2007-01-17

1日目 カトマンズからポカラへ

ネパールでヒマラヤトレッキングをしてきました。



自分の一生の中で、8000m級の山の並ぶヒマラヤ山脈を
この目で見る日が来ようとは想像もしていなかったのですが、
まるで月か太陽と同じ高さに見える山々を見ながら、
思いきって決断すれば、すべては現実となるものだな~と、思ったのでした。

旅行日程は、
1日目:カトマンズ~空路~ポカラ
2日目:ポカラ~ナヤプル~ティルケドゥンガ(車1時間半、徒歩3時間)
3日目:ティルケドゥンガ~ゴレパニ(徒歩約7時間)
4日目:早朝:プーンヒル往復(徒歩往復約2時間)
     ゴレパニ~タトパニ(徒歩7~8時間)
5日目:タトパニ~ポカラ(徒歩3時間、車2時間)
6日目:ポカラ~空路~カトマンズ
7日目:カトマンズから帰国の途へ

以上、7日間に感じたことを書いていこうと思います。

1日目 ==カトマンズからポカラへ==

タイ国際航空にてバンコクからカトマンズへ

国内線への乗継時間が短かったため大急ぎで入国審査の列に並ぶ。
ビザを日本で事前申請していなかったため「Without Visa」に並ぶと、
「Japanese?Gratis!」と言われ、隣の列へ。

本来1人30米ドルかかるビザ(日本国内申請は1人4000円)が、
私達が到着するほんの数日前から2007年3月中まで特別に無料になったとのこと。
事前申請していなくてラッキーだった!

出口を出ると、手配をお願いしていた現地旅行会社ヒマラヤン・アクティビティーズの迎えの代表のかたと、これから旅を共にするガイドさんが迎えに来てくれていた。

「迎えに行くのは、会社の代表の男性とガイド2人だけ。スタッフのアシスタントのようなフリをして、荷物を勝手に運び、チップを要求する人たちが大勢います。こちらからお迎えに行くスタッフは、上記の者だけです。荷物を運ばれそうになったりした場合は、固く拒否してくださいますよう、お願いいたします。」

と連絡を受けていたにもかかわらず、ガイドさん達と挨拶をかわしているうちに、
あっという間に荷物を運ばれてしまった。

空港出口には、こうした荷物を運んでチップをもらいたい人たちがいっぱい待機していた。こういう経験が今までなかったので圧倒される。
「荷物を運んだ」とか「カートを押した」とチップを要求してくるけど、まだ換金してないし、困って、主人が日本のコインを渡した。
これでよかったのだろうか・・と不安になりつつ、ガイドさんといっしょに国内線空港へ移動。

チェックイン後は、男性と女性と別々の入り口へ。
カーテンをくぐると女性係員がいて、荷物の中身のチェック、ボディチェックを行なう。
そこを出ると小さな待合室があった。

いきなり荷物を運ばれるとか、入り口が男女別とか、初めての経験続きで、私はかなり動揺。心を落ち着けようとトイレに行ったら、ゴミ箱に便器が捨ててあったので、さらに動揺した。

この先いったい・・・と不安になったけれど、穏やかな口調のガイドさんと話しているうちに、不安が解消されていった。
ネパール人であるガイドさんは、英語も日本語も流暢。
漢字も200文字以上書けると話してくれた。
国内で勉強しただけでここまで出来るようになるなんて、素晴らしい!

機内からダッシュで出てきたけれど、国内線の飛行機は全体的に遅れていた。
カトマンズは高い山に囲まれた盆地なので、霧が発生しやすい。

数時間待って、やっと私達の飛行機が飛ぶことになった。
ドアの空きっぱなしのバスに乗り込み、そのバスが乗客の荷物を乗せたカートを引いて走る。


なんだかリラックスしていていいなぁ~。


飛行機のそばで掃除や燃料を入れ終わるのを待つ。

驚いたことに、国内線乗客の半数以上が日本人。
日本からネパールへ旅行する人はそんなに多いと思っていなかったが、ネパール側からすると、日本人は旅行客として多い国のひとつのようだ。
特に年末年始にかけては日本人が多いとのこと。
その後訪れたポカラでも、トレッキング中の山の中でも日本人は多かった。

17人乗りの飛行機は操縦席のドアが開けっぱなし。
操縦している様子が見える!今どき、貴重な経験だ。


こんな小さな飛行機でも客室乗務員がいて、お盆を持って歩いてきた。
「すごい!機内サービスあるんだ?!」と思っていたら、
配られたのは、「脱脂綿とキャンディー」だった。


音がうるさいので耳栓代わりの脱脂綿と、耳がツーンとしないようにキャンディー、ってことなんだろうと思う。
すごく適切な機内サービスだ。

通常の飛行機も、もちろん空を飛んでいるわけだけど、大きいと実感が少ない。
でもこの飛行機は、確かに空を飛んでいて、自分の足の下になんにもないことが妙に実感できた。ちょっと怖くなっていると、窓の外に、ヒマラヤ山脈が!!!
雲の上に白い雪をかぶった山がず~~っと先まで見える!!すごい!!
ヒマラヤ山脈ってこんなに長いんだ?!しかもすべて雲の上に広がっている!!!


感激しているうちに30分の飛行を終え、目的地ポカラに到着。

空港に降り立つと、いきなりこんな景色が広がっています!!


静岡県民で富士山を日々見ている私ですが、山が全然違う位置にあるんです。
高すぎです!!太陽や月の位置に山が見える・・・という感じ。

ポカラは、温暖な気候、美しい湖があり、街からヒマラヤを見ることができるため、人気のあるリゾート地。トレッキングの出発地点でもある。

街中には、トレッキングに出る人のために寝袋などのレンタル用品店が数店ある。
私達は寝袋3つとストック6本をレンタルした。
全部で880ルピー(約1500円)。別途保証金として100ドルを預けた。

その後、さっそくネパール料理を試してみようと、レストランでダルバートを注文。
ダルバートはネパールの家庭料理。豆のスープとご飯と野菜などのカレー煮と漬物が添えられています。


すると、カトマンズの国内線空港で会った日本人女性が声をかけてくれた。
飛行機が同じだったので、少し話をしたのだけど、とてもおもしろい旅をしてきた
人だったので、私はもっとお話したいと思っていたのだった。
ここでも会えてよかった。

うれしくて、席に座ってもらい、話しをしていくと、なんと彼女は私の甥の学校の先生だった!!!授業も受け持っていると言う。
なんという偶然!!!驚きで、ダルバートを完食できないほどだった。

