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2004-12-09

ソ連で「マールボロ長者」になった話 by tetsushi

ペレストロイカ真只中のモスクワは、異様な雰囲気に雑然としていた。

赤の広場周辺には、外国人観光客から外貨や西側外国製品を得ようとする輩達が、
あちこちで様子を伺っていた。
当時のソ連では、特権階級以外のプロレタリアートは、外貨や西側諸国の製品を
簡単には持つことができなかった。
私はソ連へ行くにあたって多くの西側諸国の物を携えて入国することにした。
特に役立ったのは、アメリカタバコの「マールボロ」であった。

国境を接していた米ソは長く対立し、軍事力においてはソ連もアメリカに引けを
取らない進化を遂げていたが、庶民の生活はそっちのけにされ、日常品などの
“物レベル”においては、アメリカ製品がソ連製品を圧倒していた。

モスクワ・赤の広場
◆赤の広場で交渉する私の友人

タバコはマールボロでなければ価値は半減する。
マイルドセブン等の日本たばこでは、ソ連製タバコとさほど変わらなかった。
マールボロは、大学のゼミでロシア研究を専攻していた、ソ連マニアの友人の為
のソ連グッズ収集に役立った。
日本で200円そこそこのタバコが、みるみるうちにソ連製の時計やロシア帽に
変わって行く様は、手品か魔法のようだった。
一度、町中で商売を始めたら、次から次へと我々の元へ人がやって来た。
交換は1箱ごとではなく、1本1本バラでの交換なので、品物は豊富に揃った。
時計も1種類ではなく、シベリア鉄道職員専用の時計などもあったし、レーニン
バッジや本当かどうか疑わしかったがマンモスの化石の一部というものもあった。

一度ソ連で買った他のタバコをマールボロの箱に詰め、それとなく売ってみたが、
交渉中にバレてしまった。しかし、それに感心した輩が、我々のそのアイデアを、
マールボロの空箱と一緒にマトリョーシカと交換してくれた。
その後、この空箱はどのくらいの人達の手に渡り継がれたのだろうか。

モスクワ・マトリョーシカ
◆マールボロの空箱と交換した、歴代書記長のマトリョーシカ
※写真左からゴルバチョフ、ブレジネフ、フルシチョフ、スターリン、レーニン
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