2006-12-08

キャンベラで日章旗が下ろされた日

今から65年前のこの日、オーストラリアキャンベラの晴天の空に
燦然と掲揚されていた、日本公使館の日章旗が突如下ろされた。
ほぼ同時刻にオーストラリアの各地で、日系人達が政府に拘束された。

この日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃によって太平洋戦争の口火が切られた。
太平洋戦争は、映画「硫黄島からの手紙」もそうだが、日本の領土や米国、
アジア諸国、太平洋諸島の記録は広く伝えられ、良く知られているが、
オーストラリアで起った事までは、あまり伝えられても知られてもいない。

日本軍がオーストラリアの北の町ダーウィンにパールハーバーさながらの
奇襲攻撃をかけたのは知っておられる方も多いと思うが、その後、オース
トラリアの各地を攻撃した日本軍は、シドニー湾へ潜水艦を進入させ、
数隻の船舶をシドニー湾に沈めたという事までは、どうだろうか?
世界三大美港とまで言われ、日々観光客があふれ、湾岸ではピクニックや
バーベキューを楽しむために作られたような美しい公園があちこちにある
今のシドニー湾からは、想像もできない驚異的なことであったに違いない。

私は、真珠湾にも訪れたが、ここは今でも軍港であり、アリゾナ記念館に
よる正確な情報伝達も行われており、映画でも詳しく再現されているので、
ここで起こった事は、比較的容易にイメージすることができるのだが、
シドニー湾は、被害が少なかったせいか、情報もほとんど表に出ておらず、
今や、戦争を連想させる物事はと言うと、美しい湾を縄張りとするカモメ達が
観光客のつまんでいるフィッシュ&チップスのおこぼれを頂戴しようと、
上空から奇襲攻撃でもかけるように虎視眈々と狙っている、そんな人間vs
カモメ、あるいは、カモメ同士が食料を取り合う生存競争、程度のものだ。

シドニー湾で起った事は、すっかり忘却の彼方へと葬り去られてしまった。

そして、連邦政府に抑留された全く罪の無かった日系人のほとんどが、
65年前の今日を境に、大変悲惨な人生を歩まねばならなくなったという
事実もまた、シドニー湾で起った事と同じように忘れ去られようとしている。

オーストラリア
category豪州を考える/戦争  time00:11  authorkawanishi 

Comments

コメントはまだありません。