家族3人共、興奮気味にホテルへ戻り、明日からのトレッキングの荷物を作る。
しばらくお預けとなるであろうホットシャワーを浴び、早めに就寝。

2日目へ続く・・

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2007-01-16

2日目 ナヤプル~ティルケドゥンガ

2日目 ==ポカラ~ナヤプルからティルケドゥンガ(1577m)へ==

朝食を済ませると、ガイドさんとポーターさんが迎えにきてくれた。
今日はトレッキング口となる「ナヤプル」まで車で移動し、
そこから3時間ほど歩く予定。

タクシー(スズキ・アルト)が1台来た。
あれ?私達家族3人とガイドさんとポーターさんの5人で、荷物もあるし、、、
どうやって乗るんだろう??と思っていると、後部座席に4人乗るみたい。
え~?!全部で6人?!この車4人乗りのはず・・と思っていると
ポーターさんの膝の上にガイドさんが乗り、なんとかドアが閉まったので出発。


この車の後部座席に4人です!

バイクに5人乗りしている人たちもいたり、
(お父さんが先頭で子供3人をはさんでお母さん一番後ろ。)
車も荷台に人が満載、さらに屋根に乗っている人もいたりする。
旅に出ると、自分の国と違う常識に出会えるからおもしろい。

狭い車内ではカーブ1つでも一大事。思わず笑いがもれる。
ドアロックは絶対必要!!窮屈だけど楽しかった。

道端では、こんなふうに糸をつむいでいる人がいたり、


これから何か売りにいく人がいたり、歯を磨いている人がいたり、みんなが外に出て何かをしているように見えました。


途中、トレッキング許可証のチェックを受け、トレッキング出発地点であるナヤプルへ到着。お菓子や小物が売っている店の並ぶ道で車を降りた。


あぁ、いよいよだ!胸が高鳴る。


こんな小物を売る商店街のような場所を通過すると、マオイストの料金所があった。

【マオイストとは・・】
ネパール共産党の毛沢東主義者のこと。
彼らの攻撃対象は自分達の方針に反対する者なので、通常海外から来た旅行者に危害を加えるようなことはないが、ヒマラヤのアンナプルナ周辺では通行税を徴収する。(2006年11月の内戦停戦後、状況は少しずつ変化しており、近いうちにこうした行為もなくなると言われている。)彼らが「バンダ」といわれる強制ストライキを実施すると、公共交通機関がストップするため移動が出来なくなるのは旅行者にとって困ること。

マオイストに対しては、怖いイメージがあったけれど、実際会ってみると、そんなに攻撃的な印象は受けなかった。

簡単に造られた屋根の下で4名ほどのマオイスト達がいて、書類に署名をし、料金を支払って、レシートを受け取って、終わりだった。
この時もらうレシートは、どこかでマオイストに遭遇したときに見せる必要があるので、トレッキング中はちゃんと保管しておかねばならない。(私達はこの時しか遭遇しませんでした。)


青いのがトレッキング許可証、上が通行税のレシートです。

ちなみに料金は1日1人100ルピー。(約170円)
ガイドさんが交渉してくれて、1人分割引きしてもらった。
怖い人たちという印象があったのに割引きしてくれるなんて、ちょっとビックリでした。

橋を渡り、自然の中に入っていく。

ヒマラヤトレッキングに興味を持ったのは、ある本の中で見た、
一面に広がる「段々畑」がきっかけだった。



こんな景色の広がる中を歩いてみたいと思った。

欧米の整備された国立公園も素敵だけれど、人も馬も水牛も通る石畳の道と棚田の写真に惹きつけられた。



ここヒマラヤの山には生活がある。
今でも、歩くことが唯一の移動手段である場所に、多くの人達が昔と同じように暮らしている。



棚田は機械が入れない。なので、今でも水牛が田畑を耕している。
犬も、牛も、ヤギも、にわとりも、家のまわりで放し飼い。自由に暮らしている。
トレッキングの道に、気ままに歩く牛がいて、最初は驚いたけれど、だんだん慣れてきて、牛の横もサっと通ることができるようになっていった。


実は、ちょっと緊張しています・・。

心配していた狂犬病だったけれど、犬は人間との付き合い方を心得ているようで向こうから近づいてきたりしない。こちらから近づかなければ、噛み付かれるような出来事は起きないように思えた。(ただし、夜は注意が必要。)

ここでは、自然と動物と人が寄り添って暮らしている。
そして、お互いとの付き合い方をよく心得ている、そんな気がした。

ティルケドゥンガに到着。
数ヶ月前に近くで起きた土砂くずれにより電線が切れ、自家発電だった。
9時にはその電気も消えるので、持ってきたろうそくとランプが役立った。
山小屋の小さな部屋の中では、明るすぎる電気より、ゆらゆら揺れるランプの明かりがいい。心がホっとした。

部屋の中はこんな感じ。

洗濯物を干すヒモを持ってきて良かった。

宿で食事を運んでくれたのは、たぶん息子(中1)より若い女の子達だった。
道を歩いているときも、家の仕事をしている子供達に出会った。
家事の手伝いをしている子供達は生き生きしている。
ある程度、責任を持たされて、家庭の中で自分の仕事を持っていることは大切なことなんだな~と感じた。

こんな山の中でもちゃんと学校はあって、子供達は教育を受けている。
貧しい家の子供に対しては近所の人たちがお金を出し合って学校に行かせてあげることもあるそうだ。


膝の上に乗ることにしても、動物の飼い方にしても、ネパールでは人も動物もお互いの距離が近いように思う。
村を通過するたび、子供達の声と動物の鳴き声がする。
新興住宅地育ちで、こういった風景の中にいた経験はないのに、なぜだか懐かしい気がした。

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2007-01-15

【番外編】 運ぶ人たち、活躍する動物たち

車の通る道がなく、歩くしか移動手段のない地域では、
人や動物が物資を運ぶしかない。
旅行者が宿で飲むビールやジュースなどの重たい飲料も
彼らが運んでくれているのだ。
足元を見るとサンダルの人もいる。



私は、軽い荷物を持って歩くだけでも息切れがして、
階段を登る足が動かなくなるのに、
重い荷物を持って、山の奥まで荷物を届ける人たちの足は速い。
どんどん追い抜かれる。

最初の頃は、頭で、こんな風にカゴを持って運ぶこと自体に感心していたのだけど、


こんな風に薪!


