2008-05-14

Mu14 階段ピラミッド サッカラ

我々夫婦はその日の午後、ルクソールから飛行機に乗り、振り出しのカイロに戻り、メンフィスの博物館とサッカラの階段ピラミッドを見に行きました。博物館の敷地の中は、適度の広さで、あちこちに歴代王の立像彫刻や、小振りなスフィンクス等がおかれています。

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やはり、砂漠が近いからでしょうか、あたりは細かい砂と埃で白っぽく乾燥が進んでいます。一方、博物館の中にはいると一変して薄暗く、冷房が効いている所為か湿っぽい感じがします。多分、空気清浄器で、湿度を調節しているからかも知れません。

博物館のメインの展示物は横たわるラメセス2世像です。ドアから入った一瞬は、壁か何なのかわかりませんでしたが、2階に上がって、全体を見ると、あーなるほどね。という感じです。

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我々夫婦は横たわるラメセス2世の左右の耳の横で、同時に手を振っています。今考えると何をしていたのか、誰に写真を撮ってもらったのか覚えていませんが、貴重なワンショットです。

次ぎに、我々が向かったのは、かの有名な、サッカラの階段ピラミッドです。そこに入るには厳重な門があり、警備の警官がいたり、料金徴収の係員がいたり、中には入場が断られる観光客もいるそうです。ガイドのムスタファの説明によれば、墓泥棒が日中からあちこちを掘り返し、財宝が持ち去られるという笑えない話があったそうです。

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冗談で、ムスタファが私を墓泥棒でーす、と警官に突き出そうとしました。そこで、私もこのエジプト人こそ墓泥棒です。とじゃれ合っているわけです。今考えると、かなり暑い中、元気に研修を続け、ガイドのムスタファとも英語で、日本語だったかな?冗談を言い合える中になったというわけです。



次ぎに向かったのは、盗掘の痕です。かなり大規模に掘り返されており、多分、暑い日中ではなく、夜の涼しい真夜中に、労働していたのだと思われます。



アレがかの有名な階段ピラミッドです。と、私が指を指している所ですが、何か写真だけ見るとばかげて見えませんか?そうです。暑さでバカになっていたのです。ワンパターンのポーズで、今思うとかなり、同じポーズばかりですね。研修旅行も最後となり、元気そうに見えても、頭の中は???ということです。



その点、我が女房殿は沈着冷静、階段ピラミッドの仰角に腕を広げ、遠近法で写真を撮ると良い記念写真になる?とか何とか言って、澄まし顔でした。女性は暑さ寒さに強く、人類の源であることがよく分かりました。

我々夫婦は、太陽が西に沈む頃にカイロの街に戻りました。明日の飛行機で日本に戻りますが、今回の研修旅行で、いろいろと学ぶことも多かったなと思います。

旅も最終章に近づき、まだまだ名残惜しく、エジプトをもっと良く知りたい。アレキサンドリアに行きたい。スエズ運河も見たい。見たいことやりたいことだらけですが、ものには限りがあります。

それは次回のお楽しみということで、最後のイベント今夜のお楽しみは、ナイル川クルーズと豪華、船中ブッフェ、刺激的なベリーダンスのショウタイムでした。(完)

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2008-05-13

Mu13 死者の国 テーベ

我々夫婦はルクソールを朝から夜中まで堪能した翌日、早朝からナイル川東岸から船に乗り、西岸の死者の国テーベへと向かいました。何故東岸を生者の国、西岸を死者の国というのでしょうか。その答えは、ガイドのムスタファが教えてくれました。

東岸のルクソールは現在でも人々が生活し、生きている人たちの場所。西岸のテーベは、王家の墓を始め歴史上の過去の遺物ばかりの場所。つまり死者の国というわけです。

ます我々が向かったのは、かの有名な、ツタンカーメン王の墓。そこは歴代の王や女王達が眠る王家の谷でした。ツタンカーメン王の墓は何もなく、全ての財宝はカイロの博物館に行ってしまったそうです。次ぎに訪れたのがトトメス3世、ラメセス3世の墓。最後は、ネフェルタリの墓でした。中は美しく修復されており、写真を撮るのは有料だということでしたが、せっかくなので、1枚だけとりました。

