2008-04-30

Mu8 ペトラ遺跡 ヨルダン

我々夫婦はシリアの国境を通過し、長いバス旅行の途中に、ヨルダンの首都アンマンに泊まりました。その途中、ヨルダン渓谷の景色を眺め、死海での海水浴を楽しみました。死海での浮遊体験は本では読んでいたのですが、本当に手と足を上げたら体全体が浮くのです。貴重な体験でしたが、諸般の事情で写真はお見せできません。

ヨルダン入国2日目は、朝からデザートハイウェイをひた走り、小さな遺跡を見たりして、その夜は、ペトラ遺跡の近隣のホテルに宿泊しました。翌日は、久々の良い天気で、青空の下、いよいよ待ちに待ったペトラ遺跡のエル・カズネとエド・ディルに向かいます。

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2、3年前に映画、インディージョーンズ・最後の聖戦で見た、あの岩山の割れ目からバラ色のエル・カズネが徐々に現れて来る期待感にわくわくしながら歩いていきます。

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期待通り、岩山の割れ目から、エル・カズネが見えてきました。遠い過去から今日までずっとこの地にあったエル・カズネ。感動的な一瞬です。砂漠の中に忽然と現れるこのバラ色の遺跡は、世界遺産に登録されています。

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あまりもの美しさに絶句。感動のため声も出ませんでした。目の前で休んでいるラクダが中東にいることを思い出させてくれましたが、この世のものとは思えないほどの美しさに、思わず見上げて写真を撮りました。

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ナバテヤ人の首都ペトラがその昔、この地を活動の中心にしていたことが遺跡の中から感じられます。我々夫婦は、長いことバスに揺られ、途中、お尻が痛くなるのを我慢した甲斐があったね、とお互いの顔を見合わせました。

一息ついた後、次ぎにライオン寺院を観光し、ファサード通りの途中の土産店で砂絵の小瓶を買ったりしながらブラブラし、その後、いよいよエド・ディルへの登山に挑戦しました。炎天下に、急な岩場の石や岩の間を1時間もかかりゆっくりと登っていきます。汗と疲労でクタクタになりながらも、ついに、エド・ディルに到着しました。

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エド・ディルはエル・カズネより一段と大きく色が薄茶色で、写真で見るよりは、数倍の迫力と重量感があります。苦労して登ってきた甲斐がありました。

我々夫婦は、しばらくの間、日陰のカフェで一休みし、また来た道を降りていきました。エル・カズネまで戻り、かみさんは元気よく、北の壁沿いの宮殿の墓や、その他の墓の遺跡群を見に行くと張り切って歩いて行きました。私は睡眠不足と疲労感から、具合が悪くなり、シークの途中からホテルの近くまで馬車に乗り、先に帰りました。

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振り返ると、すでに、夕日は傾き始め、乾いた大地がいっそう索漠として、まわりの丘が霞んで見えます。今日は、ムスリムの旅人としては失格です。疲労困憊のなかでホテルのベッドに倒れ込みました。(完)

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2008-04-28

Mu7 パルミラ遺跡 シリア

我々夫婦が、バールベックの次ぎに訪れたのは、隣国シリアのパルミラ遺跡でした。シリア砂漠の中央に位置するこの遺跡は、規模の大きさと質の高さには定評があります。

パルミラの名前の由来は、「なつめやし」のパルマだそうです。現在もナツメヤシ、オリーブ、ザクロなどが、この地域の特産品となっています。砂漠の中に忽然と現れるこの緑豊かな遺跡は、世界遺産に登録されています。

トルコのカッパドキアで発見された古文書にもこのパルミラことが記されており、メソポタミア文明とギリシャ・ローマ文明とを結ぶシルクロードの中継点であった事が判明しております。今ではどこまでもシリア砂漠に覆われており、当時の栄華を想像するすべがありません。

