2010-02-19
天空を行く!アルゼンチン・雲の列車
「雲の列車」は、アルゼンチン北部のサルタ(標高1187m)から
アンデス山脈のポルボリージャ鉄橋(4220m)まで、
16時間かけて往復する観光列車です。
その名の通り、アンデス山脈の雲に近いくらいの高所を走ります。
鉄道と車窓好きの私としては、前から乗ってみたかった、この列車。
乾季の間のみ週1回の運行ですが、 過去には一時運休になったこともあり、
乗車するにはタイミングを合わせないといけません。
昨年11月28日、この日は2009年の最終運行日。
この日に合わせてサルタにやって来ました。
高山病対策として前日の夕食は軽めにし、 翌朝5時の起床に向けて早めに休みます。
いよいよ当日。
夜が明けてきた朝6時過ぎ、サルタ駅に続々と集まる乗客達。
まず窓口でチェックインし、乗車口で各車両のガイドさんが迎えてくれます。
車内はほぼ満席。
アルゼンチン国内の旅行者の人気も高く、 私の乗った車両は、
アルゼンチン人と欧米人の旅行者が半々くらいという印象でした。
7時に発車。
安全上の理由で、市街地を抜けるまでは窓とシャッターを閉めて走行します。
座席は4人掛けBOXシートで、向かいの席は40代くらいの欧米人カップルです。
私達は往路の進行方向に向かって右側の席です。
出発して30分ほど経つと
アルゼンチン風の甘いパンとコーヒーの簡単な朝食サービスがあり、
やがて郊外に出るとタバコ畑の中を進んでいきます。
各車両にガイドのお姉さんが1人ずつ乗務し、
マイクを使って英語とスペイン語でいろいろと説明してくれます。
ときおり、列車にちなんだクイズやゲーム(罰ゲームあり!)も行われ、
乗客を飽きさせない趣向が凝らされています。
出発から2時間ほどすると、外の景色も
サボテンが生える乾燥地帯へ変わっていきます。
途中、2回のスイッチバック(ジグザグ走行)と、2回のループ線を通過。
さっき通った線路が眼下に見え、確かに登っていることが実感できます。
前の席の欧米人カップルは、男性が一眼レフで熱心に車窓を撮影。
私達の写真も撮ってくれたりと、 いろいろと世話を焼いてくれますが、
女性の方はずっと眠そうな感じで、どうやら彼に付き合って来た様子です。
やがて11時頃にはサボテンもまばらになり、 目に付く植物は背の低い草だけ。
右も左も見渡す限りの茶色い岩と砂の世界です。
進行方向右側の遥か向こうに白く大きな塊が見え、ガイドさんから塩湖との説明があります。
たまに打ち捨てられた建物がある以外には、人間の生活の痕跡はほとんどなく
ときどきリャマ?が見える以外には、生き物の姿もありません。
列車は乾燥地帯を走り続け、喉が渇きます。
車内には飲料水のサーバーがあり、自由に汲んで飲むことができますが、
やはり手元にボトルの水を持っているのが便利です。
13時過ぎ、標高3774mのサン・アントニオ・ロス・コブレスに到着。
人口約4000人の鉱山の町です。
軽い高山病なのでしょうか、このあたりから少し頭がぼうっとしてきました。
体を動かすのが億劫になり、あまり力が入りません。
さらに上り続け、14時32分、
ついに最高地点、標高4220mのポルボリージャ鉄橋に到着です。
列車はスピードを落とし、車内では感動系のBGMが流れ、
ガイドさんのマイクにも力が入ります。
いやが上にもムードが盛り上がり、乗客からは拍手が沸き起こりました。
渓谷にかかるこの鉄橋は高さ63m、長さ224m。
橋の上からは周囲の山を見渡せ、地面は遥か下です。
線路はさらに西のチリとの国境へと続きますが、列車は鉄橋が終点です。
鉄橋を渡った地点で停車し、下車して写真タイム。
さすがに標高4000m以上ともなると太陽が近く、 サングラスと帽子無しではいられません。
機関車を付け替え、来た線路を戻ってサルタへ向かいます。
先程通ったサン・アントニオ・ロス・コブレスに再び停車し、小休止。
ここでも駅前に土産物売りがたくさん出ており、
エンパナーダやサンドイッチなどの軽食を買って休憩。
列車にはスナックと食堂車があるのですが、スナックは夕方になると売り切れ、
食堂車は混んでいて高いので、 多少の食べ物を持っていくと良いかもしれません。
ここまで戻ってくると体のだるさもとれ、楽になってきました。
やがて外の山や谷に西日が差し始め、往路とはまた違う光景を見せてくれます。
外が段々と暗くなり、乗客にも疲れが出てきます。
しかし映画上映やマジックショー、 そして楽団の演奏と、
夜でも様々なエンターテイメントが用意され、長旅の割には退屈をさせません。
鉄道のロゴ入りグッズの当たる抽選会などの後、
ガイドさんから乗客が一人ずつ名前を呼ばれ、乗車証明書が手渡されました。
そして締めくくりの挨拶があり、乗客から拍手が起こります。
ガイドさんも1年の最後の乗務ということで、感慨一入のようです。
夜11時にサルタ駅へ帰着。
アンデスの自然と地球のスケールを体感した、16時間の旅が終わりました。
ホテルに戻りベッドに入っても、まだ列車のリズムで体が揺れていました。
2010-02-07
19世紀の世界旅行~イザベラ・バードの旅の世界
2月6日、朝から雪が舞う中、
「ツイン・タイム・トラベル イザベラ・バードの旅の世界」展
(京都大学総合博物館)を見てきました。
イザベラ・バード(1831~1904)はイギリス人の女性旅行家。
その名前を始めて知ったのは、昨年のGWに新潟に帰省した際に
両親と山歩きに訪れた山形県飯豊町でのことでした。
バードは明治時代に日本を訪れ、北海道や東北を旅した際に、
飯豊にも足を伸ばしており、
旅行記「日本奥地紀行」は当時、欧米でベストセラーになったそうです。
当時の日本は開国後まだ約10年で貧しく、未開の地。
そこを当時47歳のバードは通訳の少年一人だけを付けて、
3ヶ月間、主に馬で周ったそうで、
今の私達には想像できない旅だったに違いありません。
彼女は20代から70代に至るまでの半世紀の間、世界各地を旅しました。
残念ながら南米と南極には行っていないのですが、
それ以外の各大陸に足跡を残し、旅行記も数多く出版しています。
今回の展覧会は、バードの足跡を世界中に辿り、
彼女が残した風景版画や写真と、現在の風景とを対比して見るものでした。
日本のパートはあまり多くはありませんでしたが、
都市の景観はどこでも大きく変貌している反面、
チベットの草原やアメリカの山岳地帯などは
当時と景観があまり変わっていないのが印象的でした。
旅の手段が船と馬車、鉄道だった時代に、
これだけの旅をして記録を残していることには、素直に驚きを覚えます。
(撮影機材だって今とは比較にならないほど大きく重かったはず)
知らない世界を見たいという欲求は、 昔の人も変わらなかったのでしょう。
そして世界が狭くなったと言われながらも、
まだまだ知らない素敵な場所が、世界(日本も含めて)にはたくさんあることを、
あらためて教わった気持ちです。
情報が溢れ、地球の反対側のことですら
検索すればすぐに分かってしまう、今の時代。
だからこそ好奇心を持ち続け、
興味を持ったところには実際に足を運び、自分の目で見て感じる。
それを大切にしていきたいと思いました。
展覧会情報(京都大学総合博物館)
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/modules/special/content0008.html