2010-11-29

Fr4 港町オンフルール

翌朝、我々夫婦はルーアンのホテルを出発し、本日の宿泊地モン・サン・ミシェルに向かいました。

今回は、ノルマンディー中心の北西フランス周遊旅行なので、途中、古い港町オンフルールや、セレブのリゾート地ドーヴィルの街並みを散策しました。

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港町オンフルール

まず午前中に立ち寄ったのは、港町オンフルールです。オンフルールは大西洋に面しており、街の中心は旧ドック周辺です。港には船やヨットが係留され、古い港町特有のひなびた雰囲気が漂っていました。

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サント・カトリーヌ河岸

オンフルール港は今日でも漁船やヨットの真っ白な帆が林立しており、西側はサント・カトリーヌ河岸、東側はサン・テティエンヌ河岸と呼ばれています。

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サン・テティエンヌ河岸

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オンフルールは木組みの家が建ち並ぶ古い街で、今時にしては極端に珍しい
木造のサント・カトリーヌ教会など、独特の建築物も数多く残っています。

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木組みの街並み

この教会は、鐘楼とともに町のシンボルになっている建物ですが、百年戦争で壊された教会の跡地に建てられたそうです。

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サント・カトリーヌ教会

町の人々は、幾度もの戦乱で破壊されたため、経済的な問題から石ではなく
木材で建てることにしました。

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教会内部

うまい具合に、港町オンフルールの船大工たちが造船の知識や技術を持ち合わせていたので、フランスで最大の木造の教会を建てる事ができたのです。

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教会裏

教会の別棟には15世紀末につくられた木造の鐘楼があり、塔の下には昔、鐘つきが住んでいたといわれ、現在は美術館として公開されています。

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鐘楼

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オンフルールの街角の、色とりどりの家々が建ち並ぶ趣のある界隈には、レストランやカフェテラスが軒を連ねています。その日は珍しく観光客はまばらで、町の住民もめったに見かけません。

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オンフルールの街角

近くには総督の官舎だった総督邸、海洋博物館になっているサン・テティエンヌ教会や、塩の貯蔵所、税務署として使われていた塩倉庫などが建っています。

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散策がおわりに近づき、港からバスに戻りかけたときに、我々夫婦は一艘の
木造船を見つけました。

傍にいた現地のノルマン人らしい方が「バイキングの復元船です」と教えてくれました。ところで、ノルマン人といえば、大昔の海賊バイキングの子孫として有名ですね。

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バイキング船(復元)

ノルマンディー地方には背の高い人や、金髪の人が数多く見かけられます。
大昔にスカンジナビア半島から南下したバイキングの子孫、ノルマン人がこの北西フランス地方に住みついたとのことです。

それもこれも、北欧からゲルマン民族の大移動で南下してきた民族の名残なのでしょうか。我々夫婦は、あらためてヨーロッパの長い歴史を肌で感じながら、次の散策地ドーヴィルに向かいました。(続)


2010-11-27

世界遺産韓国紀行 No.4 昌徳宮・秘苑

その日、我々夫婦は韓国の最も美しく秀麗な故宮の昌徳宮(チャンドックン)
と秘苑(ピオン)を訪れました。昌徳宮は1405年に、朝鮮王朝の正宮である
景福宮(キョンボックン)の離宮として建てられた宮殿です。

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敦化門

さて、敦化門は、昌徳宮の正門として1412年に最初に建てられました。現在の
敦化門は1609年に再建され、現存している宮殿の正門としては最古のものです。

その時代は戦争が多発、景福宮の宮殿も正門も焼失し、当時の国王は、景福宮が
戦火で使えなくなると、昌徳宮で政務を執り、生活を送りました。

その期間は270年にも及び、正宮である景福宮よりも長期間になりましたので、
昌徳宮と秘苑は今では当時の国王の生活色を一番濃く残しています。

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仁政殿

仁政殿は、王の即位式、臣下の朝礼、外国使臣の接見など、国の重要行事が
行なわれた場所で、昌徳宮の中では最も規模が大きい建造物です。

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仁政殿内装

仁政殿の内部装飾はかなり秀麗な感じで、内装にもその貫禄が感じられます。
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さて、昌徳宮といえば秘苑(ピウォン)が広く知られていますが、後苑(フウォン)
ともいいます。秘苑は昌徳宮の付属の庭園で、皇族たちの憩いの場でした。

