2008-04-25

Ch12 龍門石窟 洛陽

毎年、淡紅柴色の春告花「カタクリ」が咲く頃になると美味いタラの芽が食べたくなる。緑のそよ風に乗り、もいわやまの方向からだろうか、天ぷらの香ばしい匂いが漂ってくる。8年前に訪れた4泊5日の中国の古都洛陽の旅の夕食にでた山菜の掻き揚げを思い出した。

洛陽は、中国歴代王朝の首都である。東周時代、洛邑(らくゆう)と呼ばれ首都になったことから始まる。後漢王朝に一時、首都が西部にある長安に移ったが、その後、曹魏・西晋・北魏・隋・後唐の首都に返り咲いた。また、唐は洛陽を副都としている。

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我々は、西安からスルーガイドの楡さんと、長距離急行列車にのり、6時間もかけて洛陽を訪れた。中国3大石窟のうちの一つ、龍門石窟が観光目的の一つだったからである。龍門石窟は洛陽駅からバスで30分の郊外にある。洛陽の街は自転車の洪水、道路も舗装されておらず埃っぽい。建物も近代的なものは少なく、これが本当に中国四千年の都だった大都市なのかなと懐疑的になる。

龍門石窟は、2000年にユネスコの世界遺産に登録された。北魏時代に首都を洛陽に移したころから建築がはじまった。この頃から唐中期まで、およそ3万体の仏像が石窟の中に作られた。龍門石窟観光用の駐車場は、石窟入口のかなり手前に作られている。バスを降り、龍門の出入り口まで10分ほど歩く。入り口には「龍門石窟」と看板が掲げられた立派な石の門がある。

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入場すると、右手に階段があり、途中には立派なトイレがある。中国はトイレが汚いから行くのが嫌、と昔は言われていたが、どうしてどうして、この頃の中国観光各地のトイレは水洗で、清潔である。

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川岸の壁面をくり抜いて作られた龍門石窟。だいぶイメージとかけ離れて穴だらけの壁という感じであるが、洛陽唯一の観光名所となっている。

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奥まった場所に行くと奈良の大仏とそっくりの顔をした石仏が正面に見える。同じ系譜の大仏であり、こちらの方が時代的には、先に彫られていたそうである。

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洛陽で他の観光のお薦めは無いのですか?とガイドの楡さんに聞いたら白居易の墓くらいしかない、との事で、じゃあ行ってみよう、見てみようと、白居易の墓参りを兼ねて小高い丘に登った。まあ、屋根も付いていて見栄えがする墓である。

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その日の夕食に食べたのが、山菜の天ぷら風、掻き揚げである。味は覚えていないが、日本の山菜天ぷらのルーツのようだということだけは印象に残っている。最終日の朝、西安空港でガイドの楡さんに別れの挨拶の中で、また来るから宜しく、覚えておいてね、と記念写真を撮ってもらった。真面目な添乗員風に写っているかな?

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それにしても洛陽に空港が無いのは行程を組む旅程管理者泣かせである。西安からの列車の旅も良いのだが、1等軟座といえども片道6時間以上もかかり、お尻が痛くなるほど、中国旅行とは体力的に厳しい国である。(完)

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2008-04-24

Ch11 碑林 西安

札幌での病院通いもつらい時がある。ここ2,3日晴天のポカポカ陽気が続き、札幌は春真っ盛りと、昨日のもいわ便りで伝えたばかりだが、今日は一転低気圧の通過で、気温が急激に下がり、霧雨模様で、早春にまた逆戻りである。おー寒いっ!と首をすくめながら、市電に乗り整形外科まで出かけた。沿道の桜は元気なくひっそりと咲き、その隣に鮮やかな黄色の連翹(れんぎょう)が、私は元気!と力一杯咲いている。

さて、西安城壁ウォークも無事に終わり、翌日はもちろん西安観光ハイライト、有名な観光地めぐり。まずは、大雁塔に到着、真正面から塔を見上げる。

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続いて、兵馬俑坑博物館。ここには、驚いたことに兵馬俑坑を発見した90歳を越えたお爺さんが、自分の伝記をサイン入りで販売していた。本物かなと、ガイドに質問したら、10年前と同じ人だから、ご本人です。本当にびっくりした。

