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2006-05-25
グレートバリアリーフの無人島キャンプ 2日目
島には唯一の人工物である、トイレが設置されているということだったので、
まずはそれを確認しておこうと、あらかじめ教えてもらった道を辿ると、
島の中ほどの掘っ立て小屋の中に、かなり深く掘られたトイレを発見した。
椰子の林の中に作られたこのトイレは、すっかり自然と同化していた。
トイレの場所を確認したので、次はテントの設営に取り掛かろうとした
島には私達しかいないので、住家を選ぶに当たっては、全くの自由である。
それならば、と、テントの設営場所を探しに、島を一周して見ることにした。
島はゆっくり歩いて1時間ほどで一周することができた。
島のほとんどが岩場なのだが、数ヶ所は珊瑚のビーチになっている。
視察したところ、結局ディンギーの発着場所になっているところが最も美しい
ビーチであり、少し中へ入ると、そこは砂の台地になって寝心地も良かった。
更にビーチを背にした正面には椰子が茂り、その椰子の林が島中央からの
風を防いでくれたので、ここを今回のネグラとすることに決めた。
テントの設営が終わると、レンタルしておいたシュノーケルセットを身に付け、
夕方近くまでシュノーケリングをして過ごした。
岩かと思い近付いて見たところ、それがマンタだったことに驚くこともあった。
また、ビーチには珊瑚の死骸が打ち上げられており、それはカラフルで、
私達の目を楽しませてくれた。
夕方、食事を取りながら息をのむほどのサンセットを眺めたまではよかったが、
その後空は曇り始め、少しばかり荒れ模様になった。
海に囲まれた小島で夜を過ごしたのは初めてだったせいか、昼間とは対象的に
夜は恐ろしいほどの海鳴りが響き渡り、自然の脅威を五感で感じる事ができた。
初めて耳にする「ゴォォォ・・・」と響く海鳴りのサラウンドは、無人島キャンプ中、
恐ろしいながらも、最も感銘を受けた素晴らしい体験であったと思っている。
真夜中にトイレへ行こうとテントを出たが、雨風のせいで、道中の椰子の葉に
行く手を遮られ、懐中電灯片手にトイレまで30分もかかった。
帰ってきた時、体はズブ濡れだったが、ちょっとした冒険をして来た充実感
からか、そんなことはお構い無しに寝袋へ滑り込み、心地よい眠りに付いた。
翌朝テントに燦燦と降り注ぐ太陽の光のせいで、蒸し暑くなり目が覚めた。
外に出ると、昨夜の嵐は嘘のように海は穏やかになっていた。
遥か遠くでタンカーともおぼつかない船影が動いて見えた。
昼前、こちらに近付いてくる船を一艘発見。
たった一日の事だったが、昨夜の嵐で100%漂流者になりきっていた私達は、
迎えに来てくれたディンギーを見てほっとした。
ディンギーから降りたクルーが聞いた「延泊する?それともケアンズに戻る?」
「もう1泊したい」と言えば、飲料水を置いていってくれて、また翌日迎えに
来てくれることになっている。
たった一日で文明生活が恋しくなっていた私達はシャワーを浴びたかったので、
戻ることにした。
終わり
まずはそれを確認しておこうと、あらかじめ教えてもらった道を辿ると、
島の中ほどの掘っ立て小屋の中に、かなり深く掘られたトイレを発見した。
椰子の林の中に作られたこのトイレは、すっかり自然と同化していた。
トイレの場所を確認したので、次はテントの設営に取り掛かろうとした
島には私達しかいないので、住家を選ぶに当たっては、全くの自由である。
それならば、と、テントの設営場所を探しに、島を一周して見ることにした。
島はゆっくり歩いて1時間ほどで一周することができた。
島のほとんどが岩場なのだが、数ヶ所は珊瑚のビーチになっている。
視察したところ、結局ディンギーの発着場所になっているところが最も美しい
ビーチであり、少し中へ入ると、そこは砂の台地になって寝心地も良かった。
更にビーチを背にした正面には椰子が茂り、その椰子の林が島中央からの
風を防いでくれたので、ここを今回のネグラとすることに決めた。
テントの設営が終わると、レンタルしておいたシュノーケルセットを身に付け、
夕方近くまでシュノーケリングをして過ごした。
岩かと思い近付いて見たところ、それがマンタだったことに驚くこともあった。
また、ビーチには珊瑚の死骸が打ち上げられており、それはカラフルで、
