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2006-01-09
八極拳発祥の地・中国孟村の旅(part1)
12月27日、ボクは正月休みを利用して中国孟村へ行くことにした。中国も孟村も実に4年ぶりの訪問となる。
孟村は正式名を孟村回族自治県といい、八極拳発祥の地として有名だ。
今までに中国や孟村には何度となく訪れたことがあるが、実は今回飛行機で中国に入るのは初めての経験だった。今までに船で二回、隣国から陸路で三回中国に入国したことがある。北京空港へは出迎えで何度か来たことがあるが、実際利用するのは始めての経験となった。
空港からは民航のバスで北京駅に向かった。これが市内へ入る一番安い方法だ。今日の宿は北京駅から地下鉄でひと駅のところにあるユースホステルに決めていた。中国でユースに泊まるのは初めて。
「青年之家旅館」とかかれた看板の建物に入ってみる。どうやら地下にあるらしい。迷路のような階段を下に降りるとロビーに小さなカウンターだけおいてあるレセプションが現れた。ボクはそこに座っていた女性に声をかけた。
「一人部屋はありますか?」
「シングルですか?ありますよ。」
「一泊いくら?」
「一人部屋は三種類あります。」
そういって彼女はボクに料金表のようなものを見せた。表には英語で書かれていて、裏にはなんと日本語で書かれている。
「じゃあこのCの部屋を見せてください。」
「Cはもう一杯です、Bならありますよ。」
ABCのうちCは一泊60元くらいだったがBは90元くらいした。
「じゃあBの部屋みせて。」
彼女はOKと言ってもう一人の女性に鍵を渡して、ボクに付いていくように言った。
ここのユースはビルの地下二階をすべて借り切っているようで部屋は迷路のような廊下を通っていく。
見せてもらったBシングルはとてもシンプルで清潔だった。地下なのでもちろん窓はない。トイレとシャワーは共同だがお湯は24時間でるらしい。これも問題ない。
ボクは今夜ここに泊まり、明日日本からもう二人来るので空港へ迎えに行き、29日に三人で孟村へ行く予定になっていた。
孟村へはまず北京から列車で滄州へ向かう。滄州はその昔、水滸伝の林沖が流刑になったところで、中国では武術の故郷として有名だ。
列車は例外なく混んでいた。北京から滄州へは約3時間かかるが、ボクの中国人の友人がチケットを取ってくれたので座席を確保することができた。もし立ったままだと辛かったに違いない。
滄州から孟村へはミニバスを使う。ここまでくれば4年ぶりといってもどこに何があるかはすぐ思い出す。孟村へ向かうミニバスはすぐに見つかったが、その綺麗な車体にちょっとビックリ。車内にはテレビが付いていてDVDが流れている。昔のボロボロとはえらい違いだ。
「開発の波が孟村まで来てるのか?」
バスは途中で客を乗せながら約1時間で孟村へ到着する。孟村も来るたびに綺麗になっているが、今回お世話になる呉連枝老師の家がどこにあるかは忘れるはずがない。
見覚えのあるところでバスを下ろしてもらう。新しい道やデパートができているがちょっと中へ入ると昔と変わっていない。しかしびっくりしたのは孟村に信号機ができていたことだ。これには正直驚いた。
今回孟村へは総勢9名の日本人が来ることになっている。
呉老師のご子息の家に着いたのは午後3時過ぎくらいだろうか、大きな家の門を開けると懐かしい顔ぶれがそろっていた。
「歓迎!歓迎!」
まずは呉老師のご子息が出迎えてくれた。ご子息とも4年ぶりの再会となる。続いて家の中から呉老師が出てこられた。
呉連枝老師は呉氏開門八極拳の第七世宗家。毎年東京、大阪と来日され日本でも有名な方だ。
夕食は先に東京から来ている4人の日本人と一緒ににぎやかな宴会となった。東京と大阪と離れてはいるが、共に八極を学ぶ者としてよく知っている仲間だ。孟村にこんなに日本人が集まるのも久しぶり、この夜は飲んで食べていろんな話で盛り上がった。懐かしい孟村の料理を食べていると何だか出稼ぎから家に帰ってきたような気になる。
酒がすすむにつれて話は明日のテレビのことになった。実は30日は中国中央電視台の番組撮りがあるのだ。
「これでボクもいよいよ中国デビューか!」
