2006-02-10

華やかなボリビアの祭り

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ポトシから首都ラパスへと向かう道中、シカシカという小さな集落を通った。
集落を通る道路沿いに宿が1件だけある。
まだ時間は早かったが、雲行きもあやしかったのでここで1泊することにした。

「明日はカーニバルで、二千人の踊り子がやって来る。」と宿の男が言う。
一瞬耳を疑った。「に、にせん?」
こじんまりとした小さな教会を中心に住宅が並ぶ、田舎の静かで小さな集落だ。
どう見ても、そんな気配は無い。
半信半疑だったが、カーニバルがあるのならともう1泊することに。

翌日、どうなることかと窓の外を眺めていると、
次から次へと、たくさんの人達を乗せたバスが到着した。
色とりどりの衣装を身にまとう三つ編みの女の人、ブラスバンドの男の人。

やっぱり話は本当だったのだ。
外に繰り出すと、教会の前の広場の周りに、わんさかビールを準備した屋台が並ぶ。
集落内は一気に人口が倍増していた。

 

そしてカーニバルは始まった。
ボリビア各地から集まった、何チームもの数え切れないほどの人達が、
広場を中心にした何区画かを踊り、演奏しながら行進する。
それは夕方まで延々と続いた。

華やかな衣装で、無心に、ひたすら踊り続ける人達。
にぎやかで、でもどこかもの悲しくも聞こえるブラスバンドの演奏。
圧巻だった。

その夜、宿ではベッドが足りなくて、私達の部屋のあまったベッドにも、
ボリビアの若い女の人が寝に来た。
宿代が思ったより少し高かったのは、どうも「祭り価格」だったようだ。

小さな集落でもこんなに賑やかなカーニバルがあるくらいだから、
大きな街のカーニバルはきっとものすごい迫力だろう。

ボリビアのオルーロのカーニバルは、南米3大祭りと言われとても有名。


そういえば、チリからウユニ塩湖へ向かう途中の国境近く、
シカシカよりもさらに小さなボリビアの村、コルチャカでも祭りをしていた。
隣国、チリから駆けつけた人達もいる。

特別な衣装は無いが、人々はまるで盆踊りのように輪になって踊り、
ぐるぐると周り続ける。そしてしばらくすると逆周りになる。
皆、めちゃくちゃ楽しそうだった。もちろん片手には酒が!
ここぞとばかりに酒を飲み、踊り、発散している。
チリ側の村は静まり返っていたので、あまりの違いに驚いた。

ボリビアの生活は厳しい。
祭りで踊っている時は、つらい事をすべて忘れられる、
踊る人達からそんな感じがした。



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2006-02-05

「世界最高所の街」ポトシ

セロ・リコ
上って上って上り詰めて行くと、
ようやく街は現れた。

ボリビアのポトシは、標高4,070m。
鉱山セロ・リコの麓に11万人の人達が
暮らしている。

その昔、スペイン人が鉱山目当てに支配した。石造りの立派な教会、石畳の通りやコロニアルな町並みはその名残であり、これらは世界遺産にも登録されている。

現在も鉱山では、過酷な環境・待遇で働き続ける人達がいる。ここを訪れる見学ツアーも、かなりハードだそうだ。


ポトシの教会前
昼ごろ街の中心に行くと、下校時の学生達でごったがえし、子供達が通りを埋め尽くしていた。

ボリビアやペルーは子供が多いのだ。
総人口に対する子供の割合は、日本の倍以上。

ボリビアは「貧しい国」と言われているが、若くエネルギッシュな子供達がたくさんいるし、みな本当によく働く。
自然も豊かで資源も多い。

だからきっと未来は明るいと思う。






ポトシのフェリア
毎週末に催されるフェリア(市)。

1週間分の買出しに出かける人で賑わう。食料品、日用雑貨、衣類など、生活に必要なありとあらゆるものが路上で売られている。

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2006-02-05

めくるめくボリビアの道

上ってきた道を振り返る

ボリビアの未舗装の道には苦しめられたものだ。
ウユニ塩湖から鉱山の街ポトシまでは、約200kmの道のり。
自転車の旅では4日かかった。

標高3,000m~4,000mの世界。いくつもの山を越え、谷を越えた。
高地での上りは、ひときわこたえる。夜もかなり冷えた。

山を上り詰めては下り、上り詰めては下る。
当然ながら、景色は変化に富んでいて、壮大で素晴らしいが、
「もう少しマシな道路の作り方をしてくれ」とボヤきたくなる。


息を切らし上り詰めると、背後には輝くウユニ塩湖が。


道端でよく出会うリャマ。

めくるめく道を上り詰めた先に、ようやく、世界最高所の街ポトシは姿を見せた。

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