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秘苑・宙合楼

300年の時間と労力をかけ作り上げた巨木と池の自然と、東屋などの施設が
調和をなしています。芙蓉池と芙蓉亭を初め、奥にはひっそりとした庭園が広が
ります。

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芙蓉池

四季折々にそれぞれの美しい姿を見せてくれる昌徳宮と秘苑は、繰り返し
訪れる価値があります。

昌徳宮と秘苑は、自然との調和のとれた配置が卓越した点から1997年に、
ユネスコ世界遺産に登録されました。(続)

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2010-11-17

Fr3 ルーアンのカジュアルホテルとカモ料理

その日の夜、我々夫婦はルーアンの3星ホテルに泊まりました。ホテルの名称は、メルキュール・ルーアン・サントル。清潔感のあるカジュアルなホテルで、街の真ん中の便利な立地にあり、ルーアン大聖堂に近く、観光や買い物に便利です。

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メルキュール・ルーアン・サントル

問題は、ホテルが街の中心にあり、路地の奥なので道路が狭く、我々の乗った大型観光バスがホテルの前まで入って来られません。ホテルのポーターが、ツァー客のトランクの山を、路地伝いに手押し車で運んでいるのがとても新鮮な光景でした。

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ホテル近隣の路地裏

ホテルの入出館が不便な半面、ロビーは綺麗で、さらに部屋はとても清潔で快適。 標準的な広さで、狭くは感じません。 スタッフはフレンドリーで親切で、笑顔が好印象でした。間違いなくリピーターになりたくなるホテルです。

さて、メルキュール・ホテルでの朝食ブッフェは、内容が盛りだくさんです。フランスパンはもちろん、ハム、サラダ、フルーツ、チーズが数多くありました。

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生オレンジジュース絞り器

このホテルチェーンのレストランで提供されるパンは各ホテルの自家製ですが、特にルーアンのホテルのパンとカウンター横にある機械で生オレンジを搾って作るジュースが驚くほど美味しく印象的でした。

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この3つ星ホテルは、ルーアンの街の中心部にあるので、ヴュー・マルシェ広場やグロ・オルロージュ、大聖堂といったルーアンの名所巡りに理想的です。

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ヴュー・マルシェ広場

ルーアンの街で最も有名なランドマークは、16世紀につくられたルネサンス様式の大時計です。

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大時計

この大時計は今でも正確に時を刻んでおり、時計台からはルーアン旧市街が見下ろせるほか、13世紀の鐘の音や中世の時計の設計内容もわかるようになっています。

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宿泊したホテルから、ルーアンの大聖堂には徒歩約1分、時計台へも徒歩5分ほどで、ジャンヌ・ダルク教会でも徒歩10分程度と、主要観光地へのアクセスが非常に良いので、夕食後のフリータイムにも再度、夜の街を散策しました。

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ルーアンの街並み

ノルマンディーの風が吹くルーアンの町は、大聖堂を中心にして、周囲に時計台や画廊、ブランドショップ、スイーツの店、スーパーなどが点在していて、歩いて楽しめる町です。

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ルーアンの街角のカフェ

大聖堂とヴィユ・マルシェ広場を結ぶグロ・ゾルロージュ通りは昔のルーアンの面影が色濃く残っており、カフェやブティックなどが並ぶにぎやかな歩行者天国となっています。

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ルーアンの街での楽しみは夕食でした。人間の三大本能のひとつは食欲です。夕食のメーンはカモ料理でした。カモ料理といえば、フランスのトゥールダルジャンが有名ですね。

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カモ料理の味は感動的!

