2008-05-31

Ko8 田舎風家庭料理を食べよう

初夏のソウル。
街角に爽やかな夏の気配を感じる頃になると、食欲がグンと増してくる。
「久々に、田舎風家庭料理が食べたいね」
ソウルでは今、インサ洞で田舎風家庭料理を食べるのがトレンド。インサ洞には昔からの古風な骨董の店もあるが、今は若者も多く見かける。

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夕暮れ時、ホテルからタクシーに乗り込み、韓国伝統の街インサ洞を目指す。芸術の道を走り抜けると、古風な門構えのレストラン「D」に到着。

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玄関で、黄金色のチマチョゴリを着た、馴染みのアジュマが笑顔で出迎える。いにしえの韓風情の中で味わう田舎風家庭料理。また室内には古書画がよりいいムードを醸し出している。だからこそ外国人がこの店を多く訪ねるのだろう。
「コース料理を二人分お願いします」
「はい、いつものですね」

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しばらくの間、マックスビールを飲みながら、ここ2,3年でソウルの街並みが変わり、若者が増えた、日本に雰囲気が似てきた、キムチ臭さが消えたことなどを話す。

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田舎風家庭料理の定番は、メインが牛鍋で、魚料理、脇役の王様キムチ。数種類の野菜のおかず、汁ものである。各店でコンセプト、その味は異なるが、その昔、韓定食のルーツは北方騎馬民族が韓半島に持ち込んだらしい。

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他の店では、牛鍋の代わりにプルコギを出す店も多い。さらに特徴を出すために、西海岸から直送の浜辺の香りが新鮮なアサリ汁。また他の店では、田舎の納豆の臭いがぷんぷんするチョンクジャン汁を出す店もある。

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田舎風家庭料理の甘い香りが混ざり合い漂ってくる。あァ、たまらん。待ちきれない。しびれをきらせながら待っていると、先付けとボッサムキムチに続き、次々と鉄板焼き肉、焼き魚、渡りガニ、トマトサラダ、ねぎパジョン、豆腐汁と運ばれてくる。

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まずは、鉄板焼きの牛肉を、口いっぱいに頬張る。柔らかな食感。甘辛のコクのある味に一言。あァ、絶品。

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「生きてて、よかったーッ」
カミさんとぼくの笑顔とため息。
香しい匂いと懐かしい味。ソウルの夜がそろりそろりと更けていく。(続) 

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2008-05-20

Ko7 真夏に ビビンバ!

真夏のソウル。
5月の透明な日差しの中で、南大門の近くのビルのガラス窓が、青空を映して群青色に光り輝いている。ぼく達は、南大門の近隣にあるHホテルの最上階のレストランから、活気あふれる街を見下ろしていた。

今日はカミさんと2人で昼食を兼ね、石焼きビビンバを試食していた。東京の友人がオーナーの韓国レストラン・チェーンMの依頼で、「ミレニアム・キャンペーン」と銘打った昼食時の看板メニューを選んでいるのである。

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ビビンバといえば、一般的には黒光りの石の器に御飯を入れ、その上に牛肉、ナムル類、生卵を乗せたものを指す。昼時の手軽なメニューとして韓国では一般的であり、近頃では韓流ブームにのり日本でもかなりポピュラーになった。

御飯と具を別々の器に入れて出すのが古くからの流儀であると聞いたことがあるが、近年では、ブッフェスタイルでテーブルに具を並べ、ゲストが好きなものをとれるようにしているところもある。しかし、僕らが本場全州で何回か食べたビビンバは、観光客向けだったのかも知れないが、最初から丼に盛られていた。

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一口にビビンバといっても、乗せる具によってもさまざまな種類がある。生牛肉を乗せたユッケビビンバ。さらに、鯛、ヒラメ等の高級魚をのせ、酢入りコチュジャンをかけてよくかき混ぜるという海鮮ビビンバも有名である。

めずらしいところでは、野菜を乗せた上に辛口の味噌汁をかけるテンジャンビビンバ。また、ヘルシー志向を反映したオリーブオイルとバルサミコ酢かけ生野菜のビビンバは、若い女性に絶大な人気である。そう言えば、近年のソウル繁華街は、若い女性が、髪をなびかせて歩く姿が目につく。

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一方、日本で石焼きビビンバと言えば、黒光りの専用容器を高温で加熱し、牛肉、千切り野菜等の具材を入れ、生たまごを乗せ、まぜて、まぜて、アツアツのまま食べられること、特におこげの香ばしさが喜ばれている。

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「やっぱり、これが美味しいね、これが1番うけるんじゃない」
それは何処にでもありそうなごく普通のビビンバである。カミさんの一言でミレニアム・キャンペーンは決まった。海を越えての食材探しの旅は、こうして毎年続くのである。 (続)

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2008-05-17

Ko6 ハルモニ パジョン

初夏のソウル。
5月になり、カミさんと2人、蒸し始めた初夏の東京から、カラッと爽やかな風薫る花の都ソウルに飛んだ。いつもの羽田空港発JAL8831便である。

金浦空港からタクシーに乗り込み、昼時の南大門の食堂街を目指す。馴染みのパジョンの店に直行し、懐かしい葱パジョンを堪能するのだ。

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ソウルのパジョンといえば葱パジョンが定番である。日本ではチジミの方が通りがよい。ステンレスのボウルの中に、キャベツ、万能ネギ、ニラ等の生野菜の間に、細切り牛肉、アサリ、緑豆、生ニンニク等が、渾然一体となり、クリーム状のパジョンのもとが、なみなみと入っている。

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あまりもの量なので、ハルモニ(おばさん)にお願いし、ザッザッとかき混ぜてもらう。巨大な大阪のお好み焼きのもとのようなものが出来上がる。

鉄板の上に葱パジョンのもとを中心から円を描くようにのせていく。焼き始めると肉汁の匂いに混じり、ほのかに長ネギの香りが立ち上る。その食欲を刺激する甘い香り。あァ、うまそう。待ちきれない。