こんな風に角材!!

わかりますか?太~い角材を4本運んでいるんです。

こんな風にカゴに大勢のにわとり!!!


こんな風に満載の物資!!!!



この満載の物資を運んでいたおじさんは、この後、せり出している岩に
この荷物がひっかかりそうになって、右側は断崖絶壁なのに、
腰をかがめて、後ろ歩きで通過したのです。
足の20センチ左は崖です!!見ているだけで心臓バクバクでした。

旅行最終日に寄ったカトマンズでは大型冷蔵庫を背中にかついで
運んでいる人もいて、人間の能力を最大限に活用している!!と感心してしまいました。

私達の生活は、だんだん人間としての能力を使わずとも生きていける世界になっていて、本来の能力が減退しているのかも。世界がひっくり返るような天災が起きたとき、生き残れるのは彼らのように人間に授けられた身体能力を最大限に利用している人たちだろうな~と、足早な彼らの背中を見ながら、思ったのでした。

家だって、橋だって、機械なしで造ってしまうようでした。


この人たちは大きな石を手鍋のような入れ物に入れて、
叩き、細かい砂利にしています。

奥に見えるのが建設中の橋です。
足場は竹&ヒモを利用して造っていました。
この場所は、すぐそばまで車が通れるようになっているので、
車の通れる橋を造っているようでした。
(車が通れるようになると、この辺りのこうした風景は一変してしまうのかもしれませんね・・・。)

ネパールの山で働く彼らは素晴らしい!のひと言です。

動物達はというと、まだ暗いうちにラバの群が街へ移動し、
午前中には荷物を背に戻ってきてました。
山からは収穫した果物・穀物を。街からは生活物資を運ぶ。
プロパンガスなどの重い荷物はラバが運んでいました。


首につけた鈴がカラン・コロ~ンと鳴り、その音がまわりの山に響き渡っていました。

人々がシルクロードで絹を運んでいた時代って、こんな感じだったのかな・・
なんて思いながら、感心しながら、彼らの後ろ姿を見送りました。

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2007-01-14

3日目 ティルケドゥンガからゴレパニ(2853m)

3日目==ティルケドゥンガからゴレパニ(2853m)

この日は、ゴレパニまで1176mの高低差を登る。
最初の2時間は、ひたすら石の階段を登らねばならない。

太陽が上がりきる前に上らないと、背中から暑い日ざしを浴びることになるため、
早朝にもかかわらず、出発する人たちでロッジ前は活気付いていた。


ひんやりとした空気の中、出発~!
最初は良かったのだけど、、、

前日から覚悟していたものの、ひたすら上りはキツい!!


カラダが重くて足が上がらない。
ストックを使い、手で登るようにする。
なるべく上を見ず、足元を見ながら、
一段一段、ストックを上手に使うことに神経を集中させながら登った。

途中、ガイドさんに、
「今、3分の1くらい来た?」 「あのぉ~、あと半分くらい?」と何度も聞いてしまった。
永遠に続くように思える階段。本当にキツかった。

2時間登ったところで、
ガイドさん:「紅茶、飲みますか?」
私:「はい!!!」(そのひと言、待ってました~!)

トレッキングの道沿いには、立ち寄ることのできるお食事処がけっこうある。
お店というよりは、一般家庭が食事や飲み物を提供してくれる、、という感じ。
宿泊できるところもある。


ネパールティーは、ミルク多めのミルクティー。
普段は入れない砂糖をたっぷり入れると、疲れたカラダに染み渡る。
ミルクティーが一杯25ルピー。(約40円)
ありがたいです・・。

上りオンリーの階段2時間を終えたものの、この日の宿まではまだまだ。
ゆっくりしてられません。ひたすら歩く、歩く。

その後は上りだけ、ではないけれど、たまに下り坂があるだけで、やっぱり上り坂はある。
まだ上り、あるんだぁぁぁ。ガーーーン。。


途中、ヤギの群が!

なごみます~。

彼らが通過するまで、みんな待ち時間。


歩いていると、ほどよい間隔で村がある。
どこも、石で器用に作られた道、石を積み重ねた石垣や石の家がとっても素敵。


まるでヨーロッパの路地のよう。


15時半、今日の宿泊地、ゴレパニに到着。
ふぅぅ~~、達成感のある一日でした。



夜中、主人が頭痛をうったえる。
高山病か?と心配になり、とりあえず水分を摂った。
聞くと、昼間もトイレにほとんど行っていなかったらしい。
登りで汗を大量にかいたのに、あまり水分を補給しなかったこと。
夕食時に現地のウィスキーのようなアルコールしか飲まなかったことも良くなかったと思う。
水を飲んで、しばらくしたら回復した。水分不足だったようだ。

この日は、人間のカラダが糖分と水分を必要とすることを実感した。
トレッキング中は、朝食でパンケーキなど糖分の多い食事を摂り、歩いているときは、水分補給が大切。
水道の水は飲まないほうがよいので、宿でボイルドウォーターを買うのがいい。
そのために耐熱ボトルは必須。重宝したボトルです。


お湯は、場所によるけど1リットル30ルピーくらい。
けっこう水自体に味があるので、アミノバリューなどの粉末を持って行くといいかも。
アミノバリューを飲んでいた日は筋肉痛にならなかったのに、飲まなかった日の
翌日はいきなりひどい筋肉痛。恐るべしアミノバリュー。


ゴレパニ近くの道で、白い猿がいました。
小さいですが、わかりますか?


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2007-01-13

【番外編】トレッキング中の食べ物は・・

山奥のロッジでは、どんなものが食べられるんだろう?と思ってた。
本には
「ネパール料理のダルバートと、欧米の旅行客向けのピザなどの料理もある。」
と書いてあったのだけど、今ひとつピンと来なかった。


ダルバート。お店によって味が違う。

トレッキング途中で休憩時に寄るお店も、宿泊するロッジでも、
ほぼ同じ内容のメニューが出てくる。値段もだいたい同じ。
そして、かなり種類豊富だ。

ロスティ、スプリングロール、焼きそば


野菜炒めに


ピザ~!


写真を撮りそこねたけれど、スープ類も充実している。
ガーリックスープがおいしかった。
オーストリアにガーリックスープが評判のお店があり、
以前そこに行ったことがあるのだけど、
そこのスープと似た味がした。

いったい誰が彼らに欧米の味を教えたのだろう?
それに、どうしてこんなに上手なんだろう??