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次ぎに向かったのが碑林。正面は立派な建物で、小ぎれいな印象を受ける。暑いなかでも、きりっとした印象である。

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建物の中にはいると碑(いしぶみ)の林立で、漢字がびっしりと書かれており、素人目にも、これはたいした物だと思える。

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昼食後は、華清池、清龍寺、興慶宮などをまわり、夕方にはお待ちかねの西安大舞踊団による中国式オペラ、歌謡劇を見ながらの夕食となった。

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うすうすは気づいていたが、やはり昨日の入場式の執事役のハンサムな俳優が中央にでて、大声で初めの挨拶をした。女官、その他の側用人もいる。トランペットを吹いていた銃士達もずらりと並んでいる。

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オーケストラボックスには、旗持ちの女官達が、楽器を持って演奏開始の会釈をし、観客に笑顔を振りまいている。

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最後は、派手な旋舞があり、大団円となった。旅行業界では、ディナーショーの食事に美味いものはなし、というのが定説であるが、今回は違っていた。何せ日中友好交流協会の肝いりの為、特別の料理が並んでいた。最後の夜らしく、西安城壁ウォーク参加者の皆様は、西安歌劇と豪華料理に大満足し、ホテルへと向かったのである。(完)

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2008-04-23

Ch10 城壁遊歩 西安

札幌の街中に急用ができて、今日も市電に乗り大通付近まで出かけた。通りがかりの大通公園の桜が満開である。平年より1週間は早いのだろうか。地球温暖化の影響がなければよいが、嬉しい中にも少し心配なところもある。親子連れやサラリーマンが、桜の木の下で談笑している。これから雪の降り始める秋までは、札幌が日本の中で一番住みやすい街になるだろう。

さて、古城、西安の入城セレモニーのあと、記念写真を撮り終えてからの話である。初夏の西安は摂氏25度と、かなり気温が高くなっていた。燦々と陽の光りが降り注ぐ晴天の下、出発式が始まり、日本ウォーキング協会会長の挨拶が始まった。その後、団旗を先頭に、60名の日本人ウォーカーと60名の中国人学生が、合計120名、20名ずつの6班に別れて計画に基づき混ざり合い、西安古城の西門の外壁公園を歩き始めた。

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朝食後のホテルを出発する時点では、日本人ウォーカーが60名、バス3台に20名ずつ分乗し走り始めた。ところが、途中で西安大学、西安大学女子寮、西安大学男子寮、など数カ所に止まり、次々に学生を乗せて、城壁の西門に到着し、入城セレモニーに参加する前には、1台に40名ずつ、120名の大所帯になったのである。

我々は、西門から外壁公園を時計回りに北門まで歩き、北門から城壁にあがり、まず西門を目指し、まさに歩き始めようとしていた。その前に、ちょっと打ち合わせ、と記念写真を1枚。「君は先頭のグループを任せる。私は最後尾から行くから宜しく」「はい、了解しました」

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北門から1班20名ずつ2分置きに出発する。最初は、一直線のまっすぐな広い城壁の上の道が気持ちよく、どこまでも続いている。

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通常、城壁の上の歩行は禁止されており、このような特別のイベント開催時のみ通行を許可されるのだ。そう言えば、先ほど出発式でもらった通行許可証はこのことだったかな? 以前から計画されていた日中友好協会の交流事業だから市当局から特別の許可が与えられていたのである。

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西門から南西の角の望楼閣に向かい歩き続ける。現在の西安に残る「城壁」は明代の初期に築城されたものである。残念ながら全盛を誇った随・唐代の城壁ではない。現存する城壁の規模は南北約2.5km、東西約4.2kmで、かなり壮大な物である。随・唐代の城壁は、南北約8.7km、東西約9.7kmもあったといわれている。現在の城壁に囲まれた地域は当時の城壁内の一部で、その規模は面積にして約10分の1でしかない。

