2008-04-30

Mu8 ペトラ遺跡 ヨルダン

我々夫婦はシリアの国境を通過し、長いバス旅行の途中に、ヨルダンの首都アンマンに泊まりました。その途中、ヨルダン渓谷の景色を眺め、死海での海水浴を楽しみました。死海での浮遊体験は本では読んでいたのですが、本当に手と足を上げたら体全体が浮くのです。貴重な体験でしたが、諸般の事情で写真はお見せできません。

ヨルダン入国2日目は、朝からデザートハイウェイをひた走り、小さな遺跡を見たりして、その夜は、ペトラ遺跡の近隣のホテルに宿泊しました。翌日は、久々の良い天気で、青空の下、いよいよ待ちに待ったペトラ遺跡のエル・カズネとエド・ディルに向かいます。

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2、3年前に映画、インディージョーンズ・最後の聖戦で見た、あの岩山の割れ目からバラ色のエル・カズネが徐々に現れて来る期待感にわくわくしながら歩いていきます。

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期待通り、岩山の割れ目から、エル・カズネが見えてきました。遠い過去から今日までずっとこの地にあったエル・カズネ。感動的な一瞬です。砂漠の中に忽然と現れるこのバラ色の遺跡は、世界遺産に登録されています。

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あまりもの美しさに絶句。感動のため声も出ませんでした。目の前で休んでいるラクダが中東にいることを思い出させてくれましたが、この世のものとは思えないほどの美しさに、思わず見上げて写真を撮りました。

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ナバテヤ人の首都ペトラがその昔、この地を活動の中心にしていたことが遺跡の中から感じられます。我々夫婦は、長いことバスに揺られ、途中、お尻が痛くなるのを我慢した甲斐があったね、とお互いの顔を見合わせました。

一息ついた後、次ぎにライオン寺院を観光し、ファサード通りの途中の土産店で砂絵の小瓶を買ったりしながらブラブラし、その後、いよいよエド・ディルへの登山に挑戦しました。炎天下に、急な岩場の石や岩の間を1時間もかかりゆっくりと登っていきます。汗と疲労でクタクタになりながらも、ついに、エド・ディルに到着しました。

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エド・ディルはエル・カズネより一段と大きく色が薄茶色で、写真で見るよりは、数倍の迫力と重量感があります。苦労して登ってきた甲斐がありました。

我々夫婦は、しばらくの間、日陰のカフェで一休みし、また来た道を降りていきました。エル・カズネまで戻り、かみさんは元気よく、北の壁沿いの宮殿の墓や、その他の墓の遺跡群を見に行くと張り切って歩いて行きました。私は睡眠不足と疲労感から、具合が悪くなり、シークの途中からホテルの近くまで馬車に乗り、先に帰りました。

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振り返ると、すでに、夕日は傾き始め、乾いた大地がいっそう索漠として、まわりの丘が霞んで見えます。今日は、ムスリムの旅人としては失格です。疲労困憊のなかでホテルのベッドに倒れ込みました。(完)

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2008-04-29

Ma17 イバン族 ロングハウス

東京ぶんぶん ’00,03,01  ボルネオ島サラワク州の北部の中心都市ミリから約1時間、海岸沿いのイバン族のロングハウスに向かったのは、ガイドのジョニーが強く薦めたからである。彼はイバン族の出身で、遠い親戚の叔父さんがいるからエコロジーの後学のために、是非彼らの生活を見ておいた方が良いという。

2月27日の朝、ガイドのジョニーとぼくの二人で、ミリの町からイバン族の村までワゴン車で1時間あまり走った。最初は普通の舗装道路だったが、脇道に入るとしばらくは凸凹の道で、ようやくイバン族のロングハウスに到着する。ロングハウスの前は畑になっていて、キュウリやトマトを植えてあり、海にも近く、彼らの自給自足のエコロジーな生活がうかがえる。

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昼間は大人の男性達は森や海に、女性達は畑に食料の調達に行っており、ロングハウスの中には人影は無い。中は思ったよりは綺麗に掃除がされていて、100m以上の長い廊下が続いている。

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村の長老のお爺さんが家の中で、ぼく達を待っているらしい。事前にジョニーが話を付けておいたのだそうである。彼は、話を聞くのに、20リンギットのお礼を出して欲しいと言う。長老は酒を飲みながら、マレー語で昔話をした。「フムフム」とジョニーが頷き英語に通訳し、ぼくも「フムフム」と感心した振りをした。昔は、海では魚が豊富に取れたし、近くの森では、イノシシがたくさんいて、食料には苦労しなかった、という話である。

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帰り際に隣の部屋を覗くと、まだ就学前の学校に行っていない子供達が部屋の中にいる。ジョニーが何事か、マレー語で話しかけるとそばに寄ってきて、笑顔で答え、はしゃぎ始めた。

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ジョニーの説明によると、お母さんがもうすぐ畑から戻り、お昼ご飯を作ってくれるのを待っているのだそうだ。どこの国の子供も幼い頃が1番可愛い。畑から子供達の母親が帰ってきたので、表にでて挨拶をすると、遠い親戚が久しぶりに訪問したので、嬉しいと話し込んでいる。記念写真を撮ってもらうことになり、ジョニーとぼくと二人で、ハイ、ポーズ!

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現地の人たちののどかな生活を垣間見たが、日本人はなんてせっかちで生き急いでいるのだろう。イバン族のようにゆったり生活する人生があっても良いね?とジョニーに聞いてみたら。こんな生活じゃあ退屈すぎて、1週間であきてしまいますよ、と英語の早口でまくし立てた。

ロングハウスから車で帰る時に、先ほどの子供達が廊下から手お振り、また来てね、と言っているように感じ、ジョニーに何て言っていたの?と聞いたら、まあね、・・・と言って黙り込んだ。

帰り道、しばらくしてからジョニーが、ぽつりと、さっき子供達は「今度来るときは、お菓子くらいは持ってきて」と言っていたのです。「この頃は、観光客がお菓子をあげているらしい」と、ジョニーは不満そうに言った。

オレンジ色の太陽が揺らめくボルネオの森は、緑が濃く深く静寂である。(完)

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2008-04-28

Mu7 パルミラ遺跡 シリア

我々夫婦が、バールベックの次ぎに訪れたのは、隣国シリアのパルミラ遺跡でした。シリア砂漠の中央に位置するこの遺跡は、規模の大きさと質の高さには定評があります。

パルミラの名前の由来は、「なつめやし」のパルマだそうです。現在もナツメヤシ、オリーブ、ザクロなどが、この地域の特産品となっています。砂漠の中に忽然と現れるこの緑豊かな遺跡は、世界遺産に登録されています。

トルコのカッパドキアで発見された古文書にもこのパルミラことが記されており、メソポタミア文明とギリシャ・ローマ文明とを結ぶシルクロードの中継点であった事が判明しております。今ではどこまでもシリア砂漠に覆われており、当時の栄華を想像するすべがありません。

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ナバテヤ人の町ペトラからの隊商が、このパルミラを活動の中心にしていたことが遺跡の中からうかがえます。我々夫婦は、シリア砂漠の中を長いことバスに揺られ、途中、バクダッド・カフェという砂に埋もれそうな小屋を発見し、笑いを誘われました。

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我々夫婦は、初めにバアル神殿を観光し、その後、いよいよパルミラの遺跡のメインストリートである列柱道路に到着しました。やはり、写真で見るより数倍の迫力、重量感があります。

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次ぎに向かったのが、四面門です。この門は列柱道路と南北道路の交差点に、整然と立っており、4本の柱が4組になった非常に珍しい重厚な門構えでした。

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我々夫婦は列柱道路を歩いて戻り、途中で出入口にたむろしている観光ラクダ使いの小父さん達に挨拶がてら、「何か他に見る所はないのですか」と話しかけると、まじめな顔で、「ここの夕日は世界一。是非見てから帰りなさい!」と自慢しました。

それほど言うのであれば、見てみようよ、ということになり、教えてもらったミニバスに乗り、目と鼻の距離を10分ほどもゆっくり揺られて、パルミラの町はずれの丘の上まで登って行きました。

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到着したときには、すでに、夕日は傾き始めていました。丘の上の絶景ポイントには、世界中からの観光客や、地元のカップルが肩を組んだり、腰に手を回したりしながら、沈みゆく夕日を眺めています。

我々夫婦も久しぶりに新婚に戻ったようなロマンチックな気分になり、まわりが真っ暗になるまで、丘の上に佇んでいました。ムスリムの旅人の長かった一日は静寂のなかで間もなく終わろうとしています。(続)

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2008-04-27

Ma16 セピロック ORC

東京ぶんぶん  ’99,10,24   ボルネオ島サバ州のサンダカンの町に近いセピロック・オランウータン・リハビリテーション・センターは、森林伐採などで母親を亡くしたりした幼いオランウータンを保護し森に帰ってから自立できるようにトレーニングをする施設である。

その年の10月上旬、ぼくは一人でぶらっと、2泊3日の予定で、ボルネオエコツアーに参加した。メンバーはイギリスを始め世界中の自然が好きなエコ・トレッカー達6人。主な目的はジャングルをトレッキングしながら、野生の動物を観察したり、動物保護育成活動を視察し、将来母国でのエコ活動の実践に役立てるために研鑽を積んだりするスケジュールである。

10月15日の朝、ぼく達はサバ州の州都コタキナバル空港を離陸。今は懐かしいフレンドシップの旧型機で、空路サンダカンの空港に到着。その足で、セピロック・ORCまでは新品のワゴン車に揺られ、直行した。

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セピロック・ORCは、ボルネオの森に溶け込むような平屋建てで、地味な建物である。センターの入り口に入ると数多くの資料や写真が至る所に展示され、マニアには、良い勉強になる材料で埋め尽くされていた。センターから一歩外に出ると、そこはオランウータンの森が広がっている。

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歩きやすいようにプランクウォークが張られていて、観光客の導線が確保されている。このへんは、旧宗主国のイギリス風であり、整然として気持ちが良い。プラットホームの奥に、野生のオランウータンの赤ちゃんを見つけた。

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どうも兄弟らしい2頭のオランウータンが餌を食べているようである。そのうちに運動用のロープを上手にぶら下がりながら、エッサ、コラサと移動する。

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しばらくすると、山の奥からすでにリハビリを終えて一旦山に返した、成人のオランウータンが餌場にやって来た。係りの人の説明では、完璧に野生に戻るのは難しく、時々このように腹を空かせて食事に来る卒業生もかなりいるそうである。

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まあ、色々な苦労はあるけれども、やはり動物好きでなければ長続きはしないよね、と同行のイギリス人の男性に言ったら、君は動物が嫌いなのかい?と言われ、そんなことないけれども、野生動物の世話は大変だよね。と、言って肩をすくめて見せた。ちょっと写真を撮ってくれないかな?OK、ハイスマイル!