調味料や食材が決して豊富ではない地域なのに、
その土地で取れる野菜を上手に使って、
とてもおいしい料理を食べさせてくれる。

冷凍食品なんてあり得ないわけで、どれも、もちろん一から作ってる。
例えば、このアップルパイ。


出てくるのに、すごく時間がかかったけど、
粉からこねて作ってくれたのだと思う、皮がカリカリしててすごくおいしかった。
リンゴとシナモンとカシューナッツのペーストと思われる中身も
素晴らしくおいしかった。
ピザやこうしたパイがおいしいのは、窯で焼いているからかもしれない。


ステーキも1回食べたのだけど、これまた美味。
ソースの味が良くて、それは一度も味わったことのない、
なんとも言えないおいしさだった。
キッチンに行って、味付けを聞きたいくらいだった。

最近では、簡単に作れる食材がスーパーで手に入ってしまうけれど、
やっぱり、手をかけて作ってもらった料理はおいしい!!

帰国後、料理に手間を惜しまないようにしよう・・と思った。(反省、反省。)

生野菜が食べられない・・という以外、食事に不自由を感じたことはなかった。
荷物を運んでくれるポーターさんや動物達のおかげで、
旅行者の食事はとても充実している。

あえて、注意する点をあげるとすれば・・・
1、一回パスタを頼んで「ガーン」ということがあったので、パスタだけはお勧めできない。
2、ベジタブルヌードルは、単なるインスタントラーメン。
食べなれた味が恋しくなったときはいいかも。
3、当然店ごとに味が違うわけで、味はそのお店のお母さんの腕次第。
おいしそうなお店を見極める目が大切。
ハヤっているお店はやっぱりおいしい。

これはネパール家庭料理のモモ。

水餃子のような、小龍包のような、、、
でも添えてあるソースは、とってもスパイシーです!!

出される食事の量は多く、夜はつねに満腹状態。
トレッキングで大量に汗をかいたにもかかわらず、帰国後の体重に変化はありませんでした。残念!

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2007-01-12

4日目 プーンヒル(3200m)往復・ゴレパニ~タトパニ

早朝、プーンヒル(3200m)まで片道1時間上り、日の出を見る予定。
プーンヒルは、このトレッキングコース上のハイライト。
アンナプルナとダウラギリの8000m級の山々が両側にそびえ立つ絶景ポイント,
ということで楽しみにしていた。

あいにく4時半頃にみぞれが降る。しばらく待機し、5時半頃宿を出発。
しばらくすると、息子が急にペースダウン。息が苦しく、空気の薄さを感じると言う。
霧だし、急いで登っても日の出をしっかり見ることができないことはわかって
いたので、ゆっくりゆっくり上る。こういうとき、無理は禁物。
止まるくらいのスピードで少しずつ上った。

なんとか到着すると、予想以上に多くの人たちがすでに来ていた。


見えないとあきらめていた山も、雲に切れ間に見ることができた。
ほんの数秒見えるその姿に、歓声があがる。


3200mの場所から、こんなに高いところに山が見えるって、すごいことですよね?
ヒマラヤの高さを実感する瞬間です。

一面に白い雪山が連なる景色が見えるところなのに残念!!
でも、ちょっと見えたからこそ、妙に有り難味があったかも。
なんとか見ることができてよかった。

下りを難なく終え、宿に戻り、朝食をとり、今日の目的地タトパニに向け出発。

朝食をとった席から見えた景色です!

この日は全部下り。しかも予想徒歩所要時間8時間。
前日の上りを考えると、ラクだろうと思っていたのだけど、大間違い。
下りもキツい!ヒザがガクガク。


ひたすら下りだと、上りが恋しくなる。
でも上りがあると、すでに足が疲れているため、昨日以上に上れない!

階段をゆ~~~っくり上っていたら、上から見ていたおばさんが何やら叫んでる。
ガイドさんに聞くと、歩き方を教えてくれていると言う。
山道を歩くときは、足をこんなふうに動かすんだ!と教えてくれているようで、
最後には、「普段、楽をしているから歩くことができないんだ。自分達はいつも
荷物を持って歩いている。」というようなことを言っていたらしい。
ごもっとも!!その通りでございます。

ガイドさんは、「彼らはゴレパニから来ているから疲れているんだ。」という
ようなことを言ってくれていたと思う。(口調から推測)
こんな階段で息切れしている私達、彼女達から見たら、「甘い!」と思うのは当然だ。



ところで、
トレッキング中は、たいてい同じ目的地に向かっている面々と一日に何度か遭遇する。会うと「また会ったね!」という笑顔で挨拶。
出発時間が違うけど、お互いに休憩するから、抜かされていたり、追いついていたりする。

この2日~3日、何度も遭遇し、声をかけあい、会うたびに話しをしてきたのは、
日本から来たヒマラヤ保全協会のかたがた。
ナルチャンという小さな村にホームステイをしながら植林ボランティア活動をしに来た人たちだ。みなさん、すごくさわやかで気持ちがいい。
自然の中で出会う人って、みんないい人のような気がする。

この日会ったイギリス人のおじさんは1人旅。ガイドさんと2人で行動してる。
チターに似た楽器を持っていて、子供達の前で演奏したりしているようだった。
昼食が一緒になったとき、聴かせてくれた。
トレッキング中に、そこで出会う人たちと言葉以外で交流できるものがあるって
素敵だなと思った。

20代の息子さんと50代のお父さんという日本人の親子2人旅のかたがたとも
何度もお会いした。英語が堪能な息子さんにアメリカやニュージーランドなど、
各国のトレッキングに連れていってもらっている、、とのことだった。
なんと親子孝行な息子さんなんでしょう!

