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2005-09-16
海外旅行保険はほんとに必要?(part4)
月曜日の朝、いつもと変わらない病院の朝食を食べているとドクターがバタバタと入ってきた。
「なんで検査しないんだ!昨日検査するってうちの学生にいっただろ?」
ドクターは身振り手振り大きな声でそう言った。
「検査なんてもういい、今日は月曜日だ、早く日本大使館に連絡してくれ!ボクは自力でも日本に帰るからな!」
パンもひとかじりでやめたボクはそうドクターに言った。
実は今朝熱を計ると7度ちょっとに下がっていた。一週間ぶりに熱が下がっていたのだ。ボクはほんとに自力で日本に帰るつもりでいた。
それから30分もしないうちにドクターに呼ばれた。
「ヒデ電話だ、日本大使館だ!」
ドクターはあわててボクを呼びに来た。
「もしもし?私は日本大使館のTといいます。ドクターからあたなのことは聞きました。それで体調はいかがですか?」
その大使館の職員は丁寧な話し方だった。
「もう死にそうです。ボクはこんなところで死にたくありません。今日一週間ぶりに熱が下がりました、自力でも日本に帰るつもりです。」
「熱が下がったのですね、結構元気そうな声で安心しました。」
「今朝やっと熱が下がったのです。でも食欲がなく毎日ビスケットばかり食べています。もし今度熱が上がったらきっともうダメだと思います。このままここにいても食欲がないのでそっちで参ってしまう。とにかくこれが最後のチャンス、自力でも日本に帰りたいです。」
ボクは必死だった。熱は下がったがビスケットばかり食べていたので体力が落ちていくばかりだったからだ。
「でもそれはダメだとドクターが言っています。日本は遠すぎて必ず途中で血を吐いて死んでしまうと言っています。」
「わかっています。でもこのままここでじっとしてて死ぬより、熱が下がっている今がチャンスなんです!今度熱が上がったらもうダメです。。。。。」
「わかりました。とにかくご両親の連絡先を教えてください、私からご両親に連絡します。」
ボクは言われるままに実家の住所と電話番号を教えた。
その日の午後、父から病院に電話がかかってきた。
「おい!どうなんだ、大丈夫なのか?」
父の慌てぶりは普通じゃないのがすぐわかった。
「どうもこうも死にかけだよ、自力でも日本に帰りたいんだけど、ドクターが許可してくれない。」
「とにかくまだ生きてるんで安心した。保険会社にも連絡するからおとなしくしてるんだ、ドクターのいうこときいてな。」
帰国してから聞いた話だが、この時実家はパニック状態になっていたそうだ。それもそのはずだ。
「私トルコの日本大使館のTといいますが、お宅の息子さんトルコで死にかかっています。」
といきなり電話がかかってきたそうだ。
それから1時間もしないうちにまた電話がかかってきた。
「こんにちは、わたしM保険パリセンターのSといいます。ご両親から連絡をいただきお電話差し上げました。お身体の具合いはいかがですか?」
出発前に入っていた旅行保険の保険会社からである。久しぶりに聞く若い日本人女性の声にボクはちょっと元気がでた。
「ドクターにも言ったのですが、とにかくボクは日本に帰りたいんです、こんなところで死にたくないんです。」
ボクは同じことを繰り返したが、彼女の返事も同じものだった。
「それは日本は遠すぎるということでドクターが許可してくれません。」
「知っています、でも熱が下がった今しかチャンスがないんです!」
「とにかくドクターとご両親と日本大使館の方とで相談してみます。それまで待っていてください。」
彼女はそれだけ言って電話を切った。
次の日も熱は下がっていた。下がったと言っても7度ちょっとはあったが、食欲がないこと以外は体調はよかった。
「牛乳とオレオ」
3食いつもそれだけ。でもそのオレオも食べ飽きていた。
その日ボクは3通の遺書を書いた。会社の同僚と友人、それと旅に出る前に残してきた彼女。。。。。
水曜日の朝、いつものようにドクターは回診に来た。
「調子はどうだい?」
「Fine。。。。」
返事をするのも面倒くさい。