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笑えないでいる自分を感じて、笑えないゴメン、サンクスとすまなそうに言って、自分のカメラを受け取り、今日は天気が良くなって良かったね、ととぼけたことを言った。彼は、まあね、と笑って自分のカメラでオランウータンの写真をバチバチと撮り続けた。明るい日差しの中で、オランウータン達は幸せそうに追いかけっこをして遊んでいた。(完)

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2008-04-26

Mu6 バールベック遺跡 レバノン

我々夫婦はトルコ旅行から半年後に、再びムスリムの旅人となり、ベッカー高原の中央に位置するバールベック遺跡を訪ねました。

バールベックは、レバノンの首都ベイルートからバスで約2時間半。雪を頂く2つの山脈に挟まれたその高原は、遙か昔にはレバノン杉の森林に覆われていたといわれておりますが、今はその面影はなく、穀倉地帯になっています。

レバノンは、西アジア・中東の小国です。シリアとは北東に接し、イスラエルの北に位置し、西は地中海に面しています。首都のベイルートに、我々夫婦は新婚旅行時代に立ち寄りました。

その頃は、ヨーロッパへ向かうパンナムなどの南回り世界一周路線の寄港地として利用されていました。残念ながら、近年のイスラエルとの戦争や、内戦の激化と飛行機の性能向上により、運行が停止され、中東の玄関口としての役割は失われています。

さて、我々夫婦は30年の時の流れに思いを馳せ、バスにのり込みました。バールベックに行く途中、昼食に小ぎれいなレストランに寄りました。フムスというサラダ料理を食べましたが、めちゃくちゃに美味しい。特に、中東でも美味しいといわれる野菜が中心のレバノン料理は、このベッカー高原の豊富な野菜に支えられているからだそうです。

ちなみに、レバノンは、アラブの中で唯一砂漠のない国です。肥沃で緑豊かな国土と温暖な気候は、私の中東のイメージを劇的に変えるのには充分でした。

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バールベック遺跡は規模としては大きくないのですが、保存状態がよいローマ遺跡としては有名です。ローマ遺跡の穴場だという人もいます。特に、バッカス神殿は、アテネのパルテノン神殿よりも完全な形で残っているように思えます。

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さて、我々夫婦は、正面の長い階段を避けて、段差のない裏口から入場しました。中は広い空間が広がり、遙か昔は、どんなに栄華を誇っていたのだろう、という感慨に浸らせてくれます。

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正面の階段を真っ直ぐに、メインの祭壇のあるところに行くには階段があるので、だいぶ息を切らして上がりました。

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せっかくここまで登ったのだから、まわりの景色は全部見ましょうか。祭壇の上は平らなので、ゆっくり360度見ることができました。

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やはり最後に見たジュピター神殿の大列柱は圧巻です。

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ベイルートへの帰り道、バスの運転手とガイドのビリーが相談して、同じ道を戻るのは芸がないからと、わざわざ遠回りをして、高級別荘の建ち並ぶ避暑地を通ってくれました。

レバノンの人々は親日的です。トルコもそうでしたが、チップを要求するどころかチャイなどの飲み物までおごってくれました。心優しい人々が多いムスリムの国々は最高です。思わず、また来年も来たいので予約をお願いできますか、と冗談まで飛び出すほどでした。(続)

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2008-04-25

Ch12 龍門石窟 洛陽

毎年、淡紅柴色の春告花「カタクリ」が咲く頃になると美味いタラの芽が食べたくなる。緑のそよ風に乗り、もいわやまの方向からだろうか、天ぷらの香ばしい匂いが漂ってくる。8年前に訪れた4泊5日の中国の古都洛陽の旅の夕食にでた山菜の掻き揚げを思い出した。

洛陽は、中国歴代王朝の首都である。東周時代、洛邑(らくゆう)と呼ばれ首都になったことから始まる。後漢王朝に一時、首都が西部にある長安に移ったが、その後、曹魏・西晋・北魏・隋・後唐の首都に返り咲いた。また、唐は洛陽を副都としている。

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我々は、西安からスルーガイドの楡さんと、長距離急行列車にのり、6時間もかけて洛陽を訪れた。中国3大石窟のうちの一つ、龍門石窟が観光目的の一つだったからである。龍門石窟は洛陽駅からバスで30分の郊外にある。洛陽の街は自転車の洪水、道路も舗装されておらず埃っぽい。建物も近代的なものは少なく、これが本当に中国四千年の都だった大都市なのかなと懐疑的になる。

龍門石窟は、2000年にユネスコの世界遺産に登録された。北魏時代に首都を洛陽に移したころから建築がはじまった。この頃から唐中期まで、およそ3万体の仏像が石窟の中に作られた。龍門石窟観光用の駐車場は、石窟入口のかなり手前に作られている。バスを降り、龍門の出入り口まで10分ほど歩く。入り口には「龍門石窟」と看板が掲げられた立派な石の門がある。

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入場すると、右手に階段があり、途中には立派なトイレがある。中国はトイレが汚いから行くのが嫌、と昔は言われていたが、どうしてどうして、この頃の中国観光各地のトイレは水洗で、清潔である。

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川岸の壁面をくり抜いて作られた龍門石窟。だいぶイメージとかけ離れて穴だらけの壁という感じであるが、洛陽唯一の観光名所となっている。

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奥まった場所に行くと奈良の大仏とそっくりの顔をした石仏が正面に見える。同じ系譜の大仏であり、こちらの方が時代的には、先に彫られていたそうである。

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洛陽で他の観光のお薦めは無いのですか?とガイドの楡さんに聞いたら白居易の墓くらいしかない、との事で、じゃあ行ってみよう、見てみようと、白居易の墓参りを兼ねて小高い丘に登った。まあ、屋根も付いていて見栄えがする墓である。

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その日の夕食に食べたのが、山菜の天ぷら風、掻き揚げである。味は覚えていないが、日本の山菜天ぷらのルーツのようだということだけは印象に残っている。最終日の朝、西安空港でガイドの楡さんに別れの挨拶の中で、また来るから宜しく、覚えておいてね、と記念写真を撮ってもらった。真面目な添乗員風に写っているかな?

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それにしても洛陽に空港が無いのは行程を組む旅程管理者泣かせである。西安からの列車の旅も良いのだが、1等軟座といえども片道6時間以上もかかり、お尻が痛くなるほど、中国旅行とは体力的に厳しい国である。(完)

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2008-04-24

Ch11 碑林 西安

札幌での病院通いもつらい時がある。ここ2,3日晴天のポカポカ陽気が続き、札幌は春真っ盛りと、昨日のもいわ便りで伝えたばかりだが、今日は一転低気圧の通過で、気温が急激に下がり、霧雨模様で、早春にまた逆戻りである。おー寒いっ!と首をすくめながら、市電に乗り整形外科まで出かけた。沿道の桜は元気なくひっそりと咲き、その隣に鮮やかな黄色の連翹(れんぎょう)が、私は元気!と力一杯咲いている。

さて、西安城壁ウォークも無事に終わり、翌日はもちろん西安観光ハイライト、有名な観光地めぐり。まずは、大雁塔に到着、真正面から塔を見上げる。

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続いて、兵馬俑坑博物館。ここには、驚いたことに兵馬俑坑を発見した90歳を越えたお爺さんが、自分の伝記をサイン入りで販売していた。本物かなと、ガイドに質問したら、10年前と同じ人だから、ご本人です。本当にびっくりした。

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次ぎに向かったのが碑林。正面は立派な建物で、小ぎれいな印象を受ける。暑いなかでも、きりっとした印象である。

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建物の中にはいると碑(いしぶみ)の林立で、漢字がびっしりと書かれており、素人目にも、これはたいした物だと思える。

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昼食後は、華清池、清龍寺、興慶宮などをまわり、夕方にはお待ちかねの西安大舞踊団による中国式オペラ、歌謡劇を見ながらの夕食となった。

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うすうすは気づいていたが、やはり昨日の入場式の執事役のハンサムな俳優が中央にでて、大声で初めの挨拶をした。女官、その他の側用人もいる。トランペットを吹いていた銃士達もずらりと並んでいる。

