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やさしい日常の言葉を論理の糸でさりげなく紡いでいく豊かな想像力!
金子みすゞは、詩人の心と科学の目を併せ持った稀有な天才である。
(宇宙物理学者:佐治晴夫)
シンプルに物事の本質を鋭く射抜く金子みすゞの詩の世界は、「私たちが初めて手に入れた三世代が共有できる宇宙文学」(童謡詩人:矢崎節夫)として、静かに水の波紋が広がるように、人々の心に浸透してゆきます。
JR仙崎駅からまっすぐ伸びるみすゞ通りには、家の格子や塀にみすゞの詩の書かれた木製プレートが…。
金子みすゞ記念館は、生誕100年を記念して2003年4月11日(みすゞの誕生日)に、生家跡にオープンしました。
「赤い鳥」(北原白秋)、「金の船」(野口雨情)、「童話」(西條八十)と言った三大童話童謡雑誌が勢ぞろいしていた時代に書き始めたみすゞ。
記念館内のみすゞギャラリーには、壁に「手を出してください」と言うようなメッセージがあり、何だろう?と手をかざしてみると、そこにみすゞの詩が光で投影されると言う、とても素敵なしかけが施されています。
みすゞの優しい心を両手で受け取った瞬間、記念館に訪れた人は皆一瞬にして表情がふわっとほころび、自分の手に浮かび上がるみすゞの詩に静かに見入っているのが印象的でした。
また、みすゞの詩に曲をつけた作品がCDで視聴できるスペースもあり、「私と小鳥とすずと」「星とたんぽぽ」「大漁」と言った大好きな詩が、大好きな中田喜直先生の手によって作品になっていることは、何だか波長が同じような気がして(厚かましくも)とても嬉しく思っていることの一つ。
JR仙崎駅からまっすぐ伸びるみすゞ通りをゆけば、左手に郵便局、その先に冒頭の看板を壁にかかげたお土産屋さんがあり、その真向かいに生家を再現した金子文英堂があります。(みすゞ記念館は、景観に同化しているので通り過ぎないようご注意くださいね。)
また、みすゞのお墓がある遍照寺は、そのまま真っ直ぐ行った左手に、更にみすゞ通りを突き当たると、青海島(おおみじま)が視界に広がります。
その大海島を左手に少し歩き、大海島とを結ぶ橋とつながっている道を右手に進路をとると、弁天島や漁港が見え、地元の定食屋さん(?)の看板が所々に目を引きますので、とれとれの海の幸を堪能なさりたい方は是非!
お天気が良ければ、遊覧船で「海上アルプス」との別名をもつ青海島の海岸美を楽しむことも出来ます。
2005-09-13
広島県>安芸の宮島>雨に抱かれて眠る鹿
小雨に洗われる紅葉の下で、観光客の喧騒から離れるように一頭の鹿が休んでいました。
11月中旬と言えど、10月の気候といわれていたこの日。小雨になでられ微かに揺れる紅葉と土に染み入る雨の音が鹿を包む風景は、「音無き音が包み込む静寂」と言うにふさわしく、そばを流れる小川の音は、まろやかなマリンバの低音のようにまどろみ誘うことでしょう。
観光するなら晴れやかな日がいいけれど、小雨交じりの散策も、普段目にすることのない風景に出会えたりするので、結構私は好き。
「観光地の鹿=奈良公園の(凶暴な)鹿」と刷り込まれている関西人にとって、野放しの鹿のお出迎えは、思わず冷や汗、後ずさりモノでしたが、ここの鹿さんたちは、とってものんびりムードなので心配は無用でした。
さて、胸を撫で下ろすと、早速鹿さんたちに混じって厳島神社へ。途中、ササッと砂地を踏む音がしたので振り返ってみると、2頭の鹿ががぶり四つ…ではなく、ツノを絡ませて戦闘体勢に入っているではありませんか。土俵代わりに人だかりもできています。
地面につきそうなくらい頭を下げて静かに間合いを取り、一瞬の好機を狙って激しくツノで揺さぶりをかけ、また、振り回されないように足で踏ん張る踏ん張る…。
間合いをとっている左の鹿の目が180度くるりんと後ろに動き、カメラを構えている私と目があったのは、そんな緊迫感に包まれた中での一瞬のことでした。
「怖~」…。
そう言えば、草食動物って前後に目が動くんですよね。動物レベルでは3秒以上目が合うと戦いが始まるって言うし、「間違ってもこっちに走ってこないでね」、と思わずにはいられませんでした。
太古の時代から、霊気の感じる景観として島そのものが神として信仰の対象になっていた宮島は、平清盛の時代には平家一族の拝するところとなり、京都からも皇族、貴族が訪れることによって当時の平安文化が積極的に取り入れられてゆき、平家滅亡後も源氏一門に厚遇されるなど、折にふれ、歴史の表舞台に登場してきました。
宮島へ向かうフェリーは数社ありますが、JRのフェリーは宮島へアプローチする際、大鳥居の近くにまで寄ってくれますので、往路はこちらを利用する方が良いと思います。
