2013-11-19

中世海洋都市アマルフィとその海岸 Costiera Amalfitana


アマルフィ海岸は、1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ここをロケ地とした日本映画が2009年に上映されてから、
一気に注目が高まったと思います。

イタリアで最初に生まれた、中世の海洋都市を目指して、
私がアマルフィを初めて訪れたのは、世界遺産登録よりも何年か前のことでした。

日本ではまだ、ほとんど知られていない存在で、
「どうやって行くの?」という基本的な答えさえ容易にみつからない、
という情報の少ない時代のことでした。

今となっては、日本の旅人たちにもアマルフィへの明確な道しるべが示されており、
そういう点では恵まれている時代になった、と思います。

日本にとっては、「知られざる小都市」にすぎなかったアマルフィが、
数年の間に、みるみる大躍進を遂げたといえるでしょう。


私は大学院時代に、南イタリアの都市研究をしていたのですが、
1年目、研究室が取り組んでいたサルデーニャ島の現地調査に参加しました。

研究室のイタリア都市調査はその後も、毎年間続いていくのですが、
サルデーニャ→シチリア→プーリアと経て、
その後、調査対象となったのがアマルフィなのです。

私は、シチリアで研究班のリーダー的な役割をつとめることになりました。
次の年、プーリアの大学に単独留学中に研究室の後輩たちがやってきたので、
自分の論文をまとめながら、教授のかたわらで、
"スーパーバイザー"と呼ばれる立場に置かれました。
(プーリアは、世界遺産のアルベロベッロのある地方です)

アマルフィへは、その後、優秀な後輩たちが行っており、
何年かにかけて、素晴らしい研究成果を挙げてくれました。


某邦画の制作にあっては、この研究成果が参考にされたという話を聞きます。
当時としては、貴重な日本語の情報源のひとつだったのでしょう。

2009年の映画公開時に私はもう、ウェブトラベルの仕事に携わっていましたから、
「これからアマルフィへの旅行者が増えてくるだろう」とは思っていましたが、
まさにそれを肌で感じることになりました。

ユネスコ世界遺産への登録や、映画のロケ地になるということが
どれだけ世の中に影響を及ぼすか、というのを
アマルフィを通じて、目の当たりにしたわけです。

現在では、書店でもWEB上でも非常に多くの情報が行き交い、
日本からもたくさんの人々がアマルフィやその海岸を訪れるようになっています。


「世界遺産だから」といって訪れたのなら、
単に「世界遺産をひとつ踏破!」ということに満足するだけでなく、
「なぜここが世界遺産なのか」をぜひ考えてみてほしいと思います。

もし「どこか景色のいいところでのんびりしたい」という理由で
ここを目的地に選ぶのならば、何も考えずにただ海を眺めていればいい。

神話にゆかりあるだけあって、ただそれだけで、
地中海的なエネルギーを感じられる土地だと感じられるのです。




↑大階段でアプローチする、壮麗なアマルフィの大聖堂 Duomo di Amalfi
美しい中庭「天国の回廊 」Chiostro del Paradisoは必見


菅澤 彰子(すげさわ あきこ/ イタリア在住)

2013-11-08

古代ローマ建築「パンテオン」 Pantheon


永遠の都、ローマへ行ったら、何を見るのでしょうか。
1953年のアメリカ映画『ローマの休日』をイメージされていらっしゃる方が、
いまもなお、多数をしめるかもしれません。


私はハタチ(二十歳)の頃、大学の図書館に
何日か朝から晩までこもったことがありました。

建築学部で設計の勉強に本気で取り組みはじめ、
現代建築の潮流をつかむ目的で、
何十年か分の建築専門誌を一気に読み漁っていました。

単位を取るための課題、というわけではなくて、
ただ単に「知りたい」と思ったからです。


いわゆる現代建築の設計(デザイン)中心の記事からなるのが、
そもそも建築の専門誌ですが、その中で、
歴史上のある古代建築に触れていた現代建築家がいたことを
鮮やかに記憶しています。

取り上げていたイタリア建築は、
ローマの旧市街にある「パンテオン」でした。

現代的なデザインばかりの中にあって、
古代の造形がむしろ新鮮に映ったのかもしれません。


今おそらく、観光の目的地選びに関して、
ユネスコ世界遺産が最も影響力があるといえるでしょう。

私個人的には、世界遺産かどうかということは、あまり問題ではないと思うのですが、
その国をまったく知らないなら、ひとつの指標となることは確かです。

ただイタリアの場合、旧市街全体が世界遺産登録されているケースが多く、
ローマもそれがまた、かなり大ざっぱ!

『ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』
英名/ Historic Centre of Rome, the Properties of the Holy See in that City Enjoying Extraterritorial Rights and San Paolo Fuori le Mura

という具合なのです。
「じゃあ、いったい何を見たらいいの?!」という感じでしょう。

ローマはカトリックの教皇領がありますから、さらに特殊なんですね。
登録は1980年ですが、1990年には再度、拡張登録されています。
(ちなみに『バチカン市国』は別途、1984年に登録されています)


さて、このローマのシンボルなのですが、
皆さんがよく旅行パンフで見かけるように、「コロッセオ」なんです。

ただ、古今の建築家たちが、印象を残し、触れているのは、
「パンテオン」のほうが多いと思います。

大きさからすると「コロッセオ」ですし、
街中で目立っているのも「コロッセオ」です。
映画で撮って、背景として絵になるのも「コロッセオ」でしょう。

しかし、造形的・技術的には「パンテオン」に軍配があがるのでしょうか。
このサイトのメイン画像として取り入れていただきましたが、
個人的な好みとして、私も「パンテオン」のほうが好きです。





「パンテオン」は、後世の建築にも多大な影響を与えました。
建築史関連の書物でも特に大きく取り上げられています。

ローマの地で、実際の「パンテオン」VS「コロッセオ」を
見比べてみるのがよいと思います。

「聖なるもの」と「俗なるもの」、
どちらも古代ローマを代表する建築です。



菅澤 彰子(すげさわ あきこ/ イタリア在住)


※ちなみに、フランスのパリにある「パンテオン」については、
ずっと後の時代の建築で、18世紀、新古典主義様式のものです。

2013-11-01

イタリア建築紀行のサイトを始めるにあたって


日本の大学に在籍中の4年生のとき、
博物館実習というのに出かけました。

私は建築学部の学生でしたが、大学に入学した年に、
建築学部としては日本で初めての学芸員課程というのが設置され、
それを選択したごく少数の学生のひとりでした。

4年間の修学課程の締めくくりとして、実際の博物館で
学芸員さんたちの仕事を経験したのです。

多くの美術系の学生さんたちに混ざっての研修でした。
その数日間にいろいろなことをさせていただいたのですが、
中でも印象に残っているのが、防空壕の測量をして図面に起こしたことです。


その時、少数派だった建築の学生だけしか
周りにいなかったように思います。
美術系の学生さんたちには、測量の技術がなかったのでしょうか。

私たちのグループを担当された学芸員さんは、
測量後にできあがった図面を見て、とても嬉しそうにされていました。

現場仕上げなので、定規とシャープペンで書いたものを
トレースして手書きのペンでの描いたものでしたが、
学芸員さんは「何かすごいものに見える」と感動されていました。

実際の数値に基づいて描いた図は、どんなにうまい写生よりも
リアリティを持つことがあるのです。


そして、学芸員さんは話を続けました。
「建築の人たちは、いいよな・・・」
最初はその意味がよくわかりませんでした。

「だって、どんな仕事だってできるじゃないですか」
とおっしゃるのです。

ご自身は美術系の大学出身だそうですが、
「とにかく仕事が見つからない」ということでした。
美術系の職はそもそも少ないし、他の仕事を探そうと思っても、
「つぶしが効かない」ということでした。「その点、建築の人は違う」と。

多くの学生さんたちが、就職活動と並行してこの実習に参加していましたから、
自然とそういう話題になりました。
ただ建築分野の仕事は非常に幅が広かったし、当時の風潮としては、
建築以外の仕事を選んぶだなんて、考えられない状況だったと思います。


さて、それから10年以上の月日が経って、
私はウェブトラベルという旅行会社に出会いました。

最初はちょっとよくわからなかったのですが、
「面白そうじゃない?!」というのが印象でした。
何か新しい感じがしたし、別業種でしたけれども、直感が働きましたね。

旅づくりの仕事を始めてからかれこれ7年位になりますが、
採用面接の際のエピソードをお話ししょう。


本部Kさん: (Microsoftの) Officeのプログラムは使えますか? Word や Excel ...

私(菅澤): Word は大丈夫ですけれど、Excel は使ったことないですね・・・(汗)
あ、でも、CADなら使えます!!!ご存知ですか、オートキャドって。
精密な図面を描くプログラムです!建築や機械の製図用の!

本部Kさん: ん・・・ まっ、大丈夫でしょう!


そうして、私は初めて、建築以外の仕事を始めることになりました。

このとき問題となったExcel は、その後使ってみると、
拍子抜けするほどシンプルだったわけですけれども・・・。


「創る」ことにかけては、建築設計も旅づくりも基本的に同じです。

これから、旅行会社のサイトで、建築をテーマに記事を書いていくことで、
今までパラレルにあった2つの経験が
大きくリンクする時期に入っているのかもしれません。

こうしたコラボレーションができるのが、
ウェブトラベルという企業のふところの深さだと感じます。

今後いったいどんな流れになるのか、私自身、
実はとっても楽しみなんです。

このサイトの話を持ちかけてくださったI会長とKさん、
制作の中心となってくださったIさん、
WEBデザイナーのOさんとYさん、ありがとうございました!

おかげさまで、無事、開設です。

特に制作の方々、ミーティング後のいくつもの細かい注文にもかかわらず、
素晴らしいサイトデザインに仕上げていただき、感謝しております。
「創る」こと続きですが、サイトづくりも、とっても楽しかったです。

では、建築紀行のサイト開設を祝して、
まずは乾杯といたしましょうか・・・

Alla salute (アッラ・サルーテ) !



※Alla salute: イタリアでは乾杯するときにいう言葉。原義は「健康を願って」。




↑学生のときから大切に持っている西洋建築史の本です。
最初のイタリア建築との出会いはここから始まりました。


菅澤 彰子(すげさわ あきこ/ イタリア在住)