「ドクター、なんで日本に帰るの許可してくれないんだ、俺はもう熱が下がってるじゃないか!途中で死んでもあんたの責任じゃないし、とにかく自力で帰らせてくれ!」
「それはダメだよ。ここから日本までどれくらいかかる?」
「イスタンブールから10時間くらいかな。」
「じゃあきっと君はイスタンブールに着く前に死んでしまうよ。運良く生きていても飛行機の中で血を吐いて死ぬよ。」
それは自分でもわかっていた。でも何もしないでここにずっといるのがもう耐えられなかった。
その日の昼過ぎ、保険会社から電話がかかってきた。
「パリはどうですか?」
いつもの女性はいきなりそう言った。
「パリ?」
「そうパリです。そこの病院にいてもよくなるとは思えません。パリにはきちんとした設備の病院があります。そこで治療を受けてもらいます。さっきドクターとご両親、日本大使館の人と話したのですが、パリなら近いのでドクター付きという条件でドクターもOKをだしてくれました。」
「パリでもどこでもいいです!もうここは嫌です。食べ物も合わないし病気の前にそれでまいってしまいます!」
ボクは医局で大声を上げて叫んでいた。
「わかりました。では明日パリから医療チャータージェットをそちらへ飛ばします、折り返しその飛行機に乗ってパリまで飛んでください。」
「飛行機で迎えに来てもらえるのですか?」
パリまで自力で行くものと思っていたボクは驚いた。
「はい、パリからドクターを同乗させていきます。」
陸路専門のボクが、まさかパリまで飛行機で行けるとは夢にも思わなかった。
「わかりました!」
「それでそのフライト代は?。。。。。」とききそうになったがやめた。
これでオレオの食事ともお別れだ。何を喜んでいるかわからないドクターを横目にボクは走って病室に戻り荷造りをした。
翌木曜日、とうとうトルコから出発する日がきた。
「おいヒデ!飛行機がきたぞ、早く準備しろ!」
お昼前だっただろうか、ドクターに医局の人、それに採血の時に針を刺すのを失敗した看護婦、みんな病室にやってきた。
「元気でな、see you 」
「もう会いたくないよ。」
ボクはそう言って笑ってドクターと握手をした。。。。。。。。。。To be continued.
「なんで検査しないんだ!昨日検査するってうちの学生にいっただろ?」
ドクターは身振り手振り大きな声でそう言った。
「検査なんてもういい、今日は月曜日だ、早く日本大使館に連絡してくれ!ボクは自力でも日本に帰るからな!」
パンもひとかじりでやめたボクはそうドクターに言った。
実は今朝熱を計ると7度ちょっとに下がっていた。一週間ぶりに熱が下がっていたのだ。ボクはほんとに自力で日本に帰るつもりでいた。
それから30分もしないうちにドクターに呼ばれた。
「ヒデ電話だ、日本大使館だ!」
ドクターはあわててボクを呼びに来た。
「もしもし?私は日本大使館のTといいます。ドクターからあたなのことは聞きました。それで体調はいかがですか?」
その大使館の職員は丁寧な話し方だった。
「もう死にそうです。ボクはこんなところで死にたくありません。今日一週間ぶりに熱が下がりました、自力でも日本に帰るつもりです。」
「熱が下がったのですね、結構元気そうな声で安心しました。」
「今朝やっと熱が下がったのです。でも食欲がなく毎日ビスケットばかり食べています。もし今度熱が上がったらきっともうダメだと思います。このままここにいても食欲がないのでそっちで参ってしまう。とにかくこれが最後のチャンス、自力でも日本に帰りたいです。」
ボクは必死だった。熱は下がったがビスケットばかり食べていたので体力が落ちていくばかりだったからだ。
「でもそれはダメだとドクターが言っています。日本は遠すぎて必ず途中で血を吐いて死んでしまうと言っています。」
「わかっています。でもこのままここでじっとしてて死ぬより、熱が下がっている今がチャンスなんです!今度熱が上がったらもうダメです。。。。。」
「わかりました。とにかくご両親の連絡先を教えてください、私からご両親に連絡します。」
ボクは言われるままに実家の住所と電話番号を教えた。
その日の午後、父から病院に電話がかかってきた。
「おい!どうなんだ、大丈夫なのか?」
父の慌てぶりは普通じゃないのがすぐわかった。
「どうもこうも死にかけだよ、自力でも日本に帰りたいんだけど、ドクターが許可してくれない。」
