2006-06-25

ベルリンの壁 ドイツワールドカップを思う by tetsushi

ベルリンの壁を見た時、これを考え付いた人の凄まじさを感じたものだ。
統一後間も無いベルリンでは、まだ所々壁が残されており、ずっと延びた壁は、
本来あるべきでない道路の上や、建物を区画するため建てられたまともな壁の
すぐ近くに二重に並べて建設されたり、異様としか思えない光景を呈していた。

ベルリンは昔、都城都市であった。
約100年後、誰が想像したであろう、そこには城郭さながらの壁ができていた。
いや、外部からの進入を防ぐ為の城壁と内部の人々を閉じ込める為の壁は、
全く異なる性質を持つものだ。
その性格から、ベルリンの壁は人間が創造した最も排他的な産物である。

1949年に、前年のソ連のベルリン封鎖をきっかけに東ドイツは生まれた。
そして、東ドイツ国民の西ベルリン亡命が後を絶たないことを懸念して、
1961年8月13日午前零時、ソ連に統治された東ドイツによって、
全ての西ベルリンへ通ずる道路に警察を動因、鉄条網をもって封鎖、
最終的には西ベルリンを囲む形で155kmにも及ぶ壁が築かれ、
東ドイツ国民は、約30年間この壁の向こうへ行くことはできなかった。

時は流れ、東西ドイツが統一した夜、東ドイツ国民は壁を越え、
西ベルリン政府から一人当たり100マルクをもらって買い物を楽しんだそうだ。

更に時は流れた。

現在、第18回ワールドカップで、ドイツは圧倒的な強さを見せ付けている。
サッカー強国のドイツは、過去3回の優勝を経験しているので、
今回は、初めて決勝トーナメントへ進出したオーストラリアやガーナあたりに
華を持たせてやってくれないかと思う。
しかし、よくよく考えてみると、
ドイツが優勝した過去の大会は全て西ドイツとしてのことで、
旧東ドイツの人々からすると、ワールドカップで優勝するということは、
実のところ初体験ということになる。

開催国でもあるし、過去においてもこれだけ素晴らしい戦績を残しているドイツ。
にも拘わらず、同じ国民ながらその喜びを享受することのできなかった東ドイツ。
そう考えると、今回ドイツが最も優勝する資格を持っているのだろうなぁ。

ドイツ ベルリン
※かつてこの壁を乗り越えようとして約80人が処刑された。

2006-06-23

ベルリンの門 by tetsushi

門は、私が物心付いた頃から、度々ブラウン管に登場していた。
親が見ていたニュース番組から、意識せずとも自然と目に入って来た。

過去、事ある毎にベルリンの情勢を取材する記者の後ろにこの門はあった。
門前で取材する人の顔からは、一度として笑顔が見られたことは無かった。
そういう印象もあってか、小学生の頃は、壁の向こうから除くこの門に、
暗く不気味なイメージを抱いていた。

ある朝、この門の前の壁をハンマーで壊す男性の姿をテレビで見た。
ドイツ統一の日、朝からこの映像が何度もニュースで流れた。
数日前からこういうことは予想されていたが、
実際に東ドイツ開放のニュースを聞いた私は、
独裁政権に対して歴史が下した公正なジャッジに気持ちが晴れた。

数日後、壁が撤去されたというニュースもこの門の前から報道されていた。
ただ、今までと違い、レポーターの後ろに建っている門の上に飾られた
馬車に乗った勝利の女神ビクトリアがカメラを向いていた。
それは、東側から撮られたものだった。

数ヵ月後、私は見慣れていたその場所を実際に訪れた。
門は、私がずっと見てきた、暗く重たいものではなかった。
そこで見た門は、堂々として威厳に満ちた立派なものであった。
それは威圧感というものではなく、すべてを悟ったものだけが身に付ける
落ち着いた趣で、すべてを包み込んでくれそうな寛大さと優しさが感じられた。

ドイツ ベルリン
※この日「勝利の女神ビクトリア」はどこかへ消えていた。

2006-06-21

ベルリンの塔 by tetsushi

ドイツ, ベルリン
シュプレー川に浮かぶボーデ博物館 その背後にテレビ塔が聳える

ベルリンのテレビ塔は、アレクサンダー広場にそびえたつ。
高さ365mで東京タワーより高い。
別名を「アスパラガス」とも呼ばれており、こういう形のテレビ塔なるものは、
社会主義国家独特の建築で、国家シンボルや国威発揚の為、各国に建てられた。

ドイツ統一前までは、様々なプロパガンダを発信してきたと思われるが、
私が初めてこの虚栄の大型建築物を見た時には、
国が衰退してしまった直後だったせいか、
情報を発信するテレビ塔の役割は一旦休業しているかのように、
それに代わって、ベルリン周辺に哀愁というものを漂わせ(発信させ)ていた。

でもテレビ塔は、そんな逆境にもめげなかった。
あたたかいベルリン市民の手によって、統一後も、とても活躍しているのであった。

今、ワールドカップを盛り上げるために、地上200mの球状の展望台部分が、
ピンクのサッカーボールに装飾されている。

1974年の前回西ドイツ大会では、東側から睨みを利かせ、虚飾に満ちた、
東ドイツの象徴であったテレビ塔も、当時の脇役から今回は主役となって、
世界中の人々を迎えようとしている。

ドイツ, ベルリン
1990年 テレビ塔から見た旧東ベルリン地区 
※社会主義国家の典型的な集合住宅が並ぶ。