私達の目を楽しませてくれた。
夕方、食事を取りながら息をのむほどのサンセットを眺めたまではよかったが、
その後空は曇り始め、少しばかり荒れ模様になった。
海に囲まれた小島で夜を過ごしたのは初めてだったせいか、昼間とは対象的に
夜は恐ろしいほどの海鳴りが響き渡り、自然の脅威を五感で感じる事ができた。
初めて耳にする「ゴォォォ・・・」と響く海鳴りのサラウンドは、無人島キャンプ中、
恐ろしいながらも、最も感銘を受けた素晴らしい体験であったと思っている。
真夜中にトイレへ行こうとテントを出たが、雨風のせいで、道中の椰子の葉に
行く手を遮られ、懐中電灯片手にトイレまで30分もかかった。
帰ってきた時、体はズブ濡れだったが、ちょっとした冒険をして来た充実感
からか、そんなことはお構い無しに寝袋へ滑り込み、心地よい眠りに付いた。
翌朝テントに燦燦と降り注ぐ太陽の光のせいで、蒸し暑くなり目が覚めた。
外に出ると、昨夜の嵐は嘘のように海は穏やかになっていた。
遥か遠くでタンカーともおぼつかない船影が動いて見えた。
昼前、こちらに近付いてくる船を一艘発見。
たった一日の事だったが、昨夜の嵐で100%漂流者になりきっていた私達は、
迎えに来てくれたディンギーを見てほっとした。
ディンギーから降りたクルーが聞いた「延泊する?それともケアンズに戻る?」
「もう1泊したい」と言えば、飲料水を置いていってくれて、また翌日迎えに
来てくれることになっている。
たった一日で文明生活が恋しくなっていた私達はシャワーを浴びたかったので、
戻ることにした。
終わり
2006-05-21
グレートバリアリーフの無人島キャンプ 1日目
「グレートバリアリーフの無人島でキャンプができるけど、行ってみない?」
某クルーズ会社の担当者が、私にとても魅力的な知らせを持ってきた。
「未だ、日本人はほとんど知らないから、きっといいネタになると思うよ」
当時、グレートバリアリーフの無人島キャンプツアーを売ろうなどと考えている
日本の旅行会社は皆無で、こいつの会社なら一風変わった商品ばかりを
取り扱っているから、これも何とか販売してくれるのではないかと企んだに
違いなく、一度島を視察してきてほしいと言うことだった。
面白そうだったので、私は躊躇することなく二つ返事で引き受けた。
島の名前はラッセル島。
長い年月を経て、珊瑚が隆起して出来上がった、グレートバリアリーフに
浮かぶフランクランド諸島の無人島だ。
グレートバリアリーフの無人島で、唯一キャンプをすることが許されている。
国立公園でキャンプを張るための許可証を手に入れ、テントと食料を仕入れ、
携帯電話と緊急連絡先(万一に備え日本の家族や友人の電話番号も揃えた)、
懐中電灯、寝袋を持って、準備を整えた。
キャンプと言っても島にキャンプサイトがある訳ではなく、島の物は、枯葉、
枯木とて一切燃やしてはならない、と言う決まりがあり、火を使う場合は
きちんとしたコンロや燃料を持参しなくてはならない。
私達は食料に、パン、バター、スパムの缶詰、バナナ、オレンジ、ビスケット、
そしてオージービーフに小型のバーベキューコンロと練炭を用意した。
島へは、ケアンズからフェリーに乗って行く。
マングローブが生い茂ったマルグレーブ川に沿って、そのまま海に出る。
ラッセル島へ向かう途中、諸島観光の中核、ノーマンビー島へ立ち寄る。
大半の観光客はここが最終目的地となるが、それは私と妻以外の全員だった。
ノーマンビー島も無人島で、一日100人しか上陸できないという定員制限が
あるため、この島はとても人気がある。但しキャンプをすることはできない。
ここからは小型船ディンギーに乗り換え、私達だけラッセル島へ向かう。
ノーマンビー島の賑わいがエンジン音にかき消され、徐々に遠ざかって行く。
どことなく不安になってくるが、ラッセル島が見えて来ると、いよいよ気合を
入れ直さなければならない。
キャンプとしては気楽な内容だが、無人島で一晩過ごさなければならないのだ。
島には私達と入れ違いで、アメリカ人の夫婦が約1週間キャンプしており、
タオルなどの洗濯物を海に水平に突き出たヤシの木にかけて乾かしている
光景や男性のひげの伸び具合は、ロビンソンクルーソーさながらであった。
一週間も無人島で生活を楽しむとは、さすがアメリカ人観光客は我々日本人と
