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2006-05-25
グレートバリアリーフの無人島キャンプ 2日目
島には唯一の人工物である、トイレが設置されているということだったので、
まずはそれを確認しておこうと、あらかじめ教えてもらった道を辿ると、
島の中ほどの掘っ立て小屋の中に、かなり深く掘られたトイレを発見した。
椰子の林の中に作られたこのトイレは、すっかり自然と同化していた。
トイレの場所を確認したので、次はテントの設営に取り掛かろうとした
島には私達しかいないので、住家を選ぶに当たっては、全くの自由である。
それならば、と、テントの設営場所を探しに、島を一周して見ることにした。
島はゆっくり歩いて1時間ほどで一周することができた。
島のほとんどが岩場なのだが、数ヶ所は珊瑚のビーチになっている。
視察したところ、結局ディンギーの発着場所になっているところが最も美しい
ビーチであり、少し中へ入ると、そこは砂の台地になって寝心地も良かった。
更にビーチを背にした正面には椰子が茂り、その椰子の林が島中央からの
風を防いでくれたので、ここを今回のネグラとすることに決めた。
テントの設営が終わると、レンタルしておいたシュノーケルセットを身に付け、
夕方近くまでシュノーケリングをして過ごした。
岩かと思い近付いて見たところ、それがマンタだったことに驚くこともあった。
また、ビーチには珊瑚の死骸が打ち上げられており、それはカラフルで、
私達の目を楽しませてくれた。
夕方、食事を取りながら息をのむほどのサンセットを眺めたまではよかったが、
その後空は曇り始め、少しばかり荒れ模様になった。
海に囲まれた小島で夜を過ごしたのは初めてだったせいか、昼間とは対象的に
夜は恐ろしいほどの海鳴りが響き渡り、自然の脅威を五感で感じる事ができた。
初めて耳にする「ゴォォォ・・・」と響く海鳴りのサラウンドは、無人島キャンプ中、
恐ろしいながらも、最も感銘を受けた素晴らしい体験であったと思っている。
真夜中にトイレへ行こうとテントを出たが、雨風のせいで、道中の椰子の葉に
行く手を遮られ、懐中電灯片手にトイレまで30分もかかった。
帰ってきた時、体はズブ濡れだったが、ちょっとした冒険をして来た充実感
からか、そんなことはお構い無しに寝袋へ滑り込み、心地よい眠りに付いた。
翌朝テントに燦燦と降り注ぐ太陽の光のせいで、蒸し暑くなり目が覚めた。
外に出ると、昨夜の嵐は嘘のように海は穏やかになっていた。
遥か遠くでタンカーともおぼつかない船影が動いて見えた。
昼前、こちらに近付いてくる船を一艘発見。
たった一日の事だったが、昨夜の嵐で100%漂流者になりきっていた私達は、
迎えに来てくれたディンギーを見てほっとした。
ディンギーから降りたクルーが聞いた「延泊する?それともケアンズに戻る?」
「もう1泊したい」と言えば、飲料水を置いていってくれて、また翌日迎えに
来てくれることになっている。
たった一日で文明生活が恋しくなっていた私達はシャワーを浴びたかったので、
戻ることにした。
終わり
まずはそれを確認しておこうと、あらかじめ教えてもらった道を辿ると、
島の中ほどの掘っ立て小屋の中に、かなり深く掘られたトイレを発見した。
椰子の林の中に作られたこのトイレは、すっかり自然と同化していた。
トイレの場所を確認したので、次はテントの設営に取り掛かろうとした
島には私達しかいないので、住家を選ぶに当たっては、全くの自由である。
それならば、と、テントの設営場所を探しに、島を一周して見ることにした。
島はゆっくり歩いて1時間ほどで一周することができた。
島のほとんどが岩場なのだが、数ヶ所は珊瑚のビーチになっている。
視察したところ、結局ディンギーの発着場所になっているところが最も美しい
ビーチであり、少し中へ入ると、そこは砂の台地になって寝心地も良かった。
更にビーチを背にした正面には椰子が茂り、その椰子の林が島中央からの
