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2009-06-18
対等な人として、対等に人と向き合う
オリンピックの後に障害のある人のスポーツの祭典パラリンピックがあるでしょ
それと同じように
国体(国民体育大会)の後にも障害のある人の国体があるの、知ってる?
今年の国体は新潟であるんだけど
10月に開催される全国障害者スポーツ大会に
ももたんのダンナサマが出場することになりました ^0^/~
競技種目はアーチェリー
えらそうに自慢しちゃうと、
1992年のべにばな大会(山形身障国体)に続いて
2回目の出場なんだ ^0^
「すごいじゃん」って思ってくれる?
障害のある人のスポーツといっても
アーチェリーって
障害がある・なしに関係なく
おんなじ弓を使って
おんなじルールでやるんだよ
立っていても車椅子を使っていてもハンディなしのゲーム
オリンピック銀メダリストの山本博選手とだって 同じ競技場で同じルールで戦える
カラダにハンディキャップがあっても
試合にはハンディはつかないのだ
もちろんダンナサマは選考委員会で選考された、立派な?選手 ^0^
過去の成績というそれなりの実績がモノを言ったのだ
誰でも出られるわけじゃあない
大会は10月10日から12日
みんな、ももたんのダンナを応援してやってね ♪
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
全盲のピアニストがピアノの国際大会で優勝したでしょ
彼は見える人と同じコンクールで同じ審査をうけて優勝した
全盲だから、と審査の基準が甘かったわけじゃないだろう
ところが「全盲の」ピアニストが優勝したと言われ
「ハンディを乗り越えて」
「生まれてすぐにに失明したにもかかわらず」
みたいな修飾詞がついてしまう
確かに見えないことは不便だし不自由だと思う
もし見えていたら
今までやれなかったことが、いろいろできたかもしれない
いろんなことができる、チャンスも多くあったかもしれない
譜面を読むのも
彼は点訳された譜面(譜面の点字版)を読まなくちゃいけない
直接聞いたわけじゃないから、多分そうしていると思うけど。
「点字の譜面を読むなんて大変!」
そりゃフダン見えている人には そう思えるよね
でも もし彼が今見えるようになったとして
普通の譜面と点字の譜面と、どっちで新しい曲を覚える?って聞いたら
点字の譜面って言うと思うよ
これも多分の話だけど ^-^
**************** **************** **************** ****************
自分と同じ立場でない人のことを理解するのはホント難しい
見えないことを経験したことがない者には
「もし自分が見えなかったら・・・」の想像しかできない
見えないことを体験しようと目をつぶって家の中を歩いて
何かにぶつかったり、転んだり、怪我したりすれば
「見えないってこんなに大変なんだ」って感じることはできる
だけどそれだけでは見えない人のことを理解できないし
その人の抱えるいろんな気持ちを共感したことにもならない
共感ってね、
今の福祉業界お勧めの実践方法論
はやり言葉的にどのテキストにも「共感が大切」って書いてある
テキストによると共感の方法は
「相手の話をオウム返しのように繰り返す」
それによって
「私もあなたと同じように感じていますよ、あなたと同じ気持ちですよ」と、
相手に伝えられる とある。
ももたんのお客様で、生まれつき全盲の人がこう言ったことがあるよ
「よかった、見えなくて。
もし見えてたら今頃農家に嫁に行ってて、海外旅行なんてできなかったもん」
じゃあ共感はこんな風に・・・
「よかった、見えなくて」 と言われたので
「そうですね、見えなくてよかったですね」 と言い返す ^-^
え~
ココロの底から共感してこう言えたら、アナタ様は神様だよ ^0^
クチ先だけの台詞じゃあ、ウソの共感になっちゃうんだよね
でも障害があるとか、ないとかじゃなくて
人として対等な立場になれていたら共感しているフリなんてしなくても
「そんなふうに話せるあなたって、すごいね」って自然に言えると思う
もちろん、ココロの底からの言葉でね
これはテキストでお勧めの『共感』じゃないけど、相手を尊敬したり認めているでしょ。
この方が自然だし、
尊敬の念も親愛の気持ちも、すごい人と認めているコトも
伝わると思うんだけどな ^0^
自分を認めてもらえたり、認めてもらえていると感じると
すっごく自信ができるし、嬉しいよね
ももたんもね、いろんな人に認めてもらえて嬉しいし幸せなんだ ^0^
みんなに感謝でござる ♪
見えていてもピアノが弾けない自分と比べて
「彼は見えないのに・・・」と思ってしまうのは理解できるけど
見えないのにピアノが弾けるから すごいんじゃなくて
ピアノをあんなに上手に弾ける、その才能がすごいんだよね
この部分を間違わないで彼を褒められたら、対等になれているってことかな
こういう対等な人間関係で
ピアニストの彼にインタビューをしてくれると
「もし今見えるとすれば、何が見たいですか?」なんて
おバカな質問をしないでもすむんだけど・・・
でも彼は大人だったね、
「両親の喜んでいる顔が見たい」と言っていた
ももたんだったら
「見えない私を何故否定するんですか!」ってケンカ売るトコだけど ^-^
インタビューした人はこの答えにきっと満足したと思う
イメージしていたような答えが聞けたって。
だけど ももたんには
オバカな質問を上手にかわすことで
障害のある彼が障害のない人と一緒に生きていくための術を持っているなぁって
彼の持っている度量の深さと生きる知恵の幅の広さを見たよ
だってね、彼には
ご両親が喜んでくれていることが、ちゃんと<見えて>いるよ
ご両親の声や態度から、ね。
このことに気がつかなくちゃ
見えないという個性を持った彼を理解していないし、
対等な人間としてまだ認めていないよ
「五体不満足」の著者が言った障害は個性って意味を
もっと理解してくれる人が増えるといいね
by ももたん
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国体(国民体育大会)の後にも障害のある人の国体があるの、知ってる?