他は、韓国のヨガ学校の団体さん、オーストラリアやヨーロッパからのバックパッカーたち。年配のご夫婦など。
私達のような子供連れには1組しか会わなかった。意外だった。

今日の私達の目的地は「タトパニ」。
タトパニとは、ネパール語で熱い水という意味。
温泉が湧いているのだ。久しぶりに暖かいお湯に出会える。

山の上から遠くの吊橋が見えたとき、「あそこがタトパニ。」と言われ、喜んだのもつかのま。吊橋を渡っても、いっこうに街が見えない。
それどころか、吊橋以降の道は、土砂崩れ後のとりあえずの道なのか、10センチくらいの石がゴロゴロしている道なき道を行く。
疲れきった足にはこたえた。


吊橋から20~30分くらい歩いてやっとやっと到着。
足はすでに筋肉痛で階段を昇るのがつらい状態になっていたけれど、朝のプーンヒルを含めれば、一日10時間以上歩いたことになる。
運動不足で体力のない私でも、なんとか出来るものなんだと、うれしくなった。

私達が宿に着いた頃、すでに暗くなり始めていたのに、
前述したヒマラヤ保全協会のかたがたはここからさらに先にある村へ行くと言う。
「楽しんできてくださいね~!」とお互い声をかけあい、お別れ。

皆目見当もつかないネパール語に囲まれて2週間過ごすって、すごいなぁ、、
ボランティアをするために、こんな距離を歩いて来るって、すごい人達だなぁ、、

ガイドさん、ポーターさんと一緒に、疲れたカラダを休めに温泉へ行く。
あぁぁ、やっぱりあったかいお湯って有難い。
普段、冷たい水で行水している人たちにとって、私達が思う以上に、ここは貴重な場所なんだろうな、、と思った。


行く先々の村では、四角い板を使ったボートゲームで遊ぶ人たちをよく見かけた。

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2007-01-11

5日目 トレッキング最終日 タトパニ~ポカラ

長い時間歩く毎日に慣れてきて、今日で山の中を歩く生活が終わるのかと思うと、
寂しいような気持ちだった。


ラバの群れの通過を待つ私達。

昨日までの道の途中で見かけた段々畑や、
通過した村で、ゆっくりと流れていた時間がすでに恋しくなる。
タトパニのキッチンでは、窯の火ではなく、プロパンガスを利用していたし、
機械を使って木を切っている人を見た。
機械音を久しぶりに聞くと、それは、なんだか、昨日まで自分が見てきた世界が
次第に失われていくことを連想させた。


タトパニからティプリャンへ向かう道は、途中、崖崩れのため臨時の道を通るように
なっていた場所が何箇所かあり、足場が不安定な道もあった。



すれ違うときは、慎重になる。


右側は断崖絶壁です。

この日のコースは、この数日間の中で一番刺激的でスリルに満ちたコース
だったように思う。


私がそんな風に感じる道でも、地元の子供達はサンダルでサッサと学校に歩いていくし、荷物を持った人たち、動物はいつもと同じように通過する。

完全に守られた自然などあり得ないわけで、自然の中に入れば、
常に、ある程度の危険が存在する。
そんな中、緊張感のある挑戦をやり遂げてこそ、達成感がある。
これこそ、トレッキングの醍醐味だ。

ティプリャンからベニまでは、ジープで移動する予定。
3時間ほど歩き、到着してしまった。
この日はもっと歩きたいような気持ちだった。

9人乗りくらいじゃないかな、、と思われるジープに15人集まったら出発とのこと。
運転席の横に2人、その後ろに4人、後ろは向かい合わせで4人ずつ。

筋肉痛で降りるのに時間がかかった、情けない私の姿・・。

ドアが閉まったら、荷物を載せた屋根にも人が乗り、車の後ろにつかまっている人もいたから、全部で17人乗りだったと思う。
道が悪くてガタガタしているのに、タイヤのすぐ横が崖。落ちてもしょうがない・・と思われる道。ここまで怖いと、逆に「怖い」という気持ちがなくなるものなんだ・・と、自分でも驚いた。「運転手さん、あなたに命預けます!」という心境。
不思議と恐怖はなかった。
車は古く、道も悪いけれど、機械を動かす腕は確かなような気がした。

途中、ラバの群れに何度かあった。
車は道を歩く大勢のラバに対し、うるさいくらいクラクションを鳴らす。
ラバは申し訳なさそうに隅によける。
その横を土ぼこりをふりまきながら車は通過する。

こうやって、時代は変わっていく。日本にだって、動物が活躍していた時代があったのに、もう身近な生活の中に動物の姿はない。ネパールでも、私が目にした景色は、あと何年残っていられるのだろう。


ベニからポカラはタクシーで移動。
またまたポーターさんの膝の上にガイドさんが座り、6人乗りで出発。

このタクシー。すごく飛ばす。
舗装されていない道から舗装道路になった途端、100キロ以上で飛ばす。
人がいると、クラクションをププププ~~!!と鳴らし、強引に通過。人々はクラクションに慣れているのか、車をそんなに恐れていないのか、あまり急いでよけない。
なので、ぎりぎり通過することもあって、
一度は人の横を通過するときに「シュンッ!!」と音がしたほどだ。
牛が道路を横切ったり、犬が横切ろうとしてやめたり、なんだかテレビゲームのように、次々に何かが登場して、車内では笑いがたえなかった。


ガイドさん達がタクシーと料金の交渉をしてくれています。
移動手段は、ほとんどが交渉制なので、ガイドさんなしで行動するのは難しいと思いました。

ポカラには4時くらいに到着。
ちょうどお祭りをやっていたので、屋台が出たりしていて楽しい雰囲気。
ガイドさん、ポーターさんと、トレッキング終了を祝う。

帰ろうとした9時頃、ジープで一緒だったスイス人女性と会った。
彼女達はベニからポカラまで、ローカルバスで移動したとのこと。
途中、故障で止まったりして、長時間の移動となってしまったらしい。
5時間の差があるとは!・・タクシーを利用して良かった。

明日はいよいよカトマンズだ!


こんな小さな子が店番してました。

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2007-01-10

6日目 ポカラ~カトマンズへ

4日目のゴレパニから曇り続き。
ポカラからカトマンズへのフライトは、前日も遅れていたので、今日も厳しいだろうとのこと。

9時半発のフライトは結局12時発となった。
明日は帰国なので、なんとかカトマンズを観光する時間が持ててよかった。

空港からはタクシーでタメル地区のホテルへ移動。
舗装されていない道が多いせいなのか、どこもホコリっぽいような感じだった。
街に近づくと、「え?この道に入るの?」という狭い道にどんどん入っていった。

そんな細い道でも、車とバイクと「リクシャー」と呼ばれる人力車と人と、
そして、ときどき動物が通る。見るものすべてが興味深く、まばたきを忘れて、目が乾燥した気がした。


ホテルまで送ってもらい、ここでガイドさんとはお別れ。

ポカラから飛んできたのに、これからお客様を空港に出迎えて、また夕方ポカラに飛ぶと言う。この時期、トレッキングガイドさん達は大忙しだ。

それにしても、私達はガイドさん、ポーターさんに恵まれたと思う。
ガイドのナマラジさん(写真右)は日本語も英語も堪能な上に、細かい気配りのできる人、ポーターさん(写真左)もやさしく、いい人だった。