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オーケストラボックスには、旗持ちの女官達が、楽器を持って演奏開始の会釈をし、観客に笑顔を振りまいている。

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最後は、派手な旋舞があり、大団円となった。旅行業界では、ディナーショーの食事に美味いものはなし、というのが定説であるが、今回は違っていた。何せ日中友好交流協会の肝いりの為、特別の料理が並んでいた。最後の夜らしく、西安城壁ウォーク参加者の皆様は、西安歌劇と豪華料理に大満足し、ホテルへと向かったのである。(完)

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2008-04-23

Ch10 城壁遊歩 西安

札幌の街中に急用ができて、今日も市電に乗り大通付近まで出かけた。通りがかりの大通公園の桜が満開である。平年より1週間は早いのだろうか。地球温暖化の影響がなければよいが、嬉しい中にも少し心配なところもある。親子連れやサラリーマンが、桜の木の下で談笑している。これから雪の降り始める秋までは、札幌が日本の中で一番住みやすい街になるだろう。

さて、古城、西安の入城セレモニーのあと、記念写真を撮り終えてからの話である。初夏の西安は摂氏25度と、かなり気温が高くなっていた。燦々と陽の光りが降り注ぐ晴天の下、出発式が始まり、日本ウォーキング協会会長の挨拶が始まった。その後、団旗を先頭に、60名の日本人ウォーカーと60名の中国人学生が、合計120名、20名ずつの6班に別れて計画に基づき混ざり合い、西安古城の西門の外壁公園を歩き始めた。

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朝食後のホテルを出発する時点では、日本人ウォーカーが60名、バス3台に20名ずつ分乗し走り始めた。ところが、途中で西安大学、西安大学女子寮、西安大学男子寮、など数カ所に止まり、次々に学生を乗せて、城壁の西門に到着し、入城セレモニーに参加する前には、1台に40名ずつ、120名の大所帯になったのである。

我々は、西門から外壁公園を時計回りに北門まで歩き、北門から城壁にあがり、まず西門を目指し、まさに歩き始めようとしていた。その前に、ちょっと打ち合わせ、と記念写真を1枚。「君は先頭のグループを任せる。私は最後尾から行くから宜しく」「はい、了解しました」

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北門から1班20名ずつ2分置きに出発する。最初は、一直線のまっすぐな広い城壁の上の道が気持ちよく、どこまでも続いている。

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通常、城壁の上の歩行は禁止されており、このような特別のイベント開催時のみ通行を許可されるのだ。そう言えば、先ほど出発式でもらった通行許可証はこのことだったかな? 以前から計画されていた日中友好協会の交流事業だから市当局から特別の許可が与えられていたのである。

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西門から南西の角の望楼閣に向かい歩き続ける。現在の西安に残る「城壁」は明代の初期に築城されたものである。残念ながら全盛を誇った随・唐代の城壁ではない。現存する城壁の規模は南北約2.5km、東西約4.2kmで、かなり壮大な物である。随・唐代の城壁は、南北約8.7km、東西約9.7kmもあったといわれている。現在の城壁に囲まれた地域は当時の城壁内の一部で、その規模は面積にして約10分の1でしかない。

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道の半ばで、お互いに記念写真を撮りながら、国際親善、交流を深めている。西安大学の外国語学部日本語学科の学生が多いので、卒業したら日系企業に働き、何れは来日する事もあるかもしれない。

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東南の角、望楼閣に寄って、一休みしてから、最後の一踏ん張りで、ゴールの東門に到着する。

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「お疲れさまでした。階段の下にバスが待っているので、順番にお乗りください!」と、最後尾から声を掛ける。まあ、これで何とか無事に西安城壁ウォークも終了できそうだ。やれやれ。(続)

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2008-04-22

Ch9 古都 長安

春真っ盛り。札幌もいわ山麓にある我が家から、眼底定期検査の為、久しぶりに札幌医大病院に行って来た。天気も良く、札幌名物の市電に揺られガタンゴトンと気持ちが良い。沿道のあちこちの桜が五分咲きで、美しい季節になったと感じる。

季節が良くなると当然の事ながら食欲も湧き、美味い物が食べたくなる。札幌医大病院からの帰り道、近くの中華料理店から、焼き餃子の香ばしい匂いが漂ってくる。腹が減った。6年前に訪れた西安の専門店で食べた餃子を想い出した。

西安はその昔、中国四千年の歴史上、長いこと首都であった長安の現在名である。その城壁は今では観光の目玉になっていて、古都長安の面影をよく残し、風情を感じさせてくれる。また、町の中心である鐘楼と鼓楼も残され、現存する唯一の中国的な城壁都市として機能している。

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餃子に出会ったその場所は、西安古城の中心の餃子広場。宿泊したホテルから観光バスで約15分の距離にある中華レストラン。日本人観光客受けする有名な餃子専門店である。

今回の西安訪問の目的は、総勢60名の西安城壁ウォークの実施である。私は、日本ウォーキング協会主催、日本エアシステム協賛、西安市観光協会後援という、大がかりな西安城壁ウォオーキングツアーの主任添乗員として来たのである。

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西安城壁ウォークの記念セレモニーは、翌朝10時から始まった。本物のファンファーレが鳴り響き、まずは長安城の昔の衣装を着た女官、側用人達が入場する。

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あまりの美しさと本物に近い雰囲気に、観客達は急に、シーンとなり、何が起こるのか、と見入ってしまう。最後に出てきたのはこの城の代官、執事役のハンサムな役者さん。

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おもむろに、手に持参した、巻物を、パッと広げ、ゆっくり、
「○※△x□※○!」と、大声で、朗々と読み上げる。

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ぐるりと観衆を見渡し、笑顔で大仰に会釈した。我々観客は、ガイドの日本語の「長安への入城を許可します」 という説明を聞き、慌てて拍手をする。
その拍手に対し、執事役の役者は、
「○※△x□※○!x□※○、△x□※○」
と再び、叫んだ。通訳が、「日本の皆さま、ようこそ長安の都へ、歓迎いたします、どうぞ楽しんでください」

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たいそうな儀式は30分ほどで終わり、記念写真を撮り終えた後、参加者には帰り際、一人一人に、立派な表紙付きの長安通行証を1枚ずつ手渡された。

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歴史的なセレモニーに参加した感動と共に、その日の午前中のスケジュールは終了したのである。(続)

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2008-04-21

Ch8 寒山寺 蘇州

札幌からのもいわ便りも順調に続いているので、このへんで一休みし、もいわ山のロープウェイに乗り、頂上から春の札幌の街を見ておこうか、とロープウェイに続く道を歩き始めた。山の斜面にはあちこち残雪が見え隠れしているが、車道の両側の街路樹の所々に桃の花が咲き、春が来たぞ!と自己主張している。

道路際の白亜のマンションあたりからか、ジャスミン茶の良い香りが漂ってくる。去年の夏に行った沖縄ではさんぴん茶と言ってよく飲まれていた。これはジャスミン茶を指す中国の香片茶 シャンピェンツァーから伝播したものである。ジャスミンの香り~沖縄~黄土色~寒山寺の壁。連想する中で、6年前の2月に行った蘇州研修旅行を思い出した。

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蘇州では、唐代に建立された名刹、寒山寺が有名である。唐代の詩人張継の「月落ち烏鳴いて霜天に満つ」で始まる漢詩「楓橋夜泊」の中に登場する。表参道は広く真っ直ぐに続き、中国人も日本人観光客もぞろぞろと歩いていく。

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虎丘塔は、春秋時代、呉の国王夫差が埋葬されたことに由来している。

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北宋代、961年に建立された八角七層の雲岩寺の塔である。現在少し傾いているためイタリアのピサの斜塔と比較されることもある。現在は、中国の全国重点文物保護建造物となっている。

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虎丘塔の裏参道を降りていくとそこには広い寺の境内があり、その外側は掘り割りになっている。

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その後、蘇州の古典園林のうちの拙政園、留園、獅子林などの庭園を視察。これらはユネスコ世界遺産に選定されている。

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昼食は、蘇州名物の蒓菜銀魚、松鼠桂魚、碧螺蝦仁などの川魚、淡水蟹料理を頂いた。お茶はもちろんジャスミン茶。沖縄のさんぴん茶よりも、ジャスミンの香りが程良くきいている。やはり沖縄のさんぴん茶のルーツかも知れない。

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昼間の運河沿いの街並みからは想像するのは難しいが、一応、写真を撮り、想像する。・・・月明かりの下、蘇州夜曲のメロディーに乗り・♪~愛する女性と二人、掘り割りを小舟に揺られ・♪~日本人のオールドファンであれば、心の故郷として思い出すような、なんとも切なく懐かしい街である。(続)

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2008-04-20

Ch7 西湖 杭州

春といっても、札幌もいわ山のあちこちには、残雪が見え隠れしている。家の窓から見える山鼻サンパークに設置された花壇には、整然と黄色や純白の水仙がみずみずしく咲いている。真っ赤なチューリップもそよ風に揺れて気持ちよさそうである。4月半ばにもなれば、北の街札幌にも春は訪れるのである。

今日のお昼は炒飯かな。豚の角煮の美味そうな匂いが階下から漂ってくる。そういえば、5年前、杭州ウォーキングツアーで泊まった望湖賓館で食べた東坡肉(トンポーロウ)入り炒飯はすごくうまかったな。懐かしさに、当時の杭州ツアー記念アルバムを探し出し開いてみた。

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杭州市の中央に位置する望湖賓館は西湖の畔にあり、近隣では、そこそこの立派な建物で、外国人向けのランクのホテルである。