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道の半ばで、お互いに記念写真を撮りながら、国際親善、交流を深めている。西安大学の外国語学部日本語学科の学生が多いので、卒業したら日系企業に働き、何れは来日する事もあるかもしれない。

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東南の角、望楼閣に寄って、一休みしてから、最後の一踏ん張りで、ゴールの東門に到着する。

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「お疲れさまでした。階段の下にバスが待っているので、順番にお乗りください!」と、最後尾から声を掛ける。まあ、これで何とか無事に西安城壁ウォークも終了できそうだ。やれやれ。(続)

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2008-04-22

Ch9 古都 長安

春真っ盛り。札幌もいわ山麓にある我が家から、眼底定期検査の為、久しぶりに札幌医大病院に行って来た。天気も良く、札幌名物の市電に揺られガタンゴトンと気持ちが良い。沿道のあちこちの桜が五分咲きで、美しい季節になったと感じる。

季節が良くなると当然の事ながら食欲も湧き、美味い物が食べたくなる。札幌医大病院からの帰り道、近くの中華料理店から、焼き餃子の香ばしい匂いが漂ってくる。腹が減った。6年前に訪れた西安の専門店で食べた餃子を想い出した。

西安はその昔、中国四千年の歴史上、長いこと首都であった長安の現在名である。その城壁は今では観光の目玉になっていて、古都長安の面影をよく残し、風情を感じさせてくれる。また、町の中心である鐘楼と鼓楼も残され、現存する唯一の中国的な城壁都市として機能している。

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餃子に出会ったその場所は、西安古城の中心の餃子広場。宿泊したホテルから観光バスで約15分の距離にある中華レストラン。日本人観光客受けする有名な餃子専門店である。

今回の西安訪問の目的は、総勢60名の西安城壁ウォークの実施である。私は、日本ウォーキング協会主催、日本エアシステム協賛、西安市観光協会後援という、大がかりな西安城壁ウォオーキングツアーの主任添乗員として来たのである。

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西安城壁ウォークの記念セレモニーは、翌朝10時から始まった。本物のファンファーレが鳴り響き、まずは長安城の昔の衣装を着た女官、側用人達が入場する。

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あまりの美しさと本物に近い雰囲気に、観客達は急に、シーンとなり、何が起こるのか、と見入ってしまう。最後に出てきたのはこの城の代官、執事役のハンサムな役者さん。

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おもむろに、手に持参した、巻物を、パッと広げ、ゆっくり、
「○※△x□※○!」と、大声で、朗々と読み上げる。

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ぐるりと観衆を見渡し、笑顔で大仰に会釈した。我々観客は、ガイドの日本語の「長安への入城を許可します」 という説明を聞き、慌てて拍手をする。
その拍手に対し、執事役の役者は、
「○※△x□※○!x□※○、△x□※○」
と再び、叫んだ。通訳が、「日本の皆さま、ようこそ長安の都へ、歓迎いたします、どうぞ楽しんでください」

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たいそうな儀式は30分ほどで終わり、記念写真を撮り終えた後、参加者には帰り際、一人一人に、立派な表紙付きの長安通行証を1枚ずつ手渡された。

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歴史的なセレモニーに参加した感動と共に、その日の午前中のスケジュールは終了したのである。(続)

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2008-04-21

Ch8 寒山寺 蘇州

札幌からのもいわ便りも順調に続いているので、このへんで一休みし、もいわ山のロープウェイに乗り、頂上から春の札幌の街を見ておこうか、とロープウェイに続く道を歩き始めた。山の斜面にはあちこち残雪が見え隠れしているが、車道の両側の街路樹の所々に桃の花が咲き、春が来たぞ!と自己主張している。

道路際の白亜のマンションあたりからか、ジャスミン茶の良い香りが漂ってくる。去年の夏に行った沖縄ではさんぴん茶と言ってよく飲まれていた。これはジャスミン茶を指す中国の香片茶 シャンピェンツァーから伝播したものである。ジャスミンの香り~沖縄~黄土色~寒山寺の壁。連想する中で、6年前の2月に行った蘇州研修旅行を思い出した。

