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年のはじめのご利益祈願に、身近な七福神を巡ってみましょう。
東京の主な7つの七福神
1. 谷中7七福神
2. 雑司ヶ谷七福神
3. 新宿山の手七福神
4. 深川七福神
5. 港七福神
6. 東海七福神
7. 柴又七福神
まず最初は・・・・
<江戸で最も古い谷中七福神めぐり>
江戸中期までさかのぼる谷中七福神めぐりは、谷中、上野など歴史な建造物や寺・公園を通りながら、ゆっくりと一日散策が楽しめるコースです。
JR山手線田端駅から上野駅まで歩きます。
JR田端駅を出発
「田端駅」北口を出て左折して不忍通りに向かいます。
⇒東覚寺(福禄寿)
不動堂前にある一対の仁王像は、「赤紙仁王」と呼ばれています。
「赤紙仁王」は、寛永18年(1641年)に僧・宗海が疫病を鎮めるために建てたといわれる石の金剛力士立像で、病のある場所と同じ部位に赤紙を貼って祈願すると病気が治るといわれ、病気の癒えた人はわらじを奉納するならわしがあります。
また、境内には「むらすずめ さわくち声ももゝこえも つるの林の鶴の一声」という太田南畝の狂歌を彫った竹型の石造もあります。
不忍通りのJR寄りの通りを南下して、「西日暮里駅」を過ぎます。
⇒星雲寺(恵比寿)
臨済宗妙心寺派の寺院です。
この辺りは、江戸時代の中頃から「ひぐらしの里」と呼ばれ、江戸近郊の行楽地として賑わい、また、青雲寺は、江戸時代に花見の場所として賑わったことから、「花見寺」とも呼ばれていました。
月見寺(本行寺)、雪見寺(浄光寺)などの寺院もあり、風流を好む江戸の文人墨客が集まったことで知られています。
境内には「南総里見八犬伝」の作者として有名な滝沢馬琴の筆塚の碑や硯塚の碑などがあります。
お隣りへ
⇒修性院(布袋尊)
日蓮宗の寺院です。この辺りは、江戸時代の中頃から「ひぐらしの里」と呼ばれ、江戸近郊の行楽地としてにぎわっていました。修性院は、妙隆寺(修性院に合併)・青雲寺とともに花見寺とも呼ばれています。
浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」日暮里寺院の林泉は、ここの境内の春景色が描かれています。
また、谷中七福神の一つである「ひぐらしの布袋」が祀られています。
寺の塀には、四季をモチーフにした布袋尊のイラストが描かれており、道行く人々に親しまれています。
「日暮里駅」に向かい、谷中霊園の中へ
⇒天王寺(毘沙門天)
天王寺は、緑に囲まれた広大な谷中墓地の一角にあるため、都心部にもかかわらず静寂な環境に恵まれています。
桜並木の墓地参道の突き当たり、山門をくぐって境内に入ると、正面に奈良の十輪院を模した古風で優美な姿の本堂が出迎えてくれます。
少し南下して
⇒長安寺(寿老人)
長安寺の歴史は古く、建立は寛文9年(1669年)とされていますが、それよりさらに400年も前にさかのぼった板碑が残されています。
また、明治初期の日本画家の狩野芳崖の墓所があります。
言問い通りを渡り、「国立こども図書館」へ
⇒護国院(大黒天)
有富蓄財、有徳、財宝、五穀豊穣の神様が祀られている護国院は、天海僧正の弟子の生順が釈迦堂の別当寺として寛永元年(1624)に現在の東京国立博物館右手裏に創立した寺です。
再び南下して上野恩賜公園の不忍池のほとりへ
⇒不忍弁天堂(弁財天)
不忍池の中にある弁天堂は、寛永寺の堂宇の一つです。
いつ建立されたか、はっきりしませんが、寛永寺が創建されて間もない頃だといわれています。
天海僧正が寛永寺を創建したときに、水谷伊勢守勝隆とはかり、比叡山の近江の竹生島になぞらえて、不忍池の中に中島を築いて、弁財天をまつったのが、このお堂だと伝えられています。
弁天堂の本尊は、八臂大弁財天。長寿、福得の神として広く信仰を集め、音曲の神としても有名です。
JR上野駅に到着 お疲れさまでした。
朝からお参りをされる方はこちらの上野精養軒なので昼食はいかがでしょうか?
全席バリアフリーの為スムースにお食事が楽しめますよ」。
ただ、昼食時は大変混み合いますので、時間帯を少しずらすことをお勧めします。
もちろん、上野駅から田端駅まで北上するのも良いですね。
* この他、入谷を中心にした下谷七福神、浅草周辺の浅草名所七福神もあります。
台東区ホームページ
http://www.city.taito.lg.jp/index/event/kanko/shitihukuzin.html
台東区の3七福神と地図
http://taitonavi.jp/pdf/pamph_ja/044.pdf
次回は「一番新しい雑司ヶ谷七福神」を巡りますね。
掲載写真はホームぺージより転載させていただきました。
2015-11-24
年のはじめは七福神巡りから 第1回
東京には7つの七福神があるのをご存知でしたか?