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杭州ウォーキングツアーは、ひょんな事から始まった。私の北九州支店勤務時代、九州ウォーキング協会にセールスに行ったところ、「中国の桂林か、蘇州を歩きたいんだが」という事務局長の言葉に、「今度ウチが飛ばす予定の杭州に良いウォーキングコースがありますよ」「それじゃあ、百聞は一見にしかず、杭州まで下見に行きましょうよ」瓢箪から駒を地でいくように、2週間後に、杭州まで来てしまい、歩いて西湖を一周してみましょう、と、歩き始めたのである。

朝食後、準備体操もそこそこに、各自ばらばらに歩き始める。
「ちょっと待って。まずは、車に気をつけて下さい。なんせ、中国は車優先社会で、人権は後まわし。事故補償もままならないですからね」

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西湖の湖畔を下見風に歩く。公園の湖の歩道を時計と反対まわりに歩き始める。話によると、福岡の大濠公園のモデルになった湖である。

市の中心にある広大な西湖である。水上には屋根付きの観光船がゆっくりと流れに身を任せるかのように動いていく。遠くに霞む丘とのコントラストが美しく、癒しの世界を感じさせてくれる。

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湖の中央を歩きやすい専用歩道が続いている。緑が濃く、空気もきれいである。

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天気も良く、絶好のウォーキング日和である。快適なペースで、皆で元気に、あるけあるけ。

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西湖にはいくつかの観光シンボルがある。まずは、南の外れにある六和塔。その雰囲気は、奈良の斑鳩の里を彷彿とさせる。

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昼食は、杭州名物の東坡肉入りの炒飯である。沖縄のラフテーもしくは、長崎のトンポーロウに似ている。そのルーツかも知れない。

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杭州は、中高年で、ウォーキング好きで、日本人であれば、好きにならざるを得ないほどの、なんとも癒される街ではある。(続)

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2008-04-20

Mu5 トロイ遺跡 トルコ

トロイの古代遺跡は世界文化遺産に登録されています。エフェス遺跡観光の翌日、子供の頃から本で読み親しんでいたトロイの遺跡に到着しました。

ホメロスの叙事詩からヒントを得て、ドイツ人シュリーマンが苦労の末にこの遺跡を発掘までの話は、子供の頃の遠い記憶の中にありました。・・・

・・・ 紀元前3000年頃に、この地に初めての集落ができました。青銅器文明の初期です。それ以来、栄華衰退を繰り返し、アレクサンダー大王もアテナ神殿を奉納しました。しかし長い年月の果てに、この町も地中に埋もれてしまいました。・・・

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遺跡入口前に、木造家屋3階建て程の高さのトロイの木馬が置いてあります。もちろん観光客のためのレプリカですが、中に入れるようになっています。

中に入るとがらんとしていて、この中にあのトロイ戦争で、兵士が隠れていたんだな。実際は、もっと小さかったのではないか。大昔当時の木工技術では、たかが知れていますからね。

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トロイの木馬。1975年に造られた伝説上の木馬の複製で、ギリシャ神話に登場するイダ山の松の木で造られています。やはり、世界文化遺産を実際、まのあたりにして見ることは、人類の長い歴史の中で、知恵と勇気を与えてくれる気がします。

我々夫婦は遺跡群の中で、トロイの木馬のレプリカをバックに写真を撮り、少しずつ観光を始めました。

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遺跡の中をブラブラ歩くと、いい加減崩れたままの石垣がゴロゴロしています。

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トロイの遺跡は整備されていなく、エフェスの遺跡のように整然としたものではないのが、残念です。

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観光を終わり、ダーダネルス海峡に出ました。夕焼けの中に、陽の光が差して来たので、心なしか暖かくなってきました。

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トロイの遺跡は見る人によっては、感動する程のものではなかったですが、世界文化遺産なんだと思えば、まあいいかと思えてくるものです。

天気も今ひとつでしたが、このままトルコの旅行が終わることに寂寥感が漂います。2月中旬という観光の時期からはずれてもいましたが、そこそこ楽しめました。

その中で思ったことは、トロイ戦争を始め、十字軍の戦い、いつの時代も人類同士の戦いは永遠に続いていくのだと虚しさを感じました。(完)

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2008-04-19

Ch6 海南島 三亞

春の札幌の街は美しい。数多くの種類の花が咲き始めるからである。毎年、雪解けが終わる4月上旬頃、大通公園に北こぶしの黄色の花が咲き、春が訪れる。4月下旬の桜が咲く頃になると春は真っ只中になり、首都圏、近畿圏からの観光客でにぎわい始める。観光客目当ての焼きイカや、トウキビの匂いがあたりに漂い食欲を刺激する。

今日も緑のそよ風に乗り、円山公園の山端から焼きイカのしょうゆダレの匂いが漂ってくる。9年前に訪れた海南島三亞で食べた海鮮焼き魚料理を思い出した。

海南島は、中国の南の外れの海南省に属している。かつては広東省に属していたが、1988年に分離して海南省になり、同時に経済特区となった。東西約300 km、南北約180 kmで、面積は32,200平方キロ。台湾を除けば、中国最大の島である。全島が亜熱帯性気候で、中国のハワイとも呼ばれ、現在は漢民族が多くなったが、古くから主にリー族などの少数民族が住んでいた。

私はその当時、関連旅行会社に出向し、主に東南アジアの旅行開発業務に従事していた。今回の三亞入りも、ホテルのハード、ソフトの視察を主体に、観光地を視察するのが目的である。その日は、広州から中国南方航空に乗り、三亞空港に降りたった。雨降りのあいにくの空模様ではあるが、出迎えの車に飛び乗ったのである。

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現地の通訳ガイド試験に受かったばかりだというまだ学校をでたばかりの若い女性ガイドの維さんと、最初に訪れたのは、中国財閥系の某ホテル。雨降りの所為か、日本人に対して抵抗感があるのか、気に入られなかった所為か、あまり印象がよくなかった。夕方には、日系のマネジメントのホテルに泊まり、海鮮料理を頂いた。中華風ではあるが、ベトナムかフランスかが混じっている無国籍な感じの焼き魚中心の料理である。

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翌日の空は晴れ渡り、良い天気になった。まずは大手世界中にチェーンのあるxxxトンホテル。若い男性アシスタントマネジャーが明るく親切丁寧に案内してくれた。

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次ぎに訪問したのも有名なハワイにもあるアメリカ系ホテルチェーンのコピーのようなホテル。女性のアテンダントがそつなく案内してくれ、おまけに昼食は、そのホテルで、ハワイアン風アメリカンビュッフェをご馳走になった。中華料理は飽きていたので、たまにはハワイアンテイストも良いかなとくつろいだ。

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午後には、三亞市から車で30分あまり走った山の中腹にあるリー族の民族村に視察に行った。ここの主人公は、まだあどけない小さな女の子達である。

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日本人の中年の小父さんが珍しいのか、お菓子かお金がほしいのか、わっと取り囲まれた。あと10年後にあらためて取り囲んで欲しいような、欲しくないような。

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三亞観光のハイライトはこんなもんですよ。と言って、維さんがにこにこ笑っている。やはり三亞への日本人の観光客誘致はまだまだ先の話である。(続)

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2008-04-19

Mu4 エフェス遺跡 トルコ

パムッカレ観光を午前中に終わらせ、昼食後、期待していたエフェスの遺跡に到着しました。トルコの気ままな個人型周遊旅行で、1番に見たかったのは、エフェス遺跡。2番目はトロイ遺跡、3番目はイスタンブールの旧市街です。

やはり、世界文化遺産を見ること考える事は、人類の過去、現在、未来の軌跡を確認し想像することが出来て、とても興味深く有意義なことだと思います。

エフェス遺跡の入り口は北と南にあり、有名な建造物は、野外劇場と、聖母マリア教会、ケルル図書館ですが、その他にもアルカデイアン通り、マーブル通り、クレテス通り沿いに、興味深い数多くの遺跡が並んでいます。

我々夫婦は北側から観光を始めました。まず北の入り口から入ると最初にアルカデイアン通りを歩きます。その先に見えるのが野外大劇場です。

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大劇場を後に、マーブル通りに出ます。ケルスス図書館への道ですが、季節外れの雨上がりで、冷たい風が吹いており、当然観光客はおらず、不気味な感じがします。

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正面には、かの有名なケルスス図書館が見えてきます。やはり写真で見るのと実物では迫力が違います。正面には、知恵、運命、学問、美徳の4体の女神像があります。

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遺跡の中をブラブラ歩くと、古い煉瓦と大理石の建物が目につきます。特に、怪しげな娼館の跡、スコラステカ浴場の跡などは、通り過ぎる人をワクワクさせます。今も昔も遊び人は大勢いたからね、さあ次ぎ、いこ。

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三角屋根のトラヤヌスの泉は、様々な建物が重なり合って昔は豪勢を極めたのかなと思いました。雨が止み、太陽の光が差して北ので、心なしか暖かくなってきました。

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ヴァリウスの浴場と呼ばれるところは、少し離れて南のチケット売り場の横にありました。床下暖房の典型的なローマ式浴場だそうです。

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エフェス遺跡の入場料は、約1,200円と高かったけれども、それは見る人によって、感じるものであり、遺跡の維持費と思えば、まあイッカと思えてくるものです。天気が悪く、観光時期ではありませんでしたが、そこそこの感動はしました。やはり偉大なエフェス遺跡は、荘厳、華麗な感じで、ああ、これこそが、イスラム教とキリスト教の戦いの跡なんだと感じました。(続)