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ぎゅぎゅっと、焼きたてのパジョンを立て長に切り、取り皿に乗せ、少し冷めた頃を見計らって口一杯に頬張る。ハフッ、ハフッ。あつい!けどうまい。柔らかな食感の中に、牛肉のうま味と長ネギの甘みが広がる。ああ、絶品。

「久しぶりだね」
笑顔がよみがえり、至福の時が流れる。フーッ、と葱パジョンを食べ尽くし一息いれる。少し物足りない。ハルモニ(おばさん)に、キムチパジョンの追加をオーダーする。アサリ、牡蠣、イカ、などの海鮮具材いりである。

出てきたのは赤唐辛子にまみれたキムチ入りパジョンの元。じっくりと焼き色がつくのを待ち、しょう油ダレであっさりと食べる。噛めば噛む程、キムチの酸味と海の幸の甘みがジワッと口の中に広がる。

涙の出そうな辛さとサッパリした後味に、美味すぎて目が点。いつものように夫婦の会話が一瞬止まる。美食探訪に国境はない。

旅の道連れにはカミさんの笑顔が嬉しい。仕事ずくめの日常から離れ、家庭サービスを兼ねたソウルグルメ探訪は、こうして毎年続くのである。(続)

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2008-05-14

Mu14 階段ピラミッド サッカラ

我々夫婦はその日の午後、ルクソールから飛行機に乗り、振り出しのカイロに戻り、メンフィスの博物館とサッカラの階段ピラミッドを見に行きました。博物館の敷地の中は、適度の広さで、あちこちに歴代王の立像彫刻や、小振りなスフィンクス等がおかれています。

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やはり、砂漠が近いからでしょうか、あたりは細かい砂と埃で白っぽく乾燥が進んでいます。一方、博物館の中にはいると一変して薄暗く、冷房が効いている所為か湿っぽい感じがします。多分、空気清浄器で、湿度を調節しているからかも知れません。

博物館のメインの展示物は横たわるラメセス2世像です。ドアから入った一瞬は、壁か何なのかわかりませんでしたが、2階に上がって、全体を見ると、あーなるほどね。という感じです。

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我々夫婦は横たわるラメセス2世の左右の耳の横で、同時に手を振っています。今考えると何をしていたのか、誰に写真を撮ってもらったのか覚えていませんが、貴重なワンショットです。

次ぎに、我々が向かったのは、かの有名な、サッカラの階段ピラミッドです。そこに入るには厳重な門があり、警備の警官がいたり、料金徴収の係員がいたり、中には入場が断られる観光客もいるそうです。ガイドのムスタファの説明によれば、墓泥棒が日中からあちこちを掘り返し、財宝が持ち去られるという笑えない話があったそうです。

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冗談で、ムスタファが私を墓泥棒でーす、と警官に突き出そうとしました。そこで、私もこのエジプト人こそ墓泥棒です。とじゃれ合っているわけです。今考えると、かなり暑い中、元気に研修を続け、ガイドのムスタファとも英語で、日本語だったかな?冗談を言い合える中になったというわけです。



次ぎに向かったのは、盗掘の痕です。かなり大規模に掘り返されており、多分、暑い日中ではなく、夜の涼しい真夜中に、労働していたのだと思われます。



アレがかの有名な階段ピラミッドです。と、私が指を指している所ですが、何か写真だけ見るとばかげて見えませんか?そうです。暑さでバカになっていたのです。ワンパターンのポーズで、今思うとかなり、同じポーズばかりですね。研修旅行も最後となり、元気そうに見えても、頭の中は???ということです。



その点、我が女房殿は沈着冷静、階段ピラミッドの仰角に腕を広げ、遠近法で写真を撮ると良い記念写真になる?とか何とか言って、澄まし顔でした。女性は暑さ寒さに強く、人類の源であることがよく分かりました。

我々夫婦は、太陽が西に沈む頃にカイロの街に戻りました。明日の飛行機で日本に戻りますが、今回の研修旅行で、いろいろと学ぶことも多かったなと思います。

旅も最終章に近づき、まだまだ名残惜しく、エジプトをもっと良く知りたい。アレキサンドリアに行きたい。スエズ運河も見たい。見たいことやりたいことだらけですが、ものには限りがあります。

それは次回のお楽しみということで、最後のイベント今夜のお楽しみは、ナイル川クルーズと豪華、船中ブッフェ、刺激的なベリーダンスのショウタイムでした。(完)

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2008-05-13

Mu13 死者の国 テーベ

我々夫婦はルクソールを朝から夜中まで堪能した翌日、早朝からナイル川東岸から船に乗り、西岸の死者の国テーベへと向かいました。何故東岸を生者の国、西岸を死者の国というのでしょうか。その答えは、ガイドのムスタファが教えてくれました。

東岸のルクソールは現在でも人々が生活し、生きている人たちの場所。西岸のテーベは、王家の墓を始め歴史上の過去の遺物ばかりの場所。つまり死者の国というわけです。

ます我々が向かったのは、かの有名な、ツタンカーメン王の墓。そこは歴代の王や女王達が眠る王家の谷でした。ツタンカーメン王の墓は何もなく、全ての財宝はカイロの博物館に行ってしまったそうです。次ぎに訪れたのがトトメス3世、ラメセス3世の墓。最後は、ネフェルタリの墓でした。中は美しく修復されており、写真を撮るのは有料だということでしたが、せっかくなので、1枚だけとりました。

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次ぎに向かったのは、ハトシェプスト女王の葬祭殿です。ここは数年前、テロリストが欧米の観光客に対し、無差別に機関銃を乱射し、数人の犠牲者がでたところです。ガイドが指を刺す先には、今だに血糊の後がうっすらと壁に付いています。遠目に見ると美しい建造物ですが、近くで見ると、死者の国そのものと言うわけです。

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帰り道の途中に、丘の上にへばりつくように色彩の豊かな家が並んでいます。クルナ村という、その昔、墓泥棒が住んでいた村だそうです。今は、民芸品を作ったり、ファラオ時代の模造品を作ったり、お土産用の小物を売ったりして、生活しているのだそうです。死者の国では生きていくのも一苦労だということです。