トレッキング中は、家族の誰かが遅れをとっていても、ガイドさんとポーターさんが
私達家族3人をはさむように歩いてくれたので、安心して歩くことができた。
ロッジ到着後は、部屋の中、そして窓の鍵のチェック、
食事時はいつも、私達が食べ終わるのを見届けてから、
自分達の食事をとる等、感心することが多かった。

ネパールのトレッキングガイド達、すべてがそうではないだろうと思う。
日本人は他国に比べ、質の高いサービスを求める国民性があるように思うし、
何日も行動を共にするからこそ、信頼できる会社にガイドの手配をお願いすることが何よりも大切だと思った。景色だけでなく、どんなメンバーで行ったのかは、
旅を大きく左右する。私達は本当に恵まれたと思う。
お世話になった「ヒマラヤン・アクティビティーズ」社には本当に感謝している。

この会社のカトマンズの事務所には、相談に訪れる日本人の個人旅行客が何人も並んでいた。駆け込み寺的存在なのかな?
経営者である日本人女性が頼りになるのが人気の理由なのだと思う。
親身になって相談にのってくれるのが有難い。

お礼を伝え、いよいよ、カトマンズの一番の目的である「クマリの館」へ向かう!!

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2007-01-09

カトマンズ-生き神クマリ

ネパールには、生き神クマリが存在する。

クマリの誕生は、謎に包まれている。
カトマンズのラッサ王朝の最後の王、マッラ王の時代に始まったといわれている。


絵ハガキの写真から・・

クマリに関しては、いくつかの言い伝えがある。
マッラ王が幼児愛症者であり、そのせいで、ある思春期前の少女を死なせてしまった。その罪の償いに若い娘を生き神として崇拝するようになったという話。

また、別の話しでは、
1人の少女が大女神ドゥルガに取り付かれ、王国から追放された。
これを知った女王が、その少女を連れ戻すように指示し、真の女神として崇めるようになったという話。

でも、もう一つの説が一般的なようだ。

カトマンズ盆地の王が、ネパールの国の守護女神タレジュとサイコロ遊びを
楽しんでいたとき、王は赤い衣装を身にまとい輝くように美しい女神に心が乱れてしまった。そんな王の心を見抜いた女神は「王朝の終焉は近い」と言い残し、姿を消す。慌てた王は、司祭を通じて祈りを捧げ、タレジュは、
「もう一度会いたいと望むのであれば、サキャカーストの美しく穢れのない、
32の条件を備えた幼ない純潔の少女を選び、崇めなさい。
その中に宿り、そなたと会うこととしよう。」と告げる。
王は、すぐにその条件を満たす少女を探し出し、クマリとして崇拝し始めた。

クマリには、そのタレジュ女神が宿るといわれています。
言い伝えの通り、サキャ・カーストの3、4歳の少女の中から選ばれます。


絵ハガキの写真から・・
少し微笑んでいるような表情に何故かホっとした。

32の条件とは、
手はやわらかく繊細なこと。獅子のような胸。青または黒の目。牛のようなまつ毛。
雀のような低い声。黄金に輝く美しい影。死んだ水牛の首を見せられても平然としていられること。その条件を満たしているかどうか、ヒンドゥー教の司祭と仏教の高僧5人が判定し、クマリは選ばれます。

選ばれた少女は、生き神クマリとしてクマリ館に住み、
神としてのふるまい方を教えこまれ、日々、人々の願望成就を祈ります。
クマリはカトマンズだけでなく、パタンやバクタプルにも存在するのですが、
カトマンズのクマリは国の運命に関する予言を行うと言われており、
国王さえもひざまづく、といわれています。

そして、12,13歳で初潮を迎えるまで生き神として生き、9月に行われるインドラ・ジャトラの祭りのとき以外、館から外に出ることはないのです。
絵ハガキの写真は、お祭りのときのクマリです。
普段は祈りを捧げるとクマリ館から顔をちらっとのぞかせてくれることがあるようですが、そのときクマリの写真を撮ることは許されていません。

ケガや初潮による出血がみられると次の新しいクマリに交代するのですが、
早ければ4歳くらいからクマリとなった少女が、今までほとんど経験のない通常の生活に戻らねばならない。想像もできない苦悩が待っているのだと思います。

実際、クマリの館に行ってみると、館の前にはクマリの写真を売るおばさん達。
中庭に入るのは無料なのに料金を取ろうとする人達がいました。
(壁には「彼らにお金を払う必要はない」というような旨の注意書きがありました。)

あまり近くで撮影はダメかも・・と思い、遠くから撮ったので小さくてすみません。

建物は思った以上に小さく、そして古かった。
このような場所に物心つく前に連れてこられて、言われるままに数年を生きて、
そして、それまで知らなかった世界にいきなり連れ出されるんだ・・
簡単な言葉では言い表せない重い気持ちが残りました。

でも、、
生活の中に「祈り」がある国だということを、半日カトマンズを歩いただけでも感じることができた。科学的に実証は出来ないけれど、祈りとか、念とか、そういうものが何かを引き起こす力は、本当にあり得るんじゃないか・・
ネパールにいると、そういう精神世界の存在を信じられるような気が・・。

今や世界の主な都市、何処に行っても、スターバックスにマクドナルドがあるけれど、ここにそういったものはない。独自の文化と思想と景観を保っている世界でも稀な、とても貴重な国だと感じた。

偉大なヒマラヤに見守られ、生き神という存在を持ち続けているネパールに、
どんどん引き込まれる自分がいた。

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2007-01-08

カトマンズ タメル~ダルバール広場

カトマンズのタメル地区からクマリの館のあるダルバール広場へ向かう道沿いには、店や人がひしめきあっている。



ここは、路地裏や商店街が好きな人には、たまらなく魅力的な空間だ。
パシュミナ、カシミヤ、シルクのショールがいっぱい!

インド系の人たちが着るサリーの生地も素敵~。

エスニックな味わいの品々・・

1軒ずつ入って、ゆっくり見たいくらい。でもどこにも値札はない。

店主と目が合うと、
「Come inside! Come inside!」「Free!Free!」と言われ、
中に入ると、
「You are first customer」と言う。

そうか、夕方なのに、私が初めてのお客さんってことは、この人、今日の稼ぎないんだな・・なんて最初は思ったのだけど、どこにいっても言われたので、これはセールストークなんだ・・と後で気づいた。

「いくら?」と聞くと、「1000ルピー」と言われ、「高いから買わない。」と言うと、「800!」
店を出ると、「600!」「500!」
「300~~!!」と叫ぶ。
ん?最初の1000は何??