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2008-04-17

Ch5 世界之窓 深圳

札幌の大通公園に春が駆け足でやってきた。春風は暖かく芝生の上の雪もほとんど消えている。少しほこりっぽいような気もするが、実際はそれほどでもない。

雨の日曇りの日はまだまだ寒いし風も冷たいが、祝祭日にはそよ風に乗り、ワゴン売りの焼きとうもろこしの香ばしい匂いが漂ってくる。その香りを嗅ぐたびに、11前の初夏、旅行商品開発の調査に行った深圳で、中食に食べた小龍包を想い出す。

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深圳は、香港に隣接し、軽工業、金融、商業の盛んな大都市である。広州から車で2時間あまり、香港からも列車で30分という至近距離にあり、双方から出入りするビジネスマン、観光客も増えたと聞いている。

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深圳の街に着いた時はちょうどお昼時。そこで、深圳の名物を食べることにした。深圳の点心は美味いことで有名。日本の小龍包は小型であるが、そのルーツ、原型を彷彿とさせるような小型版で、食べると、やはり中国の香辛料が気にはなるが、口に入れるとやわらかく、甘辛で美味い。

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昼食後、仕事始めに観光地を回る。深圳には、いくつかの観光シンボルがある。まずは、市の中心にある世界之窓。その名の通り、広大な敷地の中に、パリのエッフェル塔を中心に、エジプトのピラミッドや、万里の長城がある。万里の長城は遠目で見ると立派な壁が連なっているように見えるが、近づいてみると、おもちゃのようである。

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チベットのラサは、今日現在、中国の話題の中心であるが、そんなことは何も関係ないと、平然としている。

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石林公園と湖。何にかバランスの悪い風景画のようである。

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三塔寺も雰囲気はあるが、まわりの家屋とのバランスがおかしい。

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「食在広州」と「食い倒れの街香港」の間にある深圳。世界之窓はもう結構だが、点心の美味い街として、再度訪れてみたい場所である。(続)

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2008-04-16

Mu3 旋舞の街 コンヤ

我々夫婦は気まぐれで、カッパドキアから急遽、コンヤにも行こうということになりました。コンヤまでは、列車とバスの乗り継ぎになります。夜遅く、コンヤにつくとすぐ安ホテルを探しチェックインしました。清潔そうで快適な暖かい部屋でしたが、残念ながらお湯は出ませんでした。

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次の朝、早くからコンヤ観光に出かけました。アナトリアの昔の都、コンヤは静かな街です。

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イスラム神秘主義の一派メヴレヴィー教団のお祭りの期間以外は、いつも静かな街だそうです。まずは、最初に、メヴラーナ博物館に行きました。

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その後は、セリミエ・ジャミイというお墓らしい建物に入り、メヴラーナの旋舞の真似事をして、おどけてみたりしました。

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次ぎに観に行ったのはカラタイ博物館。青と黒のセルジューク彫りというモザイクが綺麗に飾られていました。考古学博物館の中は、どこも同じようで、女神像や色々な石棺が並んでいました。途中、町中のテラスカフェで、チャイを一口飲んでから、またぶらぶら歩いて観光を続けました。

昼過ぎにはバスに乗り、南南西のパムッカレの街を目指して走りました。途中で、湖の畔で、休憩しました。ここは何という街だろう。天気も良く、暖かい午後です。

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次の、トイレ休憩では、パムッカレの近く?を感じさせる白い石灰の壁がある場所にバスが止まりました。みんなは急いでトイレに駆け込み、用をすませますが我々夫婦は余裕で写真を撮っていました。さあ、次ぎ、いこうかな。

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夕方近くにデニズリの街を通過し、間もなくパムッカレに到着です。西日がバスの窓から容赦なく照りつけ暖かく、眠くなりました。我々夫婦も太陽の下で、起きたり眠ったりの繰り返しの中、移動しました。旅行って疲れるな。さあ、今晩は何のトルコ料理を食べようかな・・・♪(続)

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2008-04-14

Ch4 七星岩公園 肇慶

春先の札幌の名物は突風。50年前には馬糞風が吹き。25年前は車粉風に変わり。今年の風は?少しほこりっぽいが、昔みたいにマスクをするほどではない。さわやかな初夏はすぐそこまでやって来ている。

晴れた日に豊平川の堤防の上を散歩していると少し冷たいが、心地よい川風に乗り、点心、肉饅頭、焼き餃子の香ばしい匂いが漂ってくる。10年前の初夏、仕事で調査に行った肇慶(ちょうけい)で、中食に食べた粽(ちまき)を想い出した。

肇慶は、珠江デルタ地帯に開けた河南地方の町である。広州から車で2時間あまり、香港からも列車で3時間半という距離にあるので、近頃は香港からも、小桂林とも呼ばれる七星岩公園を訪れる人も増えたと聞いている。

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肇慶の街に着くとちょうどお昼時になった。そこで、肇慶の名物を食べることにした。肇慶のちまきは大きいことで有名。「肇慶裏蒸」と呼ばれている。日本のちまきは小粒であるが、そのルーツ、原型を彷彿とさせるような超大型版で、もち米、緑豆、豚肉の白身に適量の塩、麹酒、落花生油、白胡麻、五香粉など調味料を加え、丹念に作り上げたものである。食べると、香辛料が鼻につくが、口に入れると溶けやすく、甘みも濃い。

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中食後、定番通りに観光地の下見に歩く。肇慶には、いくつかの観光シンボルがある。まずは、市の中心にある広大な七星岩公園の湖である。周りの岩山とのコントラストが美しく、癒しの世界を感じさせてくれる。

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鍾乳洞をでた表側にある、水月宮は立派な趣のあるお寺である。

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肇慶の霊廟は、中国の至る所にあるものとさほど変わりはない。

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広州への帰り道に立ち寄った祖廟。佛山の町の中心的建造物である。偶然、結婚の報告に訪れたハネムーンカップルとすれ違った。日本でいえば浅草寺に雰囲気が似て、庶民的な感じがする。

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「食在広州」の近郊の肇慶は点心の街、ひまが出来たら再訪してみたい街ではある。(続)

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2008-04-13

Mu2 寒中空泳 カッパドキア

イスタンブールからカッパドキアまで行くには、アンカラまで飛行機で飛び、そこからは、列車、観光バス、ヒッチハイクなど色々な交通手段があります。我々夫婦は妥当な選択肢、ということで、アンカラ発の観光バスツアーに参加しました。参加費が安く、所用時間もまあまあ、1泊2日ホテル3食観光つき。英語ガイドだけれど、まぁ、良いよね。

というわけで、我々夫婦はトルコのど真ん中のカッパドキアに着きました。でも、ずっとバスの中で寝たり起きたりでしたので、お尻が痛くなりました。周りはなんと、山の中、辺り一面の銀世界でした。

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長い時間を掛けて、カッパドキアに着いたけど、どこをどう回ればよいのだろ?これから、観光はどうしよう?そうだ、今日は、英語のガイド付きだった。我々夫婦は、まずは、バスを降り、おきまりの絶景ポイントから荒涼としたカッパドキアの雪景色を見ることにしました。

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次ぎに見に行ったのは、洞窟レストラン兼ホテルです。三つ星ホテルで、何と、朝食付きで1泊1部屋@¥12,000。一人あたり@¥6,000だそうです。でも、我々夫婦は、街中の普通のホテル。ガッカリ。また、テラスカフェで、チャイを一口。飲んでから、来た坂道をぶらぶら歩いて戻ります。

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バス出発の前に、もう一度、荒涼とした、カッパドキアの風景を目に焼き付けます。おー寒!やはり、来るのなら春か、夏だよね。

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次の、トイレ休憩で、温泉?湯気が立っているお土産屋さんがありました。みんな寒いので、トイレに駆け込み用をすませます。さ、次ぎ、いこか。

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夕方になると、カッパドキアにも、西日が強くさす様になり、暖かくなりました。我々夫婦も太陽の下で、写真を取りまくりました。

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なんか、寒い中、空を泳いでいるみたいだね。「寒中、空泳」なーんちゃって~♪ さあ、今晩のトルコ料理はなんじゃろな~♪(続)

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2008-04-12

Ch3 食在 広州

札幌の初夏は清々しい、大通公園にライラックの花が咲く頃になると美味い広東料理が食べたくなる。心地よいそよ風に乗り、大通公園の屋台の焼きとうもろこしの香ばしい匂いが漂ってくる。8年前、初夏に訪れた広州で食べた広東料理を想い出した。

広州は、珠江デルタ地帯に開けた河南地方最大の港町であり、広東省の省都である。関西空港から直行便も出ているが、香港からも列車で1時間半という距離にあるので、香港旅行に1泊加えるか。あるいは、日帰りで遊びに行くというのも良いアイデアである。

広州には、いくつかの観光シンボルがある。まずは、広州市の中心にある広大な越秀公園の中にある五羊石像である。

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2つ目は、越秀山にある明の洪武13年に創建された鎮海楼。明代からの景勝地で、古刹や革命を記念する建物のひとつである。

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3つ目は、孫文を記念する中山記念堂。中山とは孫文のことで、孫文が日本に亡命するとき身分を隠すため中国にはない中山という姓を用いたためである。建物の中は、中洋折衷の構造になっていて、外観は清の皇帝の帽子をかたどり、屋根は3階になっている。