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テーベ西岸の最後の観光は、メムノンの巨像でした。それはサトウキビ畑の真ん中に巨大な座像が2体、ポツンと座っています。遠目で見ると、コミックに出て来る宇宙戦士ガンダムそっくりです。それも戦いに敗れ、ガタガタに壊れてしまったその姿は、見るも無惨でした。特に右側の巨像は破壊がひどく、なんなのかわかりません。

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それに対して、左側の巨像は、少しはましに見えますが、仮面ライダーのような顔で正面を向いて座っています。

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このメムノンの巨像は、昨日見たルクソール神殿のスケールをさらに大きくした巨大神殿の中に合ったそうです。大きさだけでいえば、あのカルナック神殿よりもさらに大きかったという考古学者もいるほどです。

我々は、太陽が真上に上がる昼前に、テーベ西岸観光を終え、昼食を取りにルクソールに戻りました。ナイル川は水が滔々と流れ、観光船が、西岸と、東岸の間を行ったり来たりしています。昼食後には、飛行機に乗り、メンフィスの博物館とサッカーラの階段ピラミッドを見に行く予定です。

旅も半ばを過ぎ疲労がたまり、足も痛くなりましたが、研修旅行ですので、弱音は吐けません。さあ、もうひと頑張りです。我々はバスに乗り、ルクソール空港へと向かいました。(続)

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2008-05-12

Mu12 生者の国 ルクソール

我々夫婦は翌日、ルクソール市内につくやいなや、ルクソール神殿を見学に行きました。このあたりでは珍しく1本道が真っ直ぐに続き、目抜き通りの先にスフィンクス参道が見えています。左右には、小さなスフィンクス像がずらりと並び、人通りもかなりあります。ルクソール東岸の観光は、小振りなスフィンクス像が数多く並ぶスフィンクス参道から始まります。

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次ぎに目立つのは、その立ち姿が美しいオベリスクです。最初は世界的に有名なフランスの凱旋門と並ぶパリの象徴であるオベリスクと対に立っていたのですが、ガイドの説明によるとあの有名な片方のオベリスクは、ナポレオンがエジプト遠征の帰り際に気に入って、パリに持ち帰ったのだそうです。その時の残りの1本が立っているわけです。

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ラメセス2世の座像が2体ある第1ピュロン(塔門)を過ぎると左側にはアブ・ハラ・ハジャージ・モスクがあり、その先には広々としたラメセス2世の中庭にでます。こちらでは、ルクソール最大のイベントで、マウリド祭を実施するそうですが、見学するのも一苦労だということです。

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その奥には巨大な大列柱回廊が続いています。この遺跡を訪れるのは、日中は死ぬほど暑い為に、体力の消耗が激しく、めまいがするほどです。従って、日中の観光客は少なく、気温の下がり始める夕方になると、徐々に増え始め、ライトアップされた円柱が夕暮れ時の夕日に赤くてらされて信じられない程の美しさになる頃には、観光客が増えてくるわけです。

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柱の彫刻などを堪能した後、ルクソール神殿からカルナック神殿の方に向かいます。カルナックは昔から古代エジプト人の間で、イペテシュト(完全なる土地)の名で知られていました。現在は廃墟になっていても、その佇まいは当時を偲ぶには余りあるほど壮麗な感じです。

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カルナック神殿の中庭中央には、パピルスをかたどった円柱が1本立っています。これは、ラメセス2世の600年ほど後に、登場したヌビア人のファラオ、タハルカ王が立て、唯一残ったものです。

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そのあと、ムト神殿に向かいましたが、暑さと疲れとで、いい加減にグッタリして来ました。そこで無理をせず、一旦、ホテルに戻ることにしました。しばらくの間、ホテルの部屋で休憩し、夕食の後、充分気温が下がるのを待ちます。夜中の9時半から、カルナック神殿の「音と光のショー」を見に外出することになりますので、早く太陽がナイル川西岸に沈み、気温が下がってくれるのを祈るばかりです。(続)

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2008-05-11

Mu11 ファルーカ船 アスワン

我々夫婦を含めた研修旅行の一行はアブ・シンベル神殿を後にし、その日の午後にはアスワンに戻ってきました。またまた、当時のエジプト航空の話ですが、国内線のB737は、当時中古機を使用しており、座席には穴があいていたり、天井がはがれていたり、これで日本なら当然、ニュースや旅客クレームになっていたと思えるほどでした。

さらに、エコノミークラスの後部座席だったため、後方のトイレに近く、臭気が漂ってくるのにも閉口しました。でも、まあ、実費だけの優待研修旅行なので、文句は言えませんが。・・・

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アスワン空港に到着するとすぐに、我々一行を乗せたバスは、アスワン・ハイ・ダムに向かいました。これまた巨大な建造物で、ナセル湖を見下ろすと、目が回りそうです。

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ダムの横から川が始まっていて、そこの出口で水しぶきが大きくはじけ、すごい勢いで水がうねりながら流れ始めています。そこで、写真休憩を取り、その後、アスワンの市街に向かいました。街に着くと、コルニーシュ通りヤスーク通りをとおり、オールド・カタラクト・ホテルに入りました。そこは昔からの殆ど遺産とも言えるような歴史のあるホテルということです。

オールド・カタラクト・ホテルの先にはヌビア博物館があり、ナセル湖に水没したヌビアの人々の歴史を語る多くの文化財が掲示されています。その近くには、ヌビアン・ハウスがあり、そのテラスから灼熱の太陽にさらされたナイル河畔の景色を眺めるのは格別なものがあります。

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博物館の横には、未完のオベリスクがあり、切り出される途中の形がそのまま何千年の風雨にさらされたまま横たわっています。

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ナイル川の川辺に行くと涼しい風が吹いています。我々は幾つかの班に分かれてファルーカ船に乗り込み、夕涼みをしながら、夕焼けを見るという趣向のようです。

