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「イタリアは、食事が美味しいですよねぇ~」と
フィレンツェでⅠさんがしみじみと言った
まあ、ここまでは、多くの人が口にするセリフだ
ところが、Ⅰさんの話はさらに続いた
「美味しいなぁ・・・って思うんですけど、
こっちの人にとってみれば、これが普通なんですって?」
そのときには、一般論的なことを答えたのだけれど
しみじみと後になって考えてみても
「美味しいものを食べる」というのは
生活の基本中の基本のような気がする
「美味しいものを食べる」といっても
日本にいると「何か美味しいものでも食べに行こうよ」
・・・という感じになるのだけれど
イタリアだと「家で食べる」のが基本である
物価が高いとか不況だとか、そういうこと以前に
私たち家族は、自然と外食をしなくなった
なぜかというと、単純に
「家で食べたほうが美味しいから」だ
これは、家族全員一致の意見である
以前にMさんにレストランに招待されたときにも
あまり外食をしないことを話すと
「家でパスタこねたりもするんですか?」と聞かれた
「もちろん、やりますよ」と答えると
「へぇ~・・・、カッコいいなぁ」と言われた
ピッツァもよく作るし
モロッコ料理もしょっちゅうだ
何種類もの天然スパイスを調合して作る料理は
それはもう、楽しくって仕方がない!
色がいい、香りがいい、味がいい☆
先週モロッコのスーク(市場)から届いたばかりの
新鮮なハーブ&スパイスたちが
ウチの台所の特等席に並んでいる
たまにやるのではなく、これがほぼ私の日常だ
個人的には、イタリア料理よりはモロッコ料理に軍配をあげたい
どちらも地中海だから、基本的に材料は変わらない
冬場は日常的に、パンまで作っている!のだ(笑)
大切な人たちと美味しいものを食べるというのは
何をさておき、私の生活の真ん中にある
この美しき時間の持てる自分は
まだ幸せかもしれない
イタリアでも母親が懸命に料理をする光景は
過去のものになりつつある
女性の社会進出は、イタリアの食卓を変えていった
古き良きマンマ・イタリアーナの世代は
高齢化が進み、今や絶滅の危機に瀕している
「え?!だって、スローフードの国でしょ?」
と言う人がいるかもしれない
だがそもそも、イタリア生まれのスローフード活動は
食生活への危機感から生まれてきたものである
Ⅰさんが「イタリアは美味しくて・・・」と言った直後に
若者たちでごった返すファーストフード店を目にすると
こっちだって危機感を覚えずにいられない
はるばるイタリアまでやってきて
アメリカ資本のバーガー店でジャンク・フードを食べる
そういう日本人も少なくないのは残念なことだ
ごく若い、二十代の子が目立つ
「何でだろう?」と私は思う
美味しいものを食べることに幸せを感じているⅠさんたちと
イタリアまで来てバーガー店に入ってしまう子たち
どちらも、同じ日に、フィレンツェに居た
おい待てよ・・・! バーガー店の子たちだって
ハンバーガーを食べることに幸せを感じているのかもしれないぞ
そうだな、イタリア語のわけのわからんメニューから
選ぶ手間が省けるな、それに写真もついてるし、
待たなくていいし、、、ん?!