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蘇州では、唐代に建立された名刹、寒山寺が有名である。唐代の詩人張継の「月落ち烏鳴いて霜天に満つ」で始まる漢詩「楓橋夜泊」の中に登場する。表参道は広く真っ直ぐに続き、中国人も日本人観光客もぞろぞろと歩いていく。

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虎丘塔は、春秋時代、呉の国王夫差が埋葬されたことに由来している。

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北宋代、961年に建立された八角七層の雲岩寺の塔である。現在少し傾いているためイタリアのピサの斜塔と比較されることもある。現在は、中国の全国重点文物保護建造物となっている。

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虎丘塔の裏参道を降りていくとそこには広い寺の境内があり、その外側は掘り割りになっている。

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その後、蘇州の古典園林のうちの拙政園、留園、獅子林などの庭園を視察。これらはユネスコ世界遺産に選定されている。

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昼食は、蘇州名物の蒓菜銀魚、松鼠桂魚、碧螺蝦仁などの川魚、淡水蟹料理を頂いた。お茶はもちろんジャスミン茶。沖縄のさんぴん茶よりも、ジャスミンの香りが程良くきいている。やはり沖縄のさんぴん茶のルーツかも知れない。

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昼間の運河沿いの街並みからは想像するのは難しいが、一応、写真を撮り、想像する。・・・月明かりの下、蘇州夜曲のメロディーに乗り・♪~愛する女性と二人、掘り割りを小舟に揺られ・♪~日本人のオールドファンであれば、心の故郷として思い出すような、なんとも切なく懐かしい街である。(続)

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2008-04-20

Ch7 西湖 杭州

春といっても、札幌もいわ山のあちこちには、残雪が見え隠れしている。家の窓から見える山鼻サンパークに設置された花壇には、整然と黄色や純白の水仙がみずみずしく咲いている。真っ赤なチューリップもそよ風に揺れて気持ちよさそうである。4月半ばにもなれば、北の街札幌にも春は訪れるのである。

今日のお昼は炒飯かな。豚の角煮の美味そうな匂いが階下から漂ってくる。そういえば、5年前、杭州ウォーキングツアーで泊まった望湖賓館で食べた東坡肉(トンポーロウ)入り炒飯はすごくうまかったな。懐かしさに、当時の杭州ツアー記念アルバムを探し出し開いてみた。

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杭州市の中央に位置する望湖賓館は西湖の畔にあり、近隣では、そこそこの立派な建物で、外国人向けのランクのホテルである。

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杭州ウォーキングツアーは、ひょんな事から始まった。私の北九州支店勤務時代、九州ウォーキング協会にセールスに行ったところ、「中国の桂林か、蘇州を歩きたいんだが」という事務局長の言葉に、「今度ウチが飛ばす予定の杭州に良いウォーキングコースがありますよ」「それじゃあ、百聞は一見にしかず、杭州まで下見に行きましょうよ」瓢箪から駒を地でいくように、2週間後に、杭州まで来てしまい、歩いて西湖を一周してみましょう、と、歩き始めたのである。

朝食後、準備体操もそこそこに、各自ばらばらに歩き始める。
「ちょっと待って。まずは、車に気をつけて下さい。なんせ、中国は車優先社会で、人権は後まわし。事故補償もままならないですからね」

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西湖の湖畔を下見風に歩く。公園の湖の歩道を時計と反対まわりに歩き始める。話によると、福岡の大濠公園のモデルになった湖である。

市の中心にある広大な西湖である。水上には屋根付きの観光船がゆっくりと流れに身を任せるかのように動いていく。遠くに霞む丘とのコントラストが美しく、癒しの世界を感じさせてくれる。

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湖の中央を歩きやすい専用歩道が続いている。緑が濃く、空気もきれいである。

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天気も良く、絶好のウォーキング日和である。快適なペースで、皆で元気に、あるけあるけ。

