2006-08-20

銀サンの下で by tetsushi

甲子園

私は毎年のように夏の甲子園へ足を運んでいる。
昨今、普段の生活においてなかなか季節を感じることができない中、
私にとって高校野球観戦は、夏の風物詩の代表であり年中行事の一つである。

甲子園には様々な名物があり、名物はまた、甲子園の風物でもある。

ただの氷だが200円で販売されている「カチワリ」。
夏の甲子園では欠かせない品であることには間違いない。

炙られると、とても香ばしいにおいを醸し出す「ジャンボ焼き鳥」。
風向きによってはピッチャーマウンドまで匂ってくるそうだ。

とにかく美味しいと評判の「カレー」。お持ち帰りもある。

食べ物はこのくらいにして、球場の外壁を取り巻くシンボリックな「蔦」。

海岸から吹きよせる、選手泣かせの「浜風」。

岡本太郎氏が白いシャツを着た高校生のお客で満員になったスタンドを見て、
「アルプスのようだ」とつぶやいたことから名付けられた「アルプススタンド」。
その後、誰かが外野席をヒマラヤスタンドと呼ばせるように仕向けたらしいが、
岡本氏のつぶやきには全く歯が立たず、結局定着しなかったという話もある。

そして、バックネット裏からベンチ裏辺りの上空を覆う鉄の屋根「銀傘(サン)」。

夏の甲子園では、必ずこの銀サンの下に席を取ることにしている。
ここは直射日光を避けることができ、三塁側だと浜風の通り道となり、
他の席と比べると紫外線と暑さが半分以下に抑えられるからだ。
因みにアルプス席は、その名称とは関係なく、熱風吹きさらしの灼熱地獄だ。

今日の決勝戦は駒大VS早稲田。
朝10時半に甲子園へ到着、今大会屈指の好カードが決勝戦に組まれたことで、
試合開始2時間半前だと言うのに、既に銀サン内はほぼ満席状態であった。
これは、最近にしては珍しい混み具合だ。

高校野球であるにもかかわらず、各校のOB達も関東方面から大勢駆けつけ、
それぞれ「コマダイ!」、「ワセダ!」と、大学選手権のような状況になっていた。
早稲田が同点に追い着いた時は、ファンの大声援が最高潮に達した。
早稲田ファンならずとも、今日、最も盛り上がった瞬間だった。

甲子園の楽しみは野球以外にも応援合戦が楽しみでもある。
人によっては野球以上に楽しみにしている人もいるくらいだ。
プロ、アマ共に、応援団はアルプススタンドか外野席に陣を構えることが多い。
来年オフシーズンには、銀サンをアルプススタンドまで延長するという計画があり、
そうなると、銀サンの中は音が反響するため、音量は今まで以上に増すらしい。
そんな銀サン内での応援合戦が、甲子園の次なる名物になることは請け合いだ。

いや~、それにしても今日の試合は、選手同様、私も熱さと暑さに疲れきった。
もちろん、それに見合った感動は十二分に与えてくれた。

甲子園
ピッチャー駒大の田中、バッター早稲田の斉藤

2006-08-19

嵯峨野 竹林そぞろあるき by tetsushi

夕方涼しくなって、嵯峨野の南西をぶらりと歩いた。
嵐山、渡月橋の騒々しい通りから一歩西へ入ると、
百人一首発祥の地「小倉山」や、
嵯峨野で最も嵯峨野らしいと言われる「竹林の道」など、
ちょっとシュールな古き良き “京都らしい” 風景に出会うことができる。

夕方、人気の無くなった竹林の道は雰囲気抜群ではあるが、
人に代わって吸血蚊が現れる時間帯なので、くれぐれもご注意いただきたい!