そんな訳はないが、そんな話をしながら孟村の夜は更けていった。。。。。。つづく。
孟村は正式名を孟村回族自治県といい、八極拳発祥の地として有名だ。
今までに中国や孟村には何度となく訪れたことがあるが、実は今回飛行機で中国に入るのは初めての経験だった。今までに船で二回、隣国から陸路で三回中国に入国したことがある。北京空港へは出迎えで何度か来たことがあるが、実際利用するのは始めての経験となった。
空港からは民航のバスで北京駅に向かった。これが市内へ入る一番安い方法だ。今日の宿は北京駅から地下鉄でひと駅のところにあるユースホステルに決めていた。中国でユースに泊まるのは初めて。
「青年之家旅館」とかかれた看板の建物に入ってみる。どうやら地下にあるらしい。迷路のような階段を下に降りるとロビーに小さなカウンターだけおいてあるレセプションが現れた。ボクはそこに座っていた女性に声をかけた。
「一人部屋はありますか?」
「シングルですか?ありますよ。」
「一泊いくら?」
「一人部屋は三種類あります。」
そういって彼女はボクに料金表のようなものを見せた。表には英語で書かれていて、裏にはなんと日本語で書かれている。
「じゃあこのCの部屋を見せてください。」
「Cはもう一杯です、Bならありますよ。」
ABCのうちCは一泊60元くらいだったがBは90元くらいした。
「じゃあBの部屋みせて。」
彼女はOKと言ってもう一人の女性に鍵を渡して、ボクに付いていくように言った。
ここのユースはビルの地下二階をすべて借り切っているようで部屋は迷路のような廊下を通っていく。
見せてもらったBシングルはとてもシンプルで清潔だった。地下なのでもちろん窓はない。トイレとシャワーは共同だがお湯は24時間でるらしい。これも問題ない。
ボクは今夜ここに泊まり、明日日本からもう二人来るので空港へ迎えに行き、29日に三人で孟村へ行く予定になっていた。
北京駅
孟村へはまず北京から列車で滄州へ向かう。滄州はその昔、水滸伝の林沖が流刑になったところで、中国では武術の故郷として有名だ。
列車は例外なく混んでいた。北京から滄州へは約3時間かかるが、ボクの中国人の友人がチケットを取ってくれたので座席を確保することができた。もし立ったままだと辛かったに違いない。
滄州から孟村へはミニバスを使う。ここまでくれば4年ぶりといってもどこに何があるかはすぐ思い出す。孟村へ向かうミニバスはすぐに見つかったが、その綺麗な車体にちょっとビックリ。車内にはテレビが付いていてDVDが流れている。昔のボロボロとはえらい違いだ。
「開発の波が孟村まで来てるのか?」
なんだが昔のボロバスが懐かしい。
バスは途中で客を乗せながら約1時間で孟村へ到着する。孟村も来るたびに綺麗になっているが、今回お世話になる呉連枝老師の家がどこにあるかは忘れるはずがない。
見覚えのあるところでバスを下ろしてもらう。新しい道やデパートができているがちょっと中へ入ると昔と変わっていない。しかしびっくりしたのは孟村に信号機ができていたことだ。これには正直驚いた。
今回孟村へは総勢9名の日本人が来ることになっている。
呉老師のご子息の家に着いたのは午後3時過ぎくらいだろうか、大きな家の門を開けると懐かしい顔ぶれがそろっていた。
「歓迎!歓迎!」
まずは呉老師のご子息が出迎えてくれた。ご子息とも4年ぶりの再会となる。続いて家の中から呉老師が出てこられた。
呉連枝老師は呉氏開門八極拳の第七世宗家。毎年東京、大阪と来日され日本でも有名な方だ。
夕食は先に東京から来ている4人の日本人と一緒ににぎやかな宴会となった。東京と大阪と離れてはいるが、共に八極を学ぶ者としてよく知っている仲間だ。孟村にこんなに日本人が集まるのも久しぶり、この夜は飲んで食べていろんな話で盛り上がった。懐かしい孟村の料理を食べていると何だか出稼ぎから家に帰ってきたような気になる。
酒がすすむにつれて話は明日のテレビのことになった。実は30日は中国中央電視台の番組撮りがあるのだ。
「これでボクもいよいよ中国デビューか!」
そんな訳はないが、そんな話をしながら孟村の夜は更けていった。。。。。。つづく。
スナフの旅
18:30
shusa
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