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4つ目は、陳氏書院。「陳家祠」とも呼ばれる広東省の“陳”姓の氏族が祖先を奉るために建てた祠堂で、清朝の西暦1890年に着工し、同20年に落成した。その卓越した装飾技術から民間建築の大成と讃えられ、広州の建築百選に選ばれている。

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最後にもう一つ。広州で最も私の好きな一区画が沙面である。中国の中に残されたいにしえの西洋の街と言った感じであり、訪れたときには必ず、清楚な洋館街を散策する。河辺に出ると常に涼しい風が心地よく吹いている。

「食在広州」ともいわれるが、広東料理の本場は、広州である。特に、川魚、海鮮料理が美味い。やはり、日本人の甘辛醤油味好みはこのあたりがルーツかもしれない。広州はまさに全世界に認められたグルメスポットである。(続)

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2008-04-12

Mu1 飛んでイスタンブール

飛んでイスタンブ~ル ♪ という懐かしい昔の歌に乗って、2月の旅行費用が底値の期間に、我々夫婦は日本から遠いトルコのイスタンブールまで飛んできました。安い個人旅行だけあって、フリータイムが多いんです。でも、考え方によっては、自由だからこそ良いんだよ、と思えば良いのですが。

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イスタンブールでの、フリータイムの過ごし方はどうしようか?といえるくらい、色々な楽しみ方はあります。我々夫婦は、まずは、旧市街にあるグランドバザール(カパル・チャルシュ)と呼ばれる屋根付き市場から歩き始める事にしました。

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その前に、まずはテラスカフェで、チャイを一口。ホッとしますね。出発の前に、もう一度地図を見て我々は今、どこにいるのかを確認します。狭い路地が複雑に入り組んだこの迷宮のようなバザールには、数え切れないほどの店があります。でも、あまりにも入り組んでいて、何をどうすれば、効率よく回れるのかなぁ。ま、いいか。

バザールの中をブラブラあるくと、工芸品、絨毯、陶磁器、金製品、銅製品、真鍮製品、水パイプなどが目につきます。特に、ショーケースの中で光り輝く金の装身具は、通り過ぎる人を眩惑します。上質の皮革製品も、比較的安く手に入りそうです。どうせ買えるほどの余分なお金はないんだから、次ぎ、いこ。

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トプカプ宮殿の中は、様々な建物が迷路のようにつながっていて、豪奢を極めた宮殿の中で、スルタンと奥方、家族たちは生活していました。中の廊下、壁、宮殿の内側は、青緑のタイルが張り巡らされており、綺麗ですが、何故か、生活感の無いような、暖かみのない建物のように感じました。

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第一庭園と呼ばれるところは、樹木の生い茂る見事な庭園でした。さらに、第二庭園の右側を歩いて行くと、かつての宮廷の調理棟で、現在は帝国のクリスタル、銀、中国陶磁器のコレクションの展示館となっています。

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アヤ・ソフィア寺院と向かいあうように建っているのが、優雅な6つの尖塔を持つスルタンアフメット・モスクです。ブルー・モスクという名で広く世界に知られています。このモスクは、内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることからその名が付けられたのだそうです。中は暗く、それほど感動はしませんでしたが、

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はるか外から見るブルーモスクは、荘厳な感じで、ああ、これこそがムスリムの国なんだと感動しました。(続)

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2008-04-11

Ch2 漓江下り 桂林

毎年、桂林の花、金木犀が咲く頃になると美味いビーフンが食べたくなる。緑のそよ風に乗り、もいわやまの山影からか、あんかけ焼きそばのような香ばしい匂いが漂ってくる。6年前に訪れた桂林で食べたビーフンを想い出した。

桂林は、中国西南部・広西壮族自治区の東北部に位置している。この地方は紀元前、秦の始皇帝の時代に運河が建設されてから、二千年余りの歴史の中で、文化が花開き、宋代から清代まで広西地域の政治・経済・文化の中心として栄えてきた。その桂林市内には「駱駝山」と呼ばれているらくだの姿をした珍しい岩山がある。

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「象鼻山」とよばれる川に張り出した象の形をした岩山。

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「蘆笛岩」とよばれる鍾乳洞などがあり、観光の名所となっている。

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また、市の中央を横切るようにして全長437キロにわたる漓江が流れ、その両岸には奇岩・奇峰が連なり、山水画のように美しい独特の風景が広がっている。

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桂林観光のハイライトはなんと言っても漓江(りこう)下り。桂林に来た観光客で、漓江下りをしなかった人はいないというほど有名。水墨画のような桂林独特の風景を楽しむには、やはり漓江下りが一番である。


両側に林立する奇峰を縫うようにして川が流れ、晴れていれば、青い川面に緑の山が映り、雨の日は、霧雨の中の水墨画のような幽玄の世界にひたれる。

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漓江下りツアーでは、竹江埠頭を午前に出航し、終点の陽朔まで約60キロを4時間ほどかけ、ゆっくりと下る。展望デッキからの景色は、まさに夢幻、山水と言われるように、絶景の連続だ。桂林からのバス送迎、船内の昼食、日本語ガイドがセットになった便利な、でも少し高価な漓江下りツアーで、心ゆくまで山水画の世界を楽しみたい

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終点の街、陽朔の一帯は西街と言う数百軒の土産物屋が軒を連ねている。物売りのお婆さん、子供達がうるさくつきまとい、それが難点ではあるが、陽朔には喫茶店や焼きビーフンの美味い中華食堂もあり、とても明るく楽しいところである。(続)

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2008-04-11

Ma15 KL レイクガーデンズ

東京ぶんぶん ’02,9,14  9月初旬、サラワク州のグヌン・ガデン国立公園へのエコツアーの帰り道の話である。ぼくは6年ぶりに、中年海外協力隊のチョビヒゲの楠元さんに会う事になり、姪のマリと一緒に、KL、クアラルンプールに立ち寄ることにした。

彼は、マレーシア政府と日本政府外郭団体の日・馬親善交流推進プロジェクトに参加したままもう10年もマレーシアに在住している。

9月11日の朝8時、KL滞在の初日、ホテルのロビーに彼が現れた。相変わらず、丸顔に天然パーマ、鼻の下にチョビヒゲがある。
「なんだ、楠本さん。全然変わらないね」
「小宮さんも、お変わりなくお元気そうで、なによりです」
まずは、お互いの顔を見合わせ第一声。ぼくは連れのマリを紹介する。
「この子は珍しく、ジャングルが好きで、近頃一緒にボルネオを探検しているんです」
「おはようございまーす!ぶんぶんの姪のマリでーす。よろしくお願いしまーす」
「こちら、昔ツァーコーディネーターだった楠元さん。6年前、タマンネガラのエージェントファムツアーで、すごく、お世話になったんだ」
「楠本です。宜しく」

取りあえず、お茶を飲みに行こう、ということで、3人でホテルのテールームに落ち着いた。彼は、これから日系私立大学の設置プロジェクトのメンバーとして、9時から仕事なのだそうだ。マア、珍しく仕事に燃えています。相変わらず宮崎訛りを交えて、面白おかしく話し続ける。

ということで、夕方、町のレストランで再会を約束して、彼は、仕事に出かけていった。ぼく達は、かねてから計画していたKLガーデンズの中のオーキッド・ガーデンとバード・パーク、バタフライ・パークを探索する事にした。

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明るい太陽の下。オーキッド・ガーデンは、300種類を超えるランの花が綺麗に整備され、咲き誇っていた。ジャングルもいいけれど、町の中の自然公園もなかなかのものだね。

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次ぎに、バード・パークに向かった。実は、キナバタンガン川で遠い空を飛んでいたホーンビル。あれ以来かな。近くで見ると結構大きな鳥だね。くちばしの上の角に特徴があり、何か変だけど立派な感じがする。

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公園の中程には池があり、ペリカン、フラミンゴ、などの中型の水鳥が休んでいる。え、写真を撮るの、オッケー。

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続いて、バタフライパークを探索する。やはり、中は熱帯の空気が感じられて、摂氏30度に保たれている。

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少し、暑い感じもするが、美しい蝶と花がたくさん。イイ感じ!

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公園の中の、蝶の案内板を見ながら進む。1時間程歩いた後、バタフライパークから外に出ると、空気がひんやりして気持ちが良い。さて、今日のお昼はチャイナタウンで何を食べようかな。(続)

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2008-04-06

Ma14 ダヌン・バレー自然保護区

東京ぶんぶん  ’06,11,24   ボルネオ島サバ州の東端に近いダヌム・バレーの上流は、マレーシア政府により野生動植物の研究と教育を兼ねた「自然保護区」に指定されている。

11月の下旬、ぼくは姪のマリと2人、2泊3日の予定で、ボルネオエコツアーに参加した。メンバーはカダザンドゥスン族のガイド「ジョー」、マリとぼくの3人である。昼は美しい原生林をトレッキング、夜はナイトサファリで野生の象や鹿を探索、大自然を本格的に体験するスケジュールである。

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11月18日の朝、ぼく達はサバ州の州都コタキナバル空港を離陸。空路ラハ・ダトゥの町に到着後、ダヌム・バレーまでは派手な塗装のワゴンに揺られ、2時間余り走る。

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途中、材木置き場の奥に、野生のボルネオ象の赤ちゃんを見つけた。そっと、近づきシャッターを押した。その気配を察したのか、赤ちゃん象は、いちもくさんに、森の中に逃げていった。