比べると、旅の嗜好も、勤務している会社の待遇も違うのだな~と思った。
その夫婦は、私達と入れ替わり、多くの荷物と共にディンギーに乗り込んだ。
ディンギーのクルーは「じゃあ、明日、無事会えることを楽しみにしているよ!」
と一言残して島を離れた。
ディンギーと夫婦がこの島から去った後、私達と穏やかな波の音だけが残った。
翌日へ続く
某クルーズ会社の担当者が、私にとても魅力的な知らせを持ってきた。
「未だ、日本人はほとんど知らないから、きっといいネタになると思うよ」
当時、グレートバリアリーフの無人島キャンプツアーを売ろうなどと考えている
日本の旅行会社は皆無で、こいつの会社なら一風変わった商品ばかりを
取り扱っているから、これも何とか販売してくれるのではないかと企んだに
違いなく、一度島を視察してきてほしいと言うことだった。
面白そうだったので、私は躊躇することなく二つ返事で引き受けた。
島の名前はラッセル島。
長い年月を経て、珊瑚が隆起して出来上がった、グレートバリアリーフに
浮かぶフランクランド諸島の無人島だ。
グレートバリアリーフの無人島で、唯一キャンプをすることが許されている。
国立公園でキャンプを張るための許可証を手に入れ、テントと食料を仕入れ、
携帯電話と緊急連絡先(万一に備え日本の家族や友人の電話番号も揃えた)、
懐中電灯、寝袋を持って、準備を整えた。
キャンプと言っても島にキャンプサイトがある訳ではなく、島の物は、枯葉、
枯木とて一切燃やしてはならない、と言う決まりがあり、火を使う場合は
きちんとしたコンロや燃料を持参しなくてはならない。
私達は食料に、パン、バター、スパムの缶詰、バナナ、オレンジ、ビスケット、
そしてオージービーフに小型のバーベキューコンロと練炭を用意した。
島へは、ケアンズからフェリーに乗って行く。
マングローブが生い茂ったマルグレーブ川に沿って、そのまま海に出る。
ラッセル島へ向かう途中、諸島観光の中核、ノーマンビー島へ立ち寄る。
大半の観光客はここが最終目的地となるが、それは私と妻以外の全員だった。
ノーマンビー島も無人島で、一日100人しか上陸できないという定員制限が
あるため、この島はとても人気がある。但しキャンプをすることはできない。
ここからは小型船ディンギーに乗り換え、私達だけラッセル島へ向かう。
ノーマンビー島の賑わいがエンジン音にかき消され、徐々に遠ざかって行く。
どことなく不安になってくるが、ラッセル島が見えて来ると、いよいよ気合を
入れ直さなければならない。
キャンプとしては気楽な内容だが、無人島で一晩過ごさなければならないのだ。
島には私達と入れ違いで、アメリカ人の夫婦が約1週間キャンプしており、
タオルなどの洗濯物を海に水平に突き出たヤシの木にかけて乾かしている
光景や男性のひげの伸び具合は、ロビンソンクルーソーさながらであった。
一週間も無人島で生活を楽しむとは、さすがアメリカ人観光客は我々日本人と
比べると、旅の嗜好も、勤務している会社の待遇も違うのだな~と思った。
その夫婦は、私達と入れ替わり、多くの荷物と共にディンギーに乗り込んだ。
ディンギーのクルーは「じゃあ、明日、無事会えることを楽しみにしているよ!」
と一言残して島を離れた。
ディンギーと夫婦がこの島から去った後、私達と穏やかな波の音だけが残った。
翌日へ続く
2006-05-15
シドニー湾の通勤事情
シドニー湾に架かるハーバーブリッジを挟んで、
南がシティ地区でオフィス街、北がノース地区で住宅街となっている。
ノース地区はマックマーンズポイント、ノースシドニー、キリビリ、
ニュートラルベイ、クレモーン、モスマン、辺りのことを指す。
これらの地域は海沿いでシティにも近く便利なので、少し家賃は高くなる。
また、比較的安全なので、多くの日本人が居住しており日本食レストランに
行くと、”どこどこのだれだれさん” に必ずと言っていいほど良く出会う。
ノースに住んでいる人々の通勤スタイルはいくつかある。
とにかく時間を節約したい人(朝少しでも眠っておきたい人)は電車通勤だ。
列車の時間の正確さは日本とは比べ物にならないが、
他の交通機関と比べるとまだましで、乗ってしまうと、渋滞もなく早い。
少しでもお金をセーブしたい人は、バス通勤に限る。
料金は安く、割引チケットもある。
通勤手当の出ないオーストラリアでは、やはり一番ひいきにされている。