値切る、とか、料金を交渉する経験が少ないので、こういうのはとても苦手だ。
買う時に値段がハッキリわかるお店がいい。
本当に物がいいなら、高くても買いたいけど、でも、思いきりボラれるのもイやだし。。

そんな中でも、誠実(・・と私は感じた)に商売している人もいて、
「いらない・・」と言って外に出ても、
「これは本当にいい物だから、これ以上下げられない」
と言われることもあった。
本当に気に入った商品の場合、そう言われた店で買ったのだけど、
自分が相場で買ったのか、そうでないのかはわからない。
いずれにしても、こういう交渉は苦手・・。定価ワールド・日本が恋しくなった。


道のあちこちで、物売りの人たちを見かける。
自転車を上手に改造してあって、野菜や果物などの食べ物、洋服、靴、笛などなど。
地面に座りこんで、商売している人もいる。とにかく、いろんなものを売っている。

もちろん屋台料理もあって、でも、、、お腹のことを考えるとやめておいたほういい・・
とわかっていたのだけど。。もうだめ・・。あまりに魅力的で手を出してしまった。


丸いパンのようなものを売っていた。
これなら、焼いてあるし大丈夫だろうと思ってオーダーすると、
それはパンではなくて、中が空洞になっているパリパリしたもので、

おじさんは、指でポンッと穴を開けて、その中に、ポテトサラダみたいなものを
指で詰めて、横に置いてある液(もしかして長年使ってる?)の中にドボっと漬けて、渡してくれた。

ガーーン!おじさん、その指で、お金さわってたよね?
朝から洗ってないよね?その指、きっと・・・。

おじさんは笑顔で次々にお皿に入れてくれる。5個も。。
たったの10ルピー(約17円)で5個って普通なのか?おまけなのか?
私達は1個買うつもりだったんだけど・・。
しかも金属のお皿に入れてくれるから、その場で完食せねばならない。
どうしよ~~~。


おそるおそる口に運ぶと、メキシカンのような味。
中のポテトサラダは数種の切り刻んだ野菜が入っていて、
液は、コリアンダー入りのハラペーニョ味のピリ辛ソースだった。

おいしいんだけど、不安が大きすぎて、存分に味わえなかったことが悔やまれる。
1ヶ月たった今でもカラダは何ともないので、大丈夫だったのだろう。。
おじさん、疑ってごめんなさい。。おいしかったです。

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2007-01-07

目にしたあれこれ、気になるあれこれ in Nepal

ネパールの山を歩いているときに感心したのは、
女性達がお鍋や食器を、時間をかけてきれいに洗っていたことと、
それを大切に飾っていたことだ。


これは昼食に寄ったお店の室内。
掃除も行き届いている。
お店以外の家でも、こんな風に飾っている家が多かった。

カトマンズの街中で驚いたのは、屋外で肉をさばいていたこと。
何気なく歩いていると、目の端にどうも牛の足のようなものが見えて、
ハっとして振り返ると、牛の足4本と頭がゴロ~ンと横たわっていた。
(さすがに、それはカメラにおさめられなかったので、違う写真で・・)


牛の頭はインパクトが大きいので、ビックリしたけれど、
自分の買うお肉の状態を見て買えるって、いいことかもしれないと思った。
パックに入った肉ばかりを買っている世界から来ると、
ゴミの出ない売り方に感心する。

夜のカトマンズはこんな感じ。


人やリクシャーが行きかう中を、車とバイクがうるさいくらいにクラクションを鳴らし、
むりやり通過していく。交通事故に要注意!

ところで、
異国に行くとき、気になるのは、トイレ事情。
旅行前に読んだ本に、強烈なことが書いてあったので、
初めて入るとき、かなり覚悟して入ったのだけど、
思っていた以上にきれいで拍子抜けした。

都市部は水洗だけど、山の中は手動水洗トイレだ。
日本の和式トイレに似た形で、用をたした後、桶で溜めてある水をくんで流す。
手動式水洗トイレ。
日本のボットントイレのように虫がいるわけでもないので、悪くない。


水で流したものは、そのまま川へと流れていくようだった。
なので、ティッシュを流すことはできない。

現地の人たちは水を利用するけれど、
旅行者がいきなり手動ウォシュレットに挑戦するのには抵抗があると思う。
そのため、使用後ティッシュを入れるゴミ箱がある。
このゴミ箱の中身を片付けてくれる人に、申し訳ないような気もしたけれど、
水は冷たいし、どうしても手動ウォシュレットは試すことはできなかった。

シャワールームやトイレは、ときどき、半オープンエア。
大きな窓(ガラスなし)ごしに、大自然がある。
最初はどうしようか、、と思ったけど、こういうのって慣れるから不思議~。
(私だけか?)


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2007-01-06

名残惜しい最終日

前日の夕方に歩いた街中。
治安面の不安はなかったのだけど、路地は迷路のように入り組んでいたし、
あまりの雰囲気に圧倒されて、地図を見てくれる主人の後についていくだけだった。
(私はできることなら地図を見たくないタイプ)


寺院に向かう道

翌朝、出発の11時まで時間があった。
主人は寺院を見に行きたいと言うし、
子供は部屋でネパールのテレビ番組を見たいと言う。
私は布やショールを買いたかった。

じゃぁ、全員別行動ね。
・・ということで、前日は1人じゃ歩けない・・と思っていた道を1人で歩いてみた。


朝のカトマンズ

最初はドキドキしたけど、ある瞬間、ふっきれて、楽しくなってきた。
家族旅行だと、妻の顔、母の顔でいなければならないし、どこかで
自分にブレーキをかけている。(もちろん、ブレーキは大切ですが・・)

1人行動だと、好きな店に入って、好きな時間過ごせて、
急に自由になった感じがして、うれしく、時間の許す限り、歩き回った。

交渉するのは大変だけど、無言で買い物できるスーパーより、
コミュニケーションがあるって、楽しいことかもしれない。

前日に立ち寄ったお店の店主が顔を覚えていてくれて挨拶をかわす。

途中、砂利の山を移動させている工事の人たちがいた。
大量の砂利をたった1人の人がシャベルで移動している。
シャベルには、ヒモがつけてあって、そのヒモを引っ張る人もいる。
2人で力を合わせて砂利を移動させているのだ。
あんなに大量の砂利をシャベル1本で移動させるとは、驚いた。
工事現場では、コンクリも、バケツリレーで入れていた。

