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I様ご家族/ゴールデンパスライン・二大名峰&ミラノ・ヴェネツィア ヨーロッパ2カ国10日間
和智様
無事、帰ってまいりました。
それもこれも和智様のおかげと、家族ともども感謝いたしております。
スイス、ヴェネツィアすべてが絵葉書の世界そのものでした。
3つのコースのハイキングはそれぞれ個性的で楽しむことができました。
(主人はメンリッヒェンのみで、
あとの2つは先に下りて待っていてもらい、その後落ち合いました。
スネガはあまり放っておくとスネるので中止にしました)
フィルストでは“フィルスト・フライヤー”をやったのですが、スリル満点で楽しかったです。
突然、降って湧いた欧州旅行でしたので、
旅行の計画からすべてメールでと聞き、アナログ人間の私は不安なスタートでした。
けれど終わってみると、疑問や不安に対しいただいたアドバイスは
記録としてPCに残り、何度も読み返しておりました。
「はじめまして」から「お帰りなさいませ」まで、
この間のメールのやりとりは、記念としていつまでも残しておくつもりです。
「どうだった?」
「よかった~」
これしか答えようがないのです。
スイスの大自然を目の前にした時のあの感動は、
おこがましいのですが、行って実際に目にした者だけが味わえるもの。
あの10日間を振り返りはじめたら止まらなくなりました。
旅行2日目、最初の町は雨にけぶるルツェルン。
花で飾られた屋根のあるカペル橋を渡り、石畳の狭い路地を抜け、
ムーゼック城壁から見る新市街のイエズス教会に、異国を肌で感じました。
雨でなければロイス川沿いのオープンカフェでティータイムでもと思いましたが、
観光トロリーバス“シティ・トレイン”で、市内観光へ出かけることに。
歴史ある町並みの旧市街と近代建築の新市街、まったく違った2つの景色を持つ町でした。
その後、ゴールデンパスラインでルツェルンからインターラーケンへ。
乗り換えてグリンデルワルトへ。
あいにくの雨でしたが、山々の麓に点々と建つ家々、ホテルのベランダに咲きこぼれる花々、
絵葉書の世界そのままでした。
アイガーが目の前に迫るホテルが私たち三人を迎えてくれました。
3日目、晴れ。
グルントからゴンドラリフトでメンリッヒェンへ。
ここからいよいよハイキングその1、クライネシャイデックまで。
アイガー・メンヒ・ユングフラウの3つの山を眺めながらの予定でしたが、
山々は雲に隠れて見えず、でも緑の大パノラマの中、可愛らしい花々に囲まれて、
1時間半の予定が2時間かけてのハイキングになりました。
クライネシャイデックから列車でユングフラウヨッホへ。
着いてしばらくすると雲が消え、全面ガラスの展望台から見るユングフラウ、
また初めて氷河というものに出会い、自然の壮大さに圧倒されました。
息子は雪原でワイヤーにぶら下がっての空中滑走“チロリエンヌ”に挑戦。
私たちの頭上を飛んでいきました。
(これが翌日の私の挑戦につながるのです?)
4日目、曇りのち晴れ。
チェックアウト後ホテルに荷物を預け、ゴンドラリフトでフィルストへ。
ここでハイキングその2、山上湖のバッハアルプゼーまで往復2時間。
主人は湖までのハイキングはせずに、一足先に1つ下の駅を目指して短いハイキング。
私は息子と二人、意気揚々と歩き始めましたが、最初にかなりアップダウンがあり苦しい。
歳ではなく標高2265mのせいにして、ファイト!
それでも360度のパノラマと、
赤・白・黄・青・紫・ピンクの花々が咲き乱れる小路を歩き、至福の一時でした。
ベストシーズンにもかかわらず、人もさほど多くなく、
バッハアルプゼーからの絶景を堪能してフィルストへ戻り、
ここから一駅先に下りている主人目指して、お花畑の上をひとっ飛び。
これが私の秘めた挑戦“フィルスト・フライヤ-”。
800mの距離をワイヤーに吊るされたハーネスに座って、
最大時速84km、草原の風になって駆け抜けるのです。
心臓の鼓動が最高潮になった時、
3、2、1の掛け声で自分で足元の扉を蹴って、アルプスの空に飛び出しました。
一瞬目を瞑ってしまいましたが、もったいない。
その後、ホテルで荷物を受け取り、次の目的地ツェルマットへ。
5日目、早朝小雨のち晴れ。
ツェルマットも花であふれた可愛らしい村でした。
まずは登山鉄道でゴルナーグラートへ。
ゴルナーグラートはあいにくの曇り。降って間もない雪が一面に足元に。
ゴルナー氷河が眼下にうっすらと見え、周りの山々も霞んでいて残念。
でもめげずにここでハイキングその3、リッフェルベルクまで。
主人はまた一足先にツェルマットへ(ごめんね、待ってて)。
またもや息子と二人、雪に足を取られないよう注意してスタート。
他の団体ツアーの人たちは雪があるのでハイキングは断念とか。
しばらくすると雪もなくなり、線路の近くでは、通る列車にスティックを振って進みます。
時々マッターホルンの裾が見え隠れするなか、
リッフェルゼーの湖畔を抜け、リッフェルベルクまで2時間あまりかけて到着。
あとは登山鉄道で下山しました。
主人と落ち合い、今度は急勾配のトンネルケーブルカーでスネガパラダイスへ。
ハイキングその4(ネズミ返しの小屋が残るフィンデルン集落まで往復1時間)は取り止めて、
主人と三人でゆっくりすることにしました。
展望台からは頂上を雲で隠したマッターホルンが目の前に現れ、
いま少し、もう少しと他の観光客と一喜一憂しながら待ちましたが、
結局時間切れで下山。残念。
6日目、朝から快晴。
チェックアウト後ホテルに荷物を預け、村内バスでゴンドラリフト乗り場へ。
バスを降りると、何とマッターホルンが全貌を見せていました。
昨日あんなに待ったのに、やはり貴婦人は気まぐれです。
ゴンドラリフトとロープウェイを乗り継ぎ、クラインマッターホルンへ。
トロッケナーシュテークを過ぎると雲?霧?