また、ノースエリアのあちこちを網羅しているので、通勤にはとても便利だ。
通勤時間をエクササイズに使いたい人は、ハーバーブリッジを歩いて渡る。
通勤時、ハーバーブリッジの歩道は、この通勤者達で賑わう。
まるっきりエクササイズに利用している人は、スパッツに身を包みサングラス
をかけて、競歩の歩きをする。こういう人のスーツは、会社に保管されている。
健康のためと、軽い運動に利用している人は、パンとコーヒーを両手に持ち、
楽しく歩いて渡っている。
ワーホリはよく歩く。彼らはダイエットのためでなくお金をセーブするために。
朝の時間をのんびりと優雅に過ごしたい人は、フェリー通勤をする。
パンやコーヒーなどをテイクアウェイし、新聞片手に束の間の乗船を楽しむ。
ハーバーブリッジの下を悠々とくぐりぬけるスペシャルルートもあれば、
右手にハーバーブリッジ、左手にはオペラハウスを望み、正面にはシティの
摩天楼という、絵に描いたような眺めを見ながらサーキュラキーへと入港する。
一日の仕事が終わると、帰宅時は、フェリーで帰路につく人が多くなる。
のんびりとシドニー湾で一日の疲れを癒そうとする人達が多いということだ。
フェリーに乗り、シドニーシティの夜景をバックに眺めると、疲れも吹っ飛ぶ。
とは言え、大半のオージー達は日が沈むより早くフェリーに乗って帰るので、
彼らがフェリーでのんびり夜景などを楽しむなんてことはほとんどない。
フェリーで夜景を楽しんでいるのは、日本人や中国人などのアジア系である。
オージー達は一度帰宅した後で、ノースの自宅や友人宅か、海岸沿いに出て、
ワイン片手にバーベキューをしながら夜景を楽しむのが常である。
南がシティ地区でオフィス街、北がノース地区で住宅街となっている。
ノース地区はマックマーンズポイント、ノースシドニー、キリビリ、
ニュートラルベイ、クレモーン、モスマン、辺りのことを指す。
これらの地域は海沿いでシティにも近く便利なので、少し家賃は高くなる。
また、比較的安全なので、多くの日本人が居住しており日本食レストランに
行くと、”どこどこのだれだれさん” に必ずと言っていいほど良く出会う。
ノースに住んでいる人々の通勤スタイルはいくつかある。
とにかく時間を節約したい人(朝少しでも眠っておきたい人)は電車通勤だ。
列車の時間の正確さは日本とは比べ物にならないが、
他の交通機関と比べるとまだましで、乗ってしまうと、渋滞もなく早い。
少しでもお金をセーブしたい人は、バス通勤に限る。
料金は安く、割引チケットもある。
通勤手当の出ないオーストラリアでは、やはり一番ひいきにされている。
また、ノースエリアのあちこちを網羅しているので、通勤にはとても便利だ。
通勤時間をエクササイズに使いたい人は、ハーバーブリッジを歩いて渡る。
通勤時、ハーバーブリッジの歩道は、この通勤者達で賑わう。
まるっきりエクササイズに利用している人は、スパッツに身を包みサングラス
をかけて、競歩の歩きをする。こういう人のスーツは、会社に保管されている。
健康のためと、軽い運動に利用している人は、パンとコーヒーを両手に持ち、
楽しく歩いて渡っている。
ワーホリはよく歩く。彼らはダイエットのためでなくお金をセーブするために。
朝の時間をのんびりと優雅に過ごしたい人は、フェリー通勤をする。
パンやコーヒーなどをテイクアウェイし、新聞片手に束の間の乗船を楽しむ。
ハーバーブリッジの下を悠々とくぐりぬけるスペシャルルートもあれば、
右手にハーバーブリッジ、左手にはオペラハウスを望み、正面にはシティの
摩天楼という、絵に描いたような眺めを見ながらサーキュラキーへと入港する。
一日の仕事が終わると、帰宅時は、フェリーで帰路につく人が多くなる。
のんびりとシドニー湾で一日の疲れを癒そうとする人達が多いということだ。
フェリーに乗り、シドニーシティの夜景をバックに眺めると、疲れも吹っ飛ぶ。
とは言え、大半のオージー達は日が沈むより早くフェリーに乗って帰るので、
彼らがフェリーでのんびり夜景などを楽しむなんてことはほとんどない。
フェリーで夜景を楽しんでいるのは、日本人や中国人などのアジア系である。
オージー達は一度帰宅した後で、ノースの自宅や友人宅か、海岸沿いに出て、
ワイン片手にバーベキューをしながら夜景を楽しむのが常である。
2006-05-10
オーストラリアで最も人気のスポーツは部族間抗争!?