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ファルーカ船の船長さんは、ヌビア人で、観光客慣れしており、愛想も良く、日本語も、こんにちは、おはようございます、愛してます、サヨナラ、などと片言で話しかけてきます。人なつっこい感じの笑顔でいわれると、まんざらでもないらしく、若い女性の参加者は思わず、顔を赤らめたりしています。

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コルニーシュ通りから川縁に降りていき、我々はファルーカ船に乗りました。1時間ばかり川風にあたり、川遊びをした後、今晩の宿泊ホテルに向かいます。時間があれば、中の島にあるイシス神殿を見たいのですが、今日はこれで時間切れです。

そんなこんなで、今晩もエジプト名物料理に舌鼓を打つ事ができそうです。何がでてくるのかな、と期待と不安に心を躍らせながらホテルでシャワーを浴びました。サッパリとして、着替えを済ませ、時間までテラスでナイル川を眺めていました。(続)

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2008-05-10

Mu10 エジプト最大の彫刻 アブ・シンベル

我々夫婦はピラミッド遺跡を研修した翌日、早朝にカイロを出発アスワンを経由し、アブシンベル空港に向かいました。エジプト航空の国内線はB737で、当然エコノミークラスのため、ピッチが狭く、長い足を縮めて乗っていました。国際線では、眠れない厳しい状況でしたが、国内線も引き続き、難行苦行の連続でした。

アスワンを飛び立つと間もなく眼下に、ナセル湖が広がってきました。いよいよアブシンベル神殿の表玄関アブシンベル空港に向かって降下しました。空港からバスに乗り、10分、そこは灼熱の太陽にさらされた永遠の神殿でした。大きなラメセス2世が4体も湖の南を睨んで座っています。ガイドのムスタファさんの説明によると、何でも南からの蛮族をにらみつけ、ここから北はエジプトだから、人っ子一人も通さないぞ!と睨んでいるのだそうです。

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ナイル川の西岸の山腹に刻まれたこの遺跡は、実はナセル湖のできる前には少し南の谷の下にあったのだそうです。ナセル湖の水没から逃れるためにユネスコ世界遺産がプロジェクトを組み、莫大な資金をかけて、現在の高台の地点に移築したというわけです。

アブシンベルに行くには通常、我々夫婦のように、空路でアスワンから入るルートと、その他には陸路を延々5時間も掛けて4WDで走ってくる方法もあるのですが、・・・炎天下に砂漠の中を走っている自分を想像しただけでもウンザリしてしまいます。

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そんなこんなで、ようやくアブシンベル神殿のラメセス2世像を間近で見上げているわけですが、まあ、その大きいこと、エジプト最大の彫刻だそうです。エジプトの遺跡はピラミッドを初め何もかも大きいので、見上げているだけで、暑さと疲労で、喉が乾いてくるような気がします。

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そのあと、ラメセス2世の王妃ネフェルタリに敬意を表し作られたというハトホル神殿を見に行きました。神殿の外は炎熱地獄のようでも、中は涼しいクーラーの利いた宮殿の中のようで快適です。なんとか元気を取り戻し、いよいよ見学の2時間が過ぎました。「集合写真を撮るので、集まってください」と、幹事さんから声がかかりました。

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アブシンベル遺跡に戻る為に急いで、ハトホル神殿から外に出ました。中の快適空間から強い日差しの中にでていくと、目が回りそうです。ガイドのムスタファさんが遠くから、手を振って、おいでおいでとジェスチャーしています。

集合写真を撮り終えた空港までのバスの中で、「すごかったね!」の声があちこちからでました。「来た甲斐があったね」とみんなで頷き合い、「今日も勉強になったね」の言葉に、「またですか」と笑い声が広がりました。

振り返ると、砂漠の中にアブシンベル神殿が浮かんでいます。我々夫婦を含め、研修旅行一行は、新たな感動を胸に、これから飛行機で、アスワンに向かいます。(続)

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2008-05-09

Mu9 ピラミッド遺跡 カイロ

我々夫婦はバンコク、デリーを経由し、ようやくエジプトの首都カイロに到着しました。その頃のエジプト航空はまだ東京からの直行便がなかったため、夜行便の上に、2回もストップオーバーするのです。今の直行便では考えられない、難行苦行の連続でした。

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エジプトへの憧れは以前からあったのですが、現実的に高い旅行代金を払ってまでは、行く気はしないなあ、程度でした。そこに、なんと幸運が舞い込んだのです。エジプト政府観光局とエジプト航空から、「航空・旅行業務関係者へのエジプト研修旅行」のお誘いが来てしまったのです。

半年前にヨルダン、ペトラ遺跡にいったばかりでしたので、職場では、また海外遺跡かよ!と嫌味をいわれても、どこ吹く風で、言い訳もせず、エイヤッ、ごめん!と、長い年休を取得し、飛び出してきてしまったのでした。

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そんなこんなで、エジプトの初日は疲労が残り、朝の内は元気でしたが、カイロ博物館に着いた頃は、暑さと疲労と二日酔いで、ふらふらになり、バチが当たったように座り込んでしまいました。

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そのあとに、涼しいクーラーの利いたレストランに入り、昼食を食べて一息つくと、なんとか元気を取り戻し、いよいよピラミッド・スフィンクスの遺跡観光です。

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遺跡に近づき、一番驚き印象に残ったのは、ピラミッドを構成している石が考えていたより巨大であるということです。ガイドのムスタファさんが丁寧にその石の由来や、ピラミッドの歴史をわかりやすく教えてくれましたが、今では遠い記憶の中にも出てきません。

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ピラミッドは期待通りのスケールがあり巨大でしたが、スフィンクスは思っていたよりもその顔がだいぶ痛んでおり、「クシャッのおじさん」みたい、とみんなで笑いました。

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その後、若干の自由時間があったので、ラクダに乗ったり、写真を撮ったり、暫くサハラ砂漠の中で、ブラブラ遊んでいました。

