2005-03-09

マグレブの大地をフェズへと向かう by tetsu

タンジェからフェズ間は、当時で約6時間かかった。
今でも5時間半かかるので、あまり進歩しているとはいえない。

タンジェを夕方に出て、フェズに着くのは夜の10時ごろになる。
3等席(今は無い)を購入しようとしたが、あいにく2等しか空いておらず、
87ディルハム(約1800円)も出すはめになった。

列車はタンジェ・ポール駅(タンジェ港駅)が始発駅になるので、
乗客はヨーロッパに商売や出稼ぎに出ていたと思われる人や、
買い出しに出かけていたと思われる人などが大量の荷物を携えていた。

プラットホーム(と言っても地べた)には、列車を待つ人が、
どさっと置かれた大きな荷物にもたれかかるように疲れた体を横たえていた。
私もバックパックを背中に背負ったまま座椅子の背もたれのようにした。

ようやく列車が港へ入ってきたので、まずは座席の確保に専念した。
出発が近づくにつれて、車内はみるみるうちに超満員となり、
網棚に置いた私の荷物を「どけろ!」と言われ、それをどけると、
網棚は見る見るうちにクシェットと化した。

荷物はというと、膝の上に置いておくのが常識だったようで、
これは、網棚が乗客の寝床となっている、ということもあったのだが、
列車内での盗難が多発しているということも理由の一つであったらしい。

列車は汽笛と共にタンジェ・ポール駅を出発した。
港と町を隔てている門のところには、1時間ほど前にはたむろしていた
“自称ガイド”の姿は既に一切消えてなくなっていた。
彼らにとって、列車の出発時間帯はもっともつまらない時間だからだ。

約1時間でアシラに着いた。
ポルトガル人が築いた海沿いの町はタンジェより落ち着いた感じの町だ。
ガイドブックには「タンジェで嫌な思いをした人はここで癒されて下さい」
と書いてあった。
そんなアシラで心と体を休めなかったことは今でも心残りでもあるのだが、
当時のこの日は、アシラ駅停車中にこのガイドブックのコメントを読み、
あらためて、タンジェってとんでもない町なんだなぁ~と、回想していた。
つまり、アシラ観光など考える余裕もないほどに、
当時のタンジェという港町のインパクトはとてもディープだったのだ。

列車が海岸沿いからモロッコの豊かな農村地帯に入ると、
乗客も列車に慣れ、車内は少しずつ落ち着いた雰囲気になった。
車窓からは、マグレブの黄昏時に農村の風景がぼんやりとしはじめた。
この旅の最高のひとときに、私は心地よく眠りについた。

モロッコ

2005-03-07

21世紀版 タンジェの洗礼 by tetsu

タンジェを夕方出発し、フェズへ向かうことにした。
タンジェ・ポール駅から16:02に出発するウジダ行きの列車だった。

タンジェ・ポール駅。
今は無き、タンジェ港駅のことだ。
昔は、スペインからジブラルタル海峡を渡ってこの港町に着いた旅人は、
港から出ない限りは、悪名高い「タンジェの洗礼」を受けることなく
フェズやマラケシュに向かうことができた。

タンジェ・ポール駅の500m先に、タンジェ市民が利用できる鉄道駅、
タンジェ・ガレ駅というのもあった。
この駅は港の外なので、モロッコの人々が利用するタンジェの駅だった。
タンジェ・ガレ駅も、今は駅舎跡しか残っていない。

今のタンジェの駅はタンジェ・ビル駅で、港からかなり離れている。
この駅までは港からタクシーに乗らなければならない。
「旅行者はタンジェでもっとお金を落としてくれ!」
という願いがこめられているようだ。

“自称ガイド”の取り締まり規制が強化される中、
それに変わる合法的な金のせしめ方になっただけのように思える。
これぞ、21世紀版「タンジェの洗礼」であろう。

そういう一種独特の構造を持った町だからか、
世の中が急速に便利化されている中、ここタンジェだけは面倒になった。

タンジェとは何とも不可解な町である。

モロッコ

2005-03-05

港町タンジェでアラブの洗礼を受ける by tetsushi

モロッコのメディナで迷ったら生きては帰れないぞ!俺を雇え!
モロッコに金の無いヤツは入国するな!スペインへ帰れ!