今年の国体は新潟であるんだけど
10月に開催される全国障害者スポーツ大会に
ももたんのダンナサマが出場することになりました ^0^/~
競技種目はアーチェリー
えらそうに自慢しちゃうと、
1992年のべにばな大会(山形身障国体)に続いて
2回目の出場なんだ ^0^
「すごいじゃん」って思ってくれる?
障害のある人のスポーツといっても
アーチェリーって
障害がある・なしに関係なく
おんなじ弓を使って
おんなじルールでやるんだよ
立っていても車椅子を使っていてもハンディなしのゲーム
オリンピック銀メダリストの山本博選手とだって 同じ競技場で同じルールで戦える
カラダにハンディキャップがあっても
試合にはハンディはつかないのだ
もちろんダンナサマは選考委員会で選考された、立派な?選手 ^0^
過去の成績というそれなりの実績がモノを言ったのだ
誰でも出られるわけじゃあない
大会は10月10日から12日
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全盲のピアニストがピアノの国際大会で優勝したでしょ
彼は見える人と同じコンクールで同じ審査をうけて優勝した
全盲だから、と審査の基準が甘かったわけじゃないだろう
ところが「全盲の」ピアニストが優勝したと言われ
「ハンディを乗り越えて」
「生まれてすぐにに失明したにもかかわらず」
みたいな修飾詞がついてしまう
確かに見えないことは不便だし不自由だと思う
もし見えていたら
今までやれなかったことが、いろいろできたかもしれない
いろんなことができる、チャンスも多くあったかもしれない
譜面を読むのも
彼は点訳された譜面(譜面の点字版)を読まなくちゃいけない
直接聞いたわけじゃないから、多分そうしていると思うけど。
「点字の譜面を読むなんて大変!」
そりゃフダン見えている人には そう思えるよね
でも もし彼が今見えるようになったとして
普通の譜面と点字の譜面と、どっちで新しい曲を覚える?って聞いたら
点字の譜面って言うと思うよ
これも多分の話だけど ^-^
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自分と同じ立場でない人のことを理解するのはホント難しい
見えないことを経験したことがない者には
「もし自分が見えなかったら・・・」の想像しかできない
見えないことを体験しようと目をつぶって家の中を歩いて
何かにぶつかったり、転んだり、怪我したりすれば
「見えないってこんなに大変なんだ」って感じることはできる
だけどそれだけでは見えない人のことを理解できないし
その人の抱えるいろんな気持ちを共感したことにもならない
共感ってね、
今の福祉業界お勧めの実践方法論
はやり言葉的にどのテキストにも「共感が大切」って書いてある
テキストによると共感の方法は
「相手の話をオウム返しのように繰り返す」
それによって
「私もあなたと同じように感じていますよ、あなたと同じ気持ちですよ」と、
相手に伝えられる とある。
ももたんのお客様で、生まれつき全盲の人がこう言ったことがあるよ
「よかった、見えなくて。
もし見えてたら今頃農家に嫁に行ってて、海外旅行なんてできなかったもん」
じゃあ共感はこんな風に・・・
「よかった、見えなくて」 と言われたので
「そうですね、見えなくてよかったですね」 と言い返す ^-^
え~
ココロの底から共感してこう言えたら、アナタ様は神様だよ ^0^
クチ先だけの台詞じゃあ、ウソの共感になっちゃうんだよね
でも障害があるとか、ないとかじゃなくて
人として対等な立場になれていたら共感しているフリなんてしなくても
「そんなふうに話せるあなたって、すごいね」って自然に言えると思う
もちろん、ココロの底からの言葉でね
これはテキストでお勧めの『共感』じゃないけど、相手を尊敬したり認めているでしょ。
この方が自然だし、
尊敬の念も親愛の気持ちも、すごい人と認めているコトも
伝わると思うんだけどな ^0^
自分を認めてもらえたり、認めてもらえていると感じると
すっごく自信ができるし、嬉しいよね
ももたんもね、いろんな人に認めてもらえて嬉しいし幸せなんだ ^0^
みんなに感謝でござる ♪
見えていてもピアノが弾けない自分と比べて
「彼は見えないのに・・・」と思ってしまうのは理解できるけど
見えないのにピアノが弾けるから すごいんじゃなくて
ピアノをあんなに上手に弾ける、その才能がすごいんだよね
この部分を間違わないで彼を褒められたら、対等になれているってことかな
こういう対等な人間関係で
ピアニストの彼にインタビューをしてくれると
「もし今見えるとすれば、何が見たいですか?」なんて
おバカな質問をしないでもすむんだけど・・・
でも彼は大人だったね、
「両親の喜んでいる顔が見たい」と言っていた
ももたんだったら
「見えない私を何故否定するんですか!」ってケンカ売るトコだけど ^-^
インタビューした人はこの答えにきっと満足したと思う
イメージしていたような答えが聞けたって。
だけど ももたんには
オバカな質問を上手にかわすことで
障害のある彼が障害のない人と一緒に生きていくための術を持っているなぁって
彼の持っている度量の深さと生きる知恵の幅の広さを見たよ
だってね、彼には
ご両親が喜んでくれていることが、ちゃんと<見えて>いるよ
ご両親の声や態度から、ね。
このことに気がつかなくちゃ
見えないという個性を持った彼を理解していないし、
対等な人間としてまだ認めていないよ
「五体不満足」の著者が言った障害は個性って意味を
もっと理解してくれる人が増えるといいね
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