京都 天竜寺
昼間は観光客で賑わった天龍寺も夕方はひっそりとした佇まいを見せる

京都 天龍寺
入り口からだるま大師の屏風絵が除く

京都 嵯峨野
小倉百人一首の殿堂、時雨殿は、体験型のテーマパーク

京都 嵯峨野
床のスクリーンに地上1000mから眺めた京都市街が写し出される

京都 嵯峨野
こんな感じ

京都 嵯峨野
スクリーンには百人一首も写し出され、かるた取り合戦が行われる

京都 嵯峨野
時雨殿を出ると、宝厳院がある

京都 嵯峨野
こんな石像も嵯峨野の雰囲気を高めてくれる

京都 嵯峨野
嵐山羅漢の社にある石仏群もどこかシュールだ

京都 嵯峨野
夏だと言うのに、あちこちに湯豆腐屋がある。実にシュールだ

京都 嵯峨野
突然、人力車が走ってきたが、乗っているのは誰だろう・・・

京都 嵯峨野
人力車が通り過ぎると、再びひっそりと静まる

京都 嵯峨野
野宮神社の苔庭

京都 嵯峨野
人気の無い竹林の道では、風で竹のこすりあう音がカサカサと聞こえる

京都 嵯峨野
竹林は絵画的である

京都 嵯峨野
小倉池のほとりに見えるのは、日本で唯一の “髪の毛の神社” 御髪神社だ。
思わず手を合わせている自分がいた

2006-08-14

高瀬川そぞろあるき by tetsushi

高瀬川沿いをそぞろ歩くと ”京都らしい” 風景に出会える。
真夏の昼下がりに、のんびりここを歩いてみるのが良い。

高瀬川は繁華街の近くを流れるが、その喧騒からは程遠く、
特に五条通りから四条通りの間は、一種独特の時が流れている。

また、夏の京都は酷暑ではあるが、川沿いに植えられた多くの木々と、
高瀬川特有の浅い瀬のせせらぎに、川面のキラキラした反射光は、
辺りに涼しげな雰囲気を漂わせてくれている。

七条通りから二条通りを少し下った一之舟入までの約3kmを歩いた。

京都 高瀬川
七条通りと五条通りの間の両岸には多くの木が植えられている

京都 高瀬川
五条通りを越えると、小径が現れる

京都 高瀬川
こんな入り口を見付け、思わず中へ

京都 高瀬川
タイムスリップしたような一角へとつながった

京都 高瀬川
川沿いの植木を手入れする人がいた

京都 高瀬川
高瀬川にはいくつもの小さな橋が架かっている

京都 高瀬川
小径はなくなり、建物が川岸をふさぐ。川面に写る緑が美しい

京都 高瀬川
所々古い民家が連なる場所もある

京都 高瀬川
四条通りへ近付くにつれ賑やかくなり、川辺で涼をとる人も多く見られる

京都 高瀬川
木屋町通りには納涼床の店が並ぶ。この向こうは鴨川だ

京都 高瀬川
通りから一筋中へ入るとこんなお店も多い

京都 高瀬川
四条通りの少し手前から再び川岸に小径が現れる

京都 高瀬川
四条を越えると、お洒落なお店が軒を連ねる

京都 高瀬川
三条通り近くに、こんなお店もある

京都 高瀬川
ようやく一之舟入跡に到着

京都 高瀬川
この界隈まで来たら桂小五郎の銅像を探そう

2006-08-06

ヒロシマの日 2006 by tetsushi

先日ハワイを訪れた際、日系のタクシードライバーに乗り合わせた。
空港までの約30分間、ドライバーと色んな会話を交わした。
私がパールハーバーにあるアリゾナ記念館のことを持ち出すと、
彼は米国の若者に対する次のような嘆きを話してくれた。

最近の若者は、真珠湾攻撃は中国が行ったものだと思っているヤツが多く、
そういう彼らがアリゾナ記念館を初めて見学すると、
「こんなに大人しい友好的な国が・・・知らなかった」と驚く若者が多いとか。

最近の中国の台頭が米国に政治・経済だけでなく、軍事的な部分までをも脅威と
思わせているということが、勘違いの原因として考えられるらしいのだが、
それとは別に、悲しいかな、米国があまりにも多くの戦争に加わって来たことで、
パールハーバーは既に過去の物語になりつつあるのかも知れないとも言っていた。
これは、日本人の私からすると "戦争麻痺状態" である。

そして、61年前の今日、日本で最も不幸なことが起こった。
ハワイと広島、長崎、、、もちろん、当時のお互いの立場や状況は違うが、
前述したハワイで聞いた話しが本当だとすると、
日本人がこの日をいつまでも忘れずにいることは、誇りにできることなのだろう。

ヒロシマ 元安川
元安川河畔にて
authortkawanishi  linkLink  comment0 
categoryヒロシマ  time23:40