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ナバテヤ人の町ペトラからの隊商が、このパルミラを活動の中心にしていたことが遺跡の中からうかがえます。我々夫婦は、シリア砂漠の中を長いことバスに揺られ、途中、バクダッド・カフェという砂に埋もれそうな小屋を発見し、笑いを誘われました。

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我々夫婦は、初めにバアル神殿を観光し、その後、いよいよパルミラの遺跡のメインストリートである列柱道路に到着しました。やはり、写真で見るより数倍の迫力、重量感があります。

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次ぎに向かったのが、四面門です。この門は列柱道路と南北道路の交差点に、整然と立っており、4本の柱が4組になった非常に珍しい重厚な門構えでした。

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我々夫婦は列柱道路を歩いて戻り、途中で出入口にたむろしている観光ラクダ使いの小父さん達に挨拶がてら、「何か他に見る所はないのですか」と話しかけると、まじめな顔で、「ここの夕日は世界一。是非見てから帰りなさい!」と自慢しました。

それほど言うのであれば、見てみようよ、ということになり、教えてもらったミニバスに乗り、目と鼻の距離を10分ほどもゆっくり揺られて、パルミラの町はずれの丘の上まで登って行きました。

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到着したときには、すでに、夕日は傾き始めていました。丘の上の絶景ポイントには、世界中からの観光客や、地元のカップルが肩を組んだり、腰に手を回したりしながら、沈みゆく夕日を眺めています。

我々夫婦も久しぶりに新婚に戻ったようなロマンチックな気分になり、まわりが真っ暗になるまで、丘の上に佇んでいました。ムスリムの旅人の長かった一日は静寂のなかで間もなく終わろうとしています。(続)

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2008-04-26

Mu6 バールベック遺跡 レバノン

我々夫婦はトルコ旅行から半年後に、再びムスリムの旅人となり、ベッカー高原の中央に位置するバールベック遺跡を訪ねました。

バールベックは、レバノンの首都ベイルートからバスで約2時間半。雪を頂く2つの山脈に挟まれたその高原は、遙か昔にはレバノン杉の森林に覆われていたといわれておりますが、今はその面影はなく、穀倉地帯になっています。

レバノンは、西アジア・中東の小国です。シリアとは北東に接し、イスラエルの北に位置し、西は地中海に面しています。首都のベイルートに、我々夫婦は新婚旅行時代に立ち寄りました。

その頃は、ヨーロッパへ向かうパンナムなどの南回り世界一周路線の寄港地として利用されていました。残念ながら、近年のイスラエルとの戦争や、内戦の激化と飛行機の性能向上により、運行が停止され、中東の玄関口としての役割は失われています。

さて、我々夫婦は30年の時の流れに思いを馳せ、バスにのり込みました。バールベックに行く途中、昼食に小ぎれいなレストランに寄りました。フムスというサラダ料理を食べましたが、めちゃくちゃに美味しい。特に、中東でも美味しいといわれる野菜が中心のレバノン料理は、このベッカー高原の豊富な野菜に支えられているからだそうです。

ちなみに、レバノンは、アラブの中で唯一砂漠のない国です。肥沃で緑豊かな国土と温暖な気候は、私の中東のイメージを劇的に変えるのには充分でした。

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バールベック遺跡は規模としては大きくないのですが、保存状態がよいローマ遺跡としては有名です。ローマ遺跡の穴場だという人もいます。特に、バッカス神殿は、アテネのパルテノン神殿よりも完全な形で残っているように思えます。

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さて、我々夫婦は、正面の長い階段を避けて、段差のない裏口から入場しました。中は広い空間が広がり、遙か昔は、どんなに栄華を誇っていたのだろう、という感慨に浸らせてくれます。

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正面の階段を真っ直ぐに、メインの祭壇のあるところに行くには階段があるので、だいぶ息を切らして上がりました。

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せっかくここまで登ったのだから、まわりの景色は全部見ましょうか。祭壇の上は平らなので、ゆっくり360度見ることができました。