風を防いでくれたので、ここを今回のネグラとすることに決めた。
テントの設営が終わると、レンタルしておいたシュノーケルセットを身に付け、
夕方近くまでシュノーケリングをして過ごした。
岩かと思い近付いて見たところ、それがマンタだったことに驚くこともあった。
また、ビーチには珊瑚の死骸が打ち上げられており、それはカラフルで、
私達の目を楽しませてくれた。
夕方、食事を取りながら息をのむほどのサンセットを眺めたまではよかったが、
その後空は曇り始め、少しばかり荒れ模様になった。
海に囲まれた小島で夜を過ごしたのは初めてだったせいか、昼間とは対象的に
夜は恐ろしいほどの海鳴りが響き渡り、自然の脅威を五感で感じる事ができた。
初めて耳にする「ゴォォォ・・・」と響く海鳴りのサラウンドは、無人島キャンプ中、
恐ろしいながらも、最も感銘を受けた素晴らしい体験であったと思っている。
真夜中にトイレへ行こうとテントを出たが、雨風のせいで、道中の椰子の葉に
行く手を遮られ、懐中電灯片手にトイレまで30分もかかった。
帰ってきた時、体はズブ濡れだったが、ちょっとした冒険をして来た充実感
からか、そんなことはお構い無しに寝袋へ滑り込み、心地よい眠りに付いた。
翌朝テントに燦燦と降り注ぐ太陽の光のせいで、蒸し暑くなり目が覚めた。
外に出ると、昨夜の嵐は嘘のように海は穏やかになっていた。
遥か遠くでタンカーともおぼつかない船影が動いて見えた。
昼前、こちらに近付いてくる船を一艘発見。
たった一日の事だったが、昨夜の嵐で100%漂流者になりきっていた私達は、
迎えに来てくれたディンギーを見てほっとした。
ディンギーから降りたクルーが聞いた「延泊する?それともケアンズに戻る?」
「もう1泊したい」と言えば、飲料水を置いていってくれて、また翌日迎えに
来てくれることになっている。
たった一日で文明生活が恋しくなっていた私達はシャワーを浴びたかったので、
戻ることにした。
終わり
2006-05-21
グレートバリアリーフの無人島キャンプ 1日目
「グレートバリアリーフの無人島でキャンプができるけど、行ってみない?」
某クルーズ会社の担当者が、私にとても魅力的な知らせを持ってきた。
「未だ、日本人はほとんど知らないから、きっといいネタになると思うよ」
当時、グレートバリアリーフの無人島キャンプツアーを売ろうなどと考えている
日本の旅行会社は皆無で、こいつの会社なら一風変わった商品ばかりを
取り扱っているから、これも何とか販売してくれるのではないかと企んだに
違いなく、一度島を視察してきてほしいと言うことだった。
面白そうだったので、私は躊躇することなく二つ返事で引き受けた。
島の名前はラッセル島。
長い年月を経て、珊瑚が隆起して出来上がった、グレートバリアリーフに
浮かぶフランクランド諸島の無人島だ。
グレートバリアリーフの無人島で、唯一キャンプをすることが許されている。
国立公園でキャンプを張るための許可証を手に入れ、テントと食料を仕入れ、
携帯電話と緊急連絡先(万一に備え日本の家族や友人の電話番号も揃えた)、
懐中電灯、寝袋を持って、準備を整えた。
キャンプと言っても島にキャンプサイトがある訳ではなく、島の物は、枯葉、
枯木とて一切燃やしてはならない、と言う決まりがあり、火を使う場合は
きちんとしたコンロや燃料を持参しなくてはならない。
私達は食料に、パン、バター、スパムの缶詰、バナナ、オレンジ、ビスケット、
そしてオージービーフに小型のバーベキューコンロと練炭を用意した。
島へは、ケアンズからフェリーに乗って行く。
マングローブが生い茂ったマルグレーブ川に沿って、そのまま海に出る。
ラッセル島へ向かう途中、諸島観光の中核、ノーマンビー島へ立ち寄る。
大半の観光客はここが最終目的地となるが、それは私と妻以外の全員だった。
ノーマンビー島も無人島で、一日100人しか上陸できないという定員制限が
あるため、この島はとても人気がある。但しキャンプをすることはできない。