トゥールダルジャンのカモ料理といえば、フランスのロワール地方で特別に飼育されたもので、19世紀末にシェフのフレデリック・デレールが、手がけた鴨に番号をつけて料理した特別なものです。

それ以来、お客様にナンバリングしたカードを渡すことがしきたりとなりました。我々夫婦も2回目のパリ訪問時、トゥールダルジャンで感動したことは懐かしい思い出です。(続)

続きがあります

2010-11-16

世界遺産韓国紀行 No.3 海印寺

我々夫婦はその日、韓国の三宝寺刹の一つに数えられている伽倻山の海印寺(ヘインサ)を訪れました。

このお寺は世界遺産といえども、慶尚南道の山奥で交通が不便なこともあり、日本ではまだまだ知名度が低いようです。

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それでも、世界文化遺産に指定されている八万大蔵経(パルマンデェジャンギョン)が納められ世界遺産になった頃から有名になり、是非行ってみたい場所でした。

実際に現地入りすると、建造物を始め景色が素晴らしく、世界文化遺産に恥じないお寺でした。

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ガイドの説明では、八万大蔵経は西暦1236~1251年の間に作られた木版本で、
当時モンゴルの侵入から国を守ろうと祈願して作られたものだそうです。

もともとは、1011年から1087年にかけ作られたものですが、1232年に焼失、
その後また復興させたとのことです。

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説明資料によると、八万大蔵経は仏教の経典を版木に刻んだ木版印刷用の板で、
八万枚以上にも及ぶ膨大な量が残されています。そもそも大蔵経とは、仏教の経典
をすべて経版にしたもので、その版数は約8万枚、本にすると約7千冊にもなります。

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大蔵経が保管されているのが蔵経版殿ですが、この建物も世界文化遺産に指定
されています。この蔵経版殿もまた古く、創建年度は明らかではないのですが、
朝鮮王朝初期の1488年頃ではないかといわれています。蔵経版殿は4棟あり、
その建築様式が非常に優れているといわれています。

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大蔵経を保管する為に、湿度と風通しが自然に調節されるように建てられています。

もともと土質のよいところに、炭、石灰、粘土などを加え、湿気の多い時期には湿気
を吸収して、乾燥する時期には適度な湿度を保つようにしてあります。

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ユネスコ世界遺産では、1995年の12月に、韓国としては初めて、海印寺と
大蔵経板殿を世界的な文化遺産であると認定しました。極東アジアの宗教的
建築物と仏教経典保存の側面において卓越した事例であると評価しています。(続)

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2010-11-07

Fr2 ルーアンの街角・ノートルダム大聖堂

我々夫婦は、オーベール・シュル・オワーズの村で、ゴッホ終焉の地の散策を終え、観光バスでルーアンの町に向かいました。

昼前にルーアンに到着し、まずはカフェにて昼食、“ノルマンディー風魚のクリームソース”を頂きました。その後、徒歩にてノートルダム大聖堂と大時計通りへ。

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ルーアンの街・ノートルダム大聖堂

ガイド付きの市内観光の最後は、ジャンヌ・ダルク教会へ。教会の中にはステンドグラスが窓枠いっぱいに広がり、その美しさに圧倒され、荘厳な気持ちになりました。

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ジャンヌ・ダルク教会のステンドグラス

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その後フリータイムとなり、我々夫婦は、ルーアンの路地裏を散策しました。街の裏通りは狭く感じますが、1階より2階の方がせり出している関係で、そのように感じるかも知れません。