いよいよワールドカップも1年後に迫った。
と言っても、サッカーのことではなくラグビーのこと。
日本ではサッカーの陰に隠れがちだが、
オーストラリアではサッカー以上に注目されるワールドカップである。
それもそのはず、過去5回の大会中、日本は1回しか勝っていないが、
オーストラリアは2回の優勝と1回の準優勝をものにしているからだ。
もともと、オーストラリア人はサッカーよりもラグビーが好きだ。
最初にオーストラリアに渡って来たアングロサクソンやケルト人などが
ラグビーを広めたためで、サッカーは後に、その他のヨーロッパ移民に
よって遅れてもたらされた結果、サッカー人気はラグビーに遅れを取る
ことになったのである。
私は高校時代、ラグビー部に所属していたが、私を含めて、日本でラ
グビーをプレーする人達のほとんどは、ラグビー強国のオーストラリア
で、日本のラグビーとは別のルール&リーグに分かれてもう1種類の
ラグビーが行われていること、そしてそれは日本のラグビーと人気を
二分していること、それに、ワールドカップまで別で開催されていると
いうことを知らないのではないだろうか。
日本のラグビー協会は「ラグビーユニオン」と言う組織に所属しており、
このユニオンのオーストラリア代表チームはかの有名な「ワラビーズ」。
もう1つのラグビーとは「ラグビーリーグ」と言う組織のことで、オースト
ラリア代表チームは、南太平洋では超有名な強豪「カンガルーズ」だ。
チーム名もそうだが、人気、実力、から見ても、お互い引けを取らない。
しかし、オーストラリアには、この大人気のラグビーよりも、更にそれを
上回るダントツの人気を博するスポーツがある。
アメリカにアメリカンフットボールがあるように、オーストラリアには、
オージー達が編み出した「オーストラリアンルールズフットボール」と
言うラグビーとアメフトを足して二で割ったようなフットボールがある。
オーストラリアンルールズフットボールは、全てのフットボールの中でも、
プレーは最も激しく、まるでサーカスのようだ。
また、ファンやメディアの応援も各地域ごとにかなりヒートアップする。
しかし、国内で最も多くの観客動員数を誇っているにも拘わらず、他の
スポーツの様に国際大会は無く、他国では一切プレーされていない。
この特異な盛り上がりは日本の野球にも通ずる所があるかも知れない。
特に阪神ファンの心理を考えると分かり易いだろう。
私の父は、WBCで日本が優勝したことについて、「阪神の選手が活躍
してへんからどうでもええ」と言っていた。
阪神がペナントで勝つだけで、国際大会なんてどうでも良いという訳だ。
熱烈なファンにとっては、それだけ国内の大会が重要だということである。
オージー達も隣のヤツだけには負けたくないという気持ちは強いらしい。
喧嘩のように激しく戦い、国内だけで異常に盛り上がるこのスポーツは、
近隣諸国では “オーストラリア内の部族間抗争” とも揶揄されている。
と言っても、サッカーのことではなくラグビーのこと。
日本ではサッカーの陰に隠れがちだが、
オーストラリアではサッカー以上に注目されるワールドカップである。
それもそのはず、過去5回の大会中、日本は1回しか勝っていないが、
オーストラリアは2回の優勝と1回の準優勝をものにしているからだ。
もともと、オーストラリア人はサッカーよりもラグビーが好きだ。
最初にオーストラリアに渡って来たアングロサクソンやケルト人などが
ラグビーを広めたためで、サッカーは後に、その他のヨーロッパ移民に
よって遅れてもたらされた結果、サッカー人気はラグビーに遅れを取る
ことになったのである。
私は高校時代、ラグビー部に所属していたが、私を含めて、日本でラ
グビーをプレーする人達のほとんどは、ラグビー強国のオーストラリア
で、日本のラグビーとは別のルール&リーグに分かれてもう1種類の
ラグビーが行われていること、そしてそれは日本のラグビーと人気を
二分していること、それに、ワールドカップまで別で開催されていると
いうことを知らないのではないだろうか。
日本のラグビー協会は「ラグビーユニオン」と言う組織に所属しており、
このユニオンのオーストラリア代表チームはかの有名な「ワラビーズ」。
もう1つのラグビーとは「ラグビーリーグ」と言う組織のことで、オースト
