2006-12-28

ケープトレビュレーションへ

今年もケアンズに雨季が到来した。
ケアンズは12月から4月までが雨季で、5月から11月までが乾季だ。
雨季は気温が高くなり、海やプールで泳ぐには水温も高くて心地よいのだが、
雨季だけに雨が多く、グレートバリアリーフでは透明度が悪くなる。
また、ケアンズ周辺のビーチでは、毒クラゲが海岸まで浮遊してくるので、
乾季と比べると、海で泳ぐことよりも他の自然を楽しみたいところである。

そこで、私は雨季になると、決まって北部を車で旅することにしていた。
ケアンズ北部は熱帯雨林のジャングルなので、緑がとても映える季節なのだ。
・・・が、しかし、侮ってはいけない。
自然がジャングルを形成しようと思ったら、
半端でない降水量を要すると言うことを忘れてはならない。

この季節には、ケアンズっ子であっても、ほとんどの人は北へ進路を取らない。
降水量が多い上、道路も舗装されていない悪路が多く、危険極まりないからだ。
何しろ予定通り帰って来れなくなる可能性をもはらんでいる。
しかし私は、そういう所にこそ人の気付かない旅の魅力があるはずだと思い、
うきうきしてしまうのだ。
「逆もまた真なり」ということは、私の旅における座右の銘でもある。

さて、お勧めの目的地は、ケープトレビュレーションという、ケアンズから車で、
3時間半ほど走ったジャングルリゾートで、そこへ行くまでに数本の川と、
いくつかのクリークを越えなければならず、これらが雨量によっては氾濫し、
数日間通行止めになることも度々ある。
時間に制約のある日本人観光客が、ここを訪れている最中にサイクロンでも
来た日には、とても慌てることになるだろう。帰国できなくなるのだから。
雨季にこの地へ行く場合は、かなりの余裕を持って出かけねばならない。

その代わり、雨季の世界遺産指定地域のレインフォレストのジャングルには、
緑のペンキをぶちまけたようなおびただしい葉っぱ群が、心と体を包んでくれる。

cairns

2006-12-18

オーストラリアは美しい国?

ボストンレッドソックスが、松坂に要したお金は120億円を超える。
アメリカは、一人のヒーローにつぎ込むお金は半端ではない。
アメリカのナショナリズムはここに最大の特質があるとも言える。

オーストラリアはどうか?
マイトシップ(仲間意識)、出る杭は打つ、権威を嘲笑する、平等主義、など、
この国にヒーローは要らないとでも言っているかの様な言葉ばかりが思い浮かぶ。

古い話だが、オーストラリア最初の紙幣の絵柄はと言うと、
10シリングが、ダム建設工事の様子
1ポンドが、地下で働いている坑夫の様子
10ポンドが、小麦袋を積んだ荷馬車の様子
20ポンドが、木を伐採する男の様子
・・・だったそうで、この国のヒーローはまさに労働者であったということが伺える。

今でもオージーのスピリットはそんなに変わっておらず、昔に比べて大金持ちは
増えたかもしれないが、日本で言われているような「負け組み」という枠組みに
組み込まれてしまいそうな人達がいると、救いの手が差し伸べられる。
例えば、昨今、日本には約65万人のニートが存在し社会問題にもなっているが、
オーストラリアの場合、ニートであっても国がある程度までは面倒を見てくれる。
ただ、逆にこれが、オーストラリアの社会問題ともなっているのも事実であるが、
強者が弱者を救う為に勇気を奮うことは、勝利に向かってひたすら努力・前進す
ること以上に偉大なこととして、多くの国民に評価されることなのである。
勝つこと以上に、負けないことを重視しているということだ。

アメリカとオーストラリアは、どちらも同じ先進国であり、移民によって国が成り
立っていると言うことなど、多くの共通点を持っている。
また、重文化を持たない両国は自由主義の最先端を走るということでも共通する。
しかし、お互いの国民の精神には、全く違ったナショナリズムが息づいている。

さて、同じく自由主義を標榜する我が国日本のことだが、、、
安倍内閣のキャッチフレーズは「美しい国ニッポン」。
「美しい国」とはどのような定義なのだろうか? 今回、松坂に考えさせられた。

australia

2006-12-08

キャンベラで日章旗が下ろされた日

今から65年前のこの日、オーストラリアキャンベラの晴天の空に
燦然と掲揚されていた、日本公使館の日章旗が突如下ろされた。
ほぼ同時刻にオーストラリアの各地で、日系人達が政府に拘束された。

この日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃によって太平洋戦争の口火が切られた。
太平洋戦争は、映画「硫黄島からの手紙」もそうだが、日本の領土や米国、
アジア諸国、太平洋諸島の記録は広く伝えられ、良く知られているが、
オーストラリアで起った事までは、あまり伝えられても知られてもいない。

日本軍がオーストラリアの北の町ダーウィンにパールハーバーさながらの
奇襲攻撃をかけたのは知っておられる方も多いと思うが、その後、オース
トラリアの各地を攻撃した日本軍は、シドニー湾へ潜水艦を進入させ、
数隻の船舶をシドニー湾に沈めたという事までは、どうだろうか?
世界三大美港とまで言われ、日々観光客があふれ、湾岸ではピクニックや
バーベキューを楽しむために作られたような美しい公園があちこちにある
今のシドニー湾からは、想像もできない驚異的なことであったに違いない。

私は、真珠湾にも訪れたが、ここは今でも軍港であり、アリゾナ記念館に
よる正確な情報伝達も行われており、映画でも詳しく再現されているので、
ここで起こった事は、比較的容易にイメージすることができるのだが、
シドニー湾は、被害が少なかったせいか、情報もほとんど表に出ておらず、
今や、戦争を連想させる物事はと言うと、美しい湾を縄張りとするカモメ達が
観光客のつまんでいるフィッシュ&チップスのおこぼれを頂戴しようと、
上空から奇襲攻撃でもかけるように虎視眈々と狙っている、そんな人間vs
カモメ、あるいは、カモメ同士が食料を取り合う生存競争、程度のものだ。

シドニー湾で起った事は、すっかり忘却の彼方へと葬り去られてしまった。

そして、連邦政府に抑留された全く罪の無かった日系人のほとんどが、
65年前の今日を境に、大変悲惨な人生を歩まねばならなくなったという
事実もまた、シドニー湾で起った事と同じように忘れ去られようとしている。

オーストラリア