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2011-09-22
バターリャの修道院
リスボンの北120キロメートルの地点にあるバターリャの修道院を見学しました。正式名称は勝利のマリア修道院。外観は荘厳なゴシック様式。
バターリャとは、「戦い」という意味で、カスティーリャ軍との戦勝を記念して、ポルトガル王のジョアン1世が建設を命じたものです。
奥の王の回廊は、レース編みのような彫刻装飾が繊細で、とても綺麗でした。ジェロニモス修道院と同じ彫刻家の作品だそうで、となるとマヌエル様式、、ゴシック&マヌエル様式のコラボなのですね。
中で追加料金を払って、ジョアン1世の回廊も見てきました。無名戦士の墓があり、軍服を着た人が警備をしていました。小さな街で、周りは草原地帯なのに、ここだけ何だか物々しい感じです。
また、修道院内部は割と暗くて、その分、ステンドグラスからの光が印象的でした。
その日のランチは海辺の町・ナザレで頂きました。断崖絶壁の近くに築かれた白い家々。とても開放感のあるリゾート地でした。
名物のイワシの炭焼きを食べた後、細い路地の中に入り、漁民の白い住居が連なる地区を散策しました。昼下がり、男性はいなくて、ここの伝統衣装を着たおばちゃん達が、所々で井戸端会議をしていました。
伝統衣装の、7枚重ねのスカートがとても可愛いくて、おばちゃん達に目が釘付けでした(笑)。黒系のスカートの方は、未亡人なんだそうです。
夕方、バターリャから近いファティマに立ち寄りました。1917年にマリア様出現の奇跡が起きた教会で、その規模にびっくり!
周りには沢山の宗教グッズを売るお店が連なり、またロウ人形館などもあって、一大観光地といった感じでした。泉が湧き出している所には、容器を持った人々が行列していて、8年ほど前に訪れた南西フランスのルルドを思い起こさせます。16時半からのミサに参加させてもらって、17時半にリスボンへの帰路につきました。
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バターリャとは、「戦い」という意味で、カスティーリャ軍との戦勝を記念して、ポルトガル王のジョアン1世が建設を命じたものです。
奥の王の回廊は、レース編みのような彫刻装飾が繊細で、とても綺麗でした。ジェロニモス修道院と同じ彫刻家の作品だそうで、となるとマヌエル様式、、ゴシック&マヌエル様式のコラボなのですね。
中で追加料金を払って、ジョアン1世の回廊も見てきました。無名戦士の墓があり、軍服を着た人が警備をしていました。小さな街で、周りは草原地帯なのに、ここだけ何だか物々しい感じです。
また、修道院内部は割と暗くて、その分、ステンドグラスからの光が印象的でした。
その日のランチは海辺の町・ナザレで頂きました。断崖絶壁の近くに築かれた白い家々。とても開放感のあるリゾート地でした。
名物のイワシの炭焼きを食べた後、細い路地の中に入り、漁民の白い住居が連なる地区を散策しました。昼下がり、男性はいなくて、ここの伝統衣装を着たおばちゃん達が、所々で井戸端会議をしていました。
伝統衣装の、7枚重ねのスカートがとても可愛いくて、おばちゃん達に目が釘付けでした(笑)。黒系のスカートの方は、未亡人なんだそうです。
夕方、バターリャから近いファティマに立ち寄りました。1917年にマリア様出現の奇跡が起きた教会で、その規模にびっくり!
周りには沢山の宗教グッズを売るお店が連なり、またロウ人形館などもあって、一大観光地といった感じでした。泉が湧き出している所には、容器を持った人々が行列していて、8年ほど前に訪れた南西フランスのルルドを思い起こさせます。16時半からのミサに参加させてもらって、17時半にリスボンへの帰路につきました。
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