ラリア代表チームは、南太平洋では超有名な強豪「カンガルーズ」だ。
チーム名もそうだが、人気、実力、から見ても、お互い引けを取らない。
しかし、オーストラリアには、この大人気のラグビーよりも、更にそれを
上回るダントツの人気を博するスポーツがある。
アメリカにアメリカンフットボールがあるように、オーストラリアには、
オージー達が編み出した「オーストラリアンルールズフットボール」と
言うラグビーとアメフトを足して二で割ったようなフットボールがある。
オーストラリアンルールズフットボールは、全てのフットボールの中でも、
プレーは最も激しく、まるでサーカスのようだ。
また、ファンやメディアの応援も各地域ごとにかなりヒートアップする。
しかし、国内で最も多くの観客動員数を誇っているにも拘わらず、他の
スポーツの様に国際大会は無く、他国では一切プレーされていない。
この特異な盛り上がりは日本の野球にも通ずる所があるかも知れない。
特に阪神ファンの心理を考えると分かり易いだろう。
私の父は、WBCで日本が優勝したことについて、「阪神の選手が活躍
してへんからどうでもええ」と言っていた。
阪神がペナントで勝つだけで、国際大会なんてどうでも良いという訳だ。
熱烈なファンにとっては、それだけ国内の大会が重要だということである。
オージー達も隣のヤツだけには負けたくないという気持ちは強いらしい。
喧嘩のように激しく戦い、国内だけで異常に盛り上がるこのスポーツは、
近隣諸国では “オーストラリア内の部族間抗争” とも揶揄されている。
2006-05-01
オペラハウス「世界三大がっかり」から「世界遺産」に昇格か?
オペラハウスはオーストラリアで最も有名な建築物だろう。
旅行会社のパックツアーの市内観光では、必ず観光ポイントに含められており、
これを見ないとシドニー観光をしたとは言えないほど、今や象徴となっている。
シドニーのツアーガイドは、
「オペラハウスは1957年、デンマークの建築家によって設計されました。
この形はヨットの帆を、そして貼り付けられた約106万枚のタイルは貝殻を
イメージしており、色は反射光によって船の通行に支障の無いように、若干
クリーム色になってます。」
・・・と昨年までは、このお決まりの説明だけだったのだが、最近は、
「このオペラハウスも来年は世界遺産になっているかも知れませんので、
皆さん記念写真はお忘れなく!」・・・という文句が加えられているらしい。
オペラハウスを世界遺産に申請した理由は、簡単に言うと、
シドニー湾に見事に調和させた創造性に富んだ建築設計が優れているということ。
過去にも一度却下されているオペラハウス、今度こそ日の目を見るのだろうか。
ただ、オペラハウスの兄弟とも言える、シドニー湾のもう一つの象徴
「ハーバーブリッジ」の方は、全く無視されており、どこか可哀相に思えてならない。
どうせなら、世界三大美港と呼ばれるシドニー湾国立公園全てを世界遺産に
するのが良いと思うのだが、オーストラリア通の皆さんはどう思いますか?
旅行会社のパックツアーの市内観光では、必ず観光ポイントに含められており、
これを見ないとシドニー観光をしたとは言えないほど、今や象徴となっている。
シドニーのツアーガイドは、
「オペラハウスは1957年、デンマークの建築家によって設計されました。
この形はヨットの帆を、そして貼り付けられた約106万枚のタイルは貝殻を
イメージしており、色は反射光によって船の通行に支障の無いように、若干
クリーム色になってます。」
・・・と昨年までは、このお決まりの説明だけだったのだが、最近は、
「このオペラハウスも来年は世界遺産になっているかも知れませんので、
皆さん記念写真はお忘れなく!」・・・という文句が加えられているらしい。
オペラハウスを世界遺産に申請した理由は、簡単に言うと、
シドニー湾に見事に調和させた創造性に富んだ建築設計が優れているということ。
過去にも一度却下されているオペラハウス、今度こそ日の目を見るのだろうか。
ただ、オペラハウスの兄弟とも言える、シドニー湾のもう一つの象徴
「ハーバーブリッジ」の方は、全く無視されており、どこか可哀相に思えてならない。
どうせなら、世界三大美港と呼ばれるシドニー湾国立公園全てを世界遺産に
するのが良いと思うのだが、オーストラリア通の皆さんはどう思いますか?