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やはり最後に見たジュピター神殿の大列柱は圧巻です。

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ベイルートへの帰り道、バスの運転手とガイドのビリーが相談して、同じ道を戻るのは芸がないからと、わざわざ遠回りをして、高級別荘の建ち並ぶ避暑地を通ってくれました。

レバノンの人々は親日的です。トルコもそうでしたが、チップを要求するどころかチャイなどの飲み物までおごってくれました。心優しい人々が多いムスリムの国々は最高です。思わず、また来年も来たいので予約をお願いできますか、と冗談まで飛び出すほどでした。(続)

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2008-04-20

Mu5 トロイ遺跡 トルコ

トロイの古代遺跡は世界文化遺産に登録されています。エフェス遺跡観光の翌日、子供の頃から本で読み親しんでいたトロイの遺跡に到着しました。

ホメロスの叙事詩からヒントを得て、ドイツ人シュリーマンが苦労の末にこの遺跡を発掘までの話は、子供の頃の遠い記憶の中にありました。・・・

・・・ 紀元前3000年頃に、この地に初めての集落ができました。青銅器文明の初期です。それ以来、栄華衰退を繰り返し、アレクサンダー大王もアテナ神殿を奉納しました。しかし長い年月の果てに、この町も地中に埋もれてしまいました。・・・

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遺跡入口前に、木造家屋3階建て程の高さのトロイの木馬が置いてあります。もちろん観光客のためのレプリカですが、中に入れるようになっています。

中に入るとがらんとしていて、この中にあのトロイ戦争で、兵士が隠れていたんだな。実際は、もっと小さかったのではないか。大昔当時の木工技術では、たかが知れていますからね。

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トロイの木馬。1975年に造られた伝説上の木馬の複製で、ギリシャ神話に登場するイダ山の松の木で造られています。やはり、世界文化遺産を実際、まのあたりにして見ることは、人類の長い歴史の中で、知恵と勇気を与えてくれる気がします。

我々夫婦は遺跡群の中で、トロイの木馬のレプリカをバックに写真を撮り、少しずつ観光を始めました。

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遺跡の中をブラブラ歩くと、いい加減崩れたままの石垣がゴロゴロしています。

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トロイの遺跡は整備されていなく、エフェスの遺跡のように整然としたものではないのが、残念です。

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観光を終わり、ダーダネルス海峡に出ました。夕焼けの中に、陽の光が差して来たので、心なしか暖かくなってきました。

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トロイの遺跡は見る人によっては、感動する程のものではなかったですが、世界文化遺産なんだと思えば、まあいいかと思えてくるものです。

天気も今ひとつでしたが、このままトルコの旅行が終わることに寂寥感が漂います。2月中旬という観光の時期からはずれてもいましたが、そこそこ楽しめました。

その中で思ったことは、トロイ戦争を始め、十字軍の戦い、いつの時代も人類同士の戦いは永遠に続いていくのだと虚しさを感じました。(完)

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2008-04-19

Mu4 エフェス遺跡 トルコ

パムッカレ観光を午前中に終わらせ、昼食後、期待していたエフェスの遺跡に到着しました。トルコの気ままな個人型周遊旅行で、1番に見たかったのは、エフェス遺跡。2番目はトロイ遺跡、3番目はイスタンブールの旧市街です。

やはり、世界文化遺産を見ること考える事は、人類の過去、現在、未来の軌跡を確認し想像することが出来て、とても興味深く有意義なことだと思います。

エフェス遺跡の入り口は北と南にあり、有名な建造物は、野外劇場と、聖母マリア教会、ケルル図書館ですが、その他にもアルカデイアン通り、マーブル通り、クレテス通り沿いに、興味深い数多くの遺跡が並んでいます。

我々夫婦は北側から観光を始めました。まず北の入り口から入ると最初にアルカデイアン通りを歩きます。その先に見えるのが野外大劇場です。

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大劇場を後に、マーブル通りに出ます。ケルスス図書館への道ですが、季節外れの雨上がりで、冷たい風が吹いており、当然観光客はおらず、不気味な感じがします。