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次ぎに向かったのは、ハトシェプスト女王の葬祭殿です。ここは数年前、テロリストが欧米の観光客に対し、無差別に機関銃を乱射し、数人の犠牲者がでたところです。ガイドが指を刺す先には、今だに血糊の後がうっすらと壁に付いています。遠目に見ると美しい建造物ですが、近くで見ると、死者の国そのものと言うわけです。

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帰り道の途中に、丘の上にへばりつくように色彩の豊かな家が並んでいます。クルナ村という、その昔、墓泥棒が住んでいた村だそうです。今は、民芸品を作ったり、ファラオ時代の模造品を作ったり、お土産用の小物を売ったりして、生活しているのだそうです。死者の国では生きていくのも一苦労だということです。

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テーベ西岸の最後の観光は、メムノンの巨像でした。それはサトウキビ畑の真ん中に巨大な座像が2体、ポツンと座っています。遠目で見ると、コミックに出て来る宇宙戦士ガンダムそっくりです。それも戦いに敗れ、ガタガタに壊れてしまったその姿は、見るも無惨でした。特に右側の巨像は破壊がひどく、なんなのかわかりません。

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それに対して、左側の巨像は、少しはましに見えますが、仮面ライダーのような顔で正面を向いて座っています。

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このメムノンの巨像は、昨日見たルクソール神殿のスケールをさらに大きくした巨大神殿の中に合ったそうです。大きさだけでいえば、あのカルナック神殿よりもさらに大きかったという考古学者もいるほどです。

我々は、太陽が真上に上がる昼前に、テーベ西岸観光を終え、昼食を取りにルクソールに戻りました。ナイル川は水が滔々と流れ、観光船が、西岸と、東岸の間を行ったり来たりしています。昼食後には、飛行機に乗り、メンフィスの博物館とサッカーラの階段ピラミッドを見に行く予定です。

旅も半ばを過ぎ疲労がたまり、足も痛くなりましたが、研修旅行ですので、弱音は吐けません。さあ、もうひと頑張りです。我々はバスに乗り、ルクソール空港へと向かいました。(続)

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2008-05-12

Mu12 生者の国 ルクソール

我々夫婦は翌日、ルクソール市内につくやいなや、ルクソール神殿を見学に行きました。このあたりでは珍しく1本道が真っ直ぐに続き、目抜き通りの先にスフィンクス参道が見えています。左右には、小さなスフィンクス像がずらりと並び、人通りもかなりあります。ルクソール東岸の観光は、小振りなスフィンクス像が数多く並ぶスフィンクス参道から始まります。

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次ぎに目立つのは、その立ち姿が美しいオベリスクです。最初は世界的に有名なフランスの凱旋門と並ぶパリの象徴であるオベリスクと対に立っていたのですが、ガイドの説明によるとあの有名な片方のオベリスクは、ナポレオンがエジプト遠征の帰り際に気に入って、パリに持ち帰ったのだそうです。その時の残りの1本が立っているわけです。

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ラメセス2世の座像が2体ある第1ピュロン(塔門)を過ぎると左側にはアブ・ハラ・ハジャージ・モスクがあり、その先には広々としたラメセス2世の中庭にでます。こちらでは、ルクソール最大のイベントで、マウリド祭を実施するそうですが、見学するのも一苦労だということです。

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その奥には巨大な大列柱回廊が続いています。この遺跡を訪れるのは、日中は死ぬほど暑い為に、体力の消耗が激しく、めまいがするほどです。従って、日中の観光客は少なく、気温の下がり始める夕方になると、徐々に増え始め、ライトアップされた円柱が夕暮れ時の夕日に赤くてらされて信じられない程の美しさになる頃には、観光客が増えてくるわけです。

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柱の彫刻などを堪能した後、ルクソール神殿からカルナック神殿の方に向かいます。カルナックは昔から古代エジプト人の間で、イペテシュト(完全なる土地)の名で知られていました。現在は廃墟になっていても、その佇まいは当時を偲ぶには余りあるほど壮麗な感じです。

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カルナック神殿の中庭中央には、パピルスをかたどった円柱が1本立っています。これは、ラメセス2世の600年ほど後に、登場したヌビア人のファラオ、タハルカ王が立て、唯一残ったものです。