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西湖にはいくつかの観光シンボルがある。まずは、南の外れにある六和塔。その雰囲気は、奈良の斑鳩の里を彷彿とさせる。

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昼食は、杭州名物の東坡肉入りの炒飯である。沖縄のラフテーもしくは、長崎のトンポーロウに似ている。そのルーツかも知れない。

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杭州は、中高年で、ウォーキング好きで、日本人であれば、好きにならざるを得ないほどの、なんとも癒される街ではある。(続)

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2008-04-19

Ch6 海南島 三亞

春の札幌の街は美しい。数多くの種類の花が咲き始めるからである。毎年、雪解けが終わる4月上旬頃、大通公園に北こぶしの黄色の花が咲き、春が訪れる。4月下旬の桜が咲く頃になると春は真っ只中になり、首都圏、近畿圏からの観光客でにぎわい始める。観光客目当ての焼きイカや、トウキビの匂いがあたりに漂い食欲を刺激する。

今日も緑のそよ風に乗り、円山公園の山端から焼きイカのしょうゆダレの匂いが漂ってくる。9年前に訪れた海南島三亞で食べた海鮮焼き魚料理を思い出した。

海南島は、中国の南の外れの海南省に属している。かつては広東省に属していたが、1988年に分離して海南省になり、同時に経済特区となった。東西約300 km、南北約180 kmで、面積は32,200平方キロ。台湾を除けば、中国最大の島である。全島が亜熱帯性気候で、中国のハワイとも呼ばれ、現在は漢民族が多くなったが、古くから主にリー族などの少数民族が住んでいた。

私はその当時、関連旅行会社に出向し、主に東南アジアの旅行開発業務に従事していた。今回の三亞入りも、ホテルのハード、ソフトの視察を主体に、観光地を視察するのが目的である。その日は、広州から中国南方航空に乗り、三亞空港に降りたった。雨降りのあいにくの空模様ではあるが、出迎えの車に飛び乗ったのである。

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現地の通訳ガイド試験に受かったばかりだというまだ学校をでたばかりの若い女性ガイドの維さんと、最初に訪れたのは、中国財閥系の某ホテル。雨降りの所為か、日本人に対して抵抗感があるのか、気に入られなかった所為か、あまり印象がよくなかった。夕方には、日系のマネジメントのホテルに泊まり、海鮮料理を頂いた。中華風ではあるが、ベトナムかフランスかが混じっている無国籍な感じの焼き魚中心の料理である。

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翌日の空は晴れ渡り、良い天気になった。まずは大手世界中にチェーンのあるxxxトンホテル。若い男性アシスタントマネジャーが明るく親切丁寧に案内してくれた。

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次ぎに訪問したのも有名なハワイにもあるアメリカ系ホテルチェーンのコピーのようなホテル。女性のアテンダントがそつなく案内してくれ、おまけに昼食は、そのホテルで、ハワイアン風アメリカンビュッフェをご馳走になった。中華料理は飽きていたので、たまにはハワイアンテイストも良いかなとくつろいだ。

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午後には、三亞市から車で30分あまり走った山の中腹にあるリー族の民族村に視察に行った。ここの主人公は、まだあどけない小さな女の子達である。

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日本人の中年の小父さんが珍しいのか、お菓子かお金がほしいのか、わっと取り囲まれた。あと10年後にあらためて取り囲んで欲しいような、欲しくないような。

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三亞観光のハイライトはこんなもんですよ。と言って、維さんがにこにこ笑っている。やはり三亞への日本人の観光客誘致はまだまだ先の話である。(続)

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2008-04-17

Ch5 世界之窓 深圳

札幌の大通公園に春が駆け足でやってきた。春風は暖かく芝生の上の雪もほとんど消えている。少しほこりっぽいような気もするが、実際はそれほどでもない。

雨の日曇りの日はまだまだ寒いし風も冷たいが、祝祭日にはそよ風に乗り、ワゴン売りの焼きとうもろこしの香ばしい匂いが漂ってくる。その香りを嗅ぐたびに、11前の初夏、旅行商品開発の調査に行った深圳で、中食に食べた小龍包を想い出す。