年のはじめのご利益祈願に、身近な七福神を巡ってみましょう。
東京の主な7つの七福神
1. 谷中7七福神
2. 雑司ヶ谷七福神
3. 新宿山の手七福神
4. 深川七福神
5. 港七福神
6. 東海七福神
7. 柴又七福神
まず最初は・・・・
<江戸で最も古い谷中七福神めぐり>
江戸中期までさかのぼる谷中七福神めぐりは、谷中、上野など歴史な建造物や寺・公園を通りながら、ゆっくりと一日散策が楽しめるコースです。
JR山手線田端駅から上野駅まで歩きます。
JR田端駅を出発
「田端駅」北口を出て左折して不忍通りに向かいます。
⇒東覚寺(福禄寿)
不動堂前にある一対の仁王像は、「赤紙仁王」と呼ばれています。
「赤紙仁王」は、寛永18年(1641年)に僧・宗海が疫病を鎮めるために建てたといわれる石の金剛力士立像で、病のある場所と同じ部位に赤紙を貼って祈願すると病気が治るといわれ、病気の癒えた人はわらじを奉納するならわしがあります。
また、境内には「むらすずめ さわくち声ももゝこえも つるの林の鶴の一声」という太田南畝の狂歌を彫った竹型の石造もあります。
不忍通りのJR寄りの通りを南下して、「西日暮里駅」を過ぎます。
⇒星雲寺(恵比寿)
臨済宗妙心寺派の寺院です。
この辺りは、江戸時代の中頃から「ひぐらしの里」と呼ばれ、江戸近郊の行楽地として賑わい、また、青雲寺は、江戸時代に花見の場所として賑わったことから、「花見寺」とも呼ばれていました。
月見寺(本行寺)、雪見寺(浄光寺)などの寺院もあり、風流を好む江戸の文人墨客が集まったことで知られています。
境内には「南総里見八犬伝」の作者として有名な滝沢馬琴の筆塚の碑や硯塚の碑などがあります。
お隣りへ
⇒修性院(布袋尊)
日蓮宗の寺院です。この辺りは、江戸時代の中頃から「ひぐらしの里」と呼ばれ、江戸近郊の行楽地としてにぎわっていました。修性院は、妙隆寺(修性院に合併)・青雲寺とともに花見寺とも呼ばれています。
浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」日暮里寺院の林泉は、ここの境内の春景色が描かれています。
また、谷中七福神の一つである「ひぐらしの布袋」が祀られています。
寺の塀には、四季をモチーフにした布袋尊のイラストが描かれており、道行く人々に親しまれています。
「日暮里駅」に向かい、谷中霊園の中へ
⇒天王寺(毘沙門天)
天王寺は、緑に囲まれた広大な谷中墓地の一角にあるため、都心部にもかかわらず静寂な環境に恵まれています。
桜並木の墓地参道の突き当たり、山門をくぐって境内に入ると、正面に奈良の十輪院を模した古風で優美な姿の本堂が出迎えてくれます。
少し南下して
⇒長安寺(寿老人)
長安寺の歴史は古く、建立は寛文9年(1669年)とされていますが、それよりさらに400年も前にさかのぼった板碑が残されています。
また、明治初期の日本画家の狩野芳崖の墓所があります。
言問い通りを渡り、「国立こども図書館」へ
⇒護国院(大黒天)
有富蓄財、有徳、財宝、五穀豊穣の神様が祀られている護国院は、天海僧正の弟子の生順が釈迦堂の別当寺として寛永元年(1624)に現在の東京国立博物館右手裏に創立した寺です。
再び南下して上野恩賜公園の不忍池のほとりへ
⇒不忍弁天堂(弁財天)
不忍池の中にある弁天堂は、寛永寺の堂宇の一つです。
いつ建立されたか、はっきりしませんが、寛永寺が創建されて間もない頃だといわれています。
天海僧正が寛永寺を創建したときに、水谷伊勢守勝隆とはかり、比叡山の近江の竹生島になぞらえて、不忍池の中に中島を築いて、弁財天をまつったのが、このお堂だと伝えられています。
弁天堂の本尊は、八臂大弁財天。長寿、福得の神として広く信仰を集め、音曲の神としても有名です。
JR上野駅に到着 お疲れさまでした。
朝からお参りをされる方はこちらの上野精養軒なので昼食はいかがでしょうか?
全席バリアフリーの為スムースにお食事が楽しめますよ」。
ただ、昼食時は大変混み合いますので、時間帯を少しずらすことをお勧めします。
もちろん、上野駅から田端駅まで北上するのも良いですね。
* この他、入谷を中心にした下谷七福神、浅草周辺の浅草名所七福神もあります。
台東区ホームページ
http://www.city.taito.lg.jp/index/event/kanko/shitihukuzin.html
台東区の3七福神と地図
http://taitonavi.jp/pdf/pamph_ja/044.pdf
次回は「一番新しい雑司ヶ谷七福神」を巡りますね。
掲載写真はホームぺージより転載させていただきました。