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2006-01-09
華麗なる都、ウィーン
以前、オーストラリアへ母を連れて旅した時、
オーストリアからやってきた父子と知り合った。
”私はオーストリアからやってきました。
でも、僕達の国にはコアラはいません”
と英語で書かれたTシャツを来て旅する明朗な親子だった。
そう, よく、オーストラリアに混同されたり、
ドイツ語が公用語のためドイツの小国のように思われている、オーストリア。
でもドイツ語で国名では、エスターライヒ。
東の国と言う意味を持つ。
その名の通り、欧州の東に栄えた独自の文化と歴史を持つ輝かしい国。
スイスよりも、アルプス面積が広く、美しく雄大な自然も残る国。
近年では東欧の玄関口として大きな役割を果たしてきた。
数々の欧州の都市の中で、私が最もヨーロッパを感じる都市が
その首都 ウィーンである。
スイスの単なる領主だったハプスブルグ家が、その無名な家柄を上にたて、
影から操ろうとした貴族たちによって、神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれた
ことから歴史がはじまる。
そして、その無力だったその一家が、600年にわたり君臨し続け、
築き上げたのがオーストリア。
他国では領土、権力争いが続く中世の欧州の中で、市民の血を流すことなく
力を、富を 、文化を築き上げていく。子を他欧州王家へ嫁がせ
婚姻関係をつくり、国を守り、勢力を広げていったのだ。
ベルサイユのバラでも有名な、マリー
アントワネットのご実家でもある。
政略結婚政策を汚い手口ととやかく言う人も多いが、市民を犠牲にしなかった、戦うことを手段として選ばなかった、この欧州名門貴族家には敬服したい。
私にとっても思い出深い町。
初海外、初添乗ブダぺストの後、ウイーンへ立ち寄った。
両替所を探すがみつからず英語も通じず、雨の中おろおろしていると、
通りがかりの人が、傘を差し向け助けてくれた。
社会的地位の高いお客様だったにもかかわらず、女の添乗員なんて、、と
ホテルロビーで怒鳴られたこともある。どうやら女性と遊べる場所へ行きたい
らしい。今ならうまく、軽く対応できるが、当時まだ20代そこそこ。
泣きながらホテルのコンシェルジェに助けを求めると、心から同情し、、
女性と遊べる店のパンフレットをどこからか集め、そっと渡してくれた。
ツアー中、自由行動していたご年配の女性1名が戻らない。
夜には飛行機で出発予定。探しても探してもみつからない。
最後の手段、、ウイーン中心地の地下鉄駅で日本語のアナウンスをさせてほしいと頼み込んだ。よほど気の毒に思ったのか、特別にアナウンス室をいれてくれ、
日本語で放送させてくれた。
困ったことが数多く起こった町だけれど、ドイツ語も当時話せなかったけれど
オーストリアの人々の優しさにいつも助けられてきた。
20年前オーストラリアで知りあった父子とも、いまだに交流が続いている。
大晦日から新年にかけて、ワルツを踊る皇帝舞踊会や、
小澤征爾氏が2002年始めて日本人として指揮をとった
ニューイヤーコンサートなどを始め楽しむ人々でにぎわう。
市全体がコンサート会場の様になり新年を盛大に華やかに祝うイベントが続き、
ホテルも一杯になる。
音楽で年が終り、音楽で年が幕開けする、まさに音楽の都。
ドイツナチスの時代、ドイツにむりやり組み入れられたオーストリア。
ドイツに侵入されても、オーストリア人の心と文化は生きている事の証として
1939年に開催されはじめたのがこのニューイヤーコンサート。
いつの時にも、大国には屈折しないという秘めたオーストリア人の誇りなのだ。
ニューイヤーコンサートでは、ほとんどが、美しく青きドナウで有名な
ヨハン シュトラウス親子のワルツが華麗に奏でられる。
チケット販売は、毎年その年の1月。楽友協会へネットで申込み、
注文が世界中から殺到し、抽選で選別される入手困難なチケット。
でも、テレビ生放送やCDで、耳にする音は、心地よく
優雅で軽やかなワルツのリズムは、心まで明るくなり、新年への希望へと
つなげることができる。
日本人音楽家も欧州でたくさん活躍されているが、話しによると、このワルツ
テンポのとり方、合わせ方など演奏は日本人にとっては難しいらしい。
私も、一度ウィンナーワルツのダンスステップを習ったことがあるが、
同じくテンポ、感覚を掴むのにとても苦労し、優美どころか、足を踏んだり
踏まれたり体を振り回されて終り、挫折した。
もともと、ウイーンの人々にはその感性が備わっているのだろう。
この軽やかで優雅で華やかな平和的なリズムとメロディー 。
争いを好まなかったハプスブルグ家の心が国民に今もなお生きているのだと思う。
ベートーベンやモーツアルトを始めとする音楽家が数多く保護され活躍した町。
今でもそこだけは、時がゆっくりと流れ、歴史が残した音楽と芸術に
囲まれながら、日々が楽しめる。カフェにゆったりと座っているだけでそれが
感じられる華麗なる都。
芸術的な才能が何もない私のような凡人でも、いつの時でも優しく迎え、
きどることなく時を越えた世界へと案内してくれる。
今年はモーツアルト生誕250年。