ここからは小型船ディンギーに乗り換え、私達だけラッセル島へ向かう。
ノーマンビー島の賑わいがエンジン音にかき消され、徐々に遠ざかって行く。
どことなく不安になってくるが、ラッセル島が見えて来ると、いよいよ気合を
入れ直さなければならない。
キャンプとしては気楽な内容だが、無人島で一晩過ごさなければならないのだ。
島には私達と入れ違いで、アメリカ人の夫婦が約1週間キャンプしており、
タオルなどの洗濯物を海に水平に突き出たヤシの木にかけて乾かしている
光景や男性のひげの伸び具合は、ロビンソンクルーソーさながらであった。
一週間も無人島で生活を楽しむとは、さすがアメリカ人観光客は我々日本人と
比べると、旅の嗜好も、勤務している会社の待遇も違うのだな~と思った。
その夫婦は、私達と入れ替わり、多くの荷物と共にディンギーに乗り込んだ。
ディンギーのクルーは「じゃあ、明日、無事会えることを楽しみにしているよ!」
と一言残して島を離れた。
ディンギーと夫婦がこの島から去った後、私達と穏やかな波の音だけが残った。
翌日へ続く
某クルーズ会社の担当者が、私にとても魅力的な知らせを持ってきた。
「未だ、日本人はほとんど知らないから、きっといいネタになると思うよ」
当時、グレートバリアリーフの無人島キャンプツアーを売ろうなどと考えている
日本の旅行会社は皆無で、こいつの会社なら一風変わった商品ばかりを
取り扱っているから、これも何とか販売してくれるのではないかと企んだに
違いなく、一度島を視察してきてほしいと言うことだった。
面白そうだったので、私は躊躇することなく二つ返事で引き受けた。
島の名前はラッセル島。
長い年月を経て、珊瑚が隆起して出来上がった、グレートバリアリーフに
浮かぶフランクランド諸島の無人島だ。
グレートバリアリーフの無人島で、唯一キャンプをすることが許されている。
国立公園でキャンプを張るための許可証を手に入れ、テントと食料を仕入れ、
携帯電話と緊急連絡先(万一に備え日本の家族や友人の電話番号も揃えた)、
懐中電灯、寝袋を持って、準備を整えた。
キャンプと言っても島にキャンプサイトがある訳ではなく、島の物は、枯葉、
枯木とて一切燃やしてはならない、と言う決まりがあり、火を使う場合は
きちんとしたコンロや燃料を持参しなくてはならない。
私達は食料に、パン、バター、スパムの缶詰、バナナ、オレンジ、ビスケット、
そしてオージービーフに小型のバーベキューコンロと練炭を用意した。
島へは、ケアンズからフェリーに乗って行く。
マングローブが生い茂ったマルグレーブ川に沿って、そのまま海に出る。
ラッセル島へ向かう途中、諸島観光の中核、ノーマンビー島へ立ち寄る。
大半の観光客はここが最終目的地となるが、それは私と妻以外の全員だった。
ノーマンビー島も無人島で、一日100人しか上陸できないという定員制限が
あるため、この島はとても人気がある。但しキャンプをすることはできない。
ここからは小型船ディンギーに乗り換え、私達だけラッセル島へ向かう。
ノーマンビー島の賑わいがエンジン音にかき消され、徐々に遠ざかって行く。
どことなく不安になってくるが、ラッセル島が見えて来ると、いよいよ気合を
入れ直さなければならない。
キャンプとしては気楽な内容だが、無人島で一晩過ごさなければならないのだ。
島には私達と入れ違いで、アメリカ人の夫婦が約1週間キャンプしており、
タオルなどの洗濯物を海に水平に突き出たヤシの木にかけて乾かしている
光景や男性のひげの伸び具合は、ロビンソンクルーソーさながらであった。
一週間も無人島で生活を楽しむとは、さすがアメリカ人観光客は我々日本人と
比べると、旅の嗜好も、勤務している会社の待遇も違うのだな~と思った。
その夫婦は、私達と入れ替わり、多くの荷物と共にディンギーに乗り込んだ。
ディンギーのクルーは「じゃあ、明日、無事会えることを楽しみにしているよ!」
と一言残して島を離れた。
ディンギーと夫婦がこの島から去った後、私達と穏やかな波の音だけが残った。
翌日へ続く