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帰りのバスの中で、「アレ、すごいぞ!」の声に振り向くと、一面の緑の絨毯のような野菜畑が広がっています。その遙か彼方にピラミッド遺跡がうっすらと霞んで見えます。「ああ、これがナイルの賜物か」とみんなでしきりに感心し、思わず「今日は勉強になったね」の言葉に、ドット笑い声が上がりました。(続)

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2008-05-08

Ko5 冷麺を食べて帰ろ

新緑のソウル。5月の昼下がりである。ぼく達夫婦は3泊4日のソウルグルメツァーの最終日、夕方のフライトで東京へ帰ろうとしていた。

「久しぶりに、民族村に寄ってみようか?」
午前中に、利川(イチョン)の窯元で、海剛先生の最盛期の頃の作品「ぐい飲みの青磁」を買った。その新しい「家宝」が5個入った木箱を大事に抱え、昼食までの時間調整の為に、空港へ向かう途中にある民族村に寄ることにしたのである。

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民族村の中は、平日の所為か、閑散としており、若い職人が、竹で編んだ民芸品、笊などを、黙々と編んでいた。

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中庭には、茅葺きの日本では、弥生時代前期の韓半島の家という小屋の復元があって、中に入って見ると涼しく、昔でも意外と快適に暮らしていたのかな、と思えた。

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もともと日本と違って、韓国は大陸性気候で、湿度が低いため、カラッとしており、夏でも日陰に入ればすごしやすい。ぼく達は、時間を気にしながら裏口から出て、駐車場に向かった。

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その後、遅い昼食ではあるが、楽しみに取っておいた激辛冷麺を味わうために、冷麺専門店「R」に立ち寄った。地元で定評のあるその店の中は、地元客で立て込んでいたが、日本人観光客は見当たらない。

「すみません、日本語できますか」  
近くにいた若い女性店員に声を掛ける。
「イルボンマル、ネー、チャッカンマョ」
しばらくすると中年の女性店員が、ハングル文字のメニューを差し出し、日本語で、「これ、おすすめね。うまいよ」

その中の一行の ハングル文字を指した。笑顔のえくぼが可愛い。え?なんだ?ようわからん。写真でもあればわかるけど。まいったな。

結局、カミさん持参の旅行ガイドの写真を開く。真っ赤な唐辛子ミソで和えた汁なしのビビム冷麺と、普通のよく見かける牛骨スープ入りのムル冷麺を指さし、「これと、これね」と注文する。

OBビールを飲みながらしばらく待つこと10分。まずは甘い梨の香りと共に、澄んだ牛骨スープの真ん中に、ごまそば風の麺がギュッと凝縮したムル冷麺が出てくる。

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お先に、と一口味わう。微かに牛骨の匂うスープ。腰の強い麺。サッパリしたきゅうりの食感。ボッサムキムチのコクある味わい。ああ旨い。ヤッパリ、本場のユクスムルネンミョンは違うな。

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一方、カミさんは真っ赤な唐辛子ミソの中に麺が見え隠れする超激辛のビビムパプネンミョンと悪戦苦闘している。舌を出し、ハッ、ハッ、と苦しそうに息をする。無言。ゲホッ、辛さにむせ返っている。フーッ、と一息ついたところで、ようやく笑顔に戻る。何、何だ?そうか、なんとか頑張って完食したのだ。

「わァー、きつーッ」
ついにカミさんは、究極の超激辛ビビン冷麺を征服した。食いしん坊バンザイ。グルメタウンソウルの旅は、こうして帰国ギリギリまで続くのである。(続)

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2008-05-07

Ch14 昆明 スポーツ合宿Ⅱ

札幌に初夏がやって来た。その翌日は霧雨模様、外気温が摂氏15度とまた肌寒くなり、厚手のジャンパーを着てスポーツクラブに行った。大通公園のライラックの花も気のせいか縮こまり、1日おきに、季節が夏になったり、春に逆戻りしたりしている。

昆明スポーツ合宿下見研修ツアーの2日目は、朝早くから、昆明市東南の石林方面にミニバスで1時間程走った。その湖に面したスポーツ施設は、昆明よりもさらに標高が高く、2000Mを越えているとの事である。

湖の畔に宿泊施設と、付属の体育館、プールなどがあり、1週10KMのロードランニングコースが整備されている。

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雲南省政府の自慢のスポーツ施設が、その隣町にあるというので、行ってみたが、田舎町にしては、立派な陸上競技場である。

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その日の昼過ぎに、昆明マウンテン&レイクサイド・カントリークラブを視察した。風光明媚な上に、ここが中国?というほどあか抜けており、確認したところ、やはりアメリカの有名なゴルフプレーヤーJ.ニクラウス氏が設計し、日本の某鉄道系建設会社が造成開発した最新のゴルフ場との事であった。

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そのゴルフ場はアップダウンの自然地勢を生かし、周りの山に映えるグリーンがスタート場所から狙えるなどのチャンスも提供し、ゴルフの技を徹底的に発揮させると、かのゴールデンベアが言ったそうである。ゴルフ好きのコーチ達は、時間があればハーフでも回りたかったよね、と残念がっていた。

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次ぎに視察したのは、石の奇観で有名な、世界遺産の石林である。荒々しく男性的な大石林を中心に、東側にあるのが女性的な小石林であり、大石林の外側にあるのが外石林。石林湖と獅子池という二つの池があり、獅子山の頂上は見素晴らしがよく、大石林と小石林の両方を望める。

昆明に戻る途中、最後に訪れた円通寺は、唐代に創建された寺院である。円通山の麓にあり、1200年以上の歴史を誇る古刹。創建当初は「補陀羅寺」と呼ばれた過去を持つ昆明最古の寺であり、広い境内には円通宝殿、八角堂などの建物が並んでいる。

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3日目の最終日に、我々全員で、西山龍門を観光した。西山龍門は広々とした昆明湖の西岸にあり、山脈がえんえんと40キロ以上継き、海抜は2500mある。山麓から数キロの険しい道を登って行くと、絶壁に貼りつくように龍門石窟が見えてくる。