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ワゴンに戻り、さらに、走ること30分。ようやくボルネオ・レインフォレスト・ロッジにたどり着く。ロッジ内には宿泊施設として瀟洒なコテージ群が建ち並び、ぼく達は予約していたロッジのバス・トイレ付きの簡素で清潔な禁煙室に落ち着いた。

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夕方からヒルよけのロングソックスをはき、ジョーと自然保護区女性監視員のジェニファーとぼく達2人で、足慣らしのトレッキングに出る。

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原生林に木漏れ日がキラキラと輝き、空気は透明である。落ち葉を踏みしめて歩く道の両側には、巨大な板根のフタバガキ科のデプタリカプス、白い幹のマメ科のメリンガスが聳え立っている。途中の小道を右に進むと突然、目の前が開けキャノピーウオークに出る。吊り橋の上からは、遙かジャングルの黄金色の樹冠が見渡せた。

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翌朝8時過ぎ、ジョーの先導でジャングルを2時間かけ、蛭をよけつつ、山頂近くのビューポイントまで登る。ようやく頂上のテラスにたどりつくと、遙か眼下にレインフォレストロッジが見える。谷から吹き上げる風が心地よい。

気がつくとテラスの下で話し声がする。ロッジの従業員が携帯電話で誰かと話しているらしい。ジョーの説明によると、ロッジには固定電話は無く、山頂に登らなければラハ・ダトゥの町まではモバイルの電波が弱く届かない。文明の利器は便利なようで、場所によっては不便である。

夕食後の夜8時、ハードトップのジープでナイトサファリに出発する。天井のサーチライトを点け、漆黒の山道を疾走する。期待に胸が膨らむ。2時間程走り回り、出会ったのはヤマアラシ2匹。マメジカとルリイロコノハザル。暗がりの中、カメラのフラッシュライトに、両目だけがオレンジ色に反射した。

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期待していたアジアゾウは空振りに終わった。帰り際、ジェニファーがすまなそうに「ソーリー」と肩をすくめた。「ネバ、マイン」ぼくは帽子を取り、笑顔で答えた。宵闇の奥から野鳥の鳴き声が優しく聞こえ、夜霧がひんやりと頬を濡らした。(完)

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2008-04-06

Ma13 グヌン・ガデン国立公園

東京ぶんぶん ’02,09,13   サラワク州最西端に位置する国立公園「グヌン・ガディン」は、クチンからワゴン車で西北西へ約2時間半、南シナ海にほど近いルンドゥの町の先にある。

9月の上旬、ぼくは姪のマリと二人でボルネオエコツアーを計画した。クチンを起点に、ジャングルを歩き回る個人旅行で、3日目は、グヌン・ガディン国立公園まで足を延ばして、ラフレシアを探索するスケジュールである。

9月7日の朝7時、昨日からのツァーガイドの陳さんとぼく達は、クチンのムルデカ・パレス・ホテルを出発。グヌン・ガディンまではワゴン車で2時間半余り走り、ようやくルンドゥの町に到着する。

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公園に隣接して、バッグパッカー用の宿泊施設としてロッジ、ドミトリー群が建ち並び、公園本部の入り口にはジャングルの大きな地図入りの道路案内板があり、その下には世界最大の花、ラフレシアのプラスチック製の模造品が置かれ、動植物の資料を展示したインフォメーションセンターが右手に併設されている。

ウツボカズラ等の植生のパネル写真と動物の剥製などが並んだ、センター内を見学した後、ツァーガイドの陳さんが、中年の公園レンジャー2人を紹介してくれる。ぼく達の為に朝早くから公園内を歩き回り、幻の花ラフレシアを探してくれていたのだ。

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早速レンジャーの案内で、ラフレシアの開花地点に向かって歩き始める。この国立公園内では、観光客がラフレシアを探し回っても、見つけるのは殆ど不可能である。レンジャーの案内の下に、ラフレシアを探索するのが賢明だ。途中、左手に絞め殺しの木を見つけた。

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薄暗いジャングルを1時間余り歩き、午前11時過ぎに山の背を越える。すると、レンジャーの1人が、山の斜面の一カ所を指さした。

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フタバガキ科の巨木の根元に、朽ちかけた落ち葉に浮かぶようにラフレシアが咲いている。

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それはセピア色の巨大な花で、さかりを過ぎたバラを大きく拡大したような肉厚の花弁からは、腐りかけたドリアンのような甘い臭いが、プーンと漂ってくる。その臭さに腰を引き気味ではあったが、花の大きさには感動した。

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公園本部に戻り、レンジャーに別れの挨拶をする。陳さんが小声で、チップをと目配せをした。レンジャー1人あたりの謝礼は20マレーシア・リンギットであり、複雑な思いでチップを渡す。これは公務員への賄賂(袖の下)じゃなかろうかと、陳さんに聞いたら、政府公認のシステムであり、彼らの汗と努力の結晶で、貴重な現金収入なのだそうだ。ジャングルの木漏れ日の中、レンジャー達が手を振る。日焼けした笑顔からは真っ白な歯がこぼれ落ちた。 (完)

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2008-04-05

Ma12 バコ国立公園

東京ぶんぶん ’02,09,12  今年の夏休みに、ぼくは姪のマリと二人、3泊4日のボルネオ個人旅行に出かけた。ボルネオ島サラワク州の州都クチンを起点に、2日目はテングザルなどの野生動物を見にバコ国立公園。3日目は世界最大の花ラフレシアを探しにグヌン・ガディン国立公園。昼間はジャングルトレッキングを楽しみ、夜は猫の町クチン(現地語で猫の意味)の屋台を食べ歩くスケジュールである。

9月6日。2日目の朝8時、ツァーガイドの陳さんとぼく達は日帰りの予定でボルネオ島サラワク州クチンを出発。バコ村まではワゴン車で1時間余り。

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村からボートで公園まで約30分。ようやくバコ国立公園本部があるテロッ・アッサムに到着する。

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公園入口には本部事務所とビジターセンター。隣接してトレッカー用のロッジが数軒、地中海リゾート風に洒落た感じで建っている。

観光シーズンは6月から10月。ピークの8月前後は、毎日のようにエコマニアが訪れ、16あるトレッキングコースはハイカーだらけになる。特にジャングルの野生動物と植生は多様で、1年を通じてその姿が確認される。

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植物はウツボカズラや、マングローブが生い茂り、動物は、カニクイザル、シルバーリーフモンキー、ヒゲイノシシ。天候やコンディションにもよるが、運が良ければまれに、テングザルに会えることもある。運良く、偶然にであるけれども。

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さっそく、ツァーガイドの陳さんの案内で、1時間コースのキャノピーウォークを歩く。まず目に付くのは、ロッジ付近をうろつくヒゲイノシシ。野生の猪が、宿泊客の残飯を漁りに、里に下りてきたという感じである。

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突然、陳さんが立ち止まり、梢の上を指さす。テングザルだ。運がいい。

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その先を歩くと木道の上を走り回るカニクイザルが2、3匹。ちょこまかと、すばしこく動き回る。次に見たのは、水の涸れた川底をのそのそと歩く大トカゲ。

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そこここに、熱帯地方の動物がうようよしている。但し、梢に潜む黄色の毒蛇には要注意。派手な色の爬虫類や昆虫には毒がある。万事、些事にも充分気をつけなければ。

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午後の南シナ海には太陽が輝き、海岸線が美しく、海水は透明である。昼食後、マリとぼくは砂浜でくつろぎ、パラソルの下で日向ぼっこをした。午後3時過ぎ、丘を越え、山の中腹の滝を折り返す最後のトレッキングを楽しむ。帰り際、出迎えのボートの中から遙か水平線を見る。奇岩のシルエットが黒灰色にそそり立ち、その間を緋色の夕日が傾き、ボートの舳先の波が、橙色にきらきら揺らめいている。エコツアー1日目が静かに終わろうとしている。(続) 
     
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2008-04-05

Ma11 クバー国立公園

東京ぶんぶん ’02,02,20  東マレーシア・サラワク州にあるクバー国立公園は、州都クチン市街から西北西へ約30km、ワゴン車で約40分の熱帯雨林の中にある。

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2月の中旬、ぼくは姪のマリを誘い、3泊4日のボルネオエコツアーを計画した。クチンを起点とした個人手配旅行で、2日目にクバー国立公園でジャングル探検とマタン・ワイルドライフ・センターで動植物を観察。3日目には、サラワク・カルチュラル・ビレッジを訪問するスケジュールである。

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2月16日朝9時、小雨の中、ツァーガイドの楊さんがホテルのロビーに迎えに来た。ワゴン車に乗り込み、クバー国立公園までひた走る。公園入り口で車を降り、ジャングルをしばらく歩く。

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その奥に、マタン・ワイルド・センター本部が見えてくる。正面にはコウモリが描かれた案内板があり、その隣には、動植物の資料館と野生生物センターが併設されている。ワゴン車を降り、中に入ると、マメ鹿、ヒゲイノシシ、マレーグマ、ワニ等の檻が立ち並んでいる。

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ぼくとマリは小雨の中、順番にその動物たちを見て歩いた。動物たちは元気なく、寂しげである。やはり野生動物は、ジャングルに棲むべきだと思う。とぼとぼと野生生物センターを出る。「雨がやんだよ」楊さんが明るい声で言った。

翌朝、朝日が眩しい青空の下、ビダユ族を初め、各種族の原住民を集めたサラワク・カルチュラル・ビレッジを訪れた。

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村は大きな池を取り囲んで7つの民族の家屋が建てられている。各種族毎に微妙に言語、服装、文化、風習は違うが、唯一の共通点は、猫好きな所だ。

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各種族毎の家屋には、それぞれ種類や色の違う猫が数匹ずつ居着いている。ぼくも猫好きなので、手を出すと猫の方からすり寄ってくる。国や民族は違えども、猫には猫好きがわかるのかな?

