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2008-05-04
Ma20 KK 北ボルネオ鉄道
東京ぶんぶん ’06,11,25 ボルネオ島サバ州には北ボルネオ鉄道が走っている。観光用の蒸気機関車で、毎週水曜日と土曜日の週2回のみ運行し、午前10時きっかりに、KKタンジュンアル駅を出発する。KKとはコタキナバルの略称、KLはクアラルンプールの略称である。マレーシアでは両都市名が長いためKL、KKと呼ぶ事が習わしになっている。
一昨年の秋の連休明けに、ぼくは姪のマリと二人で、6泊8日のボルネオ個人旅行に出かけた。ボルネオ島サバ州の州都コタキナバルを起点に、前半の4日間は、ゾウやサイなどの野生動物を見にダヌンバレー特別自然保護区に行く予定である。航空便接続の関係で、KKに深夜に到着したために、空港の近くのホテルに宿泊し、翌朝早く、ダヌンバレーに飛んだ。夜中に到着した時点では気づかなかったが、早朝ホテルを出発する時に、ロビーには、早々とクリスマスのデスプレイが飾られていた。
コタキナバルに戻ってからの後半4日間は、KK郊外のトゥアランの先、バンダイ・ダリットにあるシャングリラ・ラサリアリゾートに泊まった。ここでは、オランウータンの森を訪ねたり、浜辺でリラックスしたり、北ボルネオ鉄道ツアーを楽しんだりするスケジュールである。
11月21日。朝8時、北ボルネオ鉄道ツァーガイドのヤンさんが、ホテルに迎えに来た。ぼく達は日帰りの予定でラサリア・リゾートを出発。KKタンジュンアルまでワゴン車で50分余り走った。駅のプラットホームの先端まで行くと、古びた、だが手入れのよさそうな蒸気機関車が止まっていた。
KKから出発する北ボルネオ観光鉄道ツアーは、往路の途中の中国寺院での15分の休憩と、パパールで折り返す時点での30分の休憩を入れて、3時間を掛けて楽しむ小旅行である。途中の中国寺院では、東南アジアではよく見かける道教寺院にある何体もの派手な塑像が並んでいた。
中国寺院の村からさらにパパールの街まで約30分。ようやくパパールの街に着くとアメリカ人、イギリス人らの観光客は、時間が足りないせいか、我先にバザールに飛んでいった。ぼく達は、別に買うものはないし、ジャランジャランしに市場の端から端まで行こう、と歩き始めた。すると懐かしいケンタキー小父さんを見つけ、おどけて写真を撮ったりして時間をつぶした。
復路便の出発時刻になり、ピーッと汽笛が鳴ると、乗客のカウントもなく、お構いなしに列車が動き出した。日本のツアーでは考えられないけれども、個人責任重視の欧米では当たり前の習慣である。
さて、この鉄道旅行の後半のお楽しみは、社内でのアルミ3段弁当である。上段は、鳥の唐揚げとサラダ。中段は白いご飯と黄色のサフラン・ライスが半々、下段にはデザートの果物とチョコレートが入っている。若い女性の車掌さんが、飲み物のオーダーを取りに来た。マリはコーク、ぼくはミネラルウーターを頼み、8リンギット払った。ちょっと高いかな。
午後1時過ぎに、ぼく達の乗った列車は丘を越え、山の中腹をくねくねと通り、トンネルを抜けて、最後の車窓を楽しんだ後、KKタンジュンアル駅に到着した。乗客達は名残惜しげに写真を撮ったりしながら、三々五々帰っていった。ぼく達も迎えのワゴン車に乗り込み、ホテルへと向かった。北ボルネオ鉄道ツアーは、何事もなくあっけなく終わってしまった。(続)
マレーシアエコツアーのお問い合わせはこちらまで
一昨年の秋の連休明けに、ぼくは姪のマリと二人で、6泊8日のボルネオ個人旅行に出かけた。ボルネオ島サバ州の州都コタキナバルを起点に、前半の4日間は、ゾウやサイなどの野生動物を見にダヌンバレー特別自然保護区に行く予定である。航空便接続の関係で、KKに深夜に到着したために、空港の近くのホテルに宿泊し、翌朝早く、ダヌンバレーに飛んだ。夜中に到着した時点では気づかなかったが、早朝ホテルを出発する時に、ロビーには、早々とクリスマスのデスプレイが飾られていた。
コタキナバルに戻ってからの後半4日間は、KK郊外のトゥアランの先、バンダイ・ダリットにあるシャングリラ・ラサリアリゾートに泊まった。ここでは、オランウータンの森を訪ねたり、浜辺でリラックスしたり、北ボルネオ鉄道ツアーを楽しんだりするスケジュールである。
11月21日。朝8時、北ボルネオ鉄道ツァーガイドのヤンさんが、ホテルに迎えに来た。ぼく達は日帰りの予定でラサリア・リゾートを出発。KKタンジュンアルまでワゴン車で50分余り走った。駅のプラットホームの先端まで行くと、古びた、だが手入れのよさそうな蒸気機関車が止まっていた。
KKから出発する北ボルネオ観光鉄道ツアーは、往路の途中の中国寺院での15分の休憩と、パパールで折り返す時点での30分の休憩を入れて、3時間を掛けて楽しむ小旅行である。途中の中国寺院では、東南アジアではよく見かける道教寺院にある何体もの派手な塑像が並んでいた。
中国寺院の村からさらにパパールの街まで約30分。ようやくパパールの街に着くとアメリカ人、イギリス人らの観光客は、時間が足りないせいか、我先にバザールに飛んでいった。ぼく達は、別に買うものはないし、ジャランジャランしに市場の端から端まで行こう、と歩き始めた。すると懐かしいケンタキー小父さんを見つけ、おどけて写真を撮ったりして時間をつぶした。
復路便の出発時刻になり、ピーッと汽笛が鳴ると、乗客のカウントもなく、お構いなしに列車が動き出した。日本のツアーでは考えられないけれども、個人責任重視の欧米では当たり前の習慣である。
さて、この鉄道旅行の後半のお楽しみは、社内でのアルミ3段弁当である。上段は、鳥の唐揚げとサラダ。中段は白いご飯と黄色のサフラン・ライスが半々、下段にはデザートの果物とチョコレートが入っている。若い女性の車掌さんが、飲み物のオーダーを取りに来た。マリはコーク、ぼくはミネラルウーターを頼み、8リンギット払った。ちょっと高いかな。
午後1時過ぎに、ぼく達の乗った列車は丘を越え、山の中腹をくねくねと通り、トンネルを抜けて、最後の車窓を楽しんだ後、KKタンジュンアル駅に到着した。乗客達は名残惜しげに写真を撮ったりしながら、三々五々帰っていった。ぼく達も迎えのワゴン車に乗り込み、ホテルへと向かった。北ボルネオ鉄道ツアーは、何事もなくあっけなく終わってしまった。(続)
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