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高山の森林の所為か、空気はとても爽やかで、ここから昆明湖と昆明市街地の全体を眺めることができる。全員で、お寺のご本尊を拝み、この旅行が無事に終わりますように、と祈念した後、小一時間かけて下山、帰国の途についたのであった。(完)

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2008-05-06

Ch13 昆明 スポーツ合宿Ⅰ

札幌に突然夏がやってくる。昨日は外気温が、摂氏15度と肌寒かったのに、今日は日差しが強く、摂氏25度。ついに大通公園にライラックの花が咲いた。まだ花の先半分程であるが、薄紫色が初々しい。その花の横に、桜が散りかけている。その花を見るにつけ、昆明の街に咲いていた桜と癖はあるが美味かった雲南料理を思い出した。

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昆明を再訪したのは、6年前の2月。その前年、日系航空会社から関連旅行会社に再出向し、組織団体販売の責任者になった頃の話である。ある日仕事の関係で、日本陸上競技連盟本部に挨拶に行き、その場で、日本選手団の強化合宿候補地として中国雲南省昆明での高地トレーニング場数カ所を視察する話が出た。さっそく、会社に持ち帰り、関係先と調整の結果、1ヶ月後に、10名あまりで昆明スポーツ合宿地の下見研修旅行を実施する事となった。

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空路、成田から雲南省昆明まで飛び、宿泊ホテルの昆明飯店で着替えるとさっそく下見研修を開始した。昆明には、いくつかの陸上競技施設、練習グランド、クロスカントリーコース等がある。まずは、昆明市の中心にあるかなり近代的な陸上競技場である。

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引き続き訪れたのは、町はずれにある雨天でも練習のできる屋根つきグランド。実際、日本女子実業団所属の専属コーチが見守る中、1万メートル前日本記録保持者のテレビでも有名な女子選手が、追い込みの練習中だった。

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グランドの真ん中では、ちょうど、日本女子実業団の最多優勝回数を誇る女子駅伝チームが練習開始前の準備運動を始めたところである。

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練習終了後に、彼女たちのあとについて行き、お願いして合宿所を視察させてもらった。簡素だが清潔そうな宿泊施設で、食事も概ね中国の料理人が下ごしらえ迄はするが、味付けは自分たちで飽きないように工夫しているという。毎日、和風、中華風、イタリア風、などとローテーションしているという話である。やはり、2~3週間もの長い期間の合宿生活では、食べる事での体調管理が1番大切だそうである。

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翌日は郊外にある、新しく建設された全天候型のグランドを視察に行った。コーチ達が試走してみたが、とても走りやすく、これが本当に中国?とういう声が参加者のあちこちから出たほどである。

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その真新しいグランドの近くに、少し前までは、中国のかの有名な馬(マー)軍団がトレーニングに使用していたというクロスカントリーコースがある。広大な敷地の中に、かなりアップ・ダウンの激しいベア・グランドが広がっている。同行のコーチ達は、そのコースも試走しながら、「毎日ここをガンガン走っていれば強くなるよね」としきりに感心していた。(続)

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2008-05-05

Ma21 シャングリラ☆ラサリアリゾート

東京ぶんぶん ’06,11,26  マレーシアサバ州の州都はコタキナバルである。マレーシア国内では、通称KKと呼ばれている。旧英領ボルネオの北の空と、海の玄関。
これまでに何回も訪れている。懐かしい、でも毎回新鮮さを感じる街である。

2年前の11月下旬に、ぼくは姪のマリと二人、6泊8日のボルネオ個人旅行に出かけた。前半の4日間はKKからラハ・ダトゥまで飛び、ダヌンバレー特別自然保護区の中で、野生動物ウォッチングや、ジャングルトレッキングをして楽しんだ。

後半の4日間は、KKから車で45分、トゥアランの町の先、バンダイ・ダリットにあるシャングリラ・ラサリアリゾートに泊まり、オランウータンの森を見たり、浜辺でリラックスしたり、北ボルネオ鉄道ツアーを楽しんだりするスケジュールである。

北ボルネオ鉄道のツアーに出かけた翌日は1日中リゾートの中で、のんびりと過ごした。まずはレストランでの朝ご飯。朝日の射し込む明るいテラスで、ブッフェスタイルのホットミールを食べる。

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午前中は、プールサイドでのんびりと泳いだり、日光浴をしたりして過ごしたのだが、暇すぎるのか、じっとしているのが退屈で落ち着かない。

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昼食後、お楽しみのオランウータンの森に出かける。その場所はリゾートの敷地内にあり、KK近郊では、リハビリ中の野生の赤ちゃんオランウータンが観察できる唯一の森である。

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餌付けを見学する前に、リゾートの南端にある学習室で、オランウータンの飼育状況や、野生に返す必要性を学び、参加者全員にエコライフの大切さを学んでもらうという趣旨である。30分のビデオを観た後に、10分ほどの補足説明があり、さあ、行きますよ!と若い男性のレンジャーが参加者を促した。

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建物の外は急な階段で、参加者達はヒーッとか、フーッとか言いながら、丘の上まで登っていく。やがて、オランウータンの飼育場、兼プレイフィールドの前の木製テラスに到着した。

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オランウータンは5、6匹いるらしく、全部に名前がついている。もう忘れてしまったが、ミー、ジー、サリーとかX○△、思い出せない。でもそれぞれが個性的で、2匹でクンズホグレツ遊んでいるのや、1匹オオカミ的に離れてバナナを食べたり、綱渡りをしたりで、てんでバラバラである。30分ほどで餌付けのショーは終わり、三々五々参加者はホテルに戻って行った。

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午後7時過ぎに、ぼく達は、夕食のバーベキューブッフェに屋外レストランに行ってみた。ブルーチーズをつまみにハイネケン・ビールをのみ、その後は、マレーシア独特のサテー、エビ、カニのシーフード、ナシチャンプルー等、お腹がはち切れそうになるまで、夕食を楽しんだ後、部屋に帰った。