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廊下には観光客が迷わないように、家屋の入り口毎に順路を示す案内板がある。陳さんの和訳を頼りに、園内のガイドの話に耳を傾ける。広場では、先住民の吹き矢や、コマ回し、民族舞踊などのカルチュアルショーが始まっていた。

ボルネオ先住民族の生活実態や文化と歴史をありのままの姿でみせる事こそが、この民族村の設置目的であり、観光客にその文化と歴史の保存を訴え、存在の意義をアピールしている。

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日本では、アイヌ先住民族の祭りや踊りの外面を見せるだけで、本来の生活実態そのものは見せない。ボルネオは自然と先住民族保護の先進地であり、我々日本人が学ぶ事が多い。ぼくは、各民族の融和と共存、文化遺産の存続を願い、村の出口で笑顔の子供達に別れを告げた。(完)

2008-04-05

Ma10 ローガンブヌッ湖畔

東京ぶんぶん ’00,03,01  マレーシア・ボルネオ島サラワク州北東の山の中にある「ローガン・ブヌッ」湖畔は、サラワク州政府により特別保護開発地域に指定されている。

2月の下旬、ぼくは一人でボルネオ個人旅行を予約した。ミリを起点に、ニアとランビル・ヒルズの2カ所の国立公園を日帰りで訪れた後、2泊3日で現在開発中の知られざる秘境、ローガン・ブヌッ湖畔のロッジに宿泊し、昼間は美しい湖で魚釣りを楽しみ、夜は満天の星空を仰ぎ見るスケジュールである。

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2月27日の朝、ぼくはガイドのジョニーと運転手のローニーの3人で、ミリを出発。ローガン・ブヌッ湖畔まではワゴン車で約5時間、途中の小さな町で昼食をとり休憩する。

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さらに川をボートで遡ること1時間余り。切り通しを越え、ようやくローガン・ブヌッ湖畔の簡素な山小屋風のロッジにたどり着く。

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ローガン・ブヌッ湖畔は、高原リゾートの中でもボルネオ・ハイランドに続き、開発後の期待が大きい場所で、1年を通じて気候は安定し、近い将来欧米人の人気スポットになるという。

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シーズンは6月から10月。5年後の営業開始に向け建設中のホテルは、世界中からの予約客で満室になるらしい。今後、ミリからの道路整備にも着手し、湖の枯渇など劇的な自然環境の悪化と投資資金不足などがなく、順調にいけば5年後には新たな高原リゾートが完成する。

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翌朝、手作りの朝食の後、ぼくたちは9時過ぎからボートに乗り込み、湖の中程に繰り出す。湖面が青空を写し、湖水は美しく透明である。ボートから湖に飛び込み、泳いだり、魚釣りをしたり、桟橋で甲羅干しをして過ごした。

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夜中の10時過ぎ、ガイドのジョニーの案内で月明かりに照らされたロッジのテラスに腰かける。星空を仰ぎ見ると西の空に、南十字星が弱々しく瞬いている。その手前に金星が強く光り輝き、地球を取り囲む宇宙の神秘を感じる。

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明け方の水浴びは神聖な儀式である。裏庭に面したシャワー小屋は簡素なベニヤ板で仕切られている。全くの手動式で、雨水を屋根から樋で水瓶にため、水瓶の中から、竹製の柄杓で頭から水をかぶる。トイレも一緒にそこで済ませる。最初はびっくりしたが、郷に入ればなんとやら。ジョニーの指導のもと、生まれたままの姿で、思いっきり元気にシャワーと用足しを済ませたのだ。

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ローガン・ブヌッ湖畔の東の空にオレンジ色の朝日が昇り、ロッジの正面の階段を駆け上がる風に、山吹色の花道がさわさわと優しく揺れている。(完)

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2008-04-05

Ma9 ランビル・ヒルズ国立公園

東京ぶんぶん ’00,02,28  ボルネオ島サラワク州の商業都市ミリから南に約30kmの「ランビル・ヒルズ国立公園」は、1965年からマレーシア政府により、さまざまな動植物の調査対象の国立公園に指定されている。

2月の下旬、ニア国立公園の翌日、ぼくは一人で、ランビル・ヒルズ国立公園エコツアーにエントリーした。同じガイドのジョニーの案内で、ジャングルトレッキング、ツリータワー、3つの滝を日帰りで楽しむスケジュールである。

2月26日の朝、ぼく達2人はミリを出発。ランビル・ヒルズまではワゴン車で約30分。公園入り口には白い屋根のロッジ風の公園本部事務所が建ち並び、ジョニーが事務所で入園手続きをする。何でも、この公園は時間制限が厳しく、滞在時間を事前申告する等の規定が決められている。

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数あるマレーシアの国立公園、自然保護区の中でもランビル・ヒルズは、さまざまな植物のほかに、約200種の鳥類、まめ鹿やテナガザル、ヒゲイノシシ等の動物が確認される。シーズンは6月~10月。ピークの8月前後は、自然マニアの観光客が多く、日本の国際調査団も駐在する。園内には10本以上のトレイルがあり、短いもので片道15分、長いもので4時間ほどである。

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入り口で記念写真を撮り、早速トレイルを歩き始める。ジャングルをしばらくいくと第1の滝にあたる。次に第2の滝を横に見て、川沿いを歩く途中に、五画形の小屋とツリータワーガ見え隠れする。急な木造階段を見上げると、高さ約40mのツリータワーの頂上が見える。木造の階段を螺旋状に何百段も上っていくと、ようやく頂上のテラスにたどり着く。見下ろすと木々の葉の間に小屋が見える。

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見渡すと遙か彼方まで、熱帯雨林の緑の梢が果てしなく続いている。

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テラスの横には粗末なキャノピーが左右にあり、所々壊れかけている。少し危険に見えるが、途中まで、歩いてみる。板張りと太い綱で補強された橋から見渡す緑の森と青い空は格別だ。

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滝つぼでの水浴びは神聖な儀式である。落差10mの滝の水しぶきは神々しくも美しい。深緑色の水の色は少し濁ってはいるが、ぼくは、用意した水着に着替え、ひと泳ぎする。水はびっくりするほど冷たく、気持ちよい。

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帰り際、プランクウォークの手すりに止まっている乳白色で羽化直後のカブトムシを見つけた。ジョニーが「○×△□?」と現地語の名前で説明する。意味不明。

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ジャングルは深緑色の空気で満ちあふれ、風は優しく透明である。(続)

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2008-04-01

Ha6 マカプウ岬ハイキング

楽園ハワイにはハイキングコースがたくさんあります。その中でもお薦めはマカプウ岬ハイキングです。おきまり観光スポットに飽きた観光客や地元のトレッキング愛好者の人気のスポットでもあります。行き方は、シーライフパーク入り口手前の、右手奥の小高い丘の先です。そこから見る海は絶景で、季節にもよりますが、クジラの潮吹きが見えます。ああ、やっぱりハワイに来て良かったな、という気分になります。

今日、ぼくはエコ・マニアのセオリーに反して、レンタカーで来てしまいました。というのは、今回のハワイ旅行は仕事の関係で、5日間の短い日程のため、のんびりとローカルバスでは回りきれないと言う事情があったのです。そんな訳で、朝早くワイキキのレンタカープールを出て、マカプウ岬の丘の上でお弁当を食べながら、クジラ見物をしようという計画です。

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麓の車止めのゲートから草原の中にのびている簡易鋪装された道を登っていくと、少しずつ視界が開けていきます。

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約30分のハイキングで楽々頂上にたどり着きますが、中腹までやって来たところの途中の曲がり角に、ホエールウォッチングの英文案内看板があります。フムフム、なるほどね。

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展望台につきました。360度の角度でカイルア沖からワイマナロビーチ、サンディビーチ、ココヘッド、ダイアモンドヘッドまで、オアフ島の東南海岸一帯がぐるりと見渡せる絶景のポイントとなっています。

頂上付近には、既に先客のグループが海に面した場所を陣取り、写真を撮り合っています。ウーン、じゃまだなあ。ぼくは、ベストショットポイントに人が群がり、そこが空くのを今か今かと待っていました。少し待っていると、イタリア系と思える若い女性の二人組が、笑顔で話かけてきました。

[Woud you do me a favor ? ]   (^o^)
[What the matter with you?]     (^^;)
[please take us some picture by this camera」  (^o^)
[Oh yes It’s no problem ]    (^^;)

ハイ、ポーズ。エコ・マニアが喜びそうなベストショットが取れました。格好良く撮ったからね、と話しながら、今度は彼女たちに記念写真を撮ってもらいました。

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お昼のサンドウィッチを食べ、しばらく頂上で小休止しました。左下の崖の横に可愛いらしいマカプウ岬灯台が見えました。汗の引くのを待ち、来た道を引き返します。

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さて、これから午後のドライヴの始まりです。えーと、午後の予定は、フォスター植物園だったっけ。どの道を通って行こうかな。ブツブツと独り言をいいながら歩いていると、坂の途中で、さっきの彼女たちを追い越しました。振り向きざま、

[Have a nice day !]  (^_^)/~
[Many thanks !]   (^_^)/~

じゃぁねー、元気でねー!またねー、ありがとねー!何となく、今日も楽しい1日になりそうだね、という感じの午前の出来事でした。(続)

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