タンジェのメディナで言い寄って来る「自称ガイド」に、
幾度と無く、こういう言葉を浴びせられた。

港町タンジェのガラの悪さは昔から有名で、モロッコに意気揚々と入国
して来た旅人のテンションをことごとく地におとしめる効果を持っている。

私も先人から、タンジェではアラブの洗礼を受けるので気合を入れて行け、
と、言われていたので「負けんゾ!」と気合充分で乗り込んだのだが、
入国審査を済ませて港内に入ると、のんびりした雰囲気に拍子抜けした。

すぐに、この港内には一般のモロッコ人は入れないのだと分かった。
それは、港の入り口の門を出た所に、おびただしい数の男達が、まるで
ゾンビのように群がって、こちらを見て手招きしていたからであった。
ウェルカムトゥモロッコ!カモーン!チーノ?ジャポネ?ハシモト?
「ハシモト?お前何もんじゃ」と思わず口に出た。

しかしゾンビ達のあまりの勢いに、肩で風切って意気揚々と歩いていた
私も少しずつテンションが下がり始めているのを感じてきた。
今更このまま引き下がる訳にも行かず、そういえばガイドブックには
「ひたすら無視せよ」とか「ノーサンキューでかいくぐれ」などと
書いてあったなぁと思い出し、その指示に従うことに決めた。

門を出た途端そのうちの二人が声を掛けて来たが、無視を決め込んだ。
しかしちょっとやそっとではあきらめるような輩ではない。
10分ほど会話にならない会話を交わしているうちにあきらめるのだが、
新たな二人、また次、また次、また次、と、無視しようが何しようが、
自称ガイド達は、次から次へ、取り留めもなくなくまとわり付いてくる。
そして、皆同じように、私達の元から去る度に冒頭の言葉を捨てぜりふ
として浴びせてゆく。
これはタンジェにいる限り、千日手のように永遠に続くように思われた。

町を見物している余裕など全くなく、彼らの暴挙にうんざりした私は、
列車の出発時間が迫ってきたこともあり、港へ引き返してしまった・・・

引き返す傍らも「ゴートゥースペイン」と叫ばれ続けた。
私もそれに反応するように、「こんな町二度と来るかい!」と叫んだが、
意味が通じるはずはなく、自称ガイド達は“ポカーン”としていた。

タンジェは、私を失望させた・・・?
こんなことで失望などするはずがない。
これが噂の港町タンジェの悪名高い洗礼というヤツで、私を含めた多く
の旅人は、なぜか、こういう体験を求めて旅を楽しんでいるのだから。

モロッコ

2005-03-03

続・旅人の聖地ジブラルタル海峡 by tetsushi

ジブラルタル海峡をトンネルでつなぐ計画があるらしい。
このトンネルによって観光客の大幅な増加が予想されている。

私は、観光客と旅人とは全く違う人種だと思っているので、そう考えると、
旅人の聖地ジブラルタル海峡は、トンネル開通をもって終焉の時を迎える。

地元の観光産業が潤うのだから仕方ないことだとも思うが、
このところ、旅人の領域が奪われることが多くなっている。
世の中が便利になればなるほど、観光客は喜ぶが、旅人は行き場を失って困る。

しかし旅人とは変な人種だなぁ

フェリーに乗ると、そこはもうモロッコ領内だ。
入国審査も船上で、という時代も、あと数年で無くなってしまうのだろう。
当時はこんなところにトンネルを掘るなんて、考えてもいなかったな~

モロッコ ジブラルタル海峡

2005-03-01

旅人の聖地ジブラルタル海峡 by tetsushi

1990年代の初頭。
私は、早朝にスペイン南端のアルヘシラスへ着いた。

マドリッド発アルヘシラス行きの列車に乗ったのが昨日の何時ごろだったか・・・
はっきりした時間は覚えていないが、とにかく、ぎゅうぎゅう詰めの車内。
今は懐かしい木製のお見合い席では、向かいの客の膝と私の膝の間は、
わずかこぶしふたつ程しか空きがなく、垂直に腰掛けるしかない劣悪な状況で、
席に座ってひとまず落ち着いた途端、約何時間かこの状態が続くんだなぁ~
と、目の前が真っ暗になったのは覚えている。
と、同時に長旅の疲れがどっと出たのか、本当に目の前が真っ暗になった・・・
つまり、眠ってしまった。

よほど疲れていたのだろうな。
この列車の記憶はほとんど残っていない。
アルヘシラスに着いて車掌に起こされたときには、回りには誰もいなかった。

初春のジブラルタル海峡は小雨交じりの天候だったが、海峡の彼方には、
アフリカ大陸の最北端、ヘベルムサ山が黒々と波打っているのが見えた。
話は聞いていたが、スペインから見るアフリカ大陸のあまりの近さに驚いた。

ここからフェリーでモロッコへ渡る人は数多くいるのだが、
確かに、この大陸横断は旅人にとってはなかなか妙味なルートだと思う。
これほど旅情をかきたてる旅は他にはあるまい。
(あるのかもしれないが、その後も旅を続けているが未だ体験したことはない)

今日はあいにくの天候だが、陸路でアフリカへ渡ることが念願だったので、
ジブラルタル海峡の荒波は、私には手招きしているように見えた。

モロッコ ジブラルタル海峡