各地さらなる多くの催しが予定されており
ドイツで開催されるワールドカップ同様、是非注目したい国、都市である。
オーストリアからやってきた父子と知り合った。
”私はオーストリアからやってきました。
でも、僕達の国にはコアラはいません”
と英語で書かれたTシャツを来て旅する明朗な親子だった。
そう, よく、オーストラリアに混同されたり、
ドイツ語が公用語のためドイツの小国のように思われている、オーストリア。
でもドイツ語で国名では、エスターライヒ。
東の国と言う意味を持つ。
その名の通り、欧州の東に栄えた独自の文化と歴史を持つ輝かしい国。
スイスよりも、アルプス面積が広く、美しく雄大な自然も残る国。
近年では東欧の玄関口として大きな役割を果たしてきた。
数々の欧州の都市の中で、私が最もヨーロッパを感じる都市が
その首都 ウィーンである。
スイスの単なる領主だったハプスブルグ家が、その無名な家柄を上にたて、
影から操ろうとした貴族たちによって、神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれた
ことから歴史がはじまる。
そして、その無力だったその一家が、600年にわたり君臨し続け、
築き上げたのがオーストリア。
他国では領土、権力争いが続く中世の欧州の中で、市民の血を流すことなく
力を、富を 、文化を築き上げていく。子を他欧州王家へ嫁がせ
婚姻関係をつくり、国を守り、勢力を広げていったのだ。
ベルサイユのバラでも有名な、マリー
アントワネットのご実家でもある。
政略結婚政策を汚い手口ととやかく言う人も多いが、市民を犠牲にしなかった、戦うことを手段として選ばなかった、この欧州名門貴族家には敬服したい。
私にとっても思い出深い町。
初海外、初添乗ブダぺストの後、ウイーンへ立ち寄った。
両替所を探すがみつからず英語も通じず、雨の中おろおろしていると、
通りがかりの人が、傘を差し向け助けてくれた。
社会的地位の高いお客様だったにもかかわらず、女の添乗員なんて、、と
ホテルロビーで怒鳴られたこともある。どうやら女性と遊べる場所へ行きたい
らしい。今ならうまく、軽く対応できるが、当時まだ20代そこそこ。
泣きながらホテルのコンシェルジェに助けを求めると、心から同情し、、
女性と遊べる店のパンフレットをどこからか集め、そっと渡してくれた。
ツアー中、自由行動していたご年配の女性1名が戻らない。
夜には飛行機で出発予定。探しても探してもみつからない。
最後の手段、、ウイーン中心地の地下鉄駅で日本語のアナウンスをさせてほしいと頼み込んだ。よほど気の毒に思ったのか、特別にアナウンス室をいれてくれ、
日本語で放送させてくれた。
困ったことが数多く起こった町だけれど、ドイツ語も当時話せなかったけれど
オーストリアの人々の優しさにいつも助けられてきた。
20年前オーストラリアで知りあった父子とも、いまだに交流が続いている。
大晦日から新年にかけて、ワルツを踊る皇帝舞踊会や、
小澤征爾氏が2002年始めて日本人として指揮をとった
ニューイヤーコンサートなどを始め楽しむ人々でにぎわう。
市全体がコンサート会場の様になり新年を盛大に華やかに祝うイベントが続き、
ホテルも一杯になる。
音楽で年が終り、音楽で年が幕開けする、まさに音楽の都。
ドイツナチスの時代、ドイツにむりやり組み入れられたオーストリア。
ドイツに侵入されても、オーストリア人の心と文化は生きている事の証として
1939年に開催されはじめたのがこのニューイヤーコンサート。
いつの時にも、大国には屈折しないという秘めたオーストリア人の誇りなのだ。
ニューイヤーコンサートでは、ほとんどが、美しく青きドナウで有名な
ヨハン シュトラウス親子のワルツが華麗に奏でられる。
チケット販売は、毎年その年の1月。楽友協会へネットで申込み、
注文が世界中から殺到し、抽選で選別される入手困難なチケット。
でも、テレビ生放送やCDで、耳にする音は、心地よく
優雅で軽やかなワルツのリズムは、心まで明るくなり、新年への希望へと
つなげることができる。
日本人音楽家も欧州でたくさん活躍されているが、話しによると、このワルツ
テンポのとり方、合わせ方など演奏は日本人にとっては難しいらしい。
私も、一度ウィンナーワルツのダンスステップを習ったことがあるが、
同じくテンポ、感覚を掴むのにとても苦労し、優美どころか、足を踏んだり
踏まれたり体を振り回されて終り、挫折した。
もともと、ウイーンの人々にはその感性が備わっているのだろう。
この軽やかで優雅で華やかな平和的なリズムとメロディー 。
争いを好まなかったハプスブルグ家の心が国民に今もなお生きているのだと思う。
ベートーベンやモーツアルトを始めとする音楽家が数多く保護され活躍した町。
今でもそこだけは、時がゆっくりと流れ、歴史が残した音楽と芸術に
囲まれながら、日々が楽しめる。カフェにゆったりと座っているだけでそれが
感じられる華麗なる都。
芸術的な才能が何もない私のような凡人でも、いつの時でも優しく迎え、
きどることなく時を越えた世界へと案内してくれる。
今年はモーツアルト生誕250年。
各地さらなる多くの催しが予定されており
ドイツで開催されるワールドカップ同様、是非注目したい国、都市である。