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そのあと、ムト神殿に向かいましたが、暑さと疲れとで、いい加減にグッタリして来ました。そこで無理をせず、一旦、ホテルに戻ることにしました。しばらくの間、ホテルの部屋で休憩し、夕食の後、充分気温が下がるのを待ちます。夜中の9時半から、カルナック神殿の「音と光のショー」を見に外出することになりますので、早く太陽がナイル川西岸に沈み、気温が下がってくれるのを祈るばかりです。(続)

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2008-05-11

Mu11 ファルーカ船 アスワン

我々夫婦を含めた研修旅行の一行はアブ・シンベル神殿を後にし、その日の午後にはアスワンに戻ってきました。またまた、当時のエジプト航空の話ですが、国内線のB737は、当時中古機を使用しており、座席には穴があいていたり、天井がはがれていたり、これで日本なら当然、ニュースや旅客クレームになっていたと思えるほどでした。

さらに、エコノミークラスの後部座席だったため、後方のトイレに近く、臭気が漂ってくるのにも閉口しました。でも、まあ、実費だけの優待研修旅行なので、文句は言えませんが。・・・

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アスワン空港に到着するとすぐに、我々一行を乗せたバスは、アスワン・ハイ・ダムに向かいました。これまた巨大な建造物で、ナセル湖を見下ろすと、目が回りそうです。

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ダムの横から川が始まっていて、そこの出口で水しぶきが大きくはじけ、すごい勢いで水がうねりながら流れ始めています。そこで、写真休憩を取り、その後、アスワンの市街に向かいました。街に着くと、コルニーシュ通りヤスーク通りをとおり、オールド・カタラクト・ホテルに入りました。そこは昔からの殆ど遺産とも言えるような歴史のあるホテルということです。

オールド・カタラクト・ホテルの先にはヌビア博物館があり、ナセル湖に水没したヌビアの人々の歴史を語る多くの文化財が掲示されています。その近くには、ヌビアン・ハウスがあり、そのテラスから灼熱の太陽にさらされたナイル河畔の景色を眺めるのは格別なものがあります。

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博物館の横には、未完のオベリスクがあり、切り出される途中の形がそのまま何千年の風雨にさらされたまま横たわっています。

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ナイル川の川辺に行くと涼しい風が吹いています。我々は幾つかの班に分かれてファルーカ船に乗り込み、夕涼みをしながら、夕焼けを見るという趣向のようです。

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ファルーカ船の船長さんは、ヌビア人で、観光客慣れしており、愛想も良く、日本語も、こんにちは、おはようございます、愛してます、サヨナラ、などと片言で話しかけてきます。人なつっこい感じの笑顔でいわれると、まんざらでもないらしく、若い女性の参加者は思わず、顔を赤らめたりしています。

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コルニーシュ通りから川縁に降りていき、我々はファルーカ船に乗りました。1時間ばかり川風にあたり、川遊びをした後、今晩の宿泊ホテルに向かいます。時間があれば、中の島にあるイシス神殿を見たいのですが、今日はこれで時間切れです。

そんなこんなで、今晩もエジプト名物料理に舌鼓を打つ事ができそうです。何がでてくるのかな、と期待と不安に心を躍らせながらホテルでシャワーを浴びました。サッパリとして、着替えを済ませ、時間までテラスでナイル川を眺めていました。(続)

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2008-05-10

Mu10 エジプト最大の彫刻 アブ・シンベル

我々夫婦はピラミッド遺跡を研修した翌日、早朝にカイロを出発アスワンを経由し、アブシンベル空港に向かいました。エジプト航空の国内線はB737で、当然エコノミークラスのため、ピッチが狭く、長い足を縮めて乗っていました。国際線では、眠れない厳しい状況でしたが、国内線も引き続き、難行苦行の連続でした。

アスワンを飛び立つと間もなく眼下に、ナセル湖が広がってきました。いよいよアブシンベル神殿の表玄関アブシンベル空港に向かって降下しました。空港からバスに乗り、10分、そこは灼熱の太陽にさらされた永遠の神殿でした。大きなラメセス2世が4体も湖の南を睨んで座っています。ガイドのムスタファさんの説明によると、何でも南からの蛮族をにらみつけ、ここから北はエジプトだから、人っ子一人も通さないぞ!と睨んでいるのだそうです。

