、さらに1週間滞在しました。



莫高窟
●中国 敦煌の莫高窟

寺院や教会にはほとんど興味がないのですが、無数の横穴すべての壁画をのぞいてみたくなりました。


●ロシア モスクワの赤の広場

カレンダーなどの1枚の絵を見て、その風景を見に行くという旅が結構あるのですが、ロシアもある意味その一つです。

赤の広場というより、ワシリー寺院。
あの毒々しいねぎ坊主は、初めて見た時から、生を見たい欲をかき立てられていました。
サンクトペテルブルグにも似たようなスパス・ナ・クラヴィー聖堂がありますが、あれも素晴らしかったです。
絵を買いたいという父親が、どちらにしようかと迷っていた絵の一つは聖堂がメインだったので、ねぎ坊主の方を買わせました。
母も弟も絵に興味がないので、いずれは私のもの。


【次はここが世界遺産!世界遺産になってもおかしくない絶景!】

死海
●イスラエル 死海とマサダの要塞

イスラエルは四国ほどの大きさなのに、見どころが多くて充実していました。
ここも詳しいガイドブックのない10年ほど前に行ったのですが、渡航前の情報収集に苦労したせいか、感激もひとしおでした。
死海の浮遊体験は面白かったのですが、一人だったのが心残り。
面白さを共有できる連れが欲しかったです。
今度は同行者を連れて、ヨルダン側から体験したい。
死海の泥や塩を使ったエステメニューをたくさん受けましたが、全身泥パックをするのに、男性エステシャンに

「全裸になってベッドに寝なさい」

と言われるなど、動揺することがいっぱいありました。
これは、それ以降も、他の国でも結構ありますが、
ほんとにみんな、男性の前でも素っ裸になるんですかねえ。。。
だまされている気がして仕方がないのですが。

●イスラエル ミツペ・ラモンのクレーター

1億年以上も前の地殻変動によって生じた地球のくぼみです。
高さ500mほどの崖が37キロに渡って続いているとか。
とてつもなく巨大な隕石が落ちたような跡は、インパクトがありました。

●中国 敦煌の鳴沙山

予約した宿は鳴沙山から2キロほどだというので、レンタサイクルで向かったところ、砂嵐に遭遇。
向かいからすさまじい数の自転車が引き返してきたが、滞在日数は限られているのだからと、帽子をまぶかにかぶり、サングラスをかけて、突風に逆らい、へとへとになって到着。
鳴沙山は砂煙でけぶり、数メートル先の視界も怪しくなったので、早々に退散。
翌朝は昨日のことが夢だったかのような晴天。
ホテルの従業員は、目が会うと口々に、

「昨日はものすごい砂嵐だったんですよ」と、
「知ってましたか?」という口調で声をかけてきました。
この日は敦煌最終日だったということもあり、再度、鳴沙山に出掛けて、見直してきました。

ナスカの地上絵
お気づきになったかもしれませんが、私は砂漠好きなのです。
ペルーでは、ナスカ観光の拠点として、イカの町に滞在し、敷地内に砂丘のあるリゾートホテルに泊まったのですが、砂丘に登って見渡すと、たくさんの砂丘が町を囲んでいるので興奮しました。

ナスカへのセスナは、地上絵まで片道2時間ほどかかりますが、うち1時間ほどは砂丘づくしの上を飛ぶため、いきなり写真を撮り倒していました。
大きな一眼レフを出して、シャッターを切りまくっている私に、同乗していた白人さんたちは、何かすごいものが見えるのかと、何度も窓をのぞいたり、けげんな顔をしていました。

自分で手配をする場合は、ツアーの基本的な滞在日数+1・2日とゆったりプランを組んでいますが、たいていの観光地は、最初は感嘆しても、何度も見ると、振り向きもしなくなるもの。
京都に住んでいて、寺院にロクに行ったことがないのと同じですね。
そのため、じっくり見ても去りがたかった所のみ挙げました。
つくづく、パッケージツアーの日程の組み方は絶妙だと思います。
感動が消えないうちに、次へ移動するのですから。

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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「 山田有子

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2006-05-02

アフリカ大陸~絶景世界遺産~

砂漠
●モロッコ サハラ砂漠のデューン

ここも行くのに苦労しましたが、巨大な砂丘は壮観でした。
ロッジはデューンの目の前で、この旅で最も素朴かつ質素でしたが(基本的に、ほとんどの国は1回きりの訪問だと考えているので、可能な限り最高級の体験がしたいため、観光に便利な立地で最もいいホテルに泊まることにしている)、ロッジでのモロッコ料理は、モロッコで訪れたどのレストランよりもおいしかったです。

「ここに1ヶ月滞在しているのよ」

というフランス人のマダムがいましたが、シンプルな風景なのに、朝・昼・晩と表情が変わり、ロッジから眺めても、砂丘に登って、無数のデューンが果てまで続く風景を見渡しても、飽きません。
去りがたくなるのが分かるような気がしました。
ちなみに、数年後、チュニジア側からも4WDをチャーターして
サハラに行きましたが、こちらには砂丘はなく、波のような砂漠で面白味に欠けました。

●チュニジア タタウィンの穀物倉庫群

カッパドキアの奇岩とか、敦煌の莫高窟とか、これらの穴蔵住居とか、そういったものに妙に関心があるようです。
似たようなものとして、南イタリアの世界遺産マテーラの洞窟住居群がありますが、あれは生活の貧しさ、迫害された人々の悲惨な様子などが見えすぎて、辛気くさくて早々と後にしました。

印象が強く残っているのは、私の場合、自然ばかりのようです。
普段の私は「そんな所に行きそうにない」と思われているようですが、だからか、旅には非日常を渇望するのかもしれません。
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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「 山田有子

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2006-05-01

オペラハウスが「世界三大がっかり」から「世界遺産」に昇格か?

オペラハウス
オペラハウスはオーストラリアで最も有名な建築物だろう。
日本の旅行会社のパックツアーの市内観光では、必ず観光ポイントに含められており、これを見ないとシドニー観光をしたとは言えないほど、今やシドニーの象徴となっている。

シドニーのツアーガイドは、

「オペラハウスは1957年、デンマークの建築家によって設計されました。この形はヨットの帆を、そして貼り付けられた約106万枚のタイルは貝殻をイメージしており、色は反射光によって船の通行に支障の無いように、若干クリーム色になってます。」

と昨年までは、このお決まり説明だけだったのだが、最近は、

「このオペラハウスも来年は世界遺産になっているかも知れませんので、皆さん記念写真はお忘れなく!」

という文句が追加されているらしい。

オペラハウスを世界遺産に申請した理由は、簡単に言うと、シドニー湾に見事に調和させた創造性に富んだ建築設計が優れているということである。
過去にも一度却下されているオペラハウス、今度こそ日の目を見るのだろうか。

ただ、オペラハウスの兄弟とも言える、シドニー湾のもう一つの象徴「ハーバーブリッジ」の方は、全く無視されており、どこか可哀相に思えてならない。
どうせなら、世界三大美港と呼ばれるシドニー湾国立公園全てを世界遺産にするのが良いと思うのだが、皆さんどう思いますか?

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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「川西 哲史」
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続きがあります