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正面には、かの有名なケルスス図書館が見えてきます。やはり写真で見るのと実物では迫力が違います。正面には、知恵、運命、学問、美徳の4体の女神像があります。

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遺跡の中をブラブラ歩くと、古い煉瓦と大理石の建物が目につきます。特に、怪しげな娼館の跡、スコラステカ浴場の跡などは、通り過ぎる人をワクワクさせます。今も昔も遊び人は大勢いたからね、さあ次ぎ、いこ。

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三角屋根のトラヤヌスの泉は、様々な建物が重なり合って昔は豪勢を極めたのかなと思いました。雨が止み、太陽の光が差して北ので、心なしか暖かくなってきました。

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ヴァリウスの浴場と呼ばれるところは、少し離れて南のチケット売り場の横にありました。床下暖房の典型的なローマ式浴場だそうです。

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エフェス遺跡の入場料は、約1,200円と高かったけれども、それは見る人によって、感じるものであり、遺跡の維持費と思えば、まあイッカと思えてくるものです。天気が悪く、観光時期ではありませんでしたが、そこそこの感動はしました。やはり偉大なエフェス遺跡は、荘厳、華麗な感じで、ああ、これこそが、イスラム教とキリスト教の戦いの跡なんだと感じました。(続)

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2008-04-16

Mu3 旋舞の街 コンヤ

我々夫婦は気まぐれで、カッパドキアから急遽、コンヤにも行こうということになりました。コンヤまでは、列車とバスの乗り継ぎになります。夜遅く、コンヤにつくとすぐ安ホテルを探しチェックインしました。清潔そうで快適な暖かい部屋でしたが、残念ながらお湯は出ませんでした。

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次の朝、早くからコンヤ観光に出かけました。アナトリアの昔の都、コンヤは静かな街です。

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イスラム神秘主義の一派メヴレヴィー教団のお祭りの期間以外は、いつも静かな街だそうです。まずは、最初に、メヴラーナ博物館に行きました。

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その後は、セリミエ・ジャミイというお墓らしい建物に入り、メヴラーナの旋舞の真似事をして、おどけてみたりしました。

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次ぎに観に行ったのはカラタイ博物館。青と黒のセルジューク彫りというモザイクが綺麗に飾られていました。考古学博物館の中は、どこも同じようで、女神像や色々な石棺が並んでいました。途中、町中のテラスカフェで、チャイを一口飲んでから、またぶらぶら歩いて観光を続けました。

昼過ぎにはバスに乗り、南南西のパムッカレの街を目指して走りました。途中で、湖の畔で、休憩しました。ここは何という街だろう。天気も良く、暖かい午後です。

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次の、トイレ休憩では、パムッカレの近く?を感じさせる白い石灰の壁がある場所にバスが止まりました。みんなは急いでトイレに駆け込み、用をすませますが我々夫婦は余裕で写真を撮っていました。さあ、次ぎ、いこうかな。

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夕方近くにデニズリの街を通過し、間もなくパムッカレに到着です。西日がバスの窓から容赦なく照りつけ暖かく、眠くなりました。我々夫婦も太陽の下で、起きたり眠ったりの繰り返しの中、移動しました。旅行って疲れるな。さあ、今晩は何のトルコ料理を食べようかな・・・♪(続)

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2008-04-13

Mu2 寒中空泳 カッパドキア

イスタンブールからカッパドキアまで行くには、アンカラまで飛行機で飛び、そこからは、列車、観光バス、ヒッチハイクなど色々な交通手段があります。我々夫婦は妥当な選択肢、ということで、アンカラ発の観光バスツアーに参加しました。参加費が安く、所用時間もまあまあ、1泊2日ホテル3食観光つき。英語ガイドだけれど、まぁ、良いよね。

というわけで、我々夫婦はトルコのど真ん中のカッパドキアに着きました。でも、ずっとバスの中で寝たり起きたりでしたので、お尻が痛くなりました。周りはなんと、山の中、辺り一面の銀世界でした。