11月中旬と言えど、10月の気候といわれていたこの日。小雨になでられ微かに揺れる紅葉と土に染み入る雨の音が鹿を包む風景は、「音無き音が包み込む静寂」と言うにふさわしく、そばを流れる小川の音は、まろやかなマリンバの低音のようにまどろみ誘うことでしょう。
観光するなら晴れやかな日がいいけれど、小雨交じりの散策も、普段目にすることのない風景に出会えたりするので、結構私は好き。
「観光地の鹿=奈良公園の(凶暴な)鹿」と刷り込まれている関西人にとって、野放しの鹿のお出迎えは、思わず冷や汗、後ずさりモノでしたが、ここの鹿さんたちは、とってものんびりムードなので心配は無用でした。
さて、胸を撫で下ろすと、早速鹿さんたちに混じって厳島神社へ。途中、ササッと砂地を踏む音がしたので振り返ってみると、2頭の鹿ががぶり四つ…ではなく、ツノを絡ませて戦闘体勢に入っているではありませんか。土俵代わりに人だかりもできています。
地面につきそうなくらい頭を下げて静かに間合いを取り、一瞬の好機を狙って激しくツノで揺さぶりをかけ、また、振り回されないように足で踏ん張る踏ん張る…。
間合いをとっている左の鹿の目が180度くるりんと後ろに動き、カメラを構えている私と目があったのは、そんな緊迫感に包まれた中での一瞬のことでした。
「怖~」…。
そう言えば、草食動物って前後に目が動くんですよね。動物レベルでは3秒以上目が合うと戦いが始まるって言うし、「間違ってもこっちに走ってこないでね」、と思わずにはいられませんでした。
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太古の時代から、霊気の感じる景観として島そのものが神として信仰の対象になっていた宮島は、平清盛の時代には平家一族の拝するところとなり、京都からも皇族、貴族が訪れることによって当時の平安文化が積極的に取り入れられてゆき、平家滅亡後も源氏一門に厚遇されるなど、折にふれ、歴史の表舞台に登場してきました。
宮島へ向かうフェリーは数社ありますが、JRのフェリーは宮島へアプローチする際、大鳥居の近くにまで寄ってくれますので、往路はこちらを利用する方が良いと思います。
2005-09-13
山口県>仙崎>「幻の童謡詩人」金子みすゞ記念館
やさしい日常の言葉を論理の糸でさりげなく紡いでいく豊かな想像力!
金子みすゞは、詩人の心と科学の目を併せ持った稀有な天才である。
(宇宙物理学者:佐治晴夫)
シンプルに物事の本質を鋭く射抜く金子みすゞの詩の世界は、「私たちが初めて手に入れた三世代が共有できる宇宙文学」(童謡詩人:矢崎節夫)として、静かに水の波紋が広がるように、人々の心に浸透してゆきます。
JR仙崎駅からまっすぐ伸びるみすゞ通りには、家の格子や塀にみすゞの詩の書かれた木製プレートが…。
金子みすゞ記念館は、生誕100年を記念して2003年4月11日(みすゞの誕生日)に、生家跡にオープンしました。
「赤い鳥」(北原白秋)、「金の船」(野口雨情)、「童話」(西條八十)と言った三大童話童謡雑誌が勢ぞろいしていた時代に書き始めたみすゞ。
記念館内のみすゞギャラリーには、壁に「手を出してください」と言うようなメッセージがあり、何だろう?と手をかざしてみると、そこにみすゞの詩が光で投影されると言う、とても素敵なしかけが施されています。
みすゞの優しい心を両手で受け取った瞬間、記念館に訪れた人は皆一瞬にして表情がふわっとほころび、自分の手に浮かび上がるみすゞの詩に静かに見入っているのが印象的でした。
また、みすゞの詩に曲をつけた作品がCDで視聴できるスペースもあり、「私と小鳥とすずと」「星とたんぽぽ」「大漁」と言った大好きな詩が、大好きな中田喜直先生の手によって作品になっていることは、何だか波長が同じような気がして(厚かましくも)とても嬉しく思っていることの一つ。
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JR仙崎駅からまっすぐ伸びるみすゞ通りをゆけば、左手に郵便局、その先に冒頭の看板を壁にかかげたお土産屋さんがあり、その真向かいに生家を再現した金子文英堂があります。(みすゞ記念館は、景観に同化しているので通り過ぎないようご注意くださいね。)
また、みすゞのお墓がある遍照寺は、そのまま真っ直ぐ行った左手に、更にみすゞ通りを突き当たると、青海島(おおみじま)が視界に広がります。
その大海島を左手に少し歩き、大海島とを結ぶ橋とつながっている道を右手に進路をとると、弁天島や漁港が見え、地元の定食屋さん(?)の看板が所々に目を引きますので、とれとれの海の幸を堪能なさりたい方は是非!
お天気が良ければ、遊覧船で「海上アルプス」との別名をもつ青海島の海岸美を楽しむことも出来ます。