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ルーアンの路地裏

フランスでは、歴史のある街の裏通りは密集して建てられており、息苦しく思う場所もあります。

一方、ドーヴィルなどの新興リゾート地では、開放的なリゾートホテルや明るい感じのペンションなどが、整然と建ち並ぶ街もあります。

日本でも同様ですが、大都会の裏通りや、海浜の高級リゾート地など、場所によっては、醜く汚らしい場所も、美しく好ましい場所もあります。

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ルーアンの街は、今にも雨が落ちてきそうでしたが、何とか持っている様な危うい空模様でした。

街の中をぶらぶらとそぞろ歩いて行くと、前庭のあるこぎれいな教会の前に出ました。

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ルーアンの街角の教会

その教会では、偶然、若いカップルが丁度結婚式を挙げていて、昔の自分たちを思い出しました。

幸せの1シーンは、いつ見ても良いものですね!羨ましい!こちらまで幸せを感じる1日でした。

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結婚式はいつ見ても感動的!

ルーアンの街の教会での1シーンです。若干、ピンぼけですが、黒人の花嫁と白人の花婿です。2人だけがとても幸せそうですね。

回りの人たちの硬い表情は、地球上の人種問題という歴史的課題を乗り越えられない、もどかしさを感じました。戦争と平和、愛と憎しみを考えさせられる旅行となりました。

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大聖堂の裏通り

さて、そろそろホテルに帰る時間になったので、ノートルダム大聖堂の横を通りながら、ホテルの方向はこれで良いのかな、と話しつつ歩きました。

先ほどガイドから、ジャンヌ・ダルクの火あぶりの処刑がこの街の広場で、執行されたという話を聞かされたので、気味が悪い気がしました。

建物はところどころ灰色にくすんでおり、気のせいか、火あぶりの炎が飛び火して焼け焦げた跡でしょうか。(続)

2010-11-03

世界遺産韓国紀行 No.2 宗廟

我々夫婦は翌日、東大邸からセマウル号に乗り、ソウル中央駅に到着後、世界文化遺産の宗廟を訪ねました。今回ご紹介いたします宗廟は、仏国寺と共に韓国で世界文化遺産に最初に登録された首都にある歴史的な建造物です。

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宗廟正門

宗廟は地味ですが、韓国ソウル特別市に所在する朝鮮王朝の祖先を祭る歴史的建造物です。平たく言えば、朝鮮王朝が歴代国王と王妃、そして追尊された王と王妃の位牌を祈り、祭祀を執り行った場所です。

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正殿左端

いよいよこれから登場するのが、韓国の誇る世界文化遺産、宗廟の正殿(韓国語でチョンミョのチョンジョン)です。代々増築を重ねて全長101mの長さにもなった、王族の位牌安置のための建物です。

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正殿左面

宗廟の主殿である正殿は、世界最大級の木造建築物で、その規模は世界でも最も大きいという話です。建物自体が華麗で装飾が施されていますが、横に細長く左右対称の建築で、地味ともいえる装飾には哲学的な儒教の教えが垣間見えます。

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正殿正面

正殿には、太祖李成桂と第3代太宗、第4代世宗大王など功績のあった国王と王妃が祀られています。また正殿の西側には永寧殿もあり残りの王族、正殿の庭園前には功臣堂があり、功臣の霊牌が祀られています。

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正殿右端

16世紀末に壬辰倭乱(文祿の役)日本との戦争で焼失してしまい、光海君元年(1608年)に再建されました。現在、5万6千坪の敷地内に正殿、永寧殿、典祀庁、功臣堂などの建物が点在しています。

また宗廟は1395年に建てられて以降、毎年5月に全州李氏一族が集まる宗廟祭礼が行われています。この儀式は、世界無形文化遺産にも登録されています。

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宗廟祭礼(イメージ)

宗廟は、ユネスコ世界遺産からその建築的価値と共に、儀礼である宗廟祭礼の歴史的価値が評価されました。

さらに、その手順や供える飲食や祭器、楽器や装飾物、音楽や舞踊などが完璧な調和をなす文化的価値などが評価され、1995年12月に世界文化遺産に登録されました。(続)

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