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長い時間を掛けて、カッパドキアに着いたけど、どこをどう回ればよいのだろ?これから、観光はどうしよう?そうだ、今日は、英語のガイド付きだった。我々夫婦は、まずは、バスを降り、おきまりの絶景ポイントから荒涼としたカッパドキアの雪景色を見ることにしました。

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次ぎに見に行ったのは、洞窟レストラン兼ホテルです。三つ星ホテルで、何と、朝食付きで1泊1部屋@¥12,000。一人あたり@¥6,000だそうです。でも、我々夫婦は、街中の普通のホテル。ガッカリ。また、テラスカフェで、チャイを一口。飲んでから、来た坂道をぶらぶら歩いて戻ります。

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バス出発の前に、もう一度、荒涼とした、カッパドキアの風景を目に焼き付けます。おー寒!やはり、来るのなら春か、夏だよね。

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次の、トイレ休憩で、温泉?湯気が立っているお土産屋さんがありました。みんな寒いので、トイレに駆け込み用をすませます。さ、次ぎ、いこか。

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夕方になると、カッパドキアにも、西日が強くさす様になり、暖かくなりました。我々夫婦も太陽の下で、写真を取りまくりました。

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なんか、寒い中、空を泳いでいるみたいだね。「寒中、空泳」なーんちゃって~♪ さあ、今晩のトルコ料理はなんじゃろな~♪(続)

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2008-04-12

Mu1 飛んでイスタンブール

飛んでイスタンブ~ル ♪ という懐かしい昔の歌に乗って、2月の旅行費用が底値の期間に、我々夫婦は日本から遠いトルコのイスタンブールまで飛んできました。安い個人旅行だけあって、フリータイムが多いんです。でも、考え方によっては、自由だからこそ良いんだよ、と思えば良いのですが。

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イスタンブールでの、フリータイムの過ごし方はどうしようか?といえるくらい、色々な楽しみ方はあります。我々夫婦は、まずは、旧市街にあるグランドバザール(カパル・チャルシュ)と呼ばれる屋根付き市場から歩き始める事にしました。

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その前に、まずはテラスカフェで、チャイを一口。ホッとしますね。出発の前に、もう一度地図を見て我々は今、どこにいるのかを確認します。狭い路地が複雑に入り組んだこの迷宮のようなバザールには、数え切れないほどの店があります。でも、あまりにも入り組んでいて、何をどうすれば、効率よく回れるのかなぁ。ま、いいか。

バザールの中をブラブラあるくと、工芸品、絨毯、陶磁器、金製品、銅製品、真鍮製品、水パイプなどが目につきます。特に、ショーケースの中で光り輝く金の装身具は、通り過ぎる人を眩惑します。上質の皮革製品も、比較的安く手に入りそうです。どうせ買えるほどの余分なお金はないんだから、次ぎ、いこ。

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トプカプ宮殿の中は、様々な建物が迷路のようにつながっていて、豪奢を極めた宮殿の中で、スルタンと奥方、家族たちは生活していました。中の廊下、壁、宮殿の内側は、青緑のタイルが張り巡らされており、綺麗ですが、何故か、生活感の無いような、暖かみのない建物のように感じました。

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第一庭園と呼ばれるところは、樹木の生い茂る見事な庭園でした。さらに、第二庭園の右側を歩いて行くと、かつての宮廷の調理棟で、現在は帝国のクリスタル、銀、中国陶磁器のコレクションの展示館となっています。

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アヤ・ソフィア寺院と向かいあうように建っているのが、優雅な6つの尖塔を持つスルタンアフメット・モスクです。ブルー・モスクという名で広く世界に知られています。このモスクは、内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることからその名が付けられたのだそうです。中は暗く、それほど感動はしませんでしたが、

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はるか外から見るブルーモスクは、荘厳な感じで、ああ、これこそがムスリムの国なんだと感動しました。(続)

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