日本では機械任せのことも、すべて人の手により行われている。
機械に頼る生活に慣れていくと、人間自体の能力が落ちていくんじゃないかな。
ネパールでは、人間の持つ能力のすごさを感じることが多い。

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ホテルから空港に向かうとき、お世話になった旅行会社のかたがたが
見送りに来てくれた。
「これは旅の安全を祈るものです。」と、首に「カタ」と呼ばれる布をかけてくれた。



「カタ」は、チベットから伝わった「旅の安全」を願う魔よけの布。

映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で、ラサを去るブラッド・ピッドに、
ダライ・ラマがかけてくれた、あの布です!!
(観た人にしかわからない説明ですみません)

空港に到着すると、「カタ」をかけている人を何人か見かけた。

彼らの安全を願う誰かの存在があり、その願いに守られている気がした。

こういうことって、うれしい。
気持ちがうれしい。

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2007-01-05

旅の最後に思うこと

飛行機の中に入った瞬間、なぜか日本に戻ったような気がした。
機械音や小奇麗な室内。
なつかしい空間にホっとする一方で、
底知れぬ民衆の生きる力を感じたネパールに、心は残ったままだった。


演説に聞き入る人々・・

荷物を運ぶラバの群れの横を、クラクションを鳴らしながら車が走り抜けたとき、
まさに時代の移り変わりを見ているような気がして、
ネパールの今の姿がなくなってしまうのでは・・と寂しさを感じた。

動物と人間と自然が共存している暮らし。
水牛が畑を耕し、その糞が肥料になり、作物が育つ。
穀物を人間が食べ、そのカラを動物が食べる。
すべてが循環しているゴミの出ない暮らしが山にはある。

でも、車が走る道に近い村では、ビニールのゴミが道端にあった。
最初は旅行客の仕業と思ったけれど、これはそこに住む人々が
捨てているものもあることがわかった。

今までは、みかんの皮を捨てても、土に還っていた。
きっと、それと同じつもりで捨ててしまうのだろう。

旅行客の飲んだビールの空瓶が、谷にあふれていた。
これも土に還らない。
リサイクルしようにも、それが出来る場所まで、人か動物が運ばねばならない。
大変な労力だ。

人々が何百年もかけて作り上げてきた暮らしが、壊れようとしている。



内戦も終わり、平和へと動き始めたこの国は、戦後の日本のように、
ものすごいスピードで変わっていくかもしれない。

それは、人々の生活がより便利になるという面ではいいことなのだけど、
それと共に失うものがあるはずだ。

争いが続くより平和がいいし、
貧しいより豊かなほうがいいけれど、、、

豊かさって何を指すのだろう?
便利さを追求するのは本当にいいことなんだろうか?

頭の中に、すぐには解決できない疑問があふれる。

でも1つだけわかったことがある。
山で会った子供達は生き生きしていたし、街にいる商人達からは、
生きることへの必死さが伝わってきた。
彼らのように「必死に生きること」が、自分に欠けていることかもしれないと思った。


自転車の上にこれだけの屋台設備を作ってしまう、感心!


小学生くらいの男の子が小さな妹達を連れていた


しばらく一緒についてきた子。人なつっこい。

今まで、独自の文化を守り続けることができたネパールだから、
きっと自分達の文化を守りつつ、変化していけるはず、と信じたい。

そう考えていくと、日本はすでに失われていることも多いけれど、
今からでも間に合う、自分のまわりにある、残したいと思える文化を守り、
伝承していくことが、今後の自分がしていくべきことのように思えた。

旅は、いつでも、何かを気づかせてくれる、勉強の場だ。


飛行機から見えた、大晦日(2006年12月31日)の夕陽です。

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2007-01-04

ネパールの山の暮らしを感じられる映画

映画「キャラバン」

ネパールは、なんとも不思議な魅力のある国なようで、
帰国後、さらに惹きつけられている。

どうしても、もう一度あの山を感じたくて、探して出会った映画。
ネパールの山を感じたい人にお勧めだ。



舞台は北ネパールのドルポ。
街から、山道を徒歩で3週間かけてやっとたどり着ける標高4600mにある村。

この村では、冬が来る前に、街まで塩を持って、麦と交換しに行く。
ヤクの背中に塩を積み、山を越えていく、それがキャラバン。

映画のストーリーは、キャラバンの次期リーダーをめぐるいろいろなのだけど、
この映画の素晴らしいところは、
実際に存在する村で、実際にそこに住む村人たちが演じているところだ。

20年前、この地を訪れたエリック・ヴァリ監督は、どこの国の影響も受けていない
独特の文化を持ち続けているドルポの人々の暮らしに感銘を受けたという。
まるで、中国の影響を受ける前のチベットのようだ、とも話している。

ネパールは、中国と接しながらも、中国の影響を受けていない珍しい国。
ヒマラヤにより、彼らの文化は守られてきた。

長老ティンレを演じているツェリン・ロンドゥップは、
20年間、監督と親交を深め、

「雪が太陽の光のもとで溶けて流れてしまうように、伝統が溶けて流れてしまう前に、私達の伝統の証明として、この映画を製作しよう。」

と、映画製作に協力した。

実際に僧であり、映画の中でも登場する僧の言葉・・

「自分の前に2つの道が開けているなら、そしてあなたが心身ともに健康であるなら、難しいほうの道、あなたが最善を尽くさねばならないであろう道を選びなさい。」

心に残るメッセージだ。

3週間山の中を歩くしか移動手段のないこの村まで、
いったいどうやって撮影機材を運んだのだろう?
撮影にあたって、歩いた距離1200キロ。
標高5000m以上の峠を21回越えたと監督は話している。

撮る側も、撮られる側も、この文化を残したいという強い願いを持って
作り上げた作品であることが伝わってくる。

映画のストーリーを追うのではなく、
映像の中にあるネパールの大自然を感じてほしい。
人々の暮らし、何百というヤクの群を率いるキャラバン、

あまりに日本の暮らしと違いすぎて、
それが、今もなお実際にある生活なのだということは、
なかなか信じられないかもしれない。

映画の中に出てくる少年の夢は、
「カトマンズの街に出て、自分と共に生きる人々が、近い将来体験することになるであろう大きな変化に対応できるよう勉強すること。」だと言う。

ネパールの山の中に住む、まだまだ小さな子供が、
こんな使命感を持って生きている。

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