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2004-12-05

インフレの藻屑と消えた5カペイカ by tetsushi

ホテルの部屋に入ったすぐ後で、ノックする音が聞こえた。
開けてみると、その階を担当する案内スタッフの女性が立っていた。
ホテルには、各階のエレベーター前に案内職員の座るデスクが設置されており、
表向きは観光案内、ホテル案内、両替等が行われていた。
これらの業務は、私が知る限りロビー階にいるコンシェルジュがまとめて行う
仕事だと認識していたのだが、ソ連では、社会主義国家として国民全員に
仕事を与える為には多くの仕事を作らなければならないのである、とも、
我々の監視役を兼ねているのだ、とも、ホテルに泊まる外国人の間では、
色んな憶測が囁かれていた。

その女性の両手には多くのルーブル紙幣がにぎられていた。
ソ連では珍しくないヤミ両替である。
100ルーブルと10ドルを交換してほしいということだった。
モスクワは観光客用に多くの外貨ショップがあったが、ローカル店では、
ルーブルが必要不可欠であった為300ルーブルほど両替を頼む事にした。
この様な両替を求める人は、街の至る所にいたので、もはやヤミではなく、
これこそがソ連の ”オモテ” だったのだ。

ロシア モスクワ
モスクワ川から望むロシアホテル
※ロシア最大のホテル。近い将来、解体されることが決定した。

当時、ルーブルの公定レートは、1ルーブルが約300円で、市民の
平均給与は約350ルーブルほどだったのだが、ヤミ両替は当たり前の
ようにあちこちで行われており、数年後のソ連崩壊と共に顕在化される
通貨バブルは、既にこのころから始まっていたので、実際の市民生活は
平均給与に到底見合うものではなかった。
1年後、このインフレは、1ルーブルが1円まで下落することになる。

ロシアではルーブルの下にカペイカという補助通貨があり、100カペイカで
1ルーブルとなっている。
当時、地下鉄へ乗車する際、5カペイカをそのまま改札口に入れるとバーが
開く仕組みになっており、切符を購入する必要がなく便利な代物でもあった。
(因みに5カペイカは実勢レートでは1円にも満たなかった。脅威の安さだ!)
そして、カペイカは小銭なので、何を買うにしても、おつりとしても、普通に
よく使用されていたが、インフレに対する政府の措置としてのデノミにより、
一時的にモスクワから消えてしまった。

現在は、レートも落ち着き復活を果たしたが、5カペイカはほとんど使用
されることはなく、日本で言うところの「銭」のような存在となりつつある。

ロシア モスクワ
モスクワ川から望むクレムリン宮殿
※ソ連政府のペレストロイカは、自由と同時に大きなインフレをもたらした。
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