ロープウェイから下を見下ろすと、恐ろしい形相の氷河が見えました。クレバスも。
目を進行方向に戻すと、遥か上方にグレーシャーパラダイスが。
よくもこんな所に、どうやってこのロープウェイをかけたのだろうか。
きっと誰もが抱く思いでしょう。
ヨーロッパ最高地点の展望台は、スキー客も含めて、この旅一番の人、人、人でした。
主人はここで3000円近くする、ラーメンもどきヌードルを食していました。
(美味?ちょっと・・・)
その後、ツェルマットへ戻ってホテルで荷物を受け取り、
フィスプで列車を乗り換えてイタリア・ミラノへ移動するはずが、
ここでこの旅最大のピンチが。
何とイタリア国鉄が労働者の権利、24時間ストライキに突入。
フィスプ→ミラノの列車に乗ろうとしたところで始まり、
こればかりはどうすることもできず、フィスプ駅近くのホテルに緊急泊。
結局この日のミラノ泊と、翌日に予定していたミラノ半日観光はキャンセルし、
ストが解除され次第、その次の目的地ヴェネツィアへ向かうことになりました。
7日目、数本運行している列車でミラノに着き、
運良くヴェネツィア行きの列車もあって、何とかヴェネツィアのサンタルチア駅まで到着。
しかしここでも公共交通機関のストで、
ヴェネツィアの足であるヴァポレット(水上バス)が途中までしか行かず、歩くことに。
路地を抜け、橋を渡り、運河沿いを行くと、ありました、今夜のホテルが。
「やっと着いた」という気持ちでした。
案内された部屋はヨーロッパ調というのでしょうか、夢見るような優雅なお部屋でした。
窓からは運河と対岸の町並みが見渡せました。
やっと着いたとの思いからか、この晩のホテルでの食事はワインも美味しく、
イカ墨のパスタも絶品でした。
8日目、この旅最後の観光の日です。曇りのち晴れ。
まずはサン・マルコ寺院へ。
昨日ホテルに向かうのにこの広場を横切ったのですが、疲れもあって良く見ていませんでした。
サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、各々の長い行列に並びやっと入場。
壁画、天井画、彫刻の素晴らしさに、
建物にまつわる物語や歴史をもっと調べてくれば良かったと後悔しきり。
鐘楼に上って水の都ヴェネツィアの町を一望し、その後はヴァポレットの12時間券を購入、
運河に沿って立ち並ぶゴシック様式の建物、有名なリアルト橋をくぐってゆっくり進むゴンドラ、
そうそう、警察の船がサイレンを鳴らして猛スピードで走り去っていくのにも遭遇しました。
やはり船なんですね・・・。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島にも、真っ白に輝く、それはそれは素敵な教会がありました。
適当な船着場で乗り降りして小路に並ぶお店を覗き、
今度はリアルト橋を渡り、またヴァポレットに乗ってもう一周。
最後はもう一度、夕日に輝くサン・マルコ寺院に戻り、ヴェネツィアの1日を満喫しました。
夕食後、ホテルの部屋の窓から、サン・ジョルジョ島よりもっと遠くに(リド島?)
なんと打ち上げ花火が見えたのです。何発も何発も。
9日目、こうして私たち三人は、迎えに来た水上タクシーに乗って、
この旅最後のホテルを後にしました。
このたびは大変お世話になりました。
おかげさまで楽しい家族旅行になりました。
鉄道パス・チケット等、丁寧に付箋をつけていただき、
今度の列車にはこれとこのチケットを、次はこれをと
付箋や書き込みに従って提示すればOKでした。
団体ツアーではないので、指定席確保の列車に乗車する以外すべて行動は自由。
ハイキングにのぞんだ日はホテルへ連泊。
わがままな中高年の私ども夫婦にとって、すべてに心配りを感じました。
思いがけずイタリア国鉄のストライキに遭い、ミラノでの予定のキャンセル、
主人の持病の腰痛でもご心配、ご苦労をおかけしてしまいました。
でも、ものは考えようで、海外旅行でストに遭う人はそうそういないのでは。
思い出の1つに加えます。
ミラノの『最後の晩餐』は、とても心残りですが、
イタリアにもう一度来いということでしょうね。
是非いつかこれをクリアできればと思います。
早朝から夜遅くまで対応していただき、本当にありがとうございました。
あの山も、あの小路の花々も、
傾き始めた陽にキラキラ輝く運河も、
食事のたびに出てくるポッキーみたいなお菓子?も、
すべてが懐かしく、また行きた~い。
またいつかお世話になることと思います。
その際はどうぞよろしくお願いします。
暑い日が、これでもかと続いています。
あのスイスのさわやかな空気が欲しい~。
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