ただ私は、自分がエスコートしているのが
Ⅰさんたちで良かった・・・とホッとするのだ
その逆だったら、ちょっと怖いのだ
いや、無理だろう、と思うのだ
Ⅰさんたちは”エノテーカ(ワインの店)”へ寄って
ワインを試飲した経験が、とっても楽しかったようだ
ついでに「”パニーノ(パンにハムなどはさんだもの)”も」
ということになって、私と店員の細かいやりとりを聞きながら
「ああ、こうやって買い物するんですねぇ~・・」と感慨深げな様子
「ふふっ、楽しいでしょう?!」と私がにっこり笑うと
ふたりは大きくうなずいた
スーパーやコンビニで、無言でカゴに入れて
レジに運んで買うのとは大違いなのだ
まずパンを選んで、それからハムを選んで、チーズを選ぶ
材料たちは選ばれてから、スライスされたり、皮を落とされたりして
一連の見事な手さばきによって、特製オリジナル”パニーノ”が完成する
初めて見る人たちにとっては、それだけでもちょっとした驚きかもしれない
こういうのはまず、言葉ができないと無理である
コミュニケーションが大切だ
イタリア語で店は”ネゴーツィオ”というのだが
英語の”ネゴシエーション”と語源が同じだ
つまり、店とは「交渉する場所」なのである
買うつもりがないなら、店に入るのはよそう
入ったなら、まず店の人にきちんと挨拶しよう
そして、いいものを売ってくれるように立ち振る舞おう
Ⅰさんたちのは、すべてトスカーナ原産の材料による
”パニーノ・トスカーノ”が出来上がった
塩気の多いトスカーナの生ハム&
トスカーナ南部オルチャのペコリーノ(羊の乳でつくったチーズ)
という組み合わせである
ちなみに、イタリアではハンバーガーも”パニーノ”と言う
でも、スローな”パニーノ”には
やっぱりそれだけの価値がある
これに美味しい赤ワインがグラス一杯あれば
本当にあとは、何にもいらないのだ☆
*** あとがき ***
8時間の時差があるために
日本ではすでに日付が変わってしまっているけれど
イタリアの今日、3月8日は
Festa della Donna「女性の日」である
その起源については女性の権利をめぐるものらしい
男性が女性にミモザの花を贈る習慣がある
暖冬の年には、この時期とっくに終わってしまうこともあるが
今年のミモザはトスカーナでは今がちょうど満開、華々しく咲き誇っている
その色からして、青い空によく映える
by Akiko Sugesawa 菅澤 彰子 ↑これは今日、2009年3月8日の写真である
いまや、女性が多くの権利を得て
社会に大きく進出したからといって
必ずしも誰もが幸せになっているわけではない
有名になって仕事も順調で収入もいっぱいあって・・・
傍目(はため)には成功しているように見える彼女たちが
崩れてしまうのはいったい何故なんだろう?
今回の記事は、そういう疑問から
書き始めたものである
この「女性の日」は
女性たちがお互いに励ます日でもある
私のところにも朝早く
町一番の仲良しから携帯にメッセージが届いた
ミモザの花を女性に例えた詩である
まず、その色は太陽のようであると形容し
多くの小さな部分によって形成されたフォルムに着目している
シンプルでありながら
その存在はユニーク(オンリー・ワン)だ、と詠う
私はこうしてまた友に、元気と勇気をもらった☆
・・・すると、食卓のミモザが
まるで光の粒つぶのように輝いてきた!☆
by Akiko Sugesawa 菅澤 彰子
>>他のイタリア関連記事を読む >>メールを送る >>著者プロフィール
2009-03-09
3月8日は女性の日☆トスカーナではミモザが満開
「イタリアは、食事が美味しいですよねぇ~」と
フィレンツェでⅠさんがしみじみと言った
まあ、ここまでは、多くの人が口にするセリフだ
ところが、Ⅰさんの話はさらに続いた
「美味しいなぁ・・・って思うんですけど、
こっちの人にとってみれば、これが普通なんですって?」
そのときには、一般論的なことを答えたのだけれど
しみじみと後になって考えてみても
「美味しいものを食べる」というのは
生活の基本中の基本のような気がする
「美味しいものを食べる」といっても
日本にいると「何か美味しいものでも食べに行こうよ」
・・・という感じになるのだけれど
イタリアだと「家で食べる」のが基本である
物価が高いとか不況だとか、そういうこと以前に
私たち家族は、自然と外食をしなくなった
なぜかというと、単純に
「家で食べたほうが美味しいから」だ
これは、家族全員一致の意見である
以前にMさんにレストランに招待されたときにも
あまり外食をしないことを話すと
「家でパスタこねたりもするんですか?」と聞かれた
「もちろん、やりますよ」と答えると
「へぇ~・・・、カッコいいなぁ」と言われた
ピッツァもよく作るし
モロッコ料理もしょっちゅうだ
何種類もの天然スパイスを調合して作る料理は
それはもう、楽しくって仕方がない!
