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パーカー牧場にあるパーカーランチショッピングセンターを190号線へ入り、
マウナケアの裾野を南下し、そのまま一気にコナへと向かう。
15分ほど走ると、左手にマウナケアの南裾を通ってヒロまで突き抜ける、
悪名高い?サドルロードが見えて来る。
この道は、狭い上にアップダウンが激しいのでとても見通しが悪い。
更に、慣れている地元のドライバーはビュンビュン飛ばして運転するので、
我々よそ者ドライバーにとっては非常に危険な道であるらしく、
レンタカーの保険の対象外に指定されている。
ただ、この道はハワイ最高峰のマウナケア山頂へとつながっているので、
保険の事などお構い無しの、多くの恐れ知らずのおのぼりさんドライバーが、
足を踏み入れ、事故の種を蒔きちらすらしい。
私は臆病者なので、到底そんな勇気ある行動を取ることはできない。
(臆病というのは、保険が利かない場所を運転して事故に遭う事もそうだが、
そういう行動をとる事によって、妻から叱責を受ける事に対してもである)
サドルロードに後ろ髪を引かれること約20分、(本当のところ私も運転して
マウナケアまで自力で登って見たいのだ)
若草色だった牧場から、茶褐色の溶岩地帯へと景色が一変した。
この溶岩地帯は、マウナロアの噴火によって、ここまでトロトロと流れて来た
ものであり、「カニク・ラバ・フロウ」と名が付けられている。
ラバ・フロウとは「溶岩流」のことであり、カニクとは溶岩流に飲み込まれた
一つの集落だったと思われる。
当時、4169mのマウナロアの爆発は、それは凄まじかったことだろう。
それを物語るかのように、このハワイで最も長い溶岩流は、ここから数キロ先
のワイコロアビーチリゾート辺りまで達し、海へ落ち込んでいる。
富士山の噴火で流れ出した溶岩が富士市を焼き払い、田子の浦まで達する
ようなものではないだろうか。
◆カウプレフ溶岩流(遠くにワイコロアリゾートが小さく見える)
その隣にある溶岩流は、1895年の噴火で流れてきたものであることから、
「ラバ・フロウ・オブ・エイティーンナインティファイブ」と名が付いている。
更に10分程走ると、標高2521mのフアラライ山からの溶岩流カウプレフ
があり、そのちょっと先にも同山からの「1801年の溶岩流」が残っている。
ハワイ島は、産声を上げてからまだ何年も経っていない若い島なので(とは
言っても100万年は経っているが)、今なお成長を続け、有史時代になり、
近年になっても何度か噴火しているため、あちこちの溶岩は風化しきれず、
その姿をさらけ出したままである。
面白いことは、それぞれの溶岩がそれぞれの顔をちゃんと持っており、
その表情でハワイ島の歴史を垣間見ることができることだ。
すれ違う車が少しずつ増えてきた。
190号線がクイーンカアフマヌ通りと交差する際、信号が赤に変わった。
車を停止させ、後ろを振り向くとフアラライ山の雄姿が夕陽に照らされていた。
そんなフアラライの溶岩を基礎に築かれた町、コナに着いたのだと気付いた。
◆コナの町のメインストリート、アリイ・ドライブとカイルア湾
2006-05-09
マウナロア発、ワイコロア行き、ラバ・フロウ by tetsushi
パーカー牧場にあるパーカーランチショッピングセンターを190号線へ入り、
マウナケアの裾野を南下し、そのまま一気にコナへと向かう。
15分ほど走ると、左手にマウナケアの南裾を通ってヒロまで突き抜ける、
悪名高い?サドルロードが見えて来る。
この道は、狭い上にアップダウンが激しいのでとても見通しが悪い。
更に、慣れている地元のドライバーはビュンビュン飛ばして運転するので、
我々よそ者ドライバーにとっては非常に危険な道であるらしく、
レンタカーの保険の対象外に指定されている。
ただ、この道はハワイ最高峰のマウナケア山頂へとつながっているので、
保険の事などお構い無しの、多くの恐れ知らずのおのぼりさんドライバーが、
足を踏み入れ、事故の種を蒔きちらすらしい。
私は臆病者なので、到底そんな勇気ある行動を取ることはできない。
(臆病というのは、保険が利かない場所を運転して事故に遭う事もそうだが、
そういう行動をとる事によって、妻から叱責を受ける事に対してもである)
サドルロードに後ろ髪を引かれること約20分、(本当のところ私も運転して
マウナケアまで自力で登って見たいのだ)
若草色だった牧場から、茶褐色の溶岩地帯へと景色が一変した。
この溶岩地帯は、マウナロアの噴火によって、ここまでトロトロと流れて来た
ものであり、「カニク・ラバ・フロウ」と名が付けられている。
ラバ・フロウとは「溶岩流」のことであり、カニクとは溶岩流に飲み込まれた
一つの集落だったと思われる。
当時、4169mのマウナロアの爆発は、それは凄まじかったことだろう。
それを物語るかのように、このハワイで最も長い溶岩流は、ここから数キロ先
のワイコロアビーチリゾート辺りまで達し、海へ落ち込んでいる。
富士山の噴火で流れ出した溶岩が富士市を焼き払い、田子の浦まで達する
ようなものではないだろうか。
◆カウプレフ溶岩流(遠くにワイコロアリゾートが小さく見える)
その隣にある溶岩流は、1895年の噴火で流れてきたものであることから、
「ラバ・フロウ・オブ・エイティーンナインティファイブ」と名が付いている。
更に10分程走ると、標高2521mのフアラライ山からの溶岩流カウプレフ
があり、そのちょっと先にも同山からの「1801年の溶岩流」が残っている。
ハワイ島は、産声を上げてからまだ何年も経っていない若い島なので(とは
言っても100万年は経っているが)、今なお成長を続け、有史時代になり、
近年になっても何度か噴火しているため、あちこちの溶岩は風化しきれず、
その姿をさらけ出したままである。
面白いことは、それぞれの溶岩がそれぞれの顔をちゃんと持っており、
その表情でハワイ島の歴史を垣間見ることができることだ。
すれ違う車が少しずつ増えてきた。
190号線がクイーンカアフマヌ通りと交差する際、信号が赤に変わった。
車を停止させ、後ろを振り向くとフアラライ山の雄姿が夕陽に照らされていた。
そんなフアラライの溶岩を基礎に築かれた町、コナに着いたのだと気付いた。
◆コナの町のメインストリート、アリイ・ドライブとカイルア湾