「とにかくまだ生きてるんで安心した。保険会社にも連絡するからおとなしくしてるんだ、ドクターのいうこときいてな。」
帰国してから聞いた話だが、この時実家はパニック状態になっていたそうだ。それもそのはずだ。
「私トルコの日本大使館のTといいますが、お宅の息子さんトルコで死にかかっています。」
といきなり電話がかかってきたそうだ。
それから1時間もしないうちにまた電話がかかってきた。
「こんにちは、わたしM保険パリセンターのSといいます。ご両親から連絡をいただきお電話差し上げました。お身体の具合いはいかがですか?」
出発前に入っていた旅行保険の保険会社からである。久しぶりに聞く若い日本人女性の声にボクはちょっと元気がでた。
「ドクターにも言ったのですが、とにかくボクは日本に帰りたいんです、こんなところで死にたくないんです。」
ボクは同じことを繰り返したが、彼女の返事も同じものだった。
「それは日本は遠すぎるということでドクターが許可してくれません。」
「知っています、でも熱が下がった今しかチャンスがないんです!」
「とにかくドクターとご両親と日本大使館の方とで相談してみます。それまで待っていてください。」
彼女はそれだけ言って電話を切った。
次の日も熱は下がっていた。下がったと言っても7度ちょっとはあったが、食欲がないこと以外は体調はよかった。
「牛乳とオレオ」
3食いつもそれだけ。でもそのオレオも食べ飽きていた。
その日ボクは3通の遺書を書いた。会社の同僚と友人、それと旅に出る前に残してきた彼女。。。。。
水曜日の朝、いつものようにドクターは回診に来た。
「調子はどうだい?」
「Fine。。。。」
返事をするのも面倒くさい。
「ドクター、なんで日本に帰るの許可してくれないんだ、俺はもう熱が下がってるじゃないか!途中で死んでもあんたの責任じゃないし、とにかく自力で帰らせてくれ!」
「それはダメだよ。ここから日本までどれくらいかかる?」
「イスタンブールから10時間くらいかな。」
「じゃあきっと君はイスタンブールに着く前に死んでしまうよ。運良く生きていても飛行機の中で血を吐いて死ぬよ。」
それは自分でもわかっていた。でも何もしないでここにずっといるのがもう耐えられなかった。
その日の昼過ぎ、保険会社から電話がかかってきた。
「パリはどうですか?」
いつもの女性はいきなりそう言った。
「パリ?」
「そうパリです。そこの病院にいてもよくなるとは思えません。パリにはきちんとした設備の病院があります。そこで治療を受けてもらいます。さっきドクターとご両親、日本大使館の人と話したのですが、パリなら近いのでドクター付きという条件でドクターもOKをだしてくれました。」
「パリでもどこでもいいです!もうここは嫌です。食べ物も合わないし病気の前にそれでまいってしまいます!」
ボクは医局で大声を上げて叫んでいた。
「わかりました。では明日パリから医療チャータージェットをそちらへ飛ばします、折り返しその飛行機に乗ってパリまで飛んでください。」
「飛行機で迎えに来てもらえるのですか?」
パリまで自力で行くものと思っていたボクは驚いた。
「はい、パリからドクターを同乗させていきます。」
陸路専門のボクが、まさかパリまで飛行機で行けるとは夢にも思わなかった。
「わかりました!」
「それでそのフライト代は?。。。。。」とききそうになったがやめた。
これでオレオの食事ともお別れだ。何を喜んでいるかわからないドクターを横目にボクは走って病室に戻り荷造りをした。
翌木曜日、とうとうトルコから出発する日がきた。
「おいヒデ!飛行機がきたぞ、早く準備しろ!」
お昼前だっただろうか、ドクターに医局の人、それに採血の時に針を刺すのを失敗した看護婦、みんな病室にやってきた。
「元気でな、see you 」
「もう会いたくないよ。」
ボクはそう言って笑ってドクターと握手をした。。。。。。。。。。To be continued.
スナフの旅
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shusa
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