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ナイル川の西岸の山腹に刻まれたこの遺跡は、実はナセル湖のできる前には少し南の谷の下にあったのだそうです。ナセル湖の水没から逃れるためにユネスコ世界遺産がプロジェクトを組み、莫大な資金をかけて、現在の高台の地点に移築したというわけです。

アブシンベルに行くには通常、我々夫婦のように、空路でアスワンから入るルートと、その他には陸路を延々5時間も掛けて4WDで走ってくる方法もあるのですが、・・・炎天下に砂漠の中を走っている自分を想像しただけでもウンザリしてしまいます。

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そんなこんなで、ようやくアブシンベル神殿のラメセス2世像を間近で見上げているわけですが、まあ、その大きいこと、エジプト最大の彫刻だそうです。エジプトの遺跡はピラミッドを初め何もかも大きいので、見上げているだけで、暑さと疲労で、喉が乾いてくるような気がします。

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そのあと、ラメセス2世の王妃ネフェルタリに敬意を表し作られたというハトホル神殿を見に行きました。神殿の外は炎熱地獄のようでも、中は涼しいクーラーの利いた宮殿の中のようで快適です。なんとか元気を取り戻し、いよいよ見学の2時間が過ぎました。「集合写真を撮るので、集まってください」と、幹事さんから声がかかりました。

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アブシンベル遺跡に戻る為に急いで、ハトホル神殿から外に出ました。中の快適空間から強い日差しの中にでていくと、目が回りそうです。ガイドのムスタファさんが遠くから、手を振って、おいでおいでとジェスチャーしています。

集合写真を撮り終えた空港までのバスの中で、「すごかったね!」の声があちこちからでました。「来た甲斐があったね」とみんなで頷き合い、「今日も勉強になったね」の言葉に、「またですか」と笑い声が広がりました。

振り返ると、砂漠の中にアブシンベル神殿が浮かんでいます。我々夫婦を含め、研修旅行一行は、新たな感動を胸に、これから飛行機で、アスワンに向かいます。(続)

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2008-05-09

Mu9 ピラミッド遺跡 カイロ

我々夫婦はバンコク、デリーを経由し、ようやくエジプトの首都カイロに到着しました。その頃のエジプト航空はまだ東京からの直行便がなかったため、夜行便の上に、2回もストップオーバーするのです。今の直行便では考えられない、難行苦行の連続でした。

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エジプトへの憧れは以前からあったのですが、現実的に高い旅行代金を払ってまでは、行く気はしないなあ、程度でした。そこに、なんと幸運が舞い込んだのです。エジプト政府観光局とエジプト航空から、「航空・旅行業務関係者へのエジプト研修旅行」のお誘いが来てしまったのです。

半年前にヨルダン、ペトラ遺跡にいったばかりでしたので、職場では、また海外遺跡かよ!と嫌味をいわれても、どこ吹く風で、言い訳もせず、エイヤッ、ごめん!と、長い年休を取得し、飛び出してきてしまったのでした。

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そんなこんなで、エジプトの初日は疲労が残り、朝の内は元気でしたが、カイロ博物館に着いた頃は、暑さと疲労と二日酔いで、ふらふらになり、バチが当たったように座り込んでしまいました。

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そのあとに、涼しいクーラーの利いたレストランに入り、昼食を食べて一息つくと、なんとか元気を取り戻し、いよいよピラミッド・スフィンクスの遺跡観光です。

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遺跡に近づき、一番驚き印象に残ったのは、ピラミッドを構成している石が考えていたより巨大であるということです。ガイドのムスタファさんが丁寧にその石の由来や、ピラミッドの歴史をわかりやすく教えてくれましたが、今では遠い記憶の中にも出てきません。

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ピラミッドは期待通りのスケールがあり巨大でしたが、スフィンクスは思っていたよりもその顔がだいぶ痛んでおり、「クシャッのおじさん」みたい、とみんなで笑いました。

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その後、若干の自由時間があったので、ラクダに乗ったり、写真を撮ったり、暫くサハラ砂漠の中で、ブラブラ遊んでいました。

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帰りのバスの中で、「アレ、すごいぞ!」の声に振り向くと、一面の緑の絨毯のような野菜畑が広がっています。その遙か彼方にピラミッド遺跡がうっすらと霞んで見えます。「ああ、これがナイルの賜物か」とみんなでしきりに感心し、思わず「今日は勉強になったね」の言葉に、ドット笑い声が上がりました。(続)

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