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2006-12-31

2006年 年の終わりに思うこと

今年6月に子供を産んだ。
私の腕の中で眠る赤子の小さな体から感じる命の重み
とっても有難くて、感謝一杯喜び一杯の日々だった。
その2週間後に、70歳を迎えたばかりで、健康そのものだった
義父が突然病いに倒れ、心拍停止、。生死をさまよった。
新しい命と、消えてしまうかもしれない命、、
生と死についてつくづく考えさせられる年だった。
当たり前だと思っていたことが、
当たり前ではないという現実を思い知らされる年だった。
幸いにも救急隊と大手術により一命をとりとめ、
今自宅で家族とともにクリスマスを祝い、新年を迎えようとしている。
そんな毎年恒例だった光景が今年はとても特別でとても有難い。

義父は、2度私と出かけた旅行をいつもいつも、何年たっても
とても嬉しそうに話をしていた。
つらい入院生活中も嬉しそうにその旅の思い出話をよくしてくれた。
ヨーロッパの真中ドイツで生まれ育ったというのに、義父は
ヨーロッパの国々はおろか、ドイツ国内へも出かけたことがない人だった。
ドイツでも日本と同様、彼らの年代は戦後の混乱期、
その後経済成長期にあたり、毎日仕事に追われ、日々の生活と
子供を育て教育させることに精一杯の働きづめの毎日。
特に娯楽を楽しむことのないまま定年を迎える人がほとんど
だったという。
そんな飛行機に乗ったことがない義父との最初の旅は、10年前
躊躇する義父母を私の両親とともにハネムーン同行家族旅行と
いう形で イタリアローマへ連れ出した。
日本人にとっては映画ローマの休日でおなじみだが、
欧州人にとってのローマは先祖と文化起点の都市、
キリスト教徒にとってのバチカン市国は聖地
テレビで何度もみたことがある町
思い入れもひとしおで、本当に感動の毎日だったようだ。

その後、思い切って日本へも連れていった。
飛行機の中では一睡もせず、子供のように窓の外を見ていた。
遠い東洋の地をしっかりふみしめ、ドイツに負けないおいしい
ビールやソーセージ、お肉料理に舌鼓をうち、日本の食文化の
広さ深さに感嘆していた。
畳に座る生活に驚き、日本人の親切さに感激し、
富士山の美しさに酔いしれ、旅先では誰よりも早起きをして
富士山を眺め続けた。
そんな様子がつぎつぎ思い出され、つくづく健康なうちに
連れていってよかったと思っている。

もうドイツから日本へ、、そんな遠出はできないかもしれない。
でも、体力が戻ったらまた近場でもどこか旅行に行きたい
そのためにまた元気にならないと
そのためにまた体力をつけないと、
それを希望に。目標に毎日前向きにがんばって過ごしている。

20才で旅行会社に就職して以来、ずっと旅行業界に携わってきた。でも 世界情勢や日本の経済状態にかなり左右される平和産業のせいか、
いったいこの仕事は世の中のために役立っているのだろうか?、
私の仕事は必要な仕事なのだろうか?、、
このまま続けていくべきなのだろうか?と
疑問に思ったり自信が持てないことも多々あった。
海外旅行があたりまえの時代になったとはいえ、休暇の関係、
金銭面、健康状態、まわりの人間関係などで、なかなか思うように
出かけられない方もまだまだ多く、いまだ特別感がぬぐいきれないところもある。

でもお客様からの喜びの声、そして今回生死をさまよった義父の
何年たっても、嬉しそうに旅を語る様子、
旅が病気と闘う力、生きる希望となりえる様子をみて、
あらためて、この仕事をしていてよかったと思えた。
この思いは来年の自分へのパワーとエネルギーにしていこう。
たくさんの方の旅のお世話ができるように、
年齢にかかわらずたくさんの方が旅に出てもらえるように。

旅から帰ってきても、その後もずっとずっと
旅は生き続ける、
何年たっても、どこへ行っても。

だから旅に出よう。
大切なお金をかけて
貴重な時間をさいて
それ以上の価値が必ずあるはずだから、、

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

今年も1年いろいろとお世話になり誠に有難うございました。
来年も皆様にとりましてもご多幸な良き1年でありますように
ご健康と益々のご活躍と、そして ☆いい旅☆を心から、
遠いドイツ、、いや 意外ととっても近いドイツから願っております。
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