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深圳は、香港に隣接し、軽工業、金融、商業の盛んな大都市である。広州から車で2時間あまり、香港からも列車で30分という至近距離にあり、双方から出入りするビジネスマン、観光客も増えたと聞いている。

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深圳の街に着いた時はちょうどお昼時。そこで、深圳の名物を食べることにした。深圳の点心は美味いことで有名。日本の小龍包は小型であるが、そのルーツ、原型を彷彿とさせるような小型版で、食べると、やはり中国の香辛料が気にはなるが、口に入れるとやわらかく、甘辛で美味い。

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昼食後、仕事始めに観光地を回る。深圳には、いくつかの観光シンボルがある。まずは、市の中心にある世界之窓。その名の通り、広大な敷地の中に、パリのエッフェル塔を中心に、エジプトのピラミッドや、万里の長城がある。万里の長城は遠目で見ると立派な壁が連なっているように見えるが、近づいてみると、おもちゃのようである。

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チベットのラサは、今日現在、中国の話題の中心であるが、そんなことは何も関係ないと、平然としている。

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石林公園と湖。何にかバランスの悪い風景画のようである。

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三塔寺も雰囲気はあるが、まわりの家屋とのバランスがおかしい。

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「食在広州」と「食い倒れの街香港」の間にある深圳。世界之窓はもう結構だが、点心の美味い街として、再度訪れてみたい場所である。(続)

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2008-04-14

Ch4 七星岩公園 肇慶

春先の札幌の名物は突風。50年前には馬糞風が吹き。25年前は車粉風に変わり。今年の風は?少しほこりっぽいが、昔みたいにマスクをするほどではない。さわやかな初夏はすぐそこまでやって来ている。

晴れた日に豊平川の堤防の上を散歩していると少し冷たいが、心地よい川風に乗り、点心、肉饅頭、焼き餃子の香ばしい匂いが漂ってくる。10年前の初夏、仕事で調査に行った肇慶(ちょうけい)で、中食に食べた粽(ちまき)を想い出した。

肇慶は、珠江デルタ地帯に開けた河南地方の町である。広州から車で2時間あまり、香港からも列車で3時間半という距離にあるので、近頃は香港からも、小桂林とも呼ばれる七星岩公園を訪れる人も増えたと聞いている。

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肇慶の街に着くとちょうどお昼時になった。そこで、肇慶の名物を食べることにした。肇慶のちまきは大きいことで有名。「肇慶裏蒸」と呼ばれている。日本のちまきは小粒であるが、そのルーツ、原型を彷彿とさせるような超大型版で、もち米、緑豆、豚肉の白身に適量の塩、麹酒、落花生油、白胡麻、五香粉など調味料を加え、丹念に作り上げたものである。食べると、香辛料が鼻につくが、口に入れると溶けやすく、甘みも濃い。

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中食後、定番通りに観光地の下見に歩く。肇慶には、いくつかの観光シンボルがある。まずは、市の中心にある広大な七星岩公園の湖である。周りの岩山とのコントラストが美しく、癒しの世界を感じさせてくれる。

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鍾乳洞をでた表側にある、水月宮は立派な趣のあるお寺である。

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肇慶の霊廟は、中国の至る所にあるものとさほど変わりはない。

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広州への帰り道に立ち寄った祖廟。佛山の町の中心的建造物である。偶然、結婚の報告に訪れたハネムーンカップルとすれ違った。日本でいえば浅草寺に雰囲気が似て、庶民的な感じがする。

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「食在広州」の近郊の肇慶は点心の街、ひまが出来たら再訪してみたい街ではある。(続)

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2008-04-12

Ch3 食在 広州

札幌の初夏は清々しい、大通公園にライラックの花が咲く頃になると美味い広東料理が食べたくなる。心地よいそよ風に乗り、大通公園の屋台の焼きとうもろこしの香ばしい匂いが漂ってくる。8年前、初夏に訪れた広州で食べた広東料理を想い出した。