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テラスの窓からは南シナ海の水平線に沈む太陽が美しく、今日も無事に1日が暮れようとしていた。(完)

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2008-05-04

Ma20 KK 北ボルネオ鉄道

東京ぶんぶん ’06,11,25  ボルネオ島サバ州には北ボルネオ鉄道が走っている。観光用の蒸気機関車で、毎週水曜日と土曜日の週2回のみ運行し、午前10時きっかりに、KKタンジュンアル駅を出発する。KKとはコタキナバルの略称、KLはクアラルンプールの略称である。マレーシアでは両都市名が長いためKL、KKと呼ぶ事が習わしになっている。

一昨年の秋の連休明けに、ぼくは姪のマリと二人で、6泊8日のボルネオ個人旅行に出かけた。ボルネオ島サバ州の州都コタキナバルを起点に、前半の4日間は、ゾウやサイなどの野生動物を見にダヌンバレー特別自然保護区に行く予定である。航空便接続の関係で、KKに深夜に到着したために、空港の近くのホテルに宿泊し、翌朝早く、ダヌンバレーに飛んだ。夜中に到着した時点では気づかなかったが、早朝ホテルを出発する時に、ロビーには、早々とクリスマスのデスプレイが飾られていた。

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コタキナバルに戻ってからの後半4日間は、KK郊外のトゥアランの先、バンダイ・ダリットにあるシャングリラ・ラサリアリゾートに泊まった。ここでは、オランウータンの森を訪ねたり、浜辺でリラックスしたり、北ボルネオ鉄道ツアーを楽しんだりするスケジュールである。

11月21日。朝8時、北ボルネオ鉄道ツァーガイドのヤンさんが、ホテルに迎えに来た。ぼく達は日帰りの予定でラサリア・リゾートを出発。KKタンジュンアルまでワゴン車で50分余り走った。駅のプラットホームの先端まで行くと、古びた、だが手入れのよさそうな蒸気機関車が止まっていた。

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KKから出発する北ボルネオ観光鉄道ツアーは、往路の途中の中国寺院での15分の休憩と、パパールで折り返す時点での30分の休憩を入れて、3時間を掛けて楽しむ小旅行である。途中の中国寺院では、東南アジアではよく見かける道教寺院にある何体もの派手な塑像が並んでいた。

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中国寺院の村からさらにパパールの街まで約30分。ようやくパパールの街に着くとアメリカ人、イギリス人らの観光客は、時間が足りないせいか、我先にバザールに飛んでいった。ぼく達は、別に買うものはないし、ジャランジャランしに市場の端から端まで行こう、と歩き始めた。すると懐かしいケンタキー小父さんを見つけ、おどけて写真を撮ったりして時間をつぶした。

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復路便の出発時刻になり、ピーッと汽笛が鳴ると、乗客のカウントもなく、お構いなしに列車が動き出した。日本のツアーでは考えられないけれども、個人責任重視の欧米では当たり前の習慣である。

さて、この鉄道旅行の後半のお楽しみは、社内でのアルミ3段弁当である。上段は、鳥の唐揚げとサラダ。中段は白いご飯と黄色のサフラン・ライスが半々、下段にはデザートの果物とチョコレートが入っている。若い女性の車掌さんが、飲み物のオーダーを取りに来た。マリはコーク、ぼくはミネラルウーターを頼み、8リンギット払った。ちょっと高いかな。

午後1時過ぎに、ぼく達の乗った列車は丘を越え、山の中腹をくねくねと通り、トンネルを抜けて、最後の車窓を楽しんだ後、KKタンジュンアル駅に到着した。乗客達は名残惜しげに写真を撮ったりしながら、三々五々帰っていった。ぼく達も迎えのワゴン車に乗り込み、ホテルへと向かった。北ボルネオ鉄道ツアーは、何事もなくあっけなく終わってしまった。(続)

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2008-05-03

Ha7 ワイキキ・ビーチサイド・レストラン

楽園ハワイでの美味しい朝ご飯は、何と言っても高級ホテルでのモーニング・ブッフェに限ります。ザ・ロイアル・ハワイアンやモアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾートのビーチサイド・レストランのオープンテラスは最高です。

ワイキキの海辺にせり出したテラスの上で、上品なピンクのテーブルクロスを囲む、ハネムーンの2人。その隣には楽しそうなファミリー、親しい仲間達。それぞれお喋りをしながらの朝食は、端から見ていても幸せな気分にさせてくれる絵になる風景です。

ダイアモンドヘッドを背景に、朝日を浴びてのサーフィンや、沖行くカタマランが、青い波のうねりの中に見え隠れしています。隣の日本人の若いグループが、今日はどこにドライブに行こうか、などと笑い声がはじけています。

さて、今回のハワイ訪問の目的は、九州ウォーキング協会のトップと、秋口のダイアモンドヘッド・ウォークの打ち合わせと、現地の下見です。自称エコロジストとしは、無駄な贅沢はしたくはないけれども、セレブ的対応をする事に対し、大きな矛盾を感じておりました。

九州ウォーキング協会のトップお二人をアテンドする業務ですので、日系某航空会社の社員としては、会社の面子もあり、それなりの対応をしなければなりません。そこで、私一人では大変なので、助っ人に関連旅行会社のT君を連れて行きました。T君は、団体の添乗経験豊富な若いスポーツマンです。

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その日の午前中は、ハナウマベイ、マカプウ岬とシーライフパーク、そして、ダイアモンドヘッド・ウォークの周回道路を視察していただき、午後には、ホノルルのダウンタウン、パールハーバーに行きました。天気も良く、沖合には軍港なので、駆逐艦も係留されていました。

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ホノルル市の経済は、日本の観光客で、大いに潤っているのですが、どうもその波が、上手く流れていないようです。忙しいときは忙しく、暇なときは暇すぎて困ると、アロハタワーのお土産屋のおばさんが嘆いておりました。