色がいい、香りがいい、味がいい☆
先週モロッコのスーク(市場)から届いたばかりの
新鮮なハーブ&スパイスたちが
ウチの台所の特等席に並んでいる
たまにやるのではなく、これがほぼ私の日常だ
個人的には、イタリア料理よりはモロッコ料理に軍配をあげたい
どちらも地中海だから、基本的に材料は変わらない
冬場は日常的に、パンまで作っている!のだ(笑)
大切な人たちと美味しいものを食べるというのは
何をさておき、私の生活の真ん中にある
この美しき時間の持てる自分は
まだ幸せかもしれない
イタリアでも母親が懸命に料理をする光景は
過去のものになりつつある
女性の社会進出は、イタリアの食卓を変えていった
古き良きマンマ・イタリアーナの世代は
高齢化が進み、今や絶滅の危機に瀕している
「え?!だって、スローフードの国でしょ?」
と言う人がいるかもしれない
だがそもそも、イタリア生まれのスローフード活動は
食生活への危機感から生まれてきたものである
Ⅰさんが「イタリアは美味しくて・・・」と言った直後に
若者たちでごった返すファーストフード店を目にすると
こっちだって危機感を覚えずにいられない
はるばるイタリアまでやってきて
アメリカ資本のバーガー店でジャンク・フードを食べる
そういう日本人も少なくないのは残念なことだ
ごく若い、二十代の子が目立つ
「何でだろう?」と私は思う
美味しいものを食べることに幸せを感じているⅠさんたちと
イタリアまで来てバーガー店に入ってしまう子たち
どちらも、同じ日に、フィレンツェに居た
おい待てよ・・・! バーガー店の子たちだって
ハンバーガーを食べることに幸せを感じているのかもしれないぞ
そうだな、イタリア語のわけのわからんメニューから
選ぶ手間が省けるな、それに写真もついてるし、
待たなくていいし、、、ん?!
ただ私は、自分がエスコートしているのが
Ⅰさんたちで良かった・・・とホッとするのだ
その逆だったら、ちょっと怖いのだ
いや、無理だろう、と思うのだ
Ⅰさんたちは”エノテーカ(ワインの店)”へ寄って
ワインを試飲した経験が、とっても楽しかったようだ
ついでに「”パニーノ(パンにハムなどはさんだもの)”も」
ということになって、私と店員の細かいやりとりを聞きながら
「ああ、こうやって買い物するんですねぇ~・・」と感慨深げな様子
「ふふっ、楽しいでしょう?!」と私がにっこり笑うと
ふたりは大きくうなずいた
スーパーやコンビニで、無言でカゴに入れて
レジに運んで買うのとは大違いなのだ
まずパンを選んで、それからハムを選んで、チーズを選ぶ
材料たちは選ばれてから、スライスされたり、皮を落とされたりして
一連の見事な手さばきによって、特製オリジナル”パニーノ”が完成する
初めて見る人たちにとっては、それだけでもちょっとした驚きかもしれない
こういうのはまず、言葉ができないと無理である
コミュニケーションが大切だ
イタリア語で店は”ネゴーツィオ”というのだが
英語の”ネゴシエーション”と語源が同じだ
つまり、店とは「交渉する場所」なのである
買うつもりがないなら、店に入るのはよそう
入ったなら、まず店の人にきちんと挨拶しよう
そして、いいものを売ってくれるように立ち振る舞おう
Ⅰさんたちのは、すべてトスカーナ原産の材料による
”パニーノ・トスカーノ”が出来上がった
塩気の多いトスカーナの生ハム&
トスカーナ南部オルチャのペコリーノ(羊の乳でつくったチーズ)
という組み合わせである
ちなみに、イタリアではハンバーガーも”パニーノ”と言う
でも、スローな”パニーノ”には
やっぱりそれだけの価値がある
これに美味しい赤ワインがグラス一杯あれば
本当にあとは、何にもいらないのだ☆
*** あとがき ***
8時間の時差があるために
日本ではすでに日付が変わってしまっているけれど
イタリアの今日、3月8日は
Festa della Donna「女性の日」である
その起源については女性の権利をめぐるものらしい
男性が女性にミモザの花を贈る習慣がある
暖冬の年には、この時期とっくに終わってしまうこともあるが
今年のミモザはトスカーナでは今がちょうど満開、華々しく咲き誇っている
その色からして、青い空によく映える
by Akiko Sugesawa 菅澤 彰子 ↑これは今日、2009年3月8日の写真である
いまや、女性が多くの権利を得て
社会に大きく進出したからといって
必ずしも誰もが幸せになっているわけではない
有名になって仕事も順調で収入もいっぱいあって・・・
傍目(はため)には成功しているように見える彼女たちが
崩れてしまうのはいったい何故なんだろう?
今回の記事は、そういう疑問から
書き始めたものである
この「女性の日」は
女性たちがお互いに励ます日でもある
私のところにも朝早く
町一番の仲良しから携帯にメッセージが届いた
ミモザの花を女性に例えた詩である
まず、その色は太陽のようであると形容し
多くの小さな部分によって形成されたフォルムに着目している
シンプルでありながら
その存在はユニーク(オンリー・ワン)だ、と詠う
私はこうしてまた友に、元気と勇気をもらった☆
・・・すると、食卓のミモザが
まるで光の粒つぶのように輝いてきた!☆
by Akiko Sugesawa 菅澤 彰子
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