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2008-12-29
Mt7 旅の終わりは“スリーシティ・ボートクルーズ”
我々夫婦は、昼食を済ませ、ヴァレッタ側の内海の桟橋へと降りていきました。手こぎオールと日本製YAMAHAのエンジンが船尾についた、やや大きめのボートに乗り込みました。
ヴァレッタの内海
船頭さんは白髭を蓄えた年輩の漁師さんです。笑顔でしたが、一艘に5人までとの条件付きでビシッと指図、舳先から着席を命じられました。
今は冬、漁のシーズンオフなので、アルバイトがてら湾内クルーズの案内をしているというわけです。
ヴァレッタの桟橋
我々夫婦は、ボートに着席し、わくわくして出航を待っていました。ミニクルーズ好きで、以前から興味があり、イタリアのカプリ島やマルタのゴゾ島でもボートクルーズを楽しみましたが、今回は若干乗船時間が長いとのことで、少し緊張感がありました。
スリーシティーズヘ
いよいよボートが走り出し、内海でしたが大きく揺れはじめの、一瞬のドキドキ感は、救命胴衣を着けていない分、少し怖い感じがします。
スリーシティーズの内海
10分後くらい過ぎたでしょうか、内海の端から端まで遊覧した我々の乗ったボートはスリーシティーズの湾内にゆっくりと滑るように入って行きました。
スリーシティーズと呼ばれる3つの都市の、ビットリオーザ、セングレア、コスピークワは、古くからの歴史があり、コットネラ・ラインという城壁で囲まれ、ヴァレッタの街が築かれるまではマルタ島の防衛の要であったそうです。
スリーシティーズの湾内
ボートから岸壁に上がり、現在のスリーシティーズの街を歩きましたが、左右を見渡すと、ヨーロッパ風でモダンな印象があります。
黄褐色の石塀が連なる中世時代の街並みも残り、八角形のマルタ十字軍の紋章があちらこちらに散見し、高級な住宅地となっています。
スリーシティーズの岸壁
我々夫婦のマルタの旅は、まもなく終わろうとしておりますが、ボート・クルーズとスリーシティーズの散策で感じたことは、マルタ島の聖ヨハネ騎士団の精神が、今だこの地に息づいているという歴史の重みでした。(完)
マルタ騎士団・探訪ツアーのお問い合わせはこちらまで
ヴァレッタの内海
船頭さんは白髭を蓄えた年輩の漁師さんです。笑顔でしたが、一艘に5人までとの条件付きでビシッと指図、舳先から着席を命じられました。
今は冬、漁のシーズンオフなので、アルバイトがてら湾内クルーズの案内をしているというわけです。
ヴァレッタの桟橋
我々夫婦は、ボートに着席し、わくわくして出航を待っていました。ミニクルーズ好きで、以前から興味があり、イタリアのカプリ島やマルタのゴゾ島でもボートクルーズを楽しみましたが、今回は若干乗船時間が長いとのことで、少し緊張感がありました。
スリーシティーズヘ
いよいよボートが走り出し、内海でしたが大きく揺れはじめの、一瞬のドキドキ感は、救命胴衣を着けていない分、少し怖い感じがします。
スリーシティーズの内海
10分後くらい過ぎたでしょうか、内海の端から端まで遊覧した我々の乗ったボートはスリーシティーズの湾内にゆっくりと滑るように入って行きました。
スリーシティーズと呼ばれる3つの都市の、ビットリオーザ、セングレア、コスピークワは、古くからの歴史があり、コットネラ・ラインという城壁で囲まれ、ヴァレッタの街が築かれるまではマルタ島の防衛の要であったそうです。
スリーシティーズの湾内
ボートから岸壁に上がり、現在のスリーシティーズの街を歩きましたが、左右を見渡すと、ヨーロッパ風でモダンな印象があります。
黄褐色の石塀が連なる中世時代の街並みも残り、八角形のマルタ十字軍の紋章があちらこちらに散見し、高級な住宅地となっています。
スリーシティーズの岸壁
我々夫婦のマルタの旅は、まもなく終わろうとしておりますが、ボート・クルーズとスリーシティーズの散策で感じたことは、マルタ島の聖ヨハネ騎士団の精神が、今だこの地に息づいているという歴史の重みでした。(完)
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聖ヨハネ騎士団の島マルタ
21:30
komiya
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