広州は、珠江デルタ地帯に開けた河南地方最大の港町であり、広東省の省都である。関西空港から直行便も出ているが、香港からも列車で1時間半という距離にあるので、香港旅行に1泊加えるか。あるいは、日帰りで遊びに行くというのも良いアイデアである。

広州には、いくつかの観光シンボルがある。まずは、広州市の中心にある広大な越秀公園の中にある五羊石像である。

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2つ目は、越秀山にある明の洪武13年に創建された鎮海楼。明代からの景勝地で、古刹や革命を記念する建物のひとつである。

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3つ目は、孫文を記念する中山記念堂。中山とは孫文のことで、孫文が日本に亡命するとき身分を隠すため中国にはない中山という姓を用いたためである。建物の中は、中洋折衷の構造になっていて、外観は清の皇帝の帽子をかたどり、屋根は3階になっている。

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4つ目は、陳氏書院。「陳家祠」とも呼ばれる広東省の“陳”姓の氏族が祖先を奉るために建てた祠堂で、清朝の西暦1890年に着工し、同20年に落成した。その卓越した装飾技術から民間建築の大成と讃えられ、広州の建築百選に選ばれている。

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最後にもう一つ。広州で最も私の好きな一区画が沙面である。中国の中に残されたいにしえの西洋の街と言った感じであり、訪れたときには必ず、清楚な洋館街を散策する。河辺に出ると常に涼しい風が心地よく吹いている。

「食在広州」ともいわれるが、広東料理の本場は、広州である。特に、川魚、海鮮料理が美味い。やはり、日本人の甘辛醤油味好みはこのあたりがルーツかもしれない。広州はまさに全世界に認められたグルメスポットである。(続)

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2008-04-11

Ch2 漓江下り 桂林

毎年、桂林の花、金木犀が咲く頃になると美味いビーフンが食べたくなる。緑のそよ風に乗り、もいわやまの山影からか、あんかけ焼きそばのような香ばしい匂いが漂ってくる。6年前に訪れた桂林で食べたビーフンを想い出した。

桂林は、中国西南部・広西壮族自治区の東北部に位置している。この地方は紀元前、秦の始皇帝の時代に運河が建設されてから、二千年余りの歴史の中で、文化が花開き、宋代から清代まで広西地域の政治・経済・文化の中心として栄えてきた。その桂林市内には「駱駝山」と呼ばれているらくだの姿をした珍しい岩山がある。

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「象鼻山」とよばれる川に張り出した象の形をした岩山。

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「蘆笛岩」とよばれる鍾乳洞などがあり、観光の名所となっている。

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また、市の中央を横切るようにして全長437キロにわたる漓江が流れ、その両岸には奇岩・奇峰が連なり、山水画のように美しい独特の風景が広がっている。

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桂林観光のハイライトはなんと言っても漓江(りこう)下り。桂林に来た観光客で、漓江下りをしなかった人はいないというほど有名。水墨画のような桂林独特の風景を楽しむには、やはり漓江下りが一番である。


両側に林立する奇峰を縫うようにして川が流れ、晴れていれば、青い川面に緑の山が映り、雨の日は、霧雨の中の水墨画のような幽玄の世界にひたれる。

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漓江下りツアーでは、竹江埠頭を午前に出航し、終点の陽朔まで約60キロを4時間ほどかけ、ゆっくりと下る。展望デッキからの景色は、まさに夢幻、山水と言われるように、絶景の連続だ。桂林からのバス送迎、船内の昼食、日本語ガイドがセットになった便利な、でも少し高価な漓江下りツアーで、心ゆくまで山水画の世界を楽しみたい

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終点の街、陽朔の一帯は西街と言う数百軒の土産物屋が軒を連ねている。物売りのお婆さん、子供達がうるさくつきまとい、それが難点ではあるが、陽朔には喫茶店や焼きビーフンの美味い中華食堂もあり、とても明るく楽しいところである。(続)

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