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さて、翌朝は場所を変えての朝ご飯です。今日は、隣のモアナ・サーフラーダー・ウェスティン・リゾートに行きましょう。と、宿泊しているシェラトン・プリンセス・カイウラニから道路を渡り、迷路のような建物の中をかいくぐり、ホテルのシービュー・ダイニングに入っていきました。

[Just moment please] !(^^)!
[We are guests of princess kaiulani] (^_-)
ホテルのカギを見せて、この部屋につけておいて下さい、とカギをチーフウェターに預けてレストランの中に入りました。食事を始めようとする頃に、急に天気が悪くなり、雨が降ってきました。「今日は、中で食べましょうか」

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食事内容は、ロイヤル・ハワイアンとさほど遜色はないのですが、やはり部屋の中で食べるのと、気持ちよい風に吹かれてテラスで食べるのとでは雲泥の差があります。その日はレンタカーでオアフ島内を時計回りで1周しました。やはり、遊びでは感じた事のない仕事としての運転の緊張に、疲労感はますばかりです。

そんな、こんなであっという間に、緊張の4日間は過ぎて行き、最後にトップからのリクエストで、ロングリムジンライナーに乗りホノルル国際空港に向かうことになりました。帰国してから、一つ集客を宜しくお願いいたします。などと、お世辞を言いながら、セレブ気分のお裾分けにあずかりました。

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お疲れさまでした。お元気で、また本番でお会いしましょう!と福岡空港の国際線ターミナル出口でお別れの挨拶を済ませ、無事に業務は終了しました。後日談ですが、世の中はそう上手いことは続かないもので、帰国した翌日に、旭川への転勤辞令が待っていました。トホホ。 (完)

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2008-05-02

Ma19 猫の街 クチンⅡ

東京ぶんぶん ’02,02,23 マレー語でネコという名前がついているクチンの町は、19世紀に白人王のイギリス人ブルックによって、名付けられたという。一説ではネコの目の形をしたマタ・クチンという木がたくさん生えていたからだ、とも言っている。ともかく今も昔も、ネコだらけの町である。

2月17日、ぼくとマリはジャングル・トレッキングから帰ってからホテル・ムルディカ・パレスの部屋でシャワーを浴び一休みした。部屋の中は、リビングルームの他にベッドルームが2部屋、それぞれにバスルームがついて、かなり快適な広さである。

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夜8時過ぎに、さあ、晩ご飯を食べに行こう、と元気よくホテルから町中に出かけた。途中、川沿いのプロムナードを歩きながら写真を1枚。川靄がかかり、よく撮れていないが、夜風が吹いていて涼しく心地よい。

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ともあれ、昨晩はサラワク川河畔のオープンエア・マーケットの屋台で、地ビールを飲みながらサテー、ナシゴレン、ミーゴレンをたらふく食べたので、今晩は、中華街にスチームボードを食べに行こうという事になった。

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クチンの街角を歩くと、至る所の交差点は猫だらけで、各交差点のロータリーには必ずと言っていいほど猫の像があり、ネコ。ねこ。ニャンコだらけである。

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ぼく達は、屋台に少し毛の生えたような門構えの中華レストランに入り、海鮮スチームボードを食べることにした。今晩のビールは奮発してカールスバーグを注文し旨かったが、エビとカニの味は北海道と比べてイマイチである。

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「ヤッパリ海鮮鍋は、北海道が一番だね」「ブンブン、それは当たり前でしょ」と姪のマリにたしなめられた。旅は道連れ、世は情け、美味いものにも国境があったのである。(完)


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2008-05-01

Ma18 猫の街 クチンⅠ

東京ぶんぶん ’02,02,22 サラワク州の州都クチンは、サバ州の州都コタキナバルと並び、東マレーシアの空の玄関口である。また、多くのエコツアー観光客の国立公園への活動拠点ともなっている。

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2月の中旬、ぼくは姪のマリと一緒に、3泊4日のボルネオ・エコツアーを計画した。クチンを起点とした個人手配旅行で、昼は国立公園でジャングル探検、夜は川沿いの屋台に行き、グルメ三昧をするスケジュールである。

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2月17日朝8時、朝食後時間が空いているので、曇天の中、宿泊中のムルデカ・パレス・ホテル前の公園を散歩する。朝は空気がヒンヤリして気持ち良い。

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朝9時きっかりに、ツァーガイドの楊さんがホテルのロビーに迎えに来た。今日の予定は、クチン午前市内観光である。ワゴン車に乗り込み、まずは猫博物館まで20分ほど走る。入り口で車を降り、中に入る。入り口には大きな猫の像があり、猫好きは嬉しくなる。

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猫博物館の中は、ネコの写真やネコの縫いぐるみ、ネコグッズのお土産。ぼくも、マリも猫好きなので、ヘーッとか、ホーッとか言いながら、小一時間も熱心に見学した。猫博物館を一通り見た後に、ラン園に向かった。

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クチンの郊外にあるラン園は、規模的にはKLのレークガーデンにあるラン園と比べて、それほど大きくはなく小規模である。しかし、花の種類も色も数多く艶やかな感じで、あちらこちらに咲き誇っている。ぼく達はゆっくりと数多くの熱帯のランを見て回る。その後は、昼食を食べようと中華街の入り口までワゴン車で行った。中華街の入り口では大きな白猫の像が迎えてくれた。

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地元での1番美味しいものが食べたいと楊さんにお願いし、一軒のチキン・ライス屋さんに入る。ご当地のチキン・ライスは骨付きの唐揚げチキンと白いご飯で、いわゆる日本のチキン・ライスではない。確かにある程度は旨いが、日本の鳥の唐揚げとは味付けが違い、ジューシー感が足りない気がする。

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昼食後、中華街をブラブラと歩き、楊さんの子供の頃に遊び回ったという街を歩き、今日はこれでお別れです。と楊さんはホテルまで送ってくれて帰っていった。ぼく達は明日のジャングル・トレッキングに備え